第13話 月明星稀


 同時刻、三人の領主たちが集っていた。

 カピにとって、不吉な空気を漂わせて……。



 カピバラ邸の遥か北東。黒い森の中のやや小高い丘に、そびえ建つ巨大な城。


 その城は、何十とある大小多種な部屋で構成されていたが、その一郭は……何か他とは空気が違った。

 重苦しい空気、黒い空気、そこは家主アザガーノ侯爵の書斎、薄暗く広い。


 書斎の上座中央に、存在感のある大きな黒い大理石の机が、威圧的に納まっている。

 その黒く冷たい机に片肘をつけ、拳をそっと顎に添えながら、ホストの侯爵は静かに前を見つめている。


 この部屋には、あと二人。

 どちらともに、カピバラ領の周りに接し、広大な領土を持つ大貴族。


 彼ら三人だけの密談であった。



 アザガーノ侯爵の書机を挟んで、傍らに立つ、でっぷりと太った髪の毛の薄い男。

 マジックマスターのサザブル伯爵が、額に汗粒を光らせながら話す。


 「では、やはりアザガーノ候殿にも、書簡が届きましたか!」


 顔を赤らめ、唾を飛ばしながら続ける。


 「あのぉ、クソ生意気な執事めが、本当に身の程を知らぬ狐よ! 私どころか貴殿にまで!? おのれの方から、頭を下げてこちらへやって来ようともせずに! 我々があの! 貧乏くさい屋敷へ赴けというのだからなっ」


 二人とは、やや離れて、奥の陰になったところから声がする。


 「フフフっ……、マックス御爺様の威光を、今なお、どの程度の効果が残っているのか……推し量っているのでしょうか……」


 声の主、グリニューン伯爵はヒョロリと痩せた男のようだが、その姿……獏としてはっきりしない。


 「まあ、その手紙。私のところへは届きませんでしたねぇ……嫌われましたかな?」



 かつての名門カピバラ家も、稀代の英雄であり超の付く変わり者のマックス伯爵がこの世を去ったことで、急速に力を失い、滅び去るのも時間の問題と思われていた。


 そこに、突如として完全にノーマークだった謎の子息だか、孫だかが現れたというのだ。

 今回送られてきた書簡は、ここに集まった有力な上級貴族の頭領へ、カピバラ家次代領主の推薦人、身元保証人としての署名を求めるものであった。


 数日前に、この書簡が届くまで、この件に関して一切情報がなかった。

 相当な有力者であり、政治力も冒険者としての能力も非常に優れる彼らの情報網、その張り巡らされた糸にかすりもしなかった。


 このような不可思議なことがあるのだろうか。


 この密談が開かれることになった背景には、未だに消え去らぬマックス伯の、底を測れぬ凄味と、謎めいた不気味さが少なからずあった。



 「こんなもの、無視してやりましょう。さすれば、必然的に王の認めも得られなくなり……ぐふふふ……、そのうち勝手に自然消滅するやもしれませんぞ! 侯爵殿」


 サザブルの下卑た笑いが響く。


 低い低い声が、侯爵の口からポツリと。


 「マックス伯とは……義理もある……」


 侯爵が醸し出す、室温が現実に数度下がるかの、冷たい威圧感。

 アザガーノ侯爵が椅子からゆっくり腰を上げ、立ち上がった。

 ボタンや装飾ひだの、やたらと多く付いた、高級そうな貴族仕立てのスーツに、引き締まった筋肉質の巨体。青白い肌に、ワックスで整えた真っ黒い髪。


 「突然現れた……跡取り……そやつのことも、少し気になる」


 侯爵の発言後すぐ、笑いを閉ざしたサザブルを、白銀の両眼がじっと捉え、結論を告げる。


 「希望通り……行ってみようと思う」


 サァーっと額の汗が引くのを感じながらサザブルは思った。


 (おぉ……恐ろしい。このお方の相手をしていると、自律神経がおかしくなってしまうわ……)


 「仰せのままに、アザガーノ侯殿。ぜ、ぜひ、私もご一緒したいと存じます」


 アザガーノは、優しい口ぶりで言った。


 「サザブル伯。その場で……署名をするかしないかは貴殿の自由。人物を良く見定めるもよし……。これは、向こうが催す会合……万一、気分を害するような……粗相があれば……断り、席を立つことに何の咎もあるまい」


