彼女の最後の傑作

ゆうすけ

おまえに言っておきたいことがある


 昔の話を聞いてくれるか?

 俺が昔まだ若かったころ、好きな女がいたんだ。

 ――― そうか。人には話したことないけど、そんなに分かりやすかったか。

 

 まあ、いい。


 彼女が海外に行く直前にこう言ったんだ。


「帰ってきたら、二人でどっか行かない?」

「どこに行きたい?」

「今は海に行きたいけど……」

「3年経ったら心変わりしてるかもしれないってか」

「心変わりしてるのはキミじゃない?」


 そう言って微笑んだ彼女は美しかったよ。

 

 3年後、俺たちは約束どおり海に行ったんだ。季節は秋。俺たちは夏の喧騒が消えた静かな砂浜を歩いた。秋風に揺れる白いワンピース。麦わら帽を手に持つ彼女。足跡がどこまでも並んで続いていた。


「新しい靴なんて履いてくるんじゃなかったわ」


 そう言って彼女はミュールに入り込んだ浜砂をしきりに気にしていたよ。


「ミュール履いてくるのが間違いなんだよ」

「キミも言うようになったね」

「俺たち、これからどうする?」

「それは晩ご飯の話? それとも ……、もっと先の話?」

「それは、おまえ次第、かな」

「その言い方はずるいよね」


 そう。俺はずるかった。海外での3年間で彼女は成功を収めていた。俺はただのサラリーマン。つり合いなんて取れるわけない。


 俺はここで身を引くべきだった。ここが身を引く最後のチャンスだった。俺がここで身を引いていれば、彼女は今でも傑作を世に出し続けているはずだったんだ。


 その後、俺たちは結婚した。彼女は子供が生まれて引退したよ。あり余る才能を惜しまれながらね。

 

 でも俺は知っている。彼女が復帰に向けて無理な努力を重ねていたことを。


 彼女は世を去ってしまった。

 

 早すぎるよ。

 早すぎたよ。

 俺は泣くしかなかった。


 俺と一緒になったがために好きなことをやり切れずに、するべきではない苦労をして去った彼女に申し訳ないんだ。


 この海の見えるお墓に来るたびに、彼女の無念が俺を責めてる気がするんだ。


 おまえもな、決して無理はするな。

 分かったか?

 それが海外に行かせる条件だ。



 え?彼女は無念とは思ってないって?

 なんでおまえにそんなことが分かるんだ!


 

 え?おまえ自身が彼女の残した最後の傑作だって?

 ――― ふふふ、おまえも言うようになったな。



 さすが俺の、俺たちの娘だ。



 わかった。

 行って来いよ、わが娘よ。

 ずっと応援している。

 きっと母さん彼女も応援してくれるさ。



 母さん彼女から受け継いだ才能を世の中に見せてやれ。

 だから行って来い。



 ただし、無理だけはするんじゃないぞ。

  


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彼女の最後の傑作 ゆうすけ @Hasahina214

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