第6話 ナイトとお姫様

 吉川ジャンクションから神戸ジャンクションまでの中国自動車道では、転生志願者が現れることはなかった。

 8・8㎞という短い区間なので、それが関係していたかもわからない。

 問題は、神戸ジャンクションから廿日市ジャンクションまでの、山陽自動車道である。

 そこは区間が310・3㎞もあり、気の抜けない運転が四時間ほど続くのだ。

 文太郎も綾部パーキングエリアでおじさんに訊いたので知っている。

 山陽自動車道は、トラック仲間の間でこう呼ばれているらしい。


『エターナルロード(永遠とわの道)』


 転生志願者がこれでもかと出現し、終わりのない道に感じるのだという。

 もう高速道路を下りて一般道を走りたくもなってくる。

 しかし、一般道は信号待ちの間に、トラックの下に潜り込む転生志願者もいると耳にした。

 信号待ちのたびにそんな確認などしていられない。

 ゆえに、文太郎は高速道路をひた走るしかなかった。


「文ちゃん大丈夫? 眠くない?」

「ああ、大丈夫だ。フェリーでたっぷり寝たからな。エリコは寝ててもいいんだぞ?」

「大丈夫。あたしも一緒に転生志願者を見張ってる」

「やけに頼もしいじゃないか」

「あたしをトラックに乗せて正解だったでしょ?」


 エリコはいたずらっぽく人差し指をピンと立てた。

 はじめはどうなるかと思ったが、ここにきて連帯感も出てきた。

 この調子でいけば、無事に山陽自動車道を乗り越えられるかもわからない。

 そして熊本に着くころには、


『あたし文ちゃんが大好き。文ちゃんとならこれからもずっと旅を続けたいな』

『なら、病めるときも健やかなるときも、死が二人を分かつまで、俺と一緒に旅を続けようか』

『うん』


 そんな甘いラブロマンスが待っている。

 もちろん今の妄想はラブホテルでのひとコマだ。


「ムフ」


 文太郎はムフっとチンポジを直し、気合いを入れて山陽自動車道にトラックを走らせた。

 この高速道路は片側二車線だし、時刻も夜の十一時を超えている。

 ゆえに車の流れは驚くほどスムーズだ。

 むしろ行く手を遮る車はほぼ皆無。

 大型トラックの制限速度は八十キロなのだが、走りやすくてついつい九十キロ近くまで出てしまう。

 ただ、大型トラックのリミッターは九十キロだ。

 ゆえに、それ以上スピードを出すことはできない。

 それでもストレスなく、トラックを風のようにビュンビュン走らせることができた。

 そんなとき――。


「文ちゃん! あそこに誰かいる!」


 エリコの警告音が甲走る。

 彼女が指し示す先、およそ百メートル前方。

 そこには、小さな人影のようなものが見えた。

 高速道路に設置された照明灯、その頼りのない光の中で、ぽっかりとそれが浮かび上がっている。

 その人影の正体とは――。

 なんと子どもである。

 それも小学校低学年ほどの女の子だ。

 走行車線の真ん中に突っ立ち、クラクションを鳴らしても逃げる挙動すら見せてはいなかった。

 女の子に対し、トラックはすでに五十メートルほど迫っている。

 九十キロ近いスピードが出ているので、一秒経過しただけでも何十メートルと進んでしまうのだ。

 とはいえ、急ハンドルを切れるような速度ではない。

 普通に減速したのでは間に合わない。

 ならば方法はたったひとつ。


「間に合ってくれ!」


 文太郎はブレーキペダルをめいっぱい踏み込み、急ブレーキを試みた。

 大型トラックで性急な操作はとても危険な行為だ。

 下手をすると荷台が左右のどちらかに振れ、車体が横転しかねない。

 これをスイング現象という。

 しかし、今は急ブレーキに頼るほかはなかった。

