第14話 異世界の追憶(その二)
エリコはまだ生きていた。
絶望の淵に立たされた自分が、なぜ生きているのか。
それは、怪鳥の群れに襲われる寸前、とっさの思いつきで秘策を打ったからだ。
その秘策とは――。
「カァカァ、カァカァ」
カラスの真似をすることである。
幸い、今日の装備は全身黒ずくめのローブ姿だ。
身を屈めて羽をバタつかせるポーズをとり、そこらに落ちている人骨をついばんだところ、怪鳥の襲撃はピタリとおさまった。
どうやら仲間と思われたらしい。
だからこうしてカラスのように鳴き、せっせと人骨をついばんでいる。
「カァ……カァ……」
しかし、あまりの間抜けぶりで、カラスのモノマネが無性に恥ずかしかった。
誰が見ているわけでもない。
死の瀬戸際で恥もクソもない。
それでも、知能指数が一桁台まで落ちた気がする。
しかも一番の問題は、この低レベルな行為に終わりが見えないということだ。
数千年も生き抜く怪鳥の寿命も終わりが見えない。
すなわち、自分が生きるためには、お迎えがくるまでカラスの役を演じる必要がある。
仮に食べ物を確保することができたとして、余命、おそらく八十年。
八十年もの間、アホみたいにカラスの演技を続けなければならないのだ。
まさに無間地獄。
これならいっそのこと、怪鳥に食い殺されたほうがマシかもわからない。
「カァ……」
エリコはそう思いつつ、落ちている人骨をせっせとついばんだ。
そんなとき――。
「ガァ!?」
「ガァ!?」
「ガァ!?」
「ガァ!?」
「ガァ!?」
枯れ木で羽を休める怪鳥らがビクンと反応を示し、その視線が一点へと注がれた。
その先にいるのは――。
なんと人間である。
頭からつま先まで、重厚な鉄鎧で身を固めた、大剣を背にした大柄な人間である。
数十メートル先、そちらから歩いてくるその者は、鉄兜で顔が隠れていた。
ゆえに人だと断言はできないが、姿形は人間そのものだ。
女性の体格とは思えないので、あの者は男性であると推測がつく。
怪鳥の群れはその者を敵と受け捉えたらしく、赤い目の攻撃色を向け、ガアガアと威嚇を開始した。
しかし鉄鎧の男は動じない。
まるでここは自分の庭だと言わんばかりに、どっしりと、ゆったりと、そんな足取りで歩いている。
「カアカア! カアカア!」
一応、エリコも威嚇しておく。
今はまだ、怪鳥のお仲間として様子を見守ったほうが賢明だ。
「ガア! ガア!」
「ガア! ガア!」
「ガア! ガア!」
「ガア! ガア!」
「ガア! ガア!」
お仲間は業を煮やしたか、鉄鎧の男に向かっていっせいに飛び立った。
四方八方から飛翔する何百という怪鳥の群れは、けたたましく鳴きながらクチバシを大きくひらき、口の中にエネルギー弾を蓄えていた。
それはバチバチと放電を伴う、稲妻を凝縮したかのような光の玉である。
おそらく、あの攻撃の一発が破局的レベル。
A級冒険者が束になってシールドを展開したとしても、たった一発の攻撃すら防ぎきることはできない。
エリコはそれを本能でひしひしと感じ取った。
次の瞬間――。
「グアァ!」
「グアァ!」
「グアァ!」
「グアァ!」
「グアァ!」
まるで発砲音のごとく鳴き声を奏で、怪鳥の群れが魔法攻撃を一律に解き放つ。
その無数の光弾は、軌道を一点に収束するようにして、鉄鎧の男を正確に狙い撃った。
もし彼が冒険者だとして、仮に悪党だったとしても、同じ側の人間を見殺しにしてしまうことになる。
できることなら助けてあげたいが、自分の実力ではそれが遠く及ばない。
というか、カラスのモノマネをするので手一杯なのだ。
エリコはそんな葛藤を覚えつつ、「カァ……」と、落胆の鳴き声をポツリと漏らした。
すると――。
「ムンッ!!」
鉄兜の下から吐き出される、気合いのようなひと声。
それとともに、彼は片腕を内から外へ振り、すべての光弾をいとも簡単にはね除けた。
矢継ぎ早――。
彼は肩越しから背にした大剣を抜き、頭の上からそれを一気に両手で振り下ろす。
そのひと太刀で周囲の空気が轟々と渦巻き、かつ、幾千ものかまいたちが発生。
怪鳥の群れは一羽残さず細切れとなり、ドス黒い血に染まった肉塊がボタボタと地面に落ちていく。
彼はさも当然のようにそれ見届けると、すっと大剣を背中にしまい込んだ。
その場に一羽だけ生き残ったカラスはエリコのみ。
カラスが豆鉄砲を食ったような顔をして、ローブの羽を広げて固まっている。
すると、鉄鎧の男がこちらへノシノシと歩み寄ってきた。
「バカヤロウ! そこでなにやってる!」
いきなり怒鳴られた。
男のかぶる鉄兜は、虚無僧のように小さな隙間がいくつか空いているだけだ。
