第18話 転生帰還者、その名は福山雅治(仮名)(その三)


 文太郎のはかない生涯が、幕を閉じたと思われた、次の瞬間――。


 パーン!


 と大きな物音を立て、バスのフロントガラスに丸太が衝突。

 フロントガラスは粉々に砕け散り、そのガラス片が四方八方に飛び散った。

 それと同時、文太郎の後頭部の皮一枚を車底がかすめ、バスは電光石火の速さでその場を走り去る。

 その一瞬の出来事で、文太郎はなにが起きたのかがわからない。

 しかし、後頭部にヒリヒリする痛みを感じるので、自分はまだ生きているということだ。


「どうやら俺は助かったようだな……。つーか、後頭部がハゲたぞ……」


 一部ハゲた後頭部をさすりつつ、文太郎は身を起こしてバスの方へ目を向けた。

 すると――。

 バスはクルクルとスピンをし、そのままコンクリートフェンスの右側に激突した。

 だが幸運なことに、車体に大きな損壊は見られない。

 おそらく、マサイの運転手は、丸太の衝突で目を覚ましたのだ。

 そして慌ててハンドル操作をしたところ、車体がスピン、その回転運動が減速をもたらし、バスは大破を免れたと思われる。

 しかも激突した場所は、橋桁崩落デットゾーンのギリギリ手前だし、運も重なった。

 さすがトリプル役満のマサイの戦士たちだ。

 いい意味でも悪い意味でも、あらゆる面で神がかっている。

 すると彼らは、槍を片手にゾロゾロとバスを降りてきた。


「シダイナレン! メティエニャマリ!」

「カンヤーオレン! イパイラシダイ!」

「オンジョレ! モラン! モラン!」

「エダマシダイ! カイエティショォー!」

「ビコー! ビコー! アララシエ!」


 そんな彼らはマサイ語らしき言葉を叫び、みな楽しそうに垂直で飛び跳ねている。

 まるで大事故を回避した喜びを表すように、どんちゃん騒ぎで盛り上がっていた。

 そこからすぐ先は、アスファルトに亀裂が入るデッドゾーン。

 そんなに全員で飛び跳ねようものなら、橋桁がいつ崩落してもおかしくはない。


「ダ、ダメだーーーーッ! そこで垂直跳びをしたらダメなんだーーーーッ!」


 文太郎は大慌てでそれを止めにかかった。

 というか、まやかしどうこう抜きにして、彼らはなぜ日本に入国できたのか。

 文太郎の疑問は果てしなく募るばかりだ。

 そんなことよりも、彼らにまったく日本語が通じない。

 身振り手振りを交えて説明しても、こちらの言葉がまったく届かないのだ。

 ちなみに、この状況の中、エリコと雅治はというと、


 キンキンキンキン! キンキンキンキン!


 と、剣を交えて戦っている。

 キンキンキンキンと表現するしかないほど、とても激しい戦いだ。

 ともあれ、今は橋桁が崩落しかねない危険な状態。

 なんとかして、マサイ族のどんちゃん騒ぎを鎮める必要がある。

 そんなところに――。


「おめえさん、なにそんなに慌ててるだべか?」


 マサイ族の青年が文太郎に話しかけてきた。

 制帽のような帽子をかぶっているので、彼はバスを運転していたマサイ族だ。

 日本語を話すマサイ族がいたとはまさに青天の霹靂。

 一瞬、耳を疑ったものの、文太郎はこれ幸いとばかりにコンタクトを試みる。


「おまえ! 日本語が通じるのか!」

「んだ」

「でも、おまえマサイ族だろ! それなのに、『んだ』、とか、なんでそんなエキスパートな日本語使ってるんだ!」

「オラはこっちさ来て、もう十年になるだべさ。日本語ぐらいしゃべれて当然だっぺよ」


 アクセントにたどたどしさは一切見られない。

 それどころか、声だけ聞くと東北訛りのスペシャリストだ。


「それより、おまえらにケガはなかったのか!?」

「いんや~、ほんと、危ないところだったべさ。オラも居眠り運転するとは夢にも思わなかっただ。だけんど、居眠り運転しながら、ちゃっかり夢は見てただっぺよ。オラ、夢の中でライオンと戦ってただ」