 すると、エアブレーキの圧縮空気がブシューと解放され、トラックはGを伴うほど急激に減速。


「うおッ!」

「きゃあッ!」


 文太郎とエリコは前のめりに倒れ込み、アスファルトから甲高いブレーキ音が鳴り響く。

 この速度での制動距離、つまり、ブレーキを踏んでから車が停止するまでの距離は、おそらく五十メートルでは足りない。

 それでも文太郎は、神に祈るような気持ちでブレーキペダルを踏み続けた。

 その願いは神に通じたか、トラックは女の子を眼前にして緩やかに停止。

 幸い、スイング現象を引き起こすこともなかった。


「なんとか間に合ったぞ……」

「あたしもうダメかと思った……」


 文太郎とエリコはともに冷や汗を拭い、これまた揃って、心臓が飛び出そうなぐらい大きなため息を吐いた。

 そんな二人の安堵も束の間――。


「危なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーいッ!!」


 そんな叫び声をあげながら、一人の少年が路肩の方から飛び出してきた。

 さらにその少年は、女の子を両手で突き飛ばすと、自らはトラックの前で仰向けに倒れ込む。

 よく見ると、それは小学校六年生ぐらいの男の子である。

 文太郎は今の状況がまるで理解できなかった。

 トラックが完全に停止したところ、少年が危ないと叫び、女の子をドーンと突き飛ばしたのだ。


「うわーーーーーーーーーーん!」


 突き飛ばされた女の子は、路面にペタンと膝をついて泣きじゃくっている。

 とりあえずここは高速道路、このままでは後続車との事故になりかねない。


「エリコ、女の子を救助してやってくれ」

「わ、わかった……」


 エリコは戸惑うような表情を浮かべ、助手席を降りて女の子のもとへ向かった。

 文太郎も運転席を降り、謎の行動を見せた男の子に問いかける。


「おい、坊主。おまえは今、なにをやったんだ?」

「あれ? 僕まだ生きてる? タイミング間違っちゃったみたい」


 少年は質問には答えず、ケロっとした様子で立ち上がった。

 頭は良さそうだが、見るからに生意気そうな顔をしている。

 しいて言うなら、勉強なんかしてないよ、と余裕をぶっこき、陰ではちゃっかりと勉強し、テストで一番を取るようなタイプだ。

 クラスにそういうふざけた奴が必ず一人いる。


「おい、坊主。ちゃんと答えろ。なんで女の子を突き飛ばした?」

「助けようと思っただけだよ?」

「トラックが止まってたのにか?」

「だから、タイミング間違っちゃったって言ってるじゃん。本当は僕、ここでトラックに轢かれて死ぬはずだったんだ」

「てことは、トラック転生か?」

「そうだよ。それ以外にトラックに轢かれる理由なんてないでしょ?」


 こんなチンコに毛も生えていないような少年でも、転生志願者の一人だった。

 文太郎は呆れるというより、日本の生んだ悪しき文化に末恐ろしさを感じた。

 しかし、まだ解せないことがある。


「おまえはさっき、女の子を突き飛ばしただろ。それがトラック転生となんの関係があるんだ?」

「おじさん、わかってないね。ちょっと勉強不足なんじゃない?」

「坊主、おじさんが本気で怒らないうちに、ちゃんと答えろ」


 少年はチッチッチと人差し指を振る。

 文太郎はボキボキと拳を握り締めた。

 場合によっては殴り合いも辞さない覚悟だ。


「なら教えてあげるよ。トラック転生ってのはね、誰かを助けてトラックに轢かれて死ぬと、転生率が大幅にアップするんだ。もし異世界に転生できなかったら無駄死にしちゃうでしょ? だから僕は最善の策を尽くしたまでだよ」


