第2話 下心と大海原

 取引先の木材会社で丸太を積み込んだのち、文太郎は小樽港のフェリーターミナル駐車場にいた。

 現在の時刻は二十一時ちょっと前。

 発船は二十三時三十分なので、一時間前には乗船手続きに向かおうと思っている。

 向かう先は京都の舞鶴港、着船は翌日の二十時四十五分だ。

 ほぼ丸一日をフェリーの中で過ごすことになるが、こればかりはしかたがない。

 下船したあとは高速道路を夜通し走り、最終目的地の熊本を目指すことになる。

 ちなみにトラックは十トンの大型車で、荷台にはシラカバの丸太を裸で積み上げている。

 スタンション(鉄の棒の支え)を使い、丸太の落下を防止している状態だ。

 なんとも凶暴で荒々しい外観だけに、後ろから煽られることはまずないだろう。

 ただ注意しなければいけないのは、転生志願者たちである。

 彼らはいつどこから飛び込んでくるかわからないので、運転には一ミリたりとも気を抜けないのだ。

 幸い、小樽までの道のりでは、それらしい輩に遭遇することはなかった。

 日が明るいうちに移動したのが功を奏したのかもわからない。

 そんなところに――。


「ねえ、ちょっと」


 運転席側の車体をノックし、話しかけてくる者がいた。

 大型トラックなので相手の姿は見えない。

 だが窓を開けて涼んでいたので、声色から性別を察することができた。

 若い女の声だ。


「お嬢ちゃん、なんか俺に用でもあるのかい?」


 文太郎は窓の下にすっと視線を落とし、大人の余裕を声にそう答えた。

 本来であれば、首が折れそうな勢いで相手の容姿を確かめるところだ。

 しかし、男気あふれる文太郎はつねにジェントルメンを心がけている。


「ねえ、おじさん、フェリーに乗るの?」


 こちらを見上げているのは、二十歳ぐらいの女の子だ。

 髪型は自然体のポニーテール。

 切れ長の瞳が印象的で、顔立ちはやけに整っている。

 おまけにおっぱいもでかい。

 胸元から張り出すそれは、まるで夕張メロンのように熟れていた。

 服装は、無地の白いTシャツにジーンズ、それとスニーカー。

 しゃれっ気のない格好でも美人が着ると様になっている。

 文太郎も白いTシャツとジーンズで同窓会に参加したことがあるが、吉○栄作とバカにされた。

 そこはどうでもいい。

 とりあえず彼女の質問に答えることにする。


「俺は今からフェリーに乗るところだ。この丸太を積んだトラックと一緒にな。それがどうかしたのか?」

「なら、トラックを動かさないほうがいいわね」

「どうしてだ? それじゃフェリーに乗れないじゃないか」

「だって、あそこで人が寝てるのよ? このままトラックを走らせたら、あの人は確実に死ぬと思うけど」


 すると彼女はリアタイヤの方に指を差した。

 そこにはダブルタイヤが二軸で直列し、計八つのリアタイヤが付いている。

 タイヤのサイズは22・5インチだ。


「お嬢ちゃん、バカ言うな。そんなところで人が寝てたら、そいつはペッタンコの人間煎餅になっちまうだろ」

「だからあたしは忠告してるんだけど」

「いくら酔っ払いのオヤジでも、そんな危険な場所で寝ようとは思わ――ハッ!!」


 文太郎は話の途中で重大な問題に気づき、大慌てでトラックを降りた。

 そして荷台後方へ駆け寄り、リアタイヤの場所を覗き込む。

 すると――。

 いた。

 本当にそこで人が寝ていた。

 直列した右リアタイヤの真ん前で、タイヤに頭から轢かれる形で仰向けとなっている。

 落ち武者のようにハゲ散らかしたデブだ。

 その三十歳ぐらいの男は、メガネ越しに目を閉じ、Tシャツの胸元で両手を組んでいた。

 安らかに眠りにつくような寝姿だけに、死を覚悟しているのだろう。

 それが意味することは――。

 トラック転生である。

 文太郎は一応それを確かめることにした。

 もしかしたら彼は信仰深いクリスチャンで、世界平和について祈りを捧げているだけかもわからない。


「おい、そこのハゲ散らかしたデブ、そんな場所でなにやってる?」

「ハゲ散らかしたデブって、もしかしてボクのことかお?」


 男は目をひらくと、悪びれた様子もなく問い返す。

 一般社会では通用しないであろう、特徴的な話し言葉だ。


「今ここに、ハゲ散らかしたデブはおまえしかいないだろ。つーか、そこでなにしてるかって訊いてるんだ」

「トラックに轢かれて死のうとしてるんだお」

「トラック転生ってやつか?」

「そうだお。剣と魔法の世界に転生するんだお。チートでオレTUEEEするんだお」


 やはりトラック転生だった。

