エンカウント
プレイヤー候補のサーナニヤへの対応策を思案していると、向けられていた雑多な視線が前触れもなく消え失せた。
――認識阻害、いや違う。
あれはある種の姿隠しの魔術。眼前で人が透明になったならば、そうなったという認識がなされる。向けられていた注意までは失われない。
となればこれは、アズルトらへの関心そのものを奪い去る、より高度な精神干渉系の錯術ということになる。
アズルトが魔術の知識を総動員して現状を分析していると、クトによって袖が引かれた。
気づけば近くの柱の影に白い少女が立っている。
寸前まで窓辺に姿があったのは確認済みだ。おまけに過程が丸々記憶にないとくれば、縮地による疑似転移に相違ない。
本当に息を吸うように奥義級の魔術を使ってくれる。
すでに戦闘稼働にある宝珠を介し、試しにと探知魔術を飛ばしてみるが、白鬼の使った魔術の痕跡はひとつとして見つけられない。
加えるならば、それは最大出力で隠蔽なしに魔力を垂れ流したものであったのだが、カンカ・ディアがそれを察した気配がない。
白鬼は涼しい顔で佇むばかり。
アズルトらを内に含む形で展開されているのは、先の精神干渉の錯術ばかりではないようだ。魔力を含むありとあらゆる情報の欺瞞が働いている。
この偽装に使われる幻術というのがまた難解な魔術なのだ。
魔術の起動がすなわち扱えると見なされる戦闘系術式と違って、幻術や錯術は起動させてからが本番だ。
看破を試みる人間に対し、それを騙し切るだけの情報を与えなければならない。
精神干渉により誤認させるにしても、他の観測結果と齟齬を生じるようではお話にならない。
アズルトにとっても時空術と並ぶ鬼門なのだが、どうやら白鬼はこの方面にも穴はないらしい。
しかし今を選ぶか、普通。
白鬼の行動の不可解さに、アズルトは内心で首を傾げずにはいられない。
「こんなところに姿をお見せになってよろしいのですか」
初めて、白鬼に視線を合わせた。
にんまりと愉快げな表情がアズルトを出迎える。
見た目は成人前後の、少し耳の尖った綺麗な女の子。
数千年を経てなおもお子様な容姿のままなのは、彼女が出来そこないながらも吸血鬼であることに由来するのだろう。
広間を照らす暖色の魔力光を受け橙に染まる髪は、よくよく見れば純白ではなく白銀なのだと気づく。
女性的なモノトーンの騎士服は常と変らぬものに見える。
そもそもが戦場には似つかわしくない意匠なので、この場にあってはアズルトたちよりよほど馴染んでいた。
「彼らに私は見えていない。ならなにも問題ないわ。それにここは騎士の先達が新たな雛鳥の誕生を祝い見定める場。わたしが居てもおかしくはない」
「そうですね、おかしいですね。夜会の参加者は騎士会に属するものと、その招待客だけですから」
「招待状は貰っている」
ふふんとどこか得意げな白鬼。いや少女然とした容姿がそう見せるのであって、浅慮を笑われたようにも見える。
この一瞬でどこから取り出したのか、細い指に招待状が挟まっていた。
それもアズルトに向けて差し出すような形で。
嫌々ながら歩み寄り、それを受け取って内容を検める。
差出人はアズルトたちのものと同じで、テズアラ・ディアだった。
「招待客の名が記されていませんよ」
「書き忘れたのね。怠慢だわ」
嘆かわしいことだとでも言うように首を振っているが、アズルトは気づいてしまった。これが騎士会から強奪された代物だと。
そっと招待状を返す。
保身のため知り得た事実を黙秘するのはなにも悪いことではない。
いやいっそ己の理性に黙秘権を行使したい。
神話級の才を使ってなにをしているのかと、アズルトは問い質したくて仕方がなかった。
こんな物が出て来るとは予想外にもほどがある。心構えを足蹴にされたような、そんな気分だ。
もしかして長生きしすぎて暇を持て余しているのだろうか。
とりあえず探りを兼ねてひとつ問いを振ってみることにした。
「お眼鏡に叶うひよこは見つかったんですか?」
