#7 不可思議な少年
昔から、人と違ったことがしたかったわけではない。
だが悲しいかな、家柄や能力は自分を他人とは異なった道へと縛り付けた。
だからこそ、俺は思う。
俺は本当に、俺にしかできないことをやれているんだろうか。
夜の交差点には、一人の少年が佇んでいた。こんな時間に外出している時点で深い事情のありそうな子だが、俺は臆することなくその少年に近付いた。有り体に言って、そいつはこの世のものではなかった。なぜそんなことが言えるのかと聞かれたら、それが俺の家に伝わる資質だったからと答える他にない。
「やあ、こんばんは」
先に話しかけてきたのは少年の方だった。その雰囲気からすればずいぶん不調和に明るい声色をしている。向こうもまた、俺が普通の人間とは違うということを見抜いているらしかった。
しかし、それならばかえって話が早いと言える。俺は一切無遠慮に、単刀直入にその男の子に言った。
「俺はお前を除霊しに来た」
ぽかんと、一瞬だけ少年が呆けた顔をした。
退魔師、陰陽師、人は俺たちのことをいろいろな名で呼ぶ。つまり俺は、人には気軽に言えないような、そういうなんとも曖昧な仕事を生業としていた。
余裕のある笑みを取り戻した少年が、俺を試すように言った。
「そっか、どうやるの」
ずいぶんと潔いガキだ。もう自分がこの世から消されることを受け入れているらしい。あるいは、俺の言っていることを冗談だと思っているかのどっちかだろう。
なんにせよ少年に敵意のないことが判明した俺は、警戒のレベルを一段下げた。もっとも、最初からそんなに構える必要はなかったとも言える。軽く辺りを見回せば、信号の明滅と遠くからやって来る車のヘッドライトだけが視界をちらつく。
ここは、幹線沿いの交差点だ。こういう所では、まれにこうしてこの世ならざる子どもの霊が姿を見せることがある。まあつまり、交通事故で亡くなった者の霊だ。そういった霊をしっかりと行くべき道へと連れていってあげるのも、俺たちの仕事の一つだった。
「お前のやり残したことを聞いてやる。それで、全部叶ったら行くべきところへ連れていく」
俺は簡潔に、その子どもの質問に答えた。やり方は人によってそれぞれだが、俺は基本的にはこうしていた。未練を聞いて、できるものなら叶えてやること。それが最も体力を使わない方法だったし、なんとなく『後味の悪くない』方法だと、少なくとも以前はそう考えていたからだった。
子どもは俺の説明にふうんと頷いた。その余裕のある様子は、ともすると本当に俺の仕事を知っていたんじゃないかと思わせるほどだった。
「ずいぶん慣れた口調だね。こういうことってよくあるのかな?」
その問いには、それほど強い興味は感じられなかった。しかし、俺にとってはその問いは、つい先日の『後味の悪い』除霊を思い起こさせるには十分だった。その事件は、今日とよく似た深夜の交差点で起きた。
姿を現した霊は、トラックに跳ねられて亡くなった若い男性だった。男性は結婚を目前に控えており、死んだことをとても悔やんではいた。しかしそれでも、一目だけ幸せに生きている彼女を見たい、その姿を見れば、この世に対する未練はもうない、そう語っていた。ずいぶんと覚悟が決まった気持ちの良い男で、俺はすぐにでも願いを叶えてやりたいと思った。
結論から言って、俺はその男の願いを叶えてやることはできなかった。
彼の婚約者は、もうこの世から去っていた。それも、男の命を奪ったトラックの運転手と口論になった末に殺害されたのだという。このことを伝えれば、男は確実に悪霊となって運転手を呪い殺してしまうだろう。霊によってこの世の者が干渉を受ける、特に悪影響を受けること。それこそがこの仕事をする上で、最も避けなくてはならないことだった。
俺は苦渋した末に、何一つ伝えないまま、男を強制的に除霊した。
