第2話 執事、名前について熱く語る


 コンコンっと、やや強めのノックの音がした。


 「失礼します」


 落ち着いた男性の声だ。


 青年は豪奢なベッドに中途半端に腰かけている今の態勢でいる事が、なんだかバツが悪く感じ、慌ててシーツを羽織るとベッドに入りなおした。


 どうしてこう感じたのか、よくよく考えてみれば可笑しな事だが、自分に釣り合わない上品な場に、訳も分からずいきなり立たされているこの状況と。

 いわば、母親から「安静にして静かに寝てなさい」と言われていたのにもかかわらず、起きていたのを見咎められたかのような気分になったからだ。



 ドアが開き、無駄のない身のこなしで男が部屋に入ってくる。


 ベッドの傍まで寄ってきて。


 「何か、ありましたか?」


 心配で慌てた感じという様子は全くないが、さりとて事務的で冷たいというわけでもない、心地の良い問いかけ具合。


 青年は、覆いの向こうの淡いシルエットに顔を向け、そこに黒をまとった人の姿を見た。紗がかかって、はっきりとした表情までは見えない。


 「え、ええ……まあ、………………あ、あなたは?」


 その人影は、敬意を示すように、深く頭を下げて答えた。


 「わたくしは、僭越ながらこの家の執事を承っております、ルシフィスと申します。ご挨拶が遅れまして、申し訳ありません」


 少し戸惑う青年。ルシフィスという名前に。


 (外国の人だろうか……)


 とりあえず、些末な疑問は横にして、大切なことをシンプルに問いかけた。


 「あの~、……ここはいったいどこですか?」


 執事と名乗った男は、少し間を開けた後、またちょっとお辞儀をするように体をかがめて答えた。


 「この館に唯一ある、ご主人様のための寝室です。内装は、ほぼ以前のまま保っております。ええ、もちろんお召し物、シーツなどは新品でございますが……すべてをご希望に添え、新しくご用意して置くことは出来ませんでした……」


 さらに深く頭を下げ、言葉を付け足す。


 「重ねて、真に申し訳ございません」


 声に無念さがにじみ出る、心からそう思っているようだ。


 「……」


 青年は執事から視線をベッドに移して、うなずく……が。


 「ああ、はい……寝室。…………い、いえ、そうじゃあなくって」


 彼の言葉に、執事は心得たとばかり話を続ける。


 「若様が、馬車で到着なされたのが昨日の夕時。そう、タラップから地面に足を下すか下ろさない、その時! グラリ、そしてバタリっと、お倒れになられ……」


 手を差し出す仕草を交え、話は続く。


 「何とか、わたくしがさっと手を差し伸べましたので、不幸中の幸い、頭を地面に打ち付けるという最悪の事態は避けられたのですが……なお一層恐ろしいことに……意識が戻らず」


 青年は唖然と口を開け聞いている。


 さっきまで思い浮かべていた自分の過去に、一コマたりとも似たシーンなど脳内上映されることなかったからだ。


 饒舌に執事は話し続ける。


 「その後、最高の医者、腕においてはという意味で……性格という点では最低ですが……おっと失礼、それは余計な話。その医者を呼びまして、診断と処置をして頂いたところ、医学的見地、魔法的検査におきましても悪い所は無いとのこと。きっと長旅で疲れが出たのだろうと……。わたくし、ほっと胸をなでおろし、さすれば安静第一ということで、失礼ながら御身を抱き、こちらへとお運びいたした次第です」


 少し興奮し、しゃべりすぎたかと思い至り、彼は口を閉じる。


 まだまだ唖然感から抜け出せぬ青年。


 しばし無言の二人。



 やがて、執事が言葉を発す。


 「あの、先ほど、なにやらお声が……少し大きな……」


 意を決して、青年はズバリ聞くことにした。


 「状況は、だいたい分かりました」


 そう言いながらも、すぐブルブルと首を振る。


 「いやいや、全然分からないけれど、まあ、とりあえずそういう事だと受け止めます。がんばって、全力で! 無理やりにでも!」


 乾いてきた口を一度湿らせ、唾を飲み込むと核心へ進む。


 「……そのうえで、……あなたが僕をご存知だという前提で、……ただ、簡単なことを聞きたいのですが……ぼ、僕の、私の……


 名前は何でっ…か?」


 (うわぁ! し、しまった。今まで生きてきて……まあ19年ほどだけど……口にしたことのないあまりに奇妙な質問で、最後をとちってしまった!)