 求める答えはそこではない。

 文太郎はもう一度問う。


「ライオンと戦う夢の話はいいとして……おまえらにケガはなかったのか……?」

「オラたちにケガはなかっただっぺよ。まさに奇跡だべな」


 それを聞いて文太郎はほっとした。

 なにせ丸太を放り投げたのは自分であり、直接的な事故原因は丸太なのだ。

 下手をすれば、国際問題に発展していたかもわからない。

 すると運転手の青年は、訊いてもいないことまでペラペラと話しはじめた。


「ここにはオラの家族と親戚が勢揃いしてるだっぺよ。誰か一人でもケガしてたらオラはもう切腹ものだべさ」

「そ、そうか……。みんな無事でよかったな……」


 そのみんなは、今なお垂直で飛び跳ね、お祭り騒ぎの真っ最中だ。

 早くそれを阻止したいところだが、運転手の一人語りは止まらない。


「今回の旅行は、オラが国からみんなを招待したんだべさ。旅行代は全部オラ持ちだけんど、そこはまったく心配ないだべさ。なんでかって言うと、オラは宝くじが当たったんだっぺよ。ほら、あのイオンの宝くじ売り場知ってるだべか? 当たりがよく出るので有名なとこだべさ」

「い、いや……イオンはいっぱいあるし……。日本って意外と広いし……」


 文太郎はぼそっとツッコんだが、軽くスルーされた。


「その宝くじ売り場で、何気なしにミニロトをひと口、クイックピックで買ったら、見事一等の一千万が当たったんだっぺよ。オラ、あまりの衝撃でリアルに心臓が止まりかけただ。クイックピックは機械がインチキして当たらないって噂があったけど、そんなことはなかったんだべな」

「す、すまんが……クイックピックの話はまた今度にしてくれないか……。てか、今それどころじゃないし……」


 そこも軽くスルーされた。


「そんで、一千万をなんに使おうか考えたんだけんど、やっぱり、父ちゃんと母ちゃんに親孝行したいべさ。親戚のみんなにもお世話になってるし、それなら全員まとめて日本へ招待しようと決めたんだっぺ。そんなこともあって、オラたちはこれから黒川温泉に行くところだっぺよ」


 黒川温泉。

 熊本阿蘇に位置するそこは、情緒あふれる湯宿がひしめく日本有数の温泉地。

 全国から癒やしを求め、たくさんの旅人が訪れる人気スポットである。

 マサイ族とて、黒川温泉をチョイスしたくなるのも当然だ。

 それについてはなんら問題はない。

 なんら問題はないのだが、今はそんなクソどうでもいい話をしている場合ではないのだ。

 さすがに文太郎も堪忍袋の緒が切れた。


「いいか! よく聞けマサオ! この橋は、もろもろの事情で崩落しかけている! そこへきてだな、おまえらがピョンピョン飛び跳ねるから、なおさら危険なことになってるんだぞ!」

「マサオって誰のことだっぺ?」


 マサオはきょとんと首をかたむける。


「おまえのことだ! マサオったらおまえしかいないだろ!」

「なしてオラがマサオなんだっぺ? オラにはちゃんとマサイ語の名前が――」

「黙れ小僧! この期に及んで名前の話までする気か! いま俺、言ったよな!? この橋が崩落しそうだって言ったよな!? ね!? 言ったよね!?」


 文太郎は怒濤の勢いの流れから、最後のほうは頼み込むようにして問い返した。

 するとマサオは、ようやく事の深刻さを理解したらしい。


「それは大変なことでねえか! もし橋が崩落したら、オラの一族が全滅だっぺよ!」

「そうだ! おまえの一族は全滅だ! そもそも高速道路でマサイジャンプするバカがとこにいる! 俺がおまえら一族を引率する学校の先生だとしたら、旅のしおりが注意事項だらけで広辞苑ぐらいの分厚さになってるぞ! わかったらさっさとなんとかしろ!」

「わかっただっぺ!」


 マサオは尻に火がついたように動いた。

 そして彼は一族に向けて呼びかける。

 もちろん、一族に日本語は通じない。


「父ちゃん、母ちゃん! じっちゃん、ばっちゃん! 親戚のみんな! 今すぐマサイジャンプさやめるだっぺ! このままじゃ橋が崩落しちまうだ! オラたち一族が全滅しちまうんだっぺよ!」


 ぶっちゃけ、文太郎には日本語にしか聞こえなかった。

 しかし、おそらくそれは空耳だ。

 マサオはマサイ語で呼びかけてくれたにちがいない。

 現に一族はマサイジャンプをビタッと中止し、ツクシのように身を細めて爪先立ちとなっている。

 その姿勢であれば、氷の張った水たまりの上にも立つことができるだろう。

 ひとまず集団ジャンプからの崩落は阻止した。

 残る問題は、高架橋にほかの車を進入させないことである。

 幸い、今のところ橋を通過しているのは普通車のみ。

 おまけに車の流れも少ない。

 それでもじゅうぶん崩落の危険があるのだが、大型車が通り過ぎれば一発で終わりだ。


「マサオ! 頼みがある!」

「なんだっぺ!」

「おまえら一族の力を貸してくれないか!」

「まさかライオンと戦えとでも言うだべか! だども、ここは九州だっぺよ! ライオンはおろか、ツキノワグマだって今は生息してないっていうべさ! 生息してるのはクマモンだけだっぺ!」


