第三章 賢者は美味しいと言わせたい①

 魔法使いは高給取りだ。

 食いっぱぐれがなく、誰もが憧れる、不動の人気職1位でもある。

 向こうの世界で例にあげるなら、年収一千万を超える国家公務員みたいなものだろうか。


 最たる理由は、魔法を使える人間が、非ッッ常に少ないってことだ。

 異世界だからといって、万人に魔法の素質があるわけじゃなく、およそ千人に一人の割合。そのくらいの低確率でしか、魔素を扱える人間が生まれない。後天的に備わることもない。

 そんな希少で貴重な魔法使いたちは、冒険者のように危険を冒して魔物と戦ったりはせず、大半が安全な場所で、人々の暮らしを支える仕事に就いている。


 え、私?

 私は問答無用で最前線でしたよ? 毎日がデッド・オア・アライブ。出世コースどころか、一瞬の油断が直ちにあの世コースという、スリリング極まりない戦場が職場でした。

 もし拒否権があったなら、たとえ就職氷河期だったとしても、勇者パーティーにだけは就職するもんですかよ。もう退職したけどね。


 一般的な魔法使いは何をするのかというと、例えるなら、発電機の役割に近い。

 こちらの世界では、科学技術が一切発展していない代わりに、魔工技術というものがある。魔法使いが魔素を動力に加工し、魔工機械に流すことで動かす仕組みだ。

 さすがに、インターネットに相当するほどの大発明はないものの、これのおかげで洗濯機は全自動だし、冷暖房だって実装している。異世界文明といえば、小説なんかだと中世レベルに設定されがちだけど、私が召喚された世界は意外にハイテクでした。


 ただ、都会から離れた地方までは、その恩恵が及んでいなかったりする。

 割合と同じく、一人の魔法使いで千人の生活最低水準を賄える計算らしいけど、その配分は大きな都市に集約している。大金を払えば魔法使いを地方へ派遣、常駐勤務なども依頼できるとはいえ、よほど豊かな村でないと、それも難しい。貧しい村では人力や家畜で補うしかないのが現状だ。


 私がお世話になっている【クレタ村】も、その一つだった。

 なので、私が村の離れに住まわせてもらうことを条件に、タダで魔力の提供を申し出ると、それはもう感謝の嵐だった。様付けをやめろと言ってもやめやしない。

 使っていない空き家をもらえたことや、農作物を分けたりしてもらえるのは助かるけれど、顔を合わせる度、立ち止まって深々とお辞儀をされるのは、移住して、一ヶ月が経った今でも慣れない。


 魔力の提供と言うと、仰々しく聞こえるかもしれないが、やることは単純だ。

 村の中心に生えている楠に、一日一回、動力に変えた新鮮な魔素を注入する。これにより、地下に張り巡らせた魔動線を通って村の隅々まで行き渡り、魔工機械が駆動するメカニズムになっている。おかげで二十四時間、いつでも美味しい料理が作れるってわけですよ。


