第二章 追憶・賢者は魔王父娘と語りたい③

 きゃわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


 ちょ、えええ、何この子!?

 こんな可愛い生命体が存在していいの!?

 北欧の美幼女をベースに、芸術の神様が、微に入り、細にわたって造形にこだわったとしか思えない。そこにちゃんといるのに目を疑ってしまう。

 かつてのパーティーに、聖女と謳われた僧侶がいたけど、ごめんなさい。

 その肩書きは現時点をもって、私の中で、この子に譲渡されました。


 ええーーーー。

 魔王の娘だとかに関係なく、この子を巡って戦争起きない? それくらいのレベルだよ。

 ゆったりした純白のワンピースを着ていることもあってか、ほんともうね、天使にしか見えないの。心なしか、後光まで見えちゃうの。

 可愛いという言葉がチープに思えるくらい可愛すぎる天使がおっかなびっくり、ソファーの陰から身を半分だけ覗かせ、桜色の愛らしい唇を動かした。


「……アグリ……です」


 ぴぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ声きゃわわわわああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


 態度にこそ出さないけど、内なる私は恐慌状態にある。

 興奮を鎮めなきゃ。変質者だと思われたら終わりだ。平常心を保て。


 はぁー。


 ふぅー。


 はぁー。


 ふぅー。


 ………………。どうにか落ち着いた。

 この子も名乗ったことだし、冷静に自己紹介の続きを。


「こんにちは。私のことは、ママって呼ん――」


 全ッ然冷静じゃなかったわ。

 言った直後にやらかしたと後悔したけど、もし呼んでくれたら、それはそれで最高じゃん。なんて邪念が消えない。誰か、この溢れ出る母性を止めてください。


「アオバ……さん?」


 やっぱり初対面でママは気が早すぎたか。

 でも、美幼女に名前を呼ばれるのも、それはそれで良きかな。


「アオバって呼び捨てでいいよ。敬語もいらない。私もアグリって呼ばせてもらうね」


 名前にさん付けされるのって、あんまり好きじゃないんだよね。だってほら、オバさんって言われているみたいじゃない? アオバ様なんて呼ぶ人もいたけど、それもおんなじ。丁重にお断りしていた。そしたらいつの間にか、賢者様と呼ばれるようになったわけだけど。

 そんな話は今どうでもいいとして。


「えっとね、ここを引っ越さないといけないんだ」


 要点を告げると、アグリが小さく頷いてくれた。

 自分がどういう状況にあるのかも理解しているんだろう。だったら話が早い。


「でね、これから私と一緒に暮らすことになるんだけど……それは大丈夫かな?」


 お願い、OKして。一緒に行こ。毎日一緒にご飯を食べて、一緒にお風呂に入って、一緒の布団で寝る甘々なシュガーライフを過ごそ。全身全霊を込めて愛情を注ぐから。

 笑顔は崩さず、言葉にありったけの想いを込めた。


 ああ、ヤバいわ。口の中が渇く。手に汗がにじむ。心臓が削岩機みたいに暴れ回っている。誰かに告白するのって、きっとこんな感じなんだろうな。

 ややあって、アグリがこれにも頷いた。


 えんだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!


 私の脳内でチャペルが鳴り響き、花吹雪が盛大に舞った。

 そして今、はっきりと確信した。

 私が異世界に召喚されたのは、魔法使いとして、何かと戦うためじゃない。

 この子と出会い、一緒に暮らすためだったんだ。


 めくるめく甘美な生活に想いを馳せると、うっかり鼻の下が伸びそうになってしまう。

 おっと、いけない。ファーストインプレッションで、なんとしても好感を得ないと。

 こほん、と咳払いを一つして。


「それじゃ、引っ越す準備をしようか。ある程度は【異空間庫(インベントリ)】に移して持って行けるけど、着替えとか、いつも使っていた食器とか、とりあえず必要な物だけ」


 と、そこまで言ったところで、アグリがぴょこっと背伸びをして、私の後方に注意を向けていることに気がついた。何その仕草、可愛すぎか。

 アグリの視線を追って後ろを振り返ってみるが、何もない。

 誰かを探している?


 ……ハッ、そうか。

 あー、失敗したなー。魔王の娘ということは、つまりはプリンセス、魔物界のお姫様だ。

 それなのに、出迎えが私一人っていうのは、いくらなんでも貧相すぎる。着の身着のままで来ちゃったし。


 他に誰もいないとわかるや、アグリの表情に、目に見えて濃い影が落ちた。

 ああ、がっかりさせてしまった。そんな顔しないで。その顔も可愛いけど、やっぱり笑った顔を見せてほしい。見たら多分、私は鼻血噴くけど。


「……あの人……は?」

「あの人?」


 誰のことだろうと首を傾げたところで、ふと、魔王の言葉を思い出した。

 ――我はあの子に、親だと名乗ったことはない。父親らしい愛情も何一つ与えていない。

 もしかして、あの人っていうのは。


「魔王のこと?」


 尋ねると、アグリが俯いたまま、こくんと頷いた。

 あらら。半信半疑だったんだけど、本当に父親だと名乗ることすらしていないんだ。

 実の娘に親だと名乗らない。それを想像しようとして…………できなかった。

 この子との親子関係を捨てるとか、ちょっと想像もつかない。血の繋がっていない私ですらそうなんだから、本当の親なら、どれだけ辛い選択だったことか。


「えっとね、魔王は、ちょっと遠いところに行っちゃって」

「……遠い……ところ……」


 遠いところに行ったとか、子供だましだよね。この子にはきっと、今のだけで伝わった。

 魔王はもう、この世にはいないって。


「うん。だから、その魔王に頼まれたの。あなたを迎えに行ってあげてっ――……て?」







 え?



