精神と肉体の強度は比例しない。~メンタルクソ雑魚戦士の珍道中~

 力が抜けて落ちていく手を取った。

 ベッドに横たわったまま息絶えた彼。その顔は青ざめ唇は青紫。掴んだ手のひらも熱はなく、蝋のように冷えていた。

 それっきり令嬢セレーナは悲しみに暮れ、涙を流す日々が続いた。

 心の空白が絶えず、思い出す度に辛くなる。

 もういなくなったことにすら耐えられずに、ただひたすら目を腫らす。

 窓から覗く月は何度上って、朝と共に消えたことだろうか。


 ついに彼女は家を出る。

 荷物をまとめて背負い、旅に出るのだ。

 心の傷はなかなか癒えない。だからせめて癒しを求めて美しいものを見て回ろうとしたのだ。


 最初にたどり着いたのは隣町だ。

 なんの変哲もない普通の場所だが、森の家に引きこもっていた彼女にとっては、新鮮だった。

 ふらふらと見て回っている内に、ふにゃっと誰かにぶつかる。

「ああ、申し訳ありません」

「いえいえ」

 とっさに謝る。

 相手は柔らかく答えた。

 その者は女だった。長い黒髪を背中に流し、影を背負ったような雰囲気で、しだれまつ毛の目は伏目がち。

 自分と似た気配を感じた。

「もしかしてあなた、旦那をなくしました?」

「ええ、分かるの?」

 顔を上げる。

 どうやら事実だったようだ。

「私も同じです。病で亡くしました」

「あら、それは」

 沈痛な面持ち。同情するような目付き。

「よろしければ一緒に話しませんか?」

 カフェに誘う。

「ええ、そうね」

 相手も答え、一緒に喫茶店へと向かい、話をした。

 夕方になって、別れた。

「今日はありがとう。おかげですっきりとしたわ」

「こちらこそ」

 挨拶を交わして別れる。


 宿に泊って、町を出た。

 森の中を通る。

 そこへうめき声が聞こえて、駆け寄る。

 木の幹に体を預けている青年。ボロボロの衣を纏っている。手にはナイフ。腹部に傷を負っている。致命傷ではなさそうだが、放っておくとまずい。出血死してしまう。

 セレーナは急いで手のひらをかざす。そこから聖なる光がこぼれ落ちる。

 傷はまたたく間にふさがった。

 ほどなくして男が目覚める。

「お前は……!」

「もう大丈夫。しばらく安静していれば、回復します」

 落ち着かせるように告げる。

 しかし相手は聞かない。

 すぐに立ち上がるなり、走っていく。

 しばらくは動かないほうがいいと思うのに。

 戸惑いながらも見送った。


 それから森を抜けて村へやってきた。

 そこはすでになにもなかった。

 ただ墓だけが建っている。

 残された者たちがポツポツと集まって、石碑を眺めては頬を濡らしていた。

 いったいなにがあったというのだろう。

「魔王め……! どれだけ我々から奪い取れば気が済むのだ……!」

 長老が石の壁に拳を打ち付ける。

 激しく当たりすぎて血が流れていった。