 マサオは熊本方向に指を突き付けた。

 

「そうじゃない! 俺のトラックに積んだ丸太を使って、橋の両側にバリケードを作ってほしいんだ! この橋にほかの車を通さないようにしてくれ!」

「そういうことだっぺか! ならみんなにそれを通訳するだ!」


 そしてマサオは一族に呼びかける。


「父ちゃん、母ちゃん! じっちゃん、ばっちゃん! 親戚のみんな! トラックに積んである丸太を使って、橋の両側にバリケードを作ってくれねえだか! マサイの戦士の誇りにかけて、この橋に車を通しちゃならねえだ! だからみんな、頼んだど!」


 マサオは的確な指示を飛ばすと、一族とともに橋の両側にバリケードを作りはじめた。

 文太郎にも意味が通じる的確な指示だ。

 もうこの際、そこはどうでもいい。

 どんな形であれ、一族に意味が伝わればそれでいい。

 ほどなくすると、橋の両側を塞ぐバリケードが完成した。

 さすがマサイの戦士。

 丸太の扱いは完璧だ。

 あとは、エリコと雅治の決着を見守るのみ。


「なかなかやるじゃない!」

「貴様もな!」


 そんな二人は、相も変わらずキンキンと剣を交え、三次元的な戦いを繰り広げていた。

 まるでスーパーボールが飛び跳ねるかのような、目にもとまらぬ素早い動きだ。

 剣技だけではない。

 両者が解き放つ、謎の炎や氷がぶつかり合い、あらゆる面でその実力は拮抗している。


「エリコ、頑張れ! そこだ! やっちまえ!」


 文太郎はトラックの陰から応援することしかできなかった。

 というか、謎の炎や氷がバンバン飛んでくるので、トラックの陰にいないと危ない。

 そんなとき――。

 エリコがさっと間合いを取り、コンクリートフェンスの上に飛び乗った。

 そして彼女は剣を突き上げこう叫ぶ。


「告げる! 天翔る白魔の古竜よ! 我が盟約と言の葉に従い、今ここに目覚めよ! 我が剣の力となりて、万古の雪獄で敵をなぎ払え!」


 そんな言詞とともに、エリコの遙か頭上に灰色の雲が広がった。

 その積乱雲にも似た巨大な雲は、周囲の気温を凍てつくほどに下げ、ダイヤモンドダストの光を辺り一面に振り撒いた。

 そして、その雲の中から現れたのは――。

 翼を広げたドラゴンである。

 体長はジャンボジェット機サイズ。

 鱗で覆われた体表からは、眩しいほどに白銀の光彩を放っている。

 アイスブルーの瞳はまるで感情がなく、それでいて荘厳な神々しさを宿していた。

 そんなドラゴンが、首を伸ばして地上を見下ろしているのだ。


「な、なんでドラゴンが見えるんだ……。俺の頭はどこまでヤバいことになってるんだ……」


 文太郎はぽっかりと口を開けて空を見上げた。

 ここまでくると、自分の頭はすでに手遅れかもわからない。


「すげー! あれドラゴンじゃねーのか!」

「日本ってドラゴンがいるんだな!」

「日本マジハンパねーよ!」

「マジハンパねー!」

「さすがアニメ大国だぜ!」


 マサイ族はそんな感じに聞こえる言葉で歓喜し、橋のたもとで飛び跳ねている。

 この旅に一族を招待したマサオは、エヘン、と胸を張ってやけに誇らしげだ。


「な、なに……異世界でもないのにドラゴンを召喚しただと……」


 雅治はその表情に狼狽した様子を色濃く浮かべ、じりじりと後ずさりをはじめた。

 そんな彼に狙いを定めるように、ドラゴンはその口を大きくひらいた。

 次の瞬間――。

 ドラゴンの口から吹雪を伴う暴風が吐き出された。

 それはまるで、ひと冬に発生するホワイトアウトをすべて凝縮したような、キャノン砲にも似た暴風雪である。

 その悪魔のブレスが雅治をピンポイントで直撃。

 彼は一瞬にしてカチンコチンに凍り付き、そのまま暴風に飛ばされて橋の下に落ちていく。

 それから間もなく、空に広がった雪雲が晴れ、ドラゴンはおぼろげにその姿を消失させた。

 文太郎もこの現状はまったく理解できないが、どうやらエリコが勝利したらしい。

 雅治の生死についてはあえて考えないようにした。

 考えてもキリがないことがあまりにも多すぎる。

 そんなとき――。


「うッ……」


