第23話 魂
黒い箱が安置されていた、カピバラ家の地下に隠された秘密の小部屋。
そこに繋がる唯一の通路には、無数の刃が降り注ぐ恐怖のトラップが仕掛けられていた。
行きは良い良いということではないけれど、主人カピ一人では、決して生きてたどり着けそうにないその道を、部下たちの超人的な能力によって何の苦も無く突破し、見事に箱の中身を手に入れたのだが……。
帰りは恐い。
何の気なしに、カピが出口に向かって一人、数歩進んだその時……。
静寂していた、剣呑で狡猾な罠が目覚めた。
なんとそいつは、すでに撃ち尽くしたかに思えた、恐ろしい刃の弾丸を、こっそりと、静かに補充していたのだ!
天井と左右の壁に空いた隙間から再び、次々と金属の刃があめあられと飛び出しカピを襲う。
まんまとトラップにハマった間抜け、完全無防備な青年、レベルマックスではあるが、一撃を喰らえば即死もあり得る! 雀の涙程度の体力の男、最弱ヒーローのカピに……。
高速で飛んで来る水平角の必殺の凶器が!
次々、突き刺さ……。
…………!? らない!!
これから数秒間の出来事、酒場で誰かに話したとしても、決して信じてもらえないだろうが、なるべく正確に記してみよう。
次々と無数に高速で飛んでくるミスリルの鋭い金属片が、一つたりともカピに突き刺さらない!
彼は、……何という事だ! 目を疑うが、絶妙なタイミングで通り過ぎて行くのだ!
考えられる数万通り以上ものルートの中、たった一つしか存在しない無傷で進める一筋を、選んで当たり前のように進むがごとく。
天井からの豪雨の様な攻撃も、自然に紙一重でかわして行く。
だが、左右も同時に、ともなると物理的に安全空間が無くなり不可能……すべてはかわせない! それが道理。
カピの頭に当たる!
しかし、彼の進行に水滴ほどの抵抗も与えない。
カピの頭は、あの! 見た目以上に防御力の高い、カピバラ家マーク『か』付きキャップで守られている。
そうはいっても、直撃を何度も喰らったならば、ついには耐え切れず、刃は帽子を貫通し彼の脳に突き刺さる……が、その直撃は決して喰らわない。
キャップに傷を付ける刃はいくつもあったが、なぜかすべて入射角が甘く、跳弾の様に弾かれる。
しかも! その跳ね返った刃は「偶然」にも、カピに迫りくる他の刃に当たり、見事次の攻撃を遮るのだ。
侵入者にダメージを与えるための刃が、その凶器がこの様に奇妙な同士討ちする現象はこれだけではなかった。
正確に発射されるはずが、僅かなズレで、軌道が大きく変わり衝突、本来なら互い違いになって影響するはずのない発射口へ飛び込み、弾詰まりを起こす。
地面に転がった、用無しの刃に当たると、ビリヤードの神業トリックショットを思わせる、予想外の弾かれ方でクルクル回転し空中に跳びあがると……、一転カピを守るための盾に変わる。
以上の数秒の間、繰り広げられた、信じ難い、超常現象はなんだったのか?
まるで目に見えない神のヴェールでも纏い、全ての災厄がカピの体に触れることを許さないような奇跡的現象は何なのか?
この時は、まだ誰一人として自覚した者はいなかったのだが……、カピのステータス、マックスレベルと、あまりにも高いラック能力の前に、トラップ自体の効果が無効化されていたのだ!
無効化、激しく降り注ぐ無数のナイフが、すべて「彼に当たるのを避ける」という、驚愕の現象を引き起こした。
カピに対して、罠が効かない状態だとは、全く存ぜぬ執事とメイドは血の気が引いた。自分たちのいつものおふざけの最中だった事と、ご主人の思いもよらぬ突発的行動に、虚を突かれ、行動に出るのが遅れた。
即座にレイピアを抜き放ち、飛び交う刃を切り捨てるルシフィス。
ストライカーのプリンシアも、スキル発動もそこそこに通路に飛び込んだ。
悩み事で頭がいっぱいのカピは、半分ぼ~っとして、そばに駆け寄る仲間を見た。もう出口はすぐそこ、という辺りまで歩いていた。
「……あぁ、ごめん」
彼自身、あまりに無の境地で、刃の攻撃を避けていたので、言ってみれば、土砂降りの雨の中、傘を差すのを忘れていた、そんな程度の受け止めだったのだ。
突如、トラップの動きが止まった。正確には、ついに弾切れに陥った。
侵入時、この行程をカピの歩調に合わせてゆっくり進んだことが、罠の仕掛人にとって想定外に大量の刃を撃ち出すこととなり、もう残量が少なかったのだ。
通路の出口近く、三分の一ほどは、何の襲撃も無く隠し扉から外に出た。
「!! なんてことを!!」
駆け付けた二人が、口々に慌て声をとばす。
「カピ様らしからぬ、うかつな行動!!」
「ほんとに! 坊ちゃま…………」
「ハハハ……、罠のこと、すっかり忘れてた」
そう、のんきな返事をするご主人カピだったが、護衛の二人の目は血走って、真剣だ、あのプリンシアが、肩で息をしている。
「……」
「はぁはぁ……もっ……もしものことがあったら……」
それを見てもなぜか、カピは冗談めかして振る舞う。
「別に……僕がいなくなっても、大した影響はないよ……まあ、なんだったら、蘇り魔法で生き返らせてよね……」
(そう……僕が死んでも、ただゲームオーバーになるだけ…………)
背後から、ロックの低く沈んだ声がした。
「……坊ちゃん、そんな魔法は、おとぎ話にしか存在しない……」
ルシフィスは、青年を見つめ、ゆっくりと語りだす。