 執事ルシフィスは、またまた無言の間で斜め下、石の床を見つめていた。


 そして口を開く。


 「ちょっと……まことに不躾ですが、若様の顔色を、この目で拝見させていただいてもよろしいでしょうか?」


 特に失礼だとも、嫌だとも思わない青年は、どうぞと快諾する。



 軽く会釈すると、黒い腕が天蓋ベッドを囲う藍色のレースをよけ、顔をのぞかせ、その影が青年の顔を覆う。

 ルシフィスが真剣なまなざしで顔をグッと近づける。


 「あっ」


 とたん、横たわる青年の表情がこわばった。



 執事の面立ちは人間のそれではない!


 切れ長の目、大きな碧の瞳、通った鼻筋に薄い唇、肌は恐ろしく白く陶器のよう。鋭くとがった長い耳に流れるような艶やかな黒髪がかかっている。


 これはまさに、ファンタジー作品によく出てくる、エルフの容貌ではないか!



 ルシフィスは青年の驚きを誤解した。


 ベッドを覗き込むという、無作法に驚いたのか……もしくは、人間特有の反応、異属種を間近に見た時の、あの忌まわしい驚きか。

 平然と「近づくな、虫唾が走る」などと罵りを口にする者も多くいる。


 (まあ、もちろんエルフ族もドワーフに囲まれれば……楽しい気分でいられる者はいないか……)


 執事はサッと、青年との距離を戻すと言った。


 「顔色は、特に変わりなく……大丈夫なようですね…………カピ様」


 「……」


 驚きに驚きが掛けられた!


 「!?」


 「?」


 「か……カピ……」


 「?」


 「カピ……様……って!?」


 彼の言葉に何も答えず、仔猫を思わせる可愛らしさで執事は首を傾けた。


 「カピ!? ……と……いうのが……もしかして」


 もう一度、反対側に首をかしげる。


 「カピというのが、ぼ、僕の名前? え~!?」


 若者の反応が理解不能、執事には珍しく言葉に詰まった。


 「そ……そうです、若様のお名前は『カピ』でございます……が。……何の嘘偽りようもなく」



 豪華な寝室の中を、混乱魔法の呪文がうなりを上げ渦巻いているようだ。


 さすがの冷静なルシフィスも、若きご主人の信じがたい様子を目の前にしては、当の本人同様、魔法の呪縛から逃れられなかった。


 (な、なんだ? 名前までお忘れになられていると?)


 執事は、やや上半身をのけぞらせ、大きな両目をパチクリさせてこの状況を考える。


 (本当に、名前を!? こ、これは、見た目よりはるかに重症なのでは? あの医者め、診断ミスか? ……いや、それは考えにくい。…………もしや、此の方をからかっていらっしゃる? まさか! 赤の他人を間違えて連れてきた?? すり替え事件??? 否! 否!! どれもありえない)


 彼は少し熱くなって力説する。それはルシフィスがとるには滅多にない行動。


 「カピ様! 正直なところ、わたくしは大きくなられた若様に会うのは初めてです。しかし! あなた様はカピ様なのです! わたくしには分かるのです。理由? いえいえ、心で分かるのです!」



 青年は、クラクラっとしながら思う。


 (ぼ、僕って……日本人だよな……確か……。外国人なら間違いなくここで『オーマイガー!』とかなんとか叫んでる)


 思わず、頬っぺたをつねるというベタな行動をとる。


 (そう、怖いことに夢じゃあないんだ……。…………何だよ『カピ』って! キラキラネームを遥かに通り越して、それってペットか何かにつける名前じゃあないかっ!!)



