南海平野線物語
北風 嵐
第1話 プロローグ
テレビなどを見ていると、ヨーロッパの街を優美に路面電車がゆっくりと走っている。大阪は街の景色の見えない地下鉄ばかりになってしまった。一部でいいから、市電や路面電車を残せなかったのだろうか…。街は便利さや、効率だけで成り立っていない。街には景観、風情というものも大切なのだ。
パリの地下鉄はメトロとよばれ、なにも全て地下を走っているわけではない。所どころで地表に顔を出し、エッフェル塔が絶好のポジションで眺められたりする。その車窓は観光客に人気が高いという。
大阪で云えば、通天閣が見える天王寺や、道頓堀、中之島あたりで顔を出してもいい。まー、日本の役人にそんな美的感覚を望むのは無理というものだが…。
高森健吾はそう思っている。健吾はその路面電車の運転手をしていた。今、大阪で唯一路面電車が走っているのは、阪堺電気軌道(親会社は南海)の阪堺線、上町線のみである。阪堺線は恵美須町~我孫子道間、上町線は天王寺~浜寺間を云う。両線は住吉大社のある住吉で合流する。
かつて、この支線で南大阪を優雅に走る南海平野線があったのをご存知だろうか。健吾はこの線の運転手を長年勤めてきた。息子もまたこの線の運転手であった。健吾の机の上には思い出の記念すべき写真が飾ってある。
1980年(昭和55年)11月27日最終運行日の『さよなら電車』を運行した時の写真である。この時は息子の健太が車掌*を務めた親子列車で、贈られた花束を抱え、電車の前で親子が並んだ写真であった。66年の歴史に幕を閉じる最終電車であった。そして、健吾もそれをもって38年の運転手生活を閉じたのである。
南海平野線は大阪の南部、浪速区、阿倍野区、東住吉区、平野区を走った。南海平野線は今池 -平野間5.9キロの路線であるが、平野線のみを走る列車の設定はなく、恵美須町 -今池 -平野間(恵美須町-今池間が阪堺線)と、天王寺駅前 -阿倍野 - 平野間(天王寺駅前 -阿倍野間が上町線)の2系統で運行されていた。
この電車の特徴は、一部併用軌道を走るが、ほとんどを専用軌道で走ったことである。2両のときもあったが、1両の南海カラーのグリーンの車両で家並をぬって走った。
健吾は平野線の終点、平野で生まれ育った。何処に行くにもこの線を使った。父に連れられて、映画に新世界に行くときも、天王寺動物園に連れて行って貰うときも、神戸や京都に行くときも天王寺まではこの線であった。
人生のほとんどを共にしたと云っても過言でない。専用軌道を走ると云っても路面電車の風体(低床車両)でゆっくりしたスピードで走り、沿線の生活を色濃く映した下町列車であった。思い出すことは色々とあった。
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