「というわけで、ここでクイズです!」


 何が「というわけ」なのかはノリなので割愛し、エプロンを装着した私は、三時のおやつを待つアグリ、モスくん、リヴちゃんの前に、今から使う材料を並べてみせた。

 薄力粉、ふくらし粉、卵、ヨーグルト、牛乳、砂糖、塩、溶かしバター、サラダ油。そして自家製のバニラエッセンスがテーブルに置かれている。


「これらを使って何を作るでしょうか!? はい、そこの赤ずきんちゃん!」


 突然指名されたアグリが「ふぇ!?」と可愛らしくうろたえた。一挙手一投足に目を惹かれ、オオカミじゃなくても甘い言葉とお菓子でかどわかしたくなる。


「作るのは初めてだけど、何度か話したことがあったと思うよ」


 ヒントを出しておこう。〝ホ〟から始まるアレだ。


「ほ……ほけ、きょ?」


 ウグイスかな。

 自信なさげな上目遣いの破壊力がヤバい。この子はいつか、私を萌え殺すかもしれない。


「うーん、惜しい……。いやでも、うむむむ、やっぱり可愛いから正解!」

「わーい」


 バンザイをして喜びを露わにする、その笑顔の尊きことよ。一〇〇万点でも足りません。

 本日のベストショットを脳内に焼き付けていると、椅子の上に座布団三枚重ねで座っている――というより、腹這いになっているリヴちゃんが、やれやれと嘆息した。


「甘すぎるんじゃないかしら?」

「砂糖を使うけど、そこまでじゃないよ」

「上手くないわよ」

「絶対美味しくなるって。期待していて」

「味の話じゃなくて」

「ああ。でもほら、可愛いって、どうしようもないから」

「親バカね」

「私が産みました」

「正気に戻りなさい」


 出会う前の、今よりもっと幼い頃のアグリを想像で補完していると、ついつい母性が過剰に自己主張してしまう。でも、親か……。周りからは、そう見えるのかな。


「正しくは、ほっとけーき、だったッスよね?」


 テーブルに前足を乗せ、椅子の上で起立しているモスくんが回答した。

 リヴちゃんが、「モキュ」と一鳴きして頷き、これに同意。

 間違いを指摘された形になったアグリが、テレテレと汗を飛ばしている。

 あっちもこっちも萌えだらけ。ここは天国か。


「モスくんが本当の正解。今日のおやつは、ホットケーキを作ります」


 できるなら、もっと早くに作りたかったんだけどね。

 もったいないことに、この世界、バニラの木はあるのに、バニラエッセンスが存在しない。そのため、自家製のものを作るのに時間がかかってしまった。

 ぶっちゃけ、バニラエッセンスのある無しで味に差が出るわけじゃない。ただ、あの甘くて芳醇な独特の香りがね。こだわりすぎだと思うけど、やっぱり初めての一口は、可能な限りで最高のものを食べてもらいたいから。


「それじゃ、役割を決めます。はじめにモスくんとリヴちゃん、二人で薄力粉とふくらし粉を合わせてふるってくれる? その後、アグリには卵を割ってもらおうかな」

「オイラたちも手伝うんスか? この手じゃ、そういう作業は向いてないと思うんスけど」


 ピンク色の肉球がついた前足を掲げて挙手しながら、申し訳なさそうにモスくんが言った。せっかくなので、人差し指で、プニッと肉球を突いておく。


「モスくんは、やればできる子だよ」

「何目線ッスか?」

「まあまあ。こういうことは皆でやるから楽しいんじゃない。それに料理ができる男子って、女子からすると、カッコ良く見えたりするものなんだよ?」

「またそんなこと言って。だまされないッスからね」

「男子がこう言っているけど、リヴちゃんはどう思う?」

「カッコイイかはともかく、料理の一つもできる甲斐性はあってほしいところね」

「姐さん、何事も挑戦ッスよね。オイラやるッス!」


 モスくんがチョロすぎて心配になってきた。


「かいしょーって?」


 8歳児には少々難しい言葉だったらしく、アグリから質問がきた。

 私も小さい頃は、アレは何、コレはどういう意味? と、なんでも親に尋ねたっけ。

 子供って、大人になってもわりと覚えているものだから、ちゃんと言葉を選ばないとね。

 えーと。


「甲斐性っていうのはね、料理だけじゃなくて、掃除洗濯その他雑用、どんな無茶な要求でも文句一つ言うことなく喜んでやってくれて、いかなる時でも女の子を優先し、ピンチの時には身を盾にしてでも守ってくれる、男の人が最低限備えておくべき懐の深さを指す言葉だよ」

「さいてーげん、なの?」

「そ。これができない男はロクデナシと言います。よく覚えておいて」

「ひゃ……男の人って、たいへん」


 将来、アグリがロクでもない男に引っかかってしまわないよう、ハードルはとことん上げておかないとね。そんな男、世界を股にかけた私でさえ見たことないけど。


「姐さん……それはもう、召使いですらないッスよ」

「そりゃそうだよ。召使いだと、家にお金を入れてはくれないし」

「この上、まだ働かせる気なんスか!?」

「ちゃんと、ご苦労様って言うし」

「割に合わないッス!」


 見返りを求めるようではまだまだ。無償の愛を注げない男にウチの子はやれません。


「ま、こういうのは、男女で価値観にも違いが出るからね」

「そういう次元の問題じゃないと思うッス」

「リヴちゃんならわかってくれるよね?」

「その意見に賛同するかは置いておくとして、実際にアグリ様が、あなた基準で言う甲斐性のある男性を連れてきたら、ちゃんと祝福してあげられるの?」

「もちろん祝福するよ」

「意外だわ」


 どうもリヴちゃんは、私に対して誤解しているところがあるみたいだね。困った保護者だと思われている節があるけれど、私が求めることなんて、些細なものばかりだというのに。


「あとはまあ〝私より強い男〟であることを条件に加わえておこうかな。それだけでいいよ」

「賢者のあなたより強い人間なんて、それこそ勇者くらいしか可能性がないんじゃ?」

「そうかもね」

「勇者は女性でしょう?」

「そうだね」

「……ああ。いないとわかっていて言っているわけね。このバカ親は」


 呆れられちゃった。

 でも……ふふ。

 また親って言われた嬉しさの方が、何倍も勝(まさ)った。

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