 この男はトラックの運転手のことも考えてはいない。

 自分のエゴのためだけに死のうとしているのだ。

 文太郎は激しい憤りに打ち震え、鬼の形相で男を睨みつけた。


「そんなに死にたきゃ、肥溜めに頭からダイブして入水自殺しろ!」

「そ、そんなに怒ることないんだおーーーーーーーーッ!」


 文太郎が怒鳴ると男は泡を食ったように逃げていく。

 危ないところだった。

 彼女の忠告がなければ完全にあの男を轢いていた。

 停車しているトラックにも、こうして転生志願者の魔の手が潜んでいたのだ。

 文太郎はほっと胸を撫で下ろし、礼を述べるため彼女の方へ歩み寄る。


「お嬢ちゃん、ありがとな。お嬢ちゃんが忠告してくれて助かったぞ」

「お嬢ちゃんじゃない」

「ん? もしかしてそこまで若くなかったか?」

「そうじゃなくて、あたしの名前はエリコ。だから、お嬢ちゃんなんて呼び方はやめてよね。それに、お嬢ちゃんて呼んでいいのは、あたしにとって特別な人だけよ」


 エリコという女性はツンケンしてそう答えた。

 特別な人だけ、という意味はよくわからないが、どうやら気分を害したらしい。


「馴れ馴れしく呼んで悪かったな。まあ、そう怒るな」

「それよりおじさん、お願いがあるんだけど」


 エリコは腕を組んでぶっきらぼうに申し出る。

 おそらく金のことだ。

 彼女は謝礼を求めているのだ。


 ったく……金にがめつい女だな……。


 文太郎はそう思ったが、作業着のポケットから財布を取り出した。

 人を轢かずに済んだのだし、謝礼を渡すことじたいに不服はない。

 文太郎は「ほらよ」と、気前よく一万円を差し出した。

 すると彼女は、それをさっと手ではね除ける。


「そんなはした金なんかいらないわよ」

「じゃあ、いくらほしいんだ?」

「てか、今のあたしにはお金なんて必要ないし、お願いしたいのは別なこと」

「はっきり言ってくれ。俺にできることならなんでもするぞ?」

「それならお願いするわ。あたしをおじさんのトラックに乗せて」


 どうやらヒッチハイクの申し出であったらしい。

 どこまで行きたいのかは知らないが、トラックはフェリーで舞鶴へ向かう。

 それだけに文太郎も安請け合いはできなかった。


「でもな、俺はこれからフェリーに乗って舞鶴に行くんだぞ?」

「べつにかまわないわよ」

「そこから先は熊本までトラックを走らせるんだ。仕事だからあんまり寄り道はできんし、ほかをあたったほうがいいんじゃないのか?」

「それでもいいから乗せて」

「行き先も決めないでヒッチハイクするつもりか? いくらなんでもそんなおかしな奴をトラックに乗せるわけには――」

「熊本」


 エリコは遮るようにスパッと言葉を切り出した。

 そして彼女は憮然としたように腕を組み、胸を突き出してこう問うた。


「あたしが行きたいのは熊本よ。どうなの? 乗せてくれるの? くれないの?」


 なんと、偶然にも行き先が重なった。

 しかも美人でおっぱいが大きくて、肌のピチピチした女の子だ。

 二人っきりの道中で仲が深まり、熊本到着と同時にプロポーズでリアルにゴールイン。

 そんなラブロマンスも夢ではない。

 となれば答えはひとつだ。


「よしエリコ。トラックに乗せてやる。ムフ」


 文太郎は小鼻をムフっと膨らませた。

 なにを隠そう、別なところもピクンと膨らんでいる。

 

「おじさん、今、ムフってにやけなかった? もしかして、変なこと考えてるんじゃないの?」

「バ、バカ言うな……。ちょっと鼻にハエが入って、なんだかムズムズしただけだ……」


 文太郎はしどろもどろにごまかした。

 股間のムズムズまでバレると、リアルにお巡りさんが飛んでくる。

 

「なんかおじさん、すっごく怪しいんだけど」

「よ、世の中悪い人ばっかりじゃないんだぞ……。俺はあくまでも善意でだな……」

「わかったわよ。なら乗せてもらうわよ」


 やや疑いの眼差しがあるものの、エリコは助手席に乗り込んだ。

 文太郎も運転席に乗り込むと、つい嬉しくてパッと顔がほころんだ。


「よしエリコ! それなら出発だ!」

「おじさん、やけに元気になったわね。ますます怪しいんだけど」

「怪しくない、怪しくない! おじさんは全然怪しくない! それと、俺のことは文ちゃんって呼んでくれよな!」


 文太郎はターミナルの受付に向かい、エリコのチケットも自腹で済ます。

 そして、トラックはフェリーに乗船し、愛と夢が広がる大海原へと旅立った。

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