「どうかしら。今年は加護持ちが多いみたいだけれど。それに、妙なのが2つほど混じってる。虫もなんだか多いし。面倒だわ。でもそうね……可愛らしい子犬を見れたのは収穫かしら」
言ってクトに微笑みかける。
それが先日の白鬼の前でのやり取りを指しているのは明――。
「怯える獣は見ていて和むもの」
そっちかとややげんなりとした気分になる。
先日は先日でもその後の話だった。気配はなかったはずだが寮に逃げ帰る姿はしっかりと目撃されていたらしい。
クトは大きな反応は示さないが、袖を引く力が少しだけ強まる。
視線を遮る形で体を割り込ませた。
「そういうのに慣れていないんで、あまり苛めないでやってくれませんか」
白鬼の笑みが深まる。
余計な餌を与えた気がした。
口の端から覗く鋭い犬歯も相まって、獲物を前にする猫を思わせる。いや吸血鬼なんだが。
それはそれとして収穫の方はまずまず。
『加護持ち』への言及から察するに、この場に限った話ではなく学園全体のことだろうが、そこは別にどうでもいい。
ちなみに『加護持ち』とは神の祝福を受けた御子を指す語で、聖者とも称される。彼らは先天的に高い魔力能を有していながら、幼年期魔力汚染症の精神変容を伴わない。
『ムグラノの水紋』においては、主に三乙女である主人公たちがそう呼び表されていた。
ゲーム的な話をするならば、一般的に『魔力』だとか『MP』だとか呼ばれる値が飛びぬけて高い。
ただアズルトとしてはそこよりも『妙なの』が気にかかった。
自分のことと考えるには2つというのが引っ掛かる。プレイヤーの暗喩と考えるには数が少ない。
『虫』というのは魔族のことだろう。
「それで我々にどういったご用件でしょうか」
「今日は挨拶をしに来ただけ。そういう場でしょうここは」
いささか意外な言葉だった。招待状といい、古代の魔導師よろしく形式を好む性質なのだろうか。そんな繊細な性格には見えないが。
意外と言えば、続くクトの対応もアズルトの想定の内にはないものだった。
「なら名くらい名乗れよ、
袖を摘まむ指先はそのままなれど、アズルトの陰から姿を晒し白鬼を睨みつける。
せめてもの意趣返し、そんな感じだ。
それは功を奏したのか、白鬼の眼がかすかに見開かれた。
「久しくしていないから忘れていたわ」
しかし返ってきた言葉ときたらこれである。
挨拶をし、名乗りを交わし、それからちょっとした話に興じる。会場のあちらこちらで行われているやり取りだ。
忘れると言うなら、まずそこに関心がないということだ。
形式を好むというのは近いところを突いたと思うが、白鬼にとってこの形式は目的であって手段ではない。
袖に掛かっていた重さも消えている。白鬼を見る眼も胡乱なものに変わっていた。
でもそれもほんのわずかな時間のこと。
「エフェナ・ナーシャ・レキュネラスよ。人はエ・ルだとか白鬼だとか呼ぶけれど」
洗練された所作で礼をする。
騎士の礼だ。しかしそれはムグラノ地方で使われるものではなく、更に言えば現代で使う者がいない、時の流れの中に埋もれた亡国の礼。
遥かなる昔、彼女が騎士となった国の作法を、彼女は今もなお使い続けている。
そこに思うものがないでもなかったが、態度に表すわけにはいかない。
アズルトは本来、それを知るはずのない人間なのだから。
と言うかエルは名前ではなかったのか。アズルトはそこに秘かな驚きを覚える。
白鬼の告げた名は教会の情報にはない。ゲームでの呼称もエルだった。
「近く訪ねるわ。煩い虫がいない時にでも」
「なぜ我々を」
「あなたは……いえ、あなたたちはわたしの渇きを埋めてくれそうだから」
「渇き?」
このアズルトの問いは無視される。
「励みなさい。道半ばで手折られぬように」
言うだけ言ってそして次の瞬間、白鬼はアズルトたちの目の前から掻き消えた。
その姿はもう会場のどこにもない。
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