今思い返しても、そうせざるを得なかったと思う。きっと誰に話したって、この仕事に携わる者なら同じようにしたはずだ。俺にできることはただ、ここではない世界で男とその婚約者が幸せに暮らしていることを祈ることだけなのだ。それでも、やりきれない思いだけは残った。
「まあ、それなりには、な」
「みんなどんなことを叶えてもらうのかな。おじさんはどんなことができるの?」
子どものあどけない質問に、俺は思わず吹き出しそうになった。その問いはまさしく、目下の俺の悩みを捉えていたからだ。俺には人と違った力があって、だからこそできることがあるはずだと思っていた。だが実際のところ、俺には普通の人と同じようなことしか、あるいはそれすらも満足にできない。それなら、俺がこの仕事をしている意味とは、一体何なのだろうか。
「そこのところは、正直、俺にもちょっとわからないんだ。俺にしかできないことってなんだろうな」
相手は子供なのだ。別に正直に少年に付き合う必要はなかった。それでもどうしてか嘘を吐く気にならず、俺は曖昧にそう答えた。案の定、少年はぽかんとした表情を浮かべている。俺の言葉の意味を理解できていないようだった。
「いや、俺のことは良いんだ。君のことを聞かせてくれ。」
どうも仕事に集中できていないらしい。やるべきことから話がずいぶん逸れてしまっていることに気が付いた俺は、テキトーに自分の話を切り上げて少年について聞くことにした。
「君は今、何に困っている?」
「そうだねえ…」
その時、何か妙だな、そんな些細な違和感が胸の内に沸いた。それは、少年の落ち着きすぎている様子もそうだったし、それに、この交差点の静かすぎる様子もまた、不思議と心をざわつかせた。
「最近どうもこの交差点に、よくないものが溜まっているみたいなんだ。もともとここには時節限定の怪異だったり、電柱を勝手に動かす化生だったりユニークなのは居たんだけど、そいつらを糧に大きくなったみたいでね」
その違和感は、息をするごとに強くなった。初めは意識を向けなければ無視できるくらいだったのが、今では注視していなくてはどうなるかわからない緊張感が、そこにはあった。少年が一歩、また一歩と交差点から距離を取る。やがて、彼の話していることがこの状況と密接に関係しているのだということがわかった。きっとこの子の言うよくないもの、それが今、俺を苛んでいるのだろう。しかし、それは、何だ?
「君は一体、何を言っている…?」
俺は息が詰まりそうになりながら尋ねた。それに対して、少年は冗談を聞いたみたいに笑った。
「何って、こいつだよ」
いやだから、“これ”は何だ?
俺は目前に隆起したそれを見上げた。そう見上げたのだ。少年の言葉に呼応するかのように地面から姿を現した暗闇は、今や身の丈2mにも及ぶ巨体へと変化していた。突如自分の前に現れた異物、正体はちっともわからなかったが、しかしそれから発せられる禍々しい気は十分にそいつが危険な存在であることを知らせていた。
「僕が時間を稼ぐ」
「は?」
「大丈夫だ。普通に除霊してくれたらそれでこいつは消えるよ。もともと人間の残留思念の寄せ集めみたいなものさ。見かけのわりに大したことはない」
「いや、そうじゃなくて!」
時間を稼ぐって何のことだ、そう尋ねる俺の言葉は続かなかった。
突如、異形から伸びた影が、少年の周囲を暗闇で覆った。遅れるようにして、ドンと鈍い音が地面から響いた。見れば、暗闇の突き刺さった道路には亀裂が走っている。
「おい、少年!」
「大丈夫だよ」
俺の呼び掛けとほぼ重なるように、暗闇の中から子どもの声がした。すぐに、今度は暗闇の方に亀裂が入った。中からは眩いばかりの光が発せられていた。そして、その光の中心には、少年の姿があった。
何が起きているのかはさっぱりわからなかった。しかし、怪物の動きは一切停止していた。光に気をとられている姿から察するに、どうやら少年がその動きを封じてくれているようだった。
