信号
むい
#1 いとしきたちどまり
僕たちの通学路には、長い信号がやたらと多かった。
車なんてほとんど通らないし、近付いてくれば遮るものもない田舎だから、すぐに気が付く。そんなわけで、近所の人にとっては信号なんてほとんどあってないようなものだった。
けど、彼女だけは例外だった。彼女は信号が赤になると律儀に毎回立ち止まり、青になるのを待っていた。
「なんとなくね」
一度だけどうしてかと尋ねたとき、彼女は照れくさそうにそう言った。それはむしろ、悪癖を指摘されたときの人間の態度だった。
それが原因で失敗することもない。だから困ることはないのだが、別に規律にうるさいわけでもない彼女が、なぜこれだけはこだわるのか。そのことがひどく気にかかった。
ある日、僕は一人で駅に向かっていた。
その日は大事な会合があったから、余裕をもって家を出ていた。僕は今日の流れを頭の中でシミュレーションしてみて、いろんなアクシデントを想定しては、いたく頭を悩ませていた。
家を出て二つ目の交差点で信号にひっかかった。案の定、車は全く見当たらなかった。
僕はなぜか、不意に彼女のことを思い出して足を止めた。急に交通ルールを遵守する精神が芽生えたというわけでもない。それはどちらかというと、ちょっとした気まぐれに近いものだった。
足を止めて信号を待っていると、どこを見るというのでもないから、なんとなく集中力が散漫になってくる。クリアに尖っていた思考が、方向性を失ってかえって解きほぐされていくのを感じた。
いつもよりぼうっとした心持ちになって、これが普段、彼女の見てる景色なんだと気が付いた。
なるほど、たまにはこうして立ち止まってみるのも悪くない気がする。
不意に、家で待つ彼女の姿が脳裏に思い浮かんだ。
そうだ、今日はケーキでも買って帰ろう。
信号が青になる寸前、僕はそんなことを考えていた。
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