嶋田さんは気付かれたい
葵ねむる
嶋田さんは気付かれたい
この世には、2種類の人間が存在する。それは、他人が髪を切ったときに気付く者と気付かない者だ。
私は前者、そして間違いなく彼___藤木紘は後者。これに関しては間違いないとおもう。だって誰かに対して「髪切った?」なんて言っているのを見たことはないし、そもそもそういう些細なことに気付くタイプではない。というのが私の中の見解である。真面目でまっすぐな良い人。だけど異性の容姿はおろか自分の容姿にもそう関心のあるタイプではない。私と同じ大学に入るまでは工業高校で女子とは無縁の3年間だったらしいと以前聞いた。軽音サークルに入ったのも純粋にベースが弾きたかったからで、私を含む多くのメンバーのような下心はない。そんな彼なのである。
だから彼は人が髪切ったところで絶対に気付かないだろう。たとえ私がある日突然丸刈りにしてきても「誰かと思った」とか「その髪どうしたの?」なんて聞かずに「おはよ、そういえばさ」と彼が飼っている、家の猫の話なんかし始めるに違いない。いいけど!そういうところも含めて好きなんだけど!
と、何故こうも熱く語るかといえば、早い話が「好きな人の、髪を切った私に対する反応が気になる」ただそれだけなのである。
女子と積極的にコミュニケーションを取るほうではない彼に私が思いを寄せるほど親しくなったのは、大学の軽音サークルも居酒屋でしているアルバイトも一緒だからだ。もともとはサークルの先輩が紹介してくれたバイト先に彼もいた、というような感じなので、同期とはいえ話すようになったのはバイトを始めてからになる。好きな人とこれだけ行動範囲を共有しているメリットは、彼の予定が私に筒抜けということだろう。LINEで共有されたシフト表を開く。…あ、今日シフト被ってる。バッサリと切ったばかりの髪の毛は数日前に比べて幾分か軽く、さわさわと首すじを撫でるそれがくすぐったい。10センチ以上切って、思いきってショートカットにしたのだ。人生でいちばん短い髪の毛は、長くなりすぎて億劫だったというのが最たる理由だが、切ってみるとうんと気に入った。ショーウィンドウに映る自分の普段とちがう姿に我ながら見慣れず、目をぱちぱちと瞬く。…うん、でもきっとこれも悪くない。
最初に声をかけてくれたのは、同じサークルの先輩だった。
「え!嶋田ちゃん髪切ってる!」
部室のドアを開けた瞬間、かわいい!いいね!と口々に声をかけてくださる先輩の声に気付いたのか、他の部員も私のほうを見て声をかけてくれた。ショートも似合うね、夏に向けてさっぱりだね、とってもいい、そんなふうに。先輩、後輩、男女問わず声をかけてもらえると少し照れくさい。そんな中でも私が目線だけで探している彼はまだ部室には来ていないらしい。おかしいな、バイト今日私と同じ17時からのはずだけど。そっと携帯で時間を確認して、それから。「おつかれさまでーす」後ろから聞こえたその声に、内心びくりと肩が跳ねた。
「藤木、…おつかれ!」
「おー、おつかれ。今日って嶋田もバイトだっけ」
「あ、うん」
「そっか、団体入ってた気がするし、平和に終わるといいな」
ほら!!!!!!!!
そうだね、と返しつつ、内心叫ぶ。ほら!!こういうヤツだよ藤木紘という男は!!!!期待はしてなかったけど!いや嘘、もしかしてとか思ってた!!
私の期待も虚しく、予想通り彼はなんてことない顔して違う会話に入っていった。シフトが被っていることを覚えてくれていたことに喜びを見出すしかない。そうなのだ、私が好きなのはこういう男なのだ。一体彼は私のどのパーツで私を捉えているのだろう?
男性は女性ほど違いに気付かないとは言うけれど、バイトに行けば店長も常連さんも、私の髪型の変化に気付いてくれた。似合うなあ、若い子のイメチェンはいいね、そんなふうに言葉を重ねて褒めてくれる。近くに藤木はいるけれど、多分そう関心はないだろう。そんなもんだ。アンニャロ。でもそうやって話に不用意に入らず、黙々と食器を洗ったりオーダーが入った料理を作っていく姿が好きだ。結局のところ、好きは偉大かつ無敵なのである。
慌ただしいことを覚悟で来た金曜夜のバイトは、思っていたよりもつつがなく終わった。ゴミをまとめてズルズルと引きずりながら「お先に失礼します」と声をかけて後にする。ゴミを捨て終えて休憩室へ向かい、着替える前にロッカーで携帯を見ているとドアが開いた。
「おつかれさまでーす。…あ、おつかれ」
「おう、おつかれ」
藤木だった。同じ時間のシフトイン、シフトアウトだったけれど、ちょうど人が入れ替わるタイミングでキッチンは忙しかったのだろう。黒のTシャツの裾をくるりと捲りながら、彼がコキコキと首を鳴らす。あまりがっしりとした体格のほうとは言い難いけれど、喉仏の出っ張りに男性らしさを感じてどきっとした。
「やっぱ嶋田がホールいるとうまく回ってる感じする。ありがとな」ペットボトルのお茶に口をつけながら彼はそう言って汗を拭った。こういうところだ、ずるい。髪を切ったら気付いてくれて、なんならサラリと褒めてくれて、線は細くてお洒落な古着なんかが好きで、そういう人が私のタイプだったはずなのに。まっすぐで誠実な言葉を、さらりと口にする人。ちいさな感謝を惜しまない人。こういうところが好きなのだ。くやしい。藤木ばかりずるい。
ありがと、とぶっきらぼうに返してカーテンで仕切られたフィッティングコーナーのような空間に私も彼もそれぞれ入る。汗でべたついた制服が気持ち悪くて一思いに脱いだ。夏はまだ来ていないというのに、中途半端に暑い。涼しくなるかと思って切った髪型も首すじに張り付いてすこし気持ち悪いような気がする。顔をしかめつつ汗拭きシートを取り出したところで、「そういえばさ」とカーテン越しに藤木が私に声を投げた。
「んー?」
「嶋田、髪切ったの?」
「えっ、…うん」
「そういうの俺、よくわかんないけど。先輩とか常連さんとか店長とか、みんなすげえ言ってたから。あ、そうなんだ、と思って。どんなになったの?着替え終わったら見せてよ」
「……わ、わかった!」
彼は対面したところで気付くのだろうか。そもそも今日、サークルでもバイトでも一緒にいても気付かなかったのだから、言われたところで分かるんだろうか。気付けなかったときに気の利いたリアクションが取れるとは思わないのだけど。そういうヤツだからな藤木。
そんなふうに内心ブツブツと考えてはいたけれど、気にかけてくれたそのことが嬉しくて。汗でクルンとそっぽを向いた髪の毛をカーテンの中で無理やり整えて、私はお気に入りのシトラスの制汗剤を一振りするのだった。
髪を切ったとき、あの人はどんな顔するだろうっていちばんに浮かぶ人に、私たぶん恋をしている。
Fin.
嶋田さんは気付かれたい 葵ねむる @mmm_
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