ゆえに、その眼差しをうかがい知ることはできない。
しかし、彼の叱責を聞く限り、鬼の形相を浮かべているのは想像に難くない。
怒られる理由はよくわからないのだが、エリコは素直に謝ることにした。
「おじちゃん、ごめんなさい……」
見た目は十歳の少女だし、口調もそのように振る舞っている。
繰り返しになるが、エリコの精神年齢は三十一歳のおばさんだ。
「俺は謝れとは言ってない! そこでなにやってるのか訊いてるんだ!」
「カラスのモノマネです……」
「そんなの見ればわかる! アホみたいにカラスの鳴き声を上げて、せっせと人骨をついばんでいたんだからな!」
黒歴史はバッチリ目撃されていたらしい。
すると彼は立て続けに激を飛ばした。
「俺が訊きたいのは、十歳かそこらの少女のおまえが、どうしてこんな危険な場所にいるのかってことだ! おまえが今いる場所は、タリア迷宮の地下九十九階層なんだぞ!」
「地下五階層から落とし穴に落とされて……」
「じゃあなにか!? 地下五階層までは、自分の力で下りてきたっていうのか!?」
「うん……」
「嘘つくな! このタリア迷宮は地下一階層からSクラスの魔物が出没するんだぞ! キングデススパイダーやデビルジャイアントワーム、そんな魔物をおまえ一人で倒したとでも言うのか!」
「嘘ついてないよ……あたし一人で倒したんだもん……」
「バカヤロウ! おまえはいったい何者だ!」
このタイミングでのバカヤロウ。
そこは大いに解せないが、エリコは一応名前を教えることにした。
「エリコ……あたしの名前は、エリコ・リンデルトン……」
腕に覚えのある冒険者であれば、この名前を知らぬ者はいない。
各国、どこの冒険者ギルドでも一目置かれるし、自分はちょっとした有名人だ。
冒険者の間で噂される通り名は、『破滅のエリコ』
破滅というのは、戦闘能力を指してのことではない。
十歳で莫大な借金を背負ったことから、そんなおぞましい通り名で呼ばれている。
「エリコ・リンデルトンだと? そんな名前は知らん。俺の知ってるエリコは、楠田○里子だけだ」
「おじちゃん、今なんて言ったの?」
「な、なんでもない……」
男は少し気まずそうに言葉を濁した。
彼が知るというその誰かさんの名前。
エリコはそれがよく聞き取れなかったが、そこはさして重要な問題ではない。
ひとまず質問を続ける。
「じゃあ、破滅のエリコは?」
「知らん」
「おじちゃん、冒険者ギルドとか行ったことないの? あたし、けっこうパーティーに誘われるんだよ?」
「俺はタリア迷宮に潜ってかれこれ十年になる。だから外のことはまったくわからん」
「十年って……その間、一回も外に出たことないの?」
「そうだ」
これにはエリコも驚いた。
彼はこの迷宮で十年も生活を続けているのだ。
外界の事情がわかるはずもない。
エリコは心配になったのでちょっと訊いてみる。
「おじちゃんは引きこもりだから外に出るのが怖いの? でもね、社会と繋がりを持たないといつまでも一人ぼっちなんだよ? 最後は一人ぼっちで寂しく死んじゃうんだよ? だから勇気を出して外に出ようよ。十年のブランクがあったとしても大丈夫。冒険者ギルドには引きこもりの支援制度があるから、働き口はきっと見つかるよ? なんならあたしが冒険者ギルドにおじちゃんを紹介――イタッ!」
そこまで言いかけたところ、エリコの脳天にゲンコが落ちた。
男は鉄のガントレットを装備しているので、ハンマーで殴られたような激痛が走る。
「なにすんのよ! いきなり殴ることないでしょ! しかもあたしは十歳の少女よ! 十歳の少女! あんたそれわかってんの!」
フード越しに膨らんだ特大のタンコブ。
エリコはそこを両手で押さえ、ギャーギャーピーピー喚き散らした。
またまた繰り返しになるが、エリコの精神年齢は三十一歳のおばさんだ。
「どうやらまだお仕置きが足りんようだな」
男はひょいとエリコを脇に抱え、お尻をバシバシと叩きはじめた。
布団叩きどころのレベルではない。
一発一発が金属バットでフルスイングされたような破壊力だ。
「イタイ、イタイ! イタイってば! 本当にお尻が割れたらどうするのよ!」
「ほう、やけに元気じゃないか。さすがタリア迷宮に来るだけのことはある。ならもっと強く叩いても大丈夫だな」
「ダメダメダメ! それ以上はダメ! ダメって言ったらダメーーーッ! ハウッ!」
そしてエリコは素っ頓狂な声を漏らし、ビクン、とエビ反りの姿勢で気を失った。
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