第56話 思いを伝えあうということ

 置かれた酒は好きに飲んでいいということらしい。

 アル坊やは細いグラスにいれた白ワインのようなものを飲んでいる。

 俺はトリスタン公と一緒に飲んだ、ハーブを効かせた蒸留酒を頂いた。


 そういえば、フローレンスでは未成年の飲酒とかの問題はないんだろうか。俺もこの体は19歳だから、日本基準では未成年なんだが。

 グラスを半分がた開けたところで、アル坊やが突然口を開いた。


「すみません、ディートさん。ずっと謝らないといけないって思ってました」


 何とも藪から棒ないい様だ。アル坊やから謝られるようなことは何もないと思う。


「なにが?」


「……昔、うちの商会にとても優秀な乗り手がいたんです。僕はあまり面識はなかったんですけど。

 4年前、彼は別の商会に引き抜かれたんです。うちの報酬よりはるかに高額な報酬で。

 アストラの前の乗り手です。ショックを受けてふさぎ込む父のことを今も覚えています」


「そうなのか……?」


 騎士の乗り手はそこらに転がってるものじゃない。ましてや腕利きになればなおさらだ。

 いきなりエースを引っこ抜かれたようなものだろう。

 しかし、なんか唐突な話だが。酔っているんだろうか。まあいいか。黙って聞こう。


「恨んでるのか?」


 アル坊やが黙って細いグラスのワインの残りを飲む。


「……あの時は今までずっと一緒に仕事をしてくれたのに、お金でどこかに行ってしまうなんてひどいって思いました」


 この辺はアスリートにも通じるものがある。プロへの誠意は契約金で示せってタイプはいる。

 俺も昔はそんな奴は金の亡者だとか思ってたもんだが。


 ただ、アスリートはどれだけ順調でも怪我をすれば立場が一変する可能性がある。だから現役の内により良い待遇を求めるのはおかしな話じゃない。

 自分でプロ契約をして、そして、あっさり契約を切られるという体験も何度もして、その気持ちは分かるようになった。


 この世界は回復魔法があるから地球とは事情が違う部分もあるにせよ、スポーツ選手と違って、騎士の乗り手は負けは死につながる。

 四肢を失ったりしたとしても、社会保障のシステムも碌にない。より良い報酬を求めるのは当然だろうな。


「でも今はそうは思わないです。

 騎士の乗り手は命がけで戦いに挑む。よりいい待遇を求めるのは当たり前だと思います」


 アル坊やの言葉に改めて感心した。

 俺が16歳の時、もし好きなチームの選手が大金に釣られて移籍したら……俺は多分怒り狂っただろう。

 とてもこんな風には到底割り切れない。しかも応援してるチームじゃなくて自分の経営する会社なのだ。


 アル坊やがワインを飲む。ペースが早いが大丈夫か?

