娘が魔王になりましてん
吉尾唯生
第1話
伊乃は手の中にある写真を見つめていた。写真の中の少年は、ふわふわとクセのある前髪をそのままかき上げたような髪型をしていて、瑞々しい青色の瞳は細められ優しそうな笑みを浮かべている。
写真を枕カバーの中にしまい込んで、そわそわしながら布団にもぐりこんだ。そして目を閉じ、じっと眠りが訪れるのを待っていた。
彼はずっと年上のはずなのに、はしゃいだり、すねたり、いたずらだったり、ころころと表情が変わる人だ、と伊乃は思う。
会いたい人のことを想像しているとやがて、まどろみはじめ、体はあっという間に重力を失ってベッドを突き抜けて下へ下へとゆっくり落ちていった。そのうち薄皮がとぷん、と破れたような感覚のあと人の気配を感じた。
「やあ、伊乃」と、明るい声とともに彼がどこからともなく現れた。
◇
「今日はテーマパークの気分かな」
彼が手を挙げ指をパチンと鳴らすと何もなかった空間にお城にジェットコースター、フードスタンドなどが次々と現れた。賑やかな声があふれ出し、瞬く間に遊園地が完成していく。
伊乃は来場者付きで再現されていく遊園地を不思議そうに見守っていたが、これは夢なんだ、と思うようにした。
「ノアは魔法使いかなにかに違いない」と伊乃は言ったが彼は答えず、伊乃の方を見て楽しそうに笑っている。
伊乃はノアの正体をくわしく知らなかった。
彼が夢の中に出てくるようになって今日で11日目。夢の中なのに妙に馴れ馴れしい態度で接してくる彼は、名前を聞いても、どこから来たのか聞いても、笑いながら「分からない」と言うだけで何も教えてくれなかった。
3日も連続して夢に出てきたとき、伊乃は彼の名前を勝手に付けることにした。
もし明日も夢の中に現れたらと思うと、「キミ」と呼ぶのも他人行儀ではないか、そう考えたからだった。
それに彼は伊乃が愛してやまないアニメ「アリスコスモス」の登場キャラクター「ノア」の姿に似ていたので、本家とは違うけれど図々しくも「ノア」と呼ぶことにしたのだった。
◇
ある日、伊乃は「アリスコスモス」のノアに会いたくて友達から聞いた、『枕の下に好きな人の写真を置いて眠ると夢の中に現れてくれる』というおまじないを試してみることにした。
最初は推しの上に頭を置くだなんて推しに申し訳ない、と伊乃は思っていた。こんな馬鹿げた方法でも推しに会えるのならと思い直し、半信半疑のまま枕カバーの内側に写真をそっと入れた。
すると夢の中にノアが現れた。
はじめて現れた日は最愛の推しが目の前にいて、しかも動いていることに感動して、緊張してぎこちなくなり何もできなかった。
何日か続けて会ううちに、彼のことも、夢の中に現れる出来事にも冷静に見られるようになってきた。
本物のノアは表情がなく冷たい人で、はずむような笑顔で遊園地のアトラクションを楽しむような姿はDVDを全話見直しても全く出てこないはずだ、と伊乃は思う。
−−−今日こそはノアに本当のことを聞こう。
伊乃はそう決心した。
◇
ぼんやりと立っていた伊乃の手をノアは何も言わずに強い力でひっぱり走りはじめた。
向かった先にハンバーガースタンドが見える。イルミネーションでつくられた看板が闇の中でギラギラと輝いてる。円状の建物をぐるりと囲むように張られたガラス窓から光がさんさんと洩れている。中に入ると営業中のはずなのに人の姿は一切見られなかった。
伊乃が座って待っているとノアがトレイにハンバーガーと山盛りのポテトを乗せて持ってきた。
「ここにきたらハンバーガーを食べないとね」そう言いながらノアはハンバーガーとポテトと飲み物が入ったカップを一人分ずつ分けて置いた。
ぶ厚いビーフパティが二つ重ねっているビッグサイズのハンバーガーはノアのお気に入りで、伊乃の目の前で大きな口を開けて夢中になってかぶりついてる。
伊乃は用意されたハンバーガーに手をつけずにじっと彼の姿を見ていた。見られているのに気づいたノアは顔をあげた。目があった途端に彼はうれしそうに笑った。
彼は初めて食べたとき、「こんな食べもの、いままで食べたことがなかった」と言っていた。
柔らかな茶色の髪と青い瞳を持つ、明らかに欧米人のような風貌のノアが食べたことがないなんて信じられず、疑うような目で見つめる。
「ノアは普段何を食べているの?」
「ピザにお寿司…あとチョコレートパフェも食べたね」
「それっていままで私と一緒に食べたものだよね?」
それに対してノアはニコニコ笑っているだけだった。
「夢の中にきていないときのこと教えてよ」と、伊乃はノアの顔をじっと見ながら言った。
ノアは肩をすくめた。「いつもは塔の中に囚われているんだ。いつからか一日に何時間かだけ誰かの夢の中にもぐり込めるようになった」そう言いながら手に持っていたハンバーガーをトレーに置いて、降参と言わんばかりに両手をあげた。
「どうして? 何か悪いことでもしたの?」
「さあ? 僕もよくわからないんだ」ノアは顔を上げずに言った。「何があったのか、どうしてこんなことができるのかも全部忘れてしまったんだ。自分の名前すら覚えていないんだから」そう言って彼はため息をついた。
「ごめん。責めるつもりじゃなかった」伊乃はそう言うと、目をうつむけた。
ノアはゆっくりと顔を上げると伊乃に向かって手をのばして彼女の手を取って引き寄せた。
「伊乃には感謝している。気に入っているんだこの名前」
ノアは伊乃をじっと見つめ、それから、伊乃の温かい首筋に顔を埋めた。
伊乃は彼のしたことにびっくりしたが、それ以上に首筋にノアの体温や、それに預けられた頭の重さも感じないことに驚いた。
「僕は君と遊ぶのがとても楽しかった。街に出て買い物したり、お弁当を食べたり、映画を見たり。次は何をしよう、と考えることが僕の楽しみだったんだ」
「じゃあ、また明日も夢の中に来てくれたらいいよ」
「それじゃ、ダメなんだ」
ノアは伊乃から身体を離し、そのまま後ろにゆらゆらとふらつくように下がった。顔を手で覆い頭を横にふりながら「ああ違う。今日はダメだ。こんなの僕らしくない」と言った。
伊乃はいつも笑っていたノアの弱い姿を見ていると急にかわいそうでたまらなくなった。
「どうすればノアの問題が解決できるのかよくわからないけれど、私にできることがあれば手伝うよ」そう言いながら、彼の乱れてしまった前髪を手ですくって直した。
とたんにノアはくすくす笑いはじめた。
「私、変なこと言った?」
「うれしいんだよ。僕みたいな得体の知れないヤツを怖がらずに受け入れてくれるのは伊乃だけだよ。他の人は話すら聞いてくれなかったよ」
「確かにノアは怪しすぎる。他人の夢の中でこんなに好き勝手やってるんだから。怖がられるのは無理ないよ」
ところで、と伊乃は真面目な顔をして言った。「ノアは何者? 生きているの? 死んでいるの?」
「それがわからないから僕は僕自身を取り戻したいんだ。手伝ってくれる?」
伊乃はノアの目をしっかり見つめて「いいよ」と言った。
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