「さ、早く」
少年が、その内容とは裏腹に落ち着き払った声で言った。俺はそれに促されるように、除霊の祝詞を唱える。こんなに不確かな状況での除霊だと言うのに、なぜだか迷いは少しもなかった。
静かに、ただ一心に言葉を並べるだけの時間が五分程度続いた。気が付けば、例の化け物は姿を消していた。自分の経験上、最も他愛ない、感触のない除霊だった。
「いや助かった、どうも最近では生者を死の世界に引っ張りこもうとしていてね。ちょうど君がやって来るのを待ってたんだよ」
退治とも言えない退治が終わるや否や、交差点にはここにやって来た当初の落ち着きが早くも戻ってきていた。遠くには車の影も見えるし、信号も通常通り作動している。
少年は急に年相応の表情で笑うようになっていた。その姿には先ほどまでの怪しさは微塵も感じられなくなっていた。
「君が足止めしてくれたお陰だ。俺は大したことはしていない」
その言葉に事実はなかった。あそこまでのお膳立てをしてくれれば、きっと俺以外の誰が通りかかったってヤツを除霊できたに違いない。そのくらい、大したことのない除霊だったのだ。
「君はおかしなことを言うね」
「え?」
しかし、その返答は目の前の霊を納得させはしなかったらしい。
「たしかに今、君のやったことは他の誰かにもできたかもしれない。でもその場所に、君以外の誰かが居たのかい?」
「あ…」
少年は、からかうような笑みを浮かべて言った。それは当たり前のことだったけれど、それでも間違いなく、俺の見落としてきたことの一つでもあった。
「さっきの状況においては、それは間違いなく君にしかできないことだったと思うよ」
少年は事も無げにそう言い放った。
そうか、別に、その人にしかできないとか、他の人だったらできるとか、そんなことは関係なかったんだ。少なくともひとつひとつの状況においては、すべてが他の人にはできないことで、その人にだけできることだ。みんな、自分にしかできないことをやってるんじゃないか。
「…ありがとう」
気が付けば、俺の口からは自然とそんな言葉がこぼれ出ていた。
どこまでがこの少年の真意だったのかはわからない。だが、俺は彼に礼が言いたかったのだ。少年はその言葉に対しては何も言わず、ただ満足そうに微笑んだだけだった。
「それじゃあね」
「あ、待て、君の正体についてまだ聞けていない」
立ち去ろうとした少年を慌てて呼び止める。彼は先程、普通の霊では有り得ないような振る舞いをしていた。どうやらこの辺のことを知る尽くしているみたいだし、もしかしたら同業者なのかもしれない。これからの活動を考えても、とりあえずその素性は明らかにしておきたかった。
対して、問われた少年の反応は、今日のうちで最も子どもらしいものだった。もっともその子どもらしいというのは、まるでイタズラが成功した子どものよう、という意味であった。少年はこちらを嘲笑うかのように、にんまりと笑ってみせたのだった。
「道祖、仁王、塞ノ神。色々な名前で呼ぶね。“ヒト”は」
「…は?」
俺が次の言葉を続けるより早く、その少年、いや、少年の姿をとった者は、信号の影へと走り去って消えてしまった。
あれはこの世のものではないが、しかし魔性のものでもない。すっかり忘れていたが、こういう道にはたしかにああいうのが居るのだ。
一言で言うならば、辻の神。つまり、神が。
俺はハア、っと深くため息を吐いた。神に化かされた屈辱から、というわけではない。道に宿る神の役目を思い出したからだ。それは、悪いものが入ってくるのを防ぐこと。そして、
人に道を案内すること、だ。
何か質の悪い冗談だと思いたい。ちょっと前の自分の挙動を思い出して、俺は顔が真っ赤に染まるのを止めることができなかった。
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