第5話 雲上の新世界

 ウォルター爺さんが折り目正しく挨拶してでていき、とりあえず俺たち二人は部屋に取り残された。


 何か気まずい。何か言った方がいいか、と思ったところで


「先程は取り乱したところを見せてしまい失礼しました」


 先を越された。子供に先を越されるとは。


「改めて自己紹介します。僕はアルバート・オルレア・シュミット。シュミット商会の4代目当主です」


 はっきりとした口調とよく通る声。改めてみると、青い瞳に美しいブロンド。整った顔立ちでなかなかの美少年だ。

 口上も堂にいったもので、凛々しい感じである。


「頼りない子供だ、なんて思って悪かった。謝るよ。俺は吉崎大都だ。

 プロのレーサーだったが、こっちではどうなるんだろうな」


「ダイトさんですか……ちょっと発音しにくいので、ディートさんとお呼びしていいですか?」


 アルバート少年が少し小首をかしげて言う。別にその位は構わないか。


「ああ、いいよ。よろしくな。」


「あなたはクリスじゃないんですよね、クリスがどこへいってしまったか、とかは…」


「……あー分からない。ごめんな、憧れのお姉さんがこんなのになってしまって」


「……いや、あなたも大変なことになっているんだから」


 アル坊やががっくりとうなだれた。涙をこらえている、という感じだ。


 ああ……ほんとに好きだったんだな、というのがなんとなく分かった。

 金持ちのエロガキが金に物を言わせてハウスメイドを手込めにする、とか、そういうのかと思ってたけど、そうじゃなかった。

 好きな女と事に及ぼうとして、突然その女が別人になればそりゃショックとかいうレベルじゃないだろう。

 でも、俺にもどうしようもないんだ、本当にすまない。

 重たい沈黙が流れる。


「ちょっと外に出ていいか?」


 重い空気を少し変えたい、というかお互い少し一人になるほうがいい気がする。


「いいですけど、飛ばされないように注意してくださいね」


 アル坊やが不思議な注意をしてくれる。飛ばされるって、そんな高い位置にある客室なのか?

 まあでも最高ランクの部屋だ、とさっきウォルター爺さんも言ってたし、見晴らしのいいところでも不思議ではない。


 カーテンを引いて観音開きのガラスのドアをあけると、もう一枚ドアがあった。

 まるでエアロックのようだ。ずいぶん大げさな。


 もう一枚のドアは金属のフレームにガラスをはめ込んだちょっと重めの引き戸だった。ドアを開けると隙間から冷たい夜風が吹き込んでくる。

 ドアを開けてベランダに出る。

 ベランダは腰くらいの高さの鉄の柵で囲まれ、それより上はアーチ状に格子がかかっていた。木と葉をかたどった手間のかかった格子だ。その隙間から風と銀色の光が吹き込んでくる。


 床に固定された机と椅子や小さな小物入れのような棚が設置されている。アーチの造形に合わせて、木をモチーフにした凝った作りだ。

 机の上には固定式のランプがおいてあり、ほんのりと光を放っていた。ただ、格子の隙間から差し込む光が結構明るいから、ランプの明かりは雰囲気を出すため、という感じである。

 長くなった金髪が風にあおられた。今まで髪なんて伸ばしたことが無かったんで邪魔くせぇったらない。

 どうにか後ろでまとめて格子越しに周りを見渡す


「こりゃ……すげぇぇぇな!」


 思わず声が出た。外に出てようやく気付いた。これは船じゃなくて飛行船だ。

 ベランダから見えたのは見渡す限りの雲海、そして、頭上に輝く巨大な月。

 月は地球で見るものの三倍くらいはあった。おかげで夜でも結構視界がいい。


 どうやら飛行船の気嚢の下半分を覆うように客室が設置されているようで、ここは気嚢の真ん中くらいに位置する一番上の部屋でペントハウスのようなつくりになっているようだ。

 格子越しに見える眺めが素晴らしい。


「船かと思ってたら、これって飛行船かよ!」


「驚かれましたか?ディートさんの世界では船はないんですか?」


 いつのまにかアル坊やもベランダに出てきていた。


「俺たちの世界での船は海に浮かぶもんだからな。

 空を飛ぶのは飛行機ってのがある。飛行船はもう廃れちまったな」


「船が海に浮かぶんですか?