 執事は名前について続ける。


 「わたくしの心から愛してやまない、命を捧げ、一生の忠誠をお誓いした誇り高き名家『カピバラ家』その名から頂いた二文字『カピ』様! おお! なんと素晴らしい響き、まさしく至高の御名であることは疑う余地もありません」


 彼の熱い言葉はまだ続く。


 「そのお名前を、忘れてしまわれるなんて! ……もしかして、やはりどこか頭を打ったのでしょうか? わたくしが受け止めるのが遅かったのか……いやいやいや、精密検査で確かめたのですから、そんな馬鹿な……」


 このような、慌てたルシフィスを二度と見ることはないのではないか。

 部屋の中を行ったり来たりと歩き回り、先ほどのベッドで目覚めたばかりの青年の記憶の反芻が、また再現されたかのごとく過去へ思いを巡らせている。


 そして部屋のやや中央で、天を仰ぎ見ると誰に言うでもなく声をかける。


 「マックス様、これは恐ろしい事態です。あなたのたった一人の跡取りの若様が、お名前を忘れるなどと、恐ろしい呪いです!」


 白く細長い指が小さな顔を覆う。ブツブツと呟きながら。


 やがて、最後にボソッと「マックス様」と、神の名前で祈りを終えるかのように唱え、キリッとした最初の落ち着きに戻る。


 「わたくしはマックス・カピバラ家の執事。家に使える身。万一、あの青年が希望の光ならずとも、この家を守る誓いに何一つ影響はない」


 冷ややかなまなざしを、ベッドの青年に向けて彼は思う。


 (そう……万が一、マックス様の爪の先ほどの力量がなくとも、飾りとして使い物になるならば、それで良い。家督の看板として機能するならば。カピバラ家の実態は……すべて、このわたくしが守り切ろう、命を賭けて)


 それは、執事ルシフィスの、新たな決意の瞬間だった。



 思い描いていた、過大な希望が削がれてしまったからか、ルシフィスは少し不機嫌な気分に陥り、険しさがちょっと眉に現れる。


 改めて冷静に、英雄の血筋というバイアスを捨てて青年を見る。

 執事として、自分の進むべき道が明確になった影響で、これから使えて行かねばならぬ主人だというのに、彼の印象は悪くなった。

 崇拝していたと言っていい、前領主のマックス伯とは比べるべくもなく、幼いごく普通のただの人間に見えた気がした。



 一方、短時間の間に、自分の株が急降下していることも露知らず、執事の熱弁の半分も入ってこない青年。


 「す、すみません。ちょ、ちょっと、できれば一人にしてもらえない? 頭の中を整理したいので」


 これ以上の、未知の情報は彼の頭をオーバーロードでパンクさせてしまう。

 頭を冷やすしかない、一人で考える時間が必要だ。


 ルシフィスは頷く。


 「そうですね、移動の疲れもあるでしょう。お休みください」


 そう言って、入り口のドアへ速足で向かう。


 ドアノブに手をかけた、その時今一度振り返って。


 「あの、カピ様。どうか、これからはこの様な、つまらないことでわたくしを呼ぶのは控えてください。後でおいおいご説明しますが、身の回りの世話などは別の者の役割ですので」


 なんとなく、立場の変化を感じつつ青年は答える。


 「え? ええ? 僕が呼んだ? 呼んではいない気がするんですけど」


 ゴホンッっと、わざとらしい咳払いと共に執事が言う。意外と芯のある青年の反論に驚きつつ。


 「そ、そうでしたか? 今回は、偶然わたくしが部屋の前を通りかかったときに……そう、あくまで偶然ですよ! 何か中から、お声がしたものですから……」


 気のせいか、白い頬に若干の赤みが差した。


 「様子を少し伺っただけです。決して、心配して部屋の外でずっと待機していたなどと、誤解することなきようにお願いしますね!」


 心持ち強めにドアが閉まり、肩まであるリボンでまとめた黒髪を優雅になびかせ、ルシフィスは混乱の部屋を出て行った。


 どうやら、青年と執事の関係性は定まりつつあるようだ……。

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