 エリコがうめき声を漏らし、コンクリートフェンスの上から前のめりに倒れ込む。


「おい、エリコ! 大丈夫か!」


 文太郎は慌てて駆け寄り、彼女をお姫様抱っこで受け止めた。

 もし反対側に倒れていれば、橋の下に転落していたところだ。

 ひとまずエリコの容態を確かめる。

 ダメだ、完全に意識を失っている。

 息をしているのかわからないぐらい呼吸が弱々しく、肌も恐ろしいほど冷たかった。

 外傷はないので極度の疲労なのかもしれないが、素人目に見てもかなり危険な状況だ。

 文太郎は病院へ連れていこうと思い、エリコを助手席へ座らせた。

 そして自分も運転席に乗り込み、大急ぎでトラックを走らせる。

 だがここで、人生最大のピンチが訪れた。

 なんと、あろうことか、亀裂の入ったデッドゾーンの上を走ってしまったのだ。

 文太郎は恐る恐るサイドミラーで後方を目視した。

 すると案の定、フラグが成立している。

 トラックの後ろでは、ガラガラと音を立てて橋桁の崩落がはじまっていた。

 しかも崩れ方がとってもスリリング。

 橋桁の横幅いっぱいに、トラックを追いかけるようにして崩れ落ちている。

 当初の予想より被害が拡大し、橋全体が崩落しそうな勢いだ。


「や、やばい! これはマジでやばい!」


 文太郎はアクセルをベタ踏みしてトラックを最大限に加速させた。

 だがすでに後輪が崩落に巻き込まれている。

 トラックのフロントが上向き、リアが引きずり込まれているのだ。

 もう落ちる! というところでギリギリ橋桁に這い上がり、今度こそ本当に落ちる! というところで間一髪這い上がる。


 そんな心臓バックンバックンの曲芸を繰り返しながらも、文太郎は決して諦めなかった。

 ハンドルをグッと両手で握り締め、ただひたすらに向こう側を目指し続けた。

 文太郎が目指す向こう側、つまり、丸太のバリケードを境界線とした橋のたもとだ。

 そのバリケードの向こうでは、


「早くこっちに来い!」

「早くしないと死んじまうぞ!」

「もうちょっとだから頑張れ!」

「なんか宮崎アニメでこんなシーンあったぞ!」


 マサイ一族がそんな感じに聞こえるマサイ語を叫び、垂直ジャンプで手招いている。

 彼らのいる場所まで、残すところ三十メートル。

 だが後輪が崩落に巻き込まれているので、思うようにスピードが上がらない。

 ならば、スピードよりもパワーだ。

 パワーを優先して橋のたもとまで突っ走る。

 文太郎はアクセルを緩め、左足でクラッチをさっと踏み込んだ。

 それとほぼ同時。

 左手をインパネの下に移し、シフトレバーをカクンと一速に切り替える。

 あとはアクセル全開あるのみ。


「俺が死ぬのはかまわねえ! でもエリコだけは絶対に死なせねえ! 惚れた女を死なせてたまるかよ! 男気あふれるジェントルメン、菅原文太郎の名にかけて、俺は必ず向こう側まで辿り着く! いっけえええええええええええええええええええ!」


 それは世界に誇る日本車の性能か、はたまた魂の咆哮がもたらした奇跡か。

 トラックは尻に食らいついた崩落を置き去りにし、暴走列車の勢いで丸太のバリケードを突き破った。

 文太郎は人生最大のピンチを乗り切ったのだ。

 トラックが駆け抜けるその後ろでは、


「やったぞ!」

「とうとうやりやがった!」

「あいつこそ真のマサイの戦士だぜ!」

「あたしをお嫁にもらってー!」


 なんて感じに聞こえる歓声を上げ、マサイ族が踊り狂ったように飛び跳ねている。

 一族の力なくしてこの奇跡はなし得なかった。

 むろん、マサオの功績も忘れてはならない。

 彼の通訳があったからこそ、マサイ一族がこうして協力してくれたのだ。

 ただ、エリコは依然、意識を失っており、その顔は死人にように血の気が感じられなかった。


「エリコ! 頑張れ! 病院はもうすぐだからな! 絶対に死ぬんじゃないぞ!」


 文太郎は彼女の手を握り締めた。

 命の灯火が消えないように声をかけ続けた。

 道路標識には、『熊本15㎞』、と表示されていた。

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