 ということはディートさんの世界では雲に浮かぶ技術があるんですね。それはすごいです。」


 ん?雲に浮かぶ?


「海はないのか?」


「周りは海じゃないですか」


「海ってのは、果てしなく続く水のことだろ。これは空だろ?」


「果てしなく水がたまっているって、それは湖ですよ。

 海は今ディートさんが見ているじゃないですか」


 これが海ってことは……まさか


「望遠鏡とかあるか?」


「遠眼鏡ですか?ありますよ、どうぞ」


 ベランダに備え付けられていた棚から、地球でも見慣れた形の細い望遠鏡を取り出して渡してくれる。


 目に当てて策の隙間から遠くを見てみた。小さく空に浮かぶ島が見える…ってことは


「島が空に浮いてるじゃねぇか。ラピュタかよ、これ!」


「大地は浮いているものですよ。ディートさんの世界では違うんですか?」


 アル坊やが当たり前のことを言うな、とでも言いたげな口調で言う。

 この世界では陸地が空に浮いているのか。それが常識なのか。

 この時ようやく実感した。今いるところは、地球とは全く違う、異世界だってことを。

 俺はこの地球とはまったく違う世界に放り出されてしまったってことを。


 ---


「ではそちらの世界では、海という巨大な塩水の水たまりがあってそこに島が浮いているんですか?」


「そうじゃない。海の底から陸地が生えているんだ。だから浮いてるんじゃない。

 そもそも水たまりなんて広さじゃない」


「なるほど、巨大な湖に島があって、その島がもっと大きくなったようなものなんですね」


 全然違う世界にいる相手に自分の世界のことを説明するのは大変だ。

 俺の当り前とアル坊やの当り前は全然違う。


 およそ信じられない話だが、この世界で言うところの海は雲海、というか空そのままらしい。

 そして陸地はそこに浮いているのだ、と。


 大地の神様が世界を作っている途中で力尽きて、その作りかけの大地を風の神様が風で支えた、ということなんだそうだ。

 神様だというのにずいぶんいい加減である。


 しかし、海なら落ちても泳いでも船に戻れるかもしれないが、ここだと船から海に落ちる=即死亡だ。

 まったく恐ろしい世界だ。


 フルーツジュースのようなものを飲みながら、ようやくお互いの世界についての説明が終わり相互理解が深まってきた。


 地球のことをアル坊やに説明してもしょうがないような気はするが、やはり違う世界がどんなものかは興味津々らしく、根掘り葉掘り聞いてくる。

 俺にとってはこの世界がどんなものかは非常に重要だ。

 どういう経緯でこの世界に放り出され、しかも女の体の中に入ってしまったのかはさっぱりわからないが、今のところ変える方法がまったく手がかりがない。


 高いところから飛び降りたりとかしたら戻れるとかいうのは定番だが、ベランダから見た雲の海を見てやめたほうが賢明だということを悟った。

 たぶん死ぬ。普通に死ぬ。


---


 お互いの世界のことを長々と話し合っているうちに随分と時間がたった気がする。

 この世界にも時計はあるようだ、大きな掛け時計だが。それを見ると2時過ぎを指していた。

 この世界と地球の時間が一致しているかはわからないが、文字盤が12で区切られているところを見ると、1日は12時間か24時間かのどっちかなんだろう。

 わかりやすくてありがたい


「アル坊や、酒とかないの?」


「お酒ですか?果実酒くらいならあるでしょう。ウォルターに頼んでみましょうか」


「まだ起きてるのかね?寝てたら悪いな」


 しかし寝るといってもベッドは1台しかない。沿い寝はしたくないな。


「僕はソファで寝ますので、ディートさんはベッドで寝てください」


「そういうわけにはいかんだろ、俺のほうが年上だぜ」


「あなたはお客様ですから。ご遠慮なく」


「そうか……じゃあ有難くそうするよ」


 譲り合いをしてもしょうがないので、アル坊やの言葉を受け入れた。

 ベッドに横になる。おそらく文明レベルは地球よりはるかに低そうだが、布団は柔らかかった。流石最高級の客室だけはある。


 キスを迫るのはやめてくれよ…と言おうかと思ったが、軽口ではすまなそうなのでやめておいた。


 横になると一瞬で睡魔が襲ってきた。

 起きたら元通りチェコのホテルのベッドであればいいんだが…


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