「ふざけたことを言わないでください。ここにいる、あなたが、消えてしまうんですよ……二度と同じ魂は……生まれないのです」
声は穏やかだが、彼の頬は赤みを帯び、手は僅かに震えている。
彼らの心は覗けない。
だが、きっと、愛する我が子の、言ってはいけない心無い酷い悪態に思わず手が出そうになる、そんな心境だろうか。
もっとも、カピの頬を愛情をもって殴ってしまうと……一流冒険者のクリティカルヒットで、あの世へ旅立たせてしまうかもしれない。
なんといっても、彼のヒットポイントは、7しかないのだから。
ルシフィスもプリンシアも、よく見ると傷だらけだ。
大怪我ではないが、無数に切り傷を負っている。
「…………」
カピは何かを言いかけ言葉を飲み込む。
彼は深く自分を見つめた。
しょせん、この世界はゲームなんだから、リセットしてやり直せばいい。
そんな気持ちがなかったかと言えば嘘。
特に、可笑しな自分の能力を知った今では、いっそのこと、最初からやり直してもいいかと思った。
ゲームオーバーになれば、目覚めて元の世界に戻れるのでは? そういう考えが頭をよぎったのもまた事実。
ただ、この世界でも確かに死は恐い。実際にどうなってしまうのかの保証も何もない。
けれど、明らかに今のカピには、不思議とその恐怖が希薄になっていた。
その理由、突き詰めてみれば、青年は逃げていた、舐めていたのだ。この世界を、生きるということを。
ルシフィスの言葉が耳に痛い。
「二度と同じ魂は生まれない」
もし仮に、たかがゲームだとしても、そうなのだ! 同じ魂、同じ状況に、同じ彼らに、君たちに! 出会えることは無いのではないか?
『リセットすればやり直せる』これこそが、実は幻想なのかもしれない。
(今を、軽い気持ち、投げやりな生き方で過ごす? ……転生前の世界が、保険になるっていうの? ……いいや、そんなことない。この与えられた魂は、ワンチャンス)
青年は、ともすれば嘘くさいゲーム世界などという、馬鹿げた下らない事実を突きつけてきた『取扱説明書』に、今、この瞬間、あらためて真正面から向き合った。
カピは真摯に思考する。
(僕は、とても弱いヒーロー、極端にダメ能力、認めよう。……でも、……まてよ何故だ? なぜ? …………逆に……ここに、意味があるのでは?)
書の内容を思い浮かべる。
(説明書には書いてあった。ゲームオーバーの条件が……それは、自分の死と……もう一つ……)
『カピバラ家の滅亡』
(この条件は何だろう? 自分だけ……自分だけを見て生きるんじゃあなく、この家の命を守れってこと? それは…………一人だけでやるんじゃなく、みんなで成し遂げる道……)
執事のルシフィスを見る。
メイドのプリンシアを見る。
マイスターのロックを見る。
そしてここには今いない、優しい大男スモレニィ、コックで侍のリュウゾウマル。
さらには、カピバラ家ゆかりの人々や村人。
さらにさらに、これから出会うであろう新たな仲間、友。
「……さて、みんな」
カピは顔を上げ立ち上がる。魂に火が灯りだす。
「こ~んな、弱っちいご主人様に……」
いま一度、カピは首を巡らして、傍にいる友を見る。魂が炎でゆらめく。
「厄介なヒーローに、ついて来る準備はできた?」
眩しい若き英雄の笑顔に、みんなの顔もほころぶ。
「もう、僕の方は、カピバラ家を率いる準備、そいつは万端だけど?」
魂が熱く燃え上がった!
プリンシアが、軽くジャンプすると、空中でトリプルループを決め、「いえぃ!」とロックとハイタッチ。
ルシフィスが最敬礼して言う。
「もちろんでございます。……カピ様が、この家に来た時から、カピバラ家一同、準備万端抜かりなしでございます」
顔を上げて目と目が合う。
「そうですとも! もしも、あなた様が、役立たずな御人なら……たちまち切り捨て、このわたくしが家を守る、という手はずが整っておりますのでご安心を」
そう言って笑った。確かに笑った。
カピは、思った以上に大きなものを黒い箱から手に入れた。
さあ、本当の冒険の始まりだ。
――――この世界の何処か
どこまでも真っ白い部屋。
壁に縦一筋の光が現れ、ドアが開く。
白色をベースにした、しわ一つ無い制服の男が、静かに入ってきた。
「使用登録許可されていない、ゴッズアイテムの発動を検知しました」
部屋の奥に、金髪碧眼の見目麗しい青年が椅子に深く腰掛けている。
「場所は」
「ヤマトの国、カピバラ領内、領主の館、と思われます」
「ふ~ん、……分かった。あああぁ……温泉かぁ……いつかゆっくり寛ぎたい」
彼は椅子に背を預けたまま、少し伸びをして両手を頭の後ろで組む。
長い金色の睫毛を伏せるように目を閉じると、続けて言った。
「…………そうだね、……別の人をやって、さりげなく監視を継続して」
「了解いたしました。ミカエラ様」
そう言って、深々と頭を下げると、男は部屋を出る。
部下が去り、またいつもの悠久なる静寂が部屋を支配しだす。
しばらくの間、目を閉じて動かなかった青年が、ゆっくりと広げた掌の右手を突き上げた。
空を掴むように。
「ちょっと、面白くなってきたかも」
そう呟いた、彼のブルーの瞳は爛々と揺れていた。
<第一部 完>
アイムトリッパⅡに続く
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