第6話 女装趣味は無い
翌日起きても、あいにくと元のホテルに戻ってはいなかった。
謎の世界に放り出されて二日目、更なる悪夢が待っていた。
「遠い場所から来られた貴方にこのような事をいうのは申し訳ないのですが、ここではあなたはダイト様ではなく、クリスティーナとしてふるまっていただきたい」
ウォルター爺さんが厳然とした口調で俺に告げた。
手には白いエプロンと黒のスカートのメイド衣装っぽい服を携えている。
「俺に女の振りをしろ、と?」
「左様で御座います」
顔色一つ変えずにウォルター爺さんが言う。
「このウンディーネはフローレンス周辺を巡る遊覧船です。
乗客は坊ちゃまも含め、フローレンスの名士が多いのです。
シュミット家の当主が連れているメイドが男の様な粗野な口調で話している、というのは体裁が悪うございます」
「俺に女の振りをしろということですか」
「左様です」
「このメイドのスカートをはけというんですか」
「左様です」
「わけわからん世界にすっ飛ばされた俺にそんなことをしろというんですか」
「お気の毒には思います。ですがこちらの事情もご察しいただきたい」
有無を言わさぬ、という感じで、目は真剣そのものだ。なんてことだ。
「殊更に女としてふるまう必要はありません。
坊ちゃまの後ろを静かに付き従ってくだされば結構です。人との対応はわたくしが致しますゆえ」
「すみません、ディートさん」
アル坊やが気の毒そうな顔で言う。ウォルター爺さんがメイドドレスをベッドにおいて一礼して二人が出ていった。部屋が静かになる。
「マジかよ……」
ぼやいてみても返事は帰ってこない、当たり前だが。壁の方を向いてもう一度振り返ってもベッドの上にはメイド衣装が置かれたままだ。
右も左もわからない世界に飛ばされ、体は見知らぬ女の物になり、しかも女装(体が女だからこの表現が正しいかは分からんが)を強要されるとは。俺は何か悪いことでもしただろうか。
グダグダと考えているうちにドアがノックされた。
「……まだ着てませんから!」
ドアに向かって怒鳴ると人の気配が去っていった。
ベッドの上にメイド衣装をもう一度睨みつけてはみたものの状況は変わらない。諦めるしかないか。
もうミニスカじゃないだけましだと思うしかないな。
しかし服を取り上げてみたものの、まず下着のつけ方がわからない。しかも多少なれど見たことのある地球の女物の下着とは違って、ウエストの上から覆うようなコルセット状の下着だ。
見よう見まねで何とかつけた。クリス嬢には申し訳ないが。正直胸が控えめなのは有難かった。いわゆる巨乳だったらもっと面倒だっただろう。
メイド衣装はロングスカートのワンピース風で着方はなんとなくわかった。頭からかぶるようにして着て、背中の組み紐を引き首元を調節する。白いエプロンを首から掛けてリボンを後ろで結んだ。
長い金髪も白のリボンで首の後ろで結ぶ。鏡に映してみると、腹立たしいことに絵に描いたようなハウスメイドが立っていた。
しかし黒地のロングスカートに白のエプロン。なぜ地球にそれに似ているのかは謎だ。
俺みたいにこっちに飛ばされた先人がいて、デザインを伝えたとかじゃないだろうな。
ドアを開けて外に出るとアル坊やとウォルター爺さんが立っていた。
アル坊やがはっとした顔をする。
「似合ってるよ……」
と言おうとしてアル坊やが沈んだ顔をした。なんか申し訳ない。
ウォルター爺さんが俺を上から下まで眺める。
「結構です。あとは静かにしていて下されれば、あとは私が対応いたします」
「……そりゃどうも」
なんか口調がやさぐれてしまう。
「ところで、上手に着ておられますが、経験がおありなので?」
ウォルター爺さんが真面目な顔をしていう。
悪気はないんだろうが流石に一瞬殺意を覚えた俺だった。俺には女装趣味はない。
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とりあえず黙っていればいい、ということだったので、黙ってアル坊やの後ろを付き従うことにした。
ウォルター爺さんと一緒にアル坊やの後ろについていって会釈したり、とりすました顔をして後ろに控えているだけだ。
まあ俺としてもこの世界には興味はある。
部屋で引きこもっていても状況は改善しないわけだし、制限付きでもこの世界のことを見れるのは悪くない。
個人的には飛行船の隅々まで歩き回りたいが、ハウスメイド扱いなのでそれは無理だろう。
色々と観察して分かったこともある。
飛行船の内装とかのつくりを見るに、おそらくこの世界の文明レベルは現代の地球よりはかなり低い。
少なくとも電気はない。あちこちの壁にランプがつるされている。
高級客船というだけあって豪勢なつくりではあるけど、俺の目から見るとレトロ感漂う作りだ。地球にこの飛行船を持っていったら、映画のセット?といわれるだろう。
しかし一方で、飛行船のサイズはかなりのものだ。
もちろん地球で言うところのクルーズ船には遠く及ばないがフェリーくらいの大きさはありそうだ。
まあ飛行船という性質上、ほとんどが気嚢だが。
金属のフレームが組まれて気嚢はその中におさめられている。気球に推進装置を付けた、という初期の飛行船のレベルじゃない。
フレームの下半分を覆うような形で客室が配置され、気嚢の下部あたりにホールがあるつくりだ。
操縦室とかはその下だろう、たぶん。
こんな大きな飛行船をフレームから作れるくらいだから、剣と魔法のファンタジー、というか、中世的な文明レベルよりは進んでいるだろう。
すくなくとも産業革命初期は超えていると思う。
外に面した回廊を通った時に、ローターというか大きなプロペラのようなものが見えた。これで推進力を得ているようだが動力は分からない。
プロぺラから排気口のようなものが伸び、そこからから白い煙が上がっているので、何かを燃やすような動力があるんだろうとは思うが。
かすかなオイルの香りが船全体に漂っているが、多分これは動力の油というより潤滑油っぽい。石油系の燃料のにおいはしないし、石炭の粉塵や真っ黒な噴煙が飛んだりもしていない。
蒸気機関とかエンジンのような機械的な動力ではなく、異世界の不思議魔法的な俺にはわからない何かが動力だろう、と今のところは結論付けた。
アル坊や、というかシュミット商会がフローレンスというところの名士なのはなんとなくわかった。
ホールで会う客、飛行船の乗員のみなが丁寧に挨拶していく。アル坊やもそれをきちんと礼儀正しくさばいていく。
商店の当主、ということは16歳、職業社長、みたいなものか。そう考えるとスゴイ話ではある。
子供扱いしたことをちょっと反省した。
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