 グラスを持つ手がおぼつかない。目がトロンとしている。


「ディートさんはもっといい待遇で飛べる。名誉だってつかめる。それなのに……」


 なんか脈絡のない話だな、と思っていたがそういうことか。


「僕が、クリスがあなたを商会に縛り付けてしまってる。

 騎士団に入るなり、傭兵騎士になって名を上げるなり、ディートさんなら何でもできるはずなのに……もっといい報酬を取って……」


 そんなことで悩んでいたのか、気にしなくていいのに。

 俺にとっては力を発揮できる場所があるのがまず大事で、それに伴う金とか名誉そういうものは副次的なものでしかないんだがな。

 だけど、そういう俺の感覚はなかなかつたわりにくい

 フェルじゃないが、大事なことは口で伝えないとだめだ。


「……俺が地球でレーサーをやってたのは言ったよな。

 俺たちプロレーサーはチームと契約を結んで、チームの車で走るんだ。

 ちょうど俺とシュミット商会みたいな関係だな」


 アル坊やが黙って聞いている。


「どこのチームに入るかって時にさ、そりゃどれだけ年棒をくれるのか、とかそういうのは考えたよ。

 だけど一番大事なのはそうじゃない」


 まあ現実では渡り鳥ドライバーとしては選ぶ余地は余りなかったんだが、それは格好悪いから言わないでおこう。


「一番大事なのは、尊敬できるチームと契約できることだと俺は思ってた。

 そのチームのためなら力が湧いてくるって感じの相手とな」


 完全に金の為に動く選手もいたが、大体のアスリートは愛着あるチームにいたいという気持ちと、いい契約を結びたいの間で揺れていると思う。

 実際いろんなスポーツで、巨額の契約を蹴って古巣にとどまるとか、自分の信念であえて条件が良くないところを選ぶ選手はたくさんいた。


「俺が今ここに居て、シュミット家の魔女ソーサレスオブシュミットなんて二つ名を貰って騎士団とともに戦えたのは、お前のお陰さ。

 ウンディーネ号での迎撃や、震電を作ってくれたこと。任せてくれたこと、お前が俺を信じてくれたから俺は此処までこれた」


「……」


「アルバート店主、素晴らしい契約と機会を与えてくれて感謝してます。

 今後とも宜しくお願いします」


 背筋を伸ばして頭を下げる。


「まあそれでも気に病むんなら、シュミット商会をフローレンス屈指の大商会にして、俺にバーンと大金払ってくれよ。

 そんときは俺はフローレンス屈指の大商会の護衛騎士隊の団長だ。

 な、大出世だろ?」


「そうですね……」


 我ながら臭いことを言ってるな。

 俺自身、どことなくこいつから大事な恋人を奪ってしまった、という感覚がある。

 今の俺は望んでいたものの一部を手に入れて、正直楽しくやっている。

 でもこれでいいんだろうか。俺のせいではないし、どうすることもできないが、時々罪悪感はある。


「なあ、お前の側にいていいのか?」


「……勿論ですよ。当たり前じゃないですか」


 一瞬口ごもったあたりにいろんな感情が渦巻いた気がいた。

 割り切るにはおそらくこの後も長い長い時間が必要だろう。


 俺がいる方がいいのか、いない方がいいのか、時々分からなくなる時はある。

 だが、コイツがいいというならそばにいよう、と思った。

 クリス嬢のためにも。


 ---


 路面汽車ではうとうとしていたが、本島へいく汽車に乗ったところで限界が来たらしく、アル坊やは寝てしまった。

 エーテル炉は静かだから、線路を走る車輪音と線路が触れ合う金属音と数かな風の音だけが聞こえる。

 静かな窓の外は月に照らされた銀の雲海が広がっている。吹きさらしの飛行船の通路から見るのとはまた違う景色だ


 今は車内の注目を一身に集めている。

 酔ったアル坊やが俺の膝に頭を乗せて寝ている。いわゆる膝枕スタイルだ。

 フローレンスではあまり人前ででいちゃちゃするのを見かけないので中々に目立っている。


 ほとんど男装に近い姿とはいえ、俺は見た目は女の子だしクリス嬢のルックスは結構いい。それに、一応二つ名を頂く程度には知名度のある騎士の乗り手だ。

 アル坊やもひいき目に見てもかなりの美少年だ。ついでに商会の主だしな。


 見ている客がひそひそと話をしている。おそらく俺たちのことを知っている奴もいるんだろう。なんか明日以降あらぬ噂が回りそうでアレだが、今日はまあいいか、と思った


「……クリス」


 俺の膝に顔を乗せて寝てるアル坊やのつぶやきが聞こえたような気がしたが。

 それは聞かなかったことにした。


 ---


「店主、これは何ですか!」


 トレーニングを終えて、フェル、ローディ、グレゴリーとくつろいでいたら、不意に2階から怒声が響いた。ニキータの声だ。


 ちなみに、最近はフェルも体力トレーニングに参加したがるので、ローディ、グレゴリー、俺と4人でラントレをしている。

 体力に関してはとてもフェルにはかなわない。

 一応地球では格闘技もやっていたのに、組み討ちもまったく相手にならない。


 正直言って、もとの体でも負けるんじゃないかと思うほどだ。

 流石は護衛船員の隊長。精霊人は身体能力も高いんだろうか。

 組み討ちで投げ飛ばされたりするたびに、やたらと密着してくるのはやめてほしいんだが。


「あーそれは、この間ディートさんと食事に……」


「食事は構いません。ですがこの額はどういうことですかな?」


 アル坊やがしどろもどろに言い訳している。

 組織においては最高責任者よりも財布のひもを握っている奴の方が権力があることは往々にしてあるが、シュミット商会もそうなのか?


 フェルがこちらをじっとりとした目で睨む。

 自分だけ美味しいもの食べて。あたしは連れてってくれないの?という目だ。目は口程に物を言う。

 このままではニキータに責められ、フェルから非難される、二正面作戦待ったなしだ。

 とりあえずここは逃げるが勝ちだな。音を立てないように椅子から立ち上がろうとしたが。


「そこ、待ちなさい!」


 逃げ切り失敗か。

 ニキータが俺を見つけて階段を下りてきた。手には1枚の紙を持っている。


「ディートさん、貴方の活躍は誰もが認める所です。

 騎士団との契約もあなたがいなければできなかった。私としても大いに感謝しています。

 ですが、ものには程度というものがありますよ。

 これをごらんなさい」


 ニキータが、豪華な金の飾りを施した紙を俺に突き付ける。

 見せられた紙、というか請求書に書いてあった額は……俺の月の生活費の1/4ほどだった。

 感覚的には10万円弱とかそんな感じか。高そうだとは思っていたが、銀座の寿司屋どころじゃなかった。


 俺がねだったわけではないんだが、これは怒られるのも仕方ないな。

 しかたなくお説教を拝聴する羽目になった。


 ……その後、俺の奢りでフェルと食べ歩きデートをする約束をさせられたが、それはまた別の話。


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