 それを聞いて文太郎は思い出す。

 出発前にネットで調べた、『トラック転生指南書』というサイト。

 そのサイトでも、少年が先述した内容と同じことが指南されていた。

 とはいえ、トラックに轢かれそうな人がそう都合よくいるわけがない。

 それなのにこの少年は、そんなミラクルなシチュエーションに居合わせたのだ。

 勉強不足の文太郎でもさすがにピンときた。


「おまえ、仕組んだな? 女の子を立たせたのは、おまえの仕業だろ」

「そのとおり。僕はトラック転生におけるベストな局面を偽装したんだ。僕の妹を使ってね」

「い、妹だと……」


 これには文太郎も開いた口が塞がらない。

 あの女の子は少年の妹だったのだ。

 絶対的権力を持つ兄に、逆らうことができなかったのだろう。

 だから高速道路のど真ん中に立たされていたのだ。

 いくらそれがシナリオだとしても、一歩間違えば女の子がトラックに轢かれて死んでいた。

 大切な家族の命、それを物同然として扱う少年に、文太郎はかつてないほどの怒りを覚えた。

 こうなってはガチのタイマン勝負もやむなし。

 小学生ならまず負けることはない。

 もちろん文太郎は三十五歳のおっさんだ。

 そこへ――。


「うわーーーーん! お兄ちゃんは悪くないだもん! うわーーーーん!」


 エリコの救助により路肩に避難していた女の子。

 その子がワンワン泣きながら少年にしがみつき、試合のゴングに待ったをかけた。


「お兄ちゃんは立ってるだけでいいって言ってたもん! 絶対に危なくないって言ってたもん! だからお兄ちゃんは悪くないんだもん! うわーーーーーーーーん!」


 おそらくこの女の子は、トラック転生についてなにも知らない。

 兄が企てた偽装工作はもちろんのこと、兄が死ぬ結末さえ頭になかったはずだ。

 壊れた水道のように泣きながら兄をかばう、その無垢な心がなによりの証し。

 少年は妹から慕われている。

 それを見て文太郎は、小学生相手に握った拳をすっと引っ込めた。


「おい坊主。おまえは異世界とやらでなにをしたかったんだ?」


 こうまでして少年を駆り立てる動機。

 文太郎はそれを知りたかった。

 もとより、剣と魔法の世界が存在しているなど信じてはいない。


「騎士団に入隊して、魔王軍の脅威からお姫様を守ろうと思ったんだ……。なんかそれってかっこいいし……」


 少年は気まずそうに理由を述べた。

 妹の献身的な姿を見て、少しは胸を痛めたのだろう。


「おまえが守るべきお姫様はここにいるんじゃないのか? 世界でたった一人の大切なお姫様がな。だから騎士ナイトになって守ってやれ。お姫様もそれを望んでるだろうよ」


 文太郎は少年から女の子へ視線を移した。

 女の子の情緒はいくらか治まり、ひっく、ひっく、と小さな嗚咽を漏らしている。


「ミチル、ごめんな。もう心配ないから泣かなくていいんだよ」


 少年はミチルという妹の手を優しく握った。

 彼の眼差しに映るのは、労りであり慈しみの気持ち。

 まさにナイトの称号がその瞳に宿っていた。


「あの気持ち悪いおじちゃん、もうお兄ちゃんをイジメたりしない……?」


 その指を差す方向に文太郎がいる。


「ああ、大丈夫だよ。ならミチル、そろそろ家に帰ろうか」

「うん!」


 ミチルはパッと笑顔を取り戻し、少年はそんな妹の手を引いてその場をあとにする。

 彼はもう過ちを繰り返すことはない。

 守るべき大切なお姫様がそこにいるのだから。

 文太郎は兄妹の後ろ姿を目に、心からそう確信することができた。

 ただ、気持ち悪いおじちゃんと言われ、心はそれなりに傷ついた。

 そんなところに――。


「文ちゃん、かっこよかったね。あたしは文ちゃんがナイトに見えた」


 路肩で状況を見守っていたエリコ。

 彼女はパチリとウインクし、剣を突き出すように腕を前に伸ばした。

 文太郎はなんだか、そこに本物の洋剣が見えたような気がした。

 それだけエリコのセリフとたたずまいがバシっと決まっている。

 こんな女と結婚できたら飲みにも行かず即帰宅。

 玄関開けたら二分でセックスだ。

 だが今の文太郎は、敬神、忠誠、武勇、礼節、名誉、それらを重んじる誉れ高きナイト。

 間違ってもセックスの『セ』の字すら口にすることは許されない。


「お姫様、さあ参りましょうか」


 文太郎はエリコを助手席にエスコート。

 そして、ムフフな結婚生活を想像しながらトラックを走らせた。

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