 サザブルは深く肯き。ニヤリと笑みを浮かべた。



 密談も早くも終わりに差し掛かる。

 するともう一人の痩せた伯爵が、最後に意味深なことを言う。


 「どこの馬の骨やら、何とも謎な青年、カピ君。フフフ……これで晴れて、マックス卿の跡取りと認知されたわけですかな? でもまあ……この世の中、何が起きるかわかりませんぞ……」


 アザガーノが氷のような目で、サザブルが首を傾げ、グリニューン伯爵の言葉を推し量る。


 「謎のご子息が……謎のまま命を落とす……不慮の事故に遭われて」


 少し光に当たり、やせ細った顔が笑みを浮かべるのが見える。


 「フフフフッ、現実ではよくあることです。何のこともなく、突如エンディングを迎えてしまう、そんなストーリーは。残酷なものですよ、でしょう? ……お二人とも、そう心配することはない…………いやいやいや、無事に会談が開かれましたら、また情報を……では失礼」



 それぞれの領主たちは、書斎部屋の外、客間で待っていたお供を連れて城を出て行く。


 サザブルは、屈強な二人の剣士を従えていた。


 先に部屋を出たグリニューンは、女を一人連れているだけだった。

 体のラインがはっきりと分かる、透ける衣をまとい、ビキニと腰に薄いパレオ。

 まるで踊り子の服装の妖艶な女。


 剣士の一人が主人に言う。


 「サザブル様、グリニューン殿の連れ。ありゃあ、召使い女でしょうか? イイ女ですなっ」


 サザブルは好色な笑い混じりで答える。


 「ぐふふっ、全く惜しいな。わざわざ、あんなガリガリの骨人形みたいな奴に仕えずとも……。おそらく、あの娘、新顔だな……今まで見た覚えがない」


 もう一人の剣士、数メートル前を歩く女の揺れる豊かなお尻を見ながら、羨ましそうにつぶやく。


 「さすがは、グリニューン殿というわけか? 自分には護衛は無用ってか。そりゃまあ、そうか、何といってもあの人は……」



 前を滑るような足取りで歩くグリニューン。

 ただでさえ青白い顔なのだが……さらにいっそう白い。


 謀り事と賭け事が大好物の彼が、先だって賭けておいた、サイコロの目がぞろ目になった。それも五つの目!


 もちろん、そっちに賭けてない。


 「しっ、失敗した……だ……と?」


 妖艶な踊り子の顔を見つめる。この女からの報告に驚いたのだ。


 グリニューンは、即座に失敗の原因に思い当たった。


 「くっ、ルシフィスめ! あいつだ、感づいたか!! 絶対にあり得ぬとは言わぬが……ぬぅ……かなりの大穴だったな……」


 城の階下へ、城門への道を歩き続けながら、小声で話を続ける。


 「マックス卿という月が消え……我々、星々もやっと明るく輝ける時が来たかと喜んだのも一時。あやつの血を引く鬱陶しい者が現れた! 早々にけりをつけてやろうと……思ったのだが……むぅ」


 時は宵闇迫る空から闇へと移り、満月が輝きを増す。

 月光を浴びるかの、眩しい連れの女を見て一言口を滑らせた。


 「お主……よもや、手を抜いたのではないだろうな?」


 月の雫を宝石代わりに纏う天女が、ピタリと立ち止まる。

 爬虫類のような、なまめかしい妖女になって彼に絡まると、熱い唇を耳元に。


 「あんたぁ……」



 「殺すよ」


 グリニューンは、色々な感情の入り混じりにゾクッと興奮して震えた声が出る。


 「すっ、すまん」


 レンジャー系×戦士系最強ランク。クラス『シノビ』であるグリニューン。

 その彼が、恐怖で震えたのだ。


 とろけるような甘い声で、女は喋る。


 「月明星稀ねぇ……月ならいいけど、その子もしかして……太陽だったりしてぇ」


 彼女は踊る。


 「まさかぁ!」


 嬉しそうに笑い踊る。


 「あはははっ、まさかねぇえ」


 城門前で二人は消えた。

 空間がわずかに歪む。



 城の出口付近、少しばかり後方で、厩へ馬を取りに向かおうとしていたサザブル一行はそれを見て驚愕する。


 マジックマスター、魔法使いの領主は部下にポツリと呟いた。


 「あの女……テレポートした。グリニューンを連れて……」


 一流の彼には分かったのだ、女の桁違いの魔力が。


 「や、奴は……『ウィザード』だ……」

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