第五章 賢者は裸の付き合いがしたい③

 髪を洗い終えたアグリとロレーヌちゃんが湯に入り、それと入れ替わりで、私はこれまでのことを話すべく、バスタオルを身体に巻いて浴槽の縁に腰掛けた。

 リヴちゃんは、温かいお湯ではなく、大きなタライに張った氷水に浸かっている。


 皆が皆、神妙な空気を感じ取っている中で、私は淡々と語っていった。

 魔物に対して、私がずっと抱えていたこと。

 最終決戦の後、個人的に魔王と話したこと。

 そして、託されたもの。

 時間をかけて、私はロレーヌちゃんに全て話した。


「……アグリちゃんが、魔王の子供……ですか」

「かくしていて、ごめんなしゃぶぶ……」


 申し訳なさに頭を押さえつけられ、語尾がぶくぶくと湯の中に沈んでいった。


「そして、そのアザラシが……四帝獣の一体……」

「やっと普通に喋れるわね。外にいるモスともどもよろしく」


 これにはどういう反応をされるだろうか。

 アグリが人間とは違う種族だと知っても受け入れてくれたロレーヌちゃんだけど、さすがに魔王の子供だとわかったら、多少なりとも怯えを見せてしまうかもしれない。


「くふ、くふふ」


 なんて心配は、この子には必要ないらしい。

 怯えるどころか、ロレーヌちゃんは笑った。堪えようとして、堪えきれていない。


「失礼いたしました。あまりの歓喜に、つい」

「歓喜って、え? 何に?」

「お師匠様の偉大さに。そして、そんなお師匠様に師事できる自身の幸運にです」

「やー……持ち上げすぎじゃないかな」

「何をおっしゃいますやら。世界中に賢者として名を轟かせたばかりか、敵対していた魔王の信頼を勝ち得、その配下である四帝獣をも使い魔にしてしまわれた。お師匠様の底知れぬ器の大きさに、ロレは魂の震えを感じずにはいられません。同時に、己の矮小さを突きつけられる思いですが、それすらも胸の高鳴りに変わります」


 十歳なのに、矮小なんて難しい言葉、よく知っているね。

 というか、ロレーヌちゃんの、私にかかっているフィルタが高性能すぎてヤバい。

 今後に期待されているプレッシャーに身をすくませていると、リヴちゃんが「ちょっと」と物言いをつけた。


「アタシたち四帝獣は、賢者の力に屈したわけじゃないわ。使い魔なんて不名誉な呼ばれ方は許容できないわね」

「では、従者などが妥当でしょうか?」

「あまり違いがないわね」

「家族だよ」


 私のことを、とにかくヒエラルキーの頂上に置きたがるロレーヌちゃんと、プライドの高いリヴちゃんが、この件で衝突してしまう可能性を感じ取った私は、すかさず口を挟んだ。


「なるほど、眷属ですか」


 惜しい。またロレーヌフィルタが働いてしまっている。

 訂正を入れようとするが、それより早く、ロレーヌちゃんがお湯から上がった。

 そうして何を思ったか、リヴちゃんの前で恭しく片膝をつき、頭を深く垂れた。国王の前で臣下たちがやる所作だ。ぽたぽたと、前髪から水滴がしたたり落ちている。


「能あるグリフォンは爪を隠すという言葉あるにもかかわらず、その愛くるしい姿に騙されてしまいました。四帝獣の一柱、七つの海を統べる者、リヴァイアサンのリヴ殿。どうか浅学な小娘とわらい、先の礼を失した発言をお許しください」

「あなた、本当に十歳なの?」


 ほんとそれ思う。


「眷属。それすなわち、賢者に力を認められた者ということ。一番弟子という立場に浮かれていた自分とは、その格が天と地ほども違います。リヴ殿、これからはロレのことを、小間使いとして如何様にもお使いください」

「ちょ、待ちなさい。アグリ様の友人に、そんなことできるわけがないでしょう」

「やや、これはしたり。自分の迂闊さに呆れるばかりです」

「呼び方も、できれば変えてほしいわ……」


 ロレーヌちゃん、強い。あのリヴちゃんが押されている。


「では、賢者を敬愛する者同士、親しみを込め、そして魔道の先達であることからリヴ先輩と呼ばせていただいてもよろしいでしょうか。同様に、モス先輩と」

「……まあ、いいんじゃないかしら」


 リヴちゃん、めちゃくちゃ複雑な顔をしている。呼び方自体に文句はないけど、賢者を敬愛する者同士ってところに不満がありまくりって感じかな。


「お師匠様、話は以上になりますか?」

「あ、えっと……。ついでに一つだけ。これはお願いになるだけど」

「お願いなどと言わず、なんなりとご命令ください。この命を賭して――」

「賭さなくていいから。えっとね、魔王のことなんだけど、あんまり悪くは言わないであげてほしいの。あの人には、あの人なりに守りたいものがあったわけだから」


 こんなの、アグリの前でする話じゃない。

 だけど、万が一にもロレーヌちゃんの口から悪態が出てしまわないよう、先手を打っておきたかった。親を悪く言われて傷つかない子供なんていないから。


「ロレは魔王を直接見たことがないので、良くも悪くも言うつもりはありませんでした」

「過去形なの?」

「いかにもです。今では魔王に、よくやったと賞賛を浴びせたい気持ちでいっぱいです。アグリちゃんを、この世に誕生させた功績だけでも史に名を刻むに値します」

「超同意」

「そもそも、アグリちゃんのように優しくて真っ直ぐな子供が、巷で噂されているような血も涙もない輩のもとで育つはずもありません」

「いやほんと、まったくもってそのとおり」


 アグリの顔が、半分以上お湯に沈んでしまった。

 耳まで赤くなっているのは、のぼせているからかな? それともテレているのかな?


「勇者ではなく、賢者であるお師匠様を選ぶところも、ロレ的に好感度が高いです」

「それについては、他に選ぶ余地がなかったから、仕方なくだろうけどね」

「ご謙遜を。アグリちゃんを見ていれば、お師匠様に委ねるのが最適であったと、ロレだけでなく、クレタ村の住人なら誰もが思うことでしょう。もちろん、アグリちゃんも」

「うん。ごけんそんをー」

「弟子たちが良い子すぎて涙が出ちゃいそう」


 拍子抜けするほどに、私たちの全部を受け入れられてしまった。

 ただ、これを万人に求めてはいけない。

 ロレーヌちゃんだから。

 この子が特別であることを噛みしめ、出会いに格別の感謝をしなければいけない。

 多分、カーライトくんも、お姉ちゃんと同じ意見を言ってくれるだろうけど、重要性という意味では、ロレーヌちゃんから百段くらい落ちる。正直、どうでもいい。


「機会を見つけて、村の人たちにもちゃんと事情を話さないとね」

「アグリちゃんの人となりを知っている村人なら問題ないかと思いますが、仮に、お師匠様とアグリちゃんを非難する不届き者がいた場合」

「いた場合?」

「はい。その時は、ロレにお任せください」

「何を任せるの?」

「こう見えて、ロレは猟師の娘ですから」


 うん、答えになっていないね。

 頼もしすぎるけど、怖くて詳しくは訊けなかった。

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