 あれ、なんで?

 待ってよ。それはおかしくない?


 賢い子だと言っていたし、討たれた魔王が父親だと知っていても不思議はない。

 だとしてもだ。そこに愛情がなければ、そんなものは他人と変わりない。


 ねえ、魔王。

 心配いらないって言ったよね?

 あなたが死んでも、この子が悲しむことはないって、そう言ったよね?

 だから私は引き受けたんだし、新しい生活のことばかり考えていたんだよ?

 それなのに、どうして。


「…………ぅ…………ひぐっ……」


 どうして、この子は泣いているのさ。

 ぎゅっと口を閉じ結び、嗚咽が漏れるのを必死にこらえているけれど。


 ぽろぽろ。

 ぽろぽろ。


 後から後から床に零れ落ちる大粒の涙が、焦げ茶色の木目に黒い染みを作っていく。

 私は呆然と立ち尽くした。


 考えてみれば、当たり前のことだったんじゃないか。

 どうして思い至らなかったんだ。

 娘のために命を投げ捨て、死んだ後でさえ、娘のために頭を下げにくるような男の愛情が、隠せるわけがなかったんだ。届かないはずがなかったんだ。


 この子は、ちゃんと父親を愛している。父親の死を悲しんでいる。

 可能性は低いとしても、もしかしたら、迎えに来るのは父親かもしれない。

 そんな期待を抱いていたんじゃないだろうか。

 そこへ私が、無神経に、無遠慮に、父親が死んだ事実を突きつけてしまったんだ。


「…………ごめん……なさい」


 かける言葉が、それしか思いつかない。

 何がママだ。何が甘々なシュガーライフだ。自分の愚かさ加減に呆れる。

 ふらふらと、おぼつかない足でアグリに近寄り、私はその場でくずおれるようにして両膝をついた。涙でくしゃくしゃになった幼い顔が目の前にある。

 にもかかわらず、泣いている子を慰めるために、手を伸ばすことさえ憚られた。


 今さらになって、自分が犯した罪の重さを理解した。

 相手が敵だったとか、人間たちが平和に暮らすためだとか、そんなこと、この子にとってはなんの関係もない。子供から父親を永遠に奪い去った。その取り返しのつかない罪に、重いも軽いもありはしない。

 味わったことのない罪悪感に耐えきれず、私の目にも涙が滲み出した。一度でも溢れると、そこからはもう、栓の緩い蛇口みたいに、頬を伝ってぱたぱたと床に落ちていく。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……」


 醜態をさらしていることも併せて、うわ言のように何度も謝罪を繰り返した。

 この世界に来たこと。勇者パーティーに入ったこと。こうしてのうのうと生きていること。それら全てを悔いていると、アグリの泣き顔が驚きに変わっていた。

 恥も外聞も捨て、みっともなく涙する大人なんて、今まで見たことがないからだろう。

 私が親の仇であることに気づいたからかもしれない。

 恨みのこもった目で見られ、罵声を浴びせられることを覚悟した。


 だけど……。


 その予想は大きく外れた。

 まるで、私の罪を否定するかのように。

 アグリが髪を振り乱し、頭をぶんぶんと左右に振った。


「アオバは……く……ない」


 一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 私はまぬけにも、「え?」と尋ね返した。

 だって、どうしてそれを信じられる?


 ――其方には其方の使命があり、為すべきことを為しただけだ。其方は何も悪くない。


 魔王が私に言ったことだ。今でもはっきりと耳に残っている。

 それと同じ台詞を。


「アオバは……わるくない」


 あろうことか、父親を失ったばかりの8歳の子供が言ったなんて。

 深い悲しみの中にいる幼子が、涙しながらも、憎いはずの仇を気遣っているなんて。

 どうして信じられるだろうか。


「う……うああああん!」


 堰を切ったように、アグリが泣き出したのと同時。ほとんど反射だった。

 罪に塗れた手で触れれば、この子を穢してしまうかもしれない。

 そんな風に思っていた自己嫌悪を押し退け、私はアグリを抱きしめていた。

 あまりにも小さくて、儚くて、こうしていないと、今にも崩れてしまいそうだったから。

 アグリの言葉は、罵詈雑言をぶつけられる以上に私の胸を締めつけた。


「ごめんなさい」


 この子が望まないと言うのなら、謝罪の言葉は今のを最後する。

 代わりに、魔王……あなたに約束する。

 頼まれたからじゃない。心から、私がそうしたいと強く願う。

 あなたがしてあげたかったことを、全部この子にしてあげるから。

 私の命に代えても幸せにするから。


 だから……。

 この子の傍にいさせてほしい。

 私が異世界に召喚された意味を、この子を守るために使わせてほしい。


 胸の中から聞こえる泣き声が寝息に変わるまで、私は幼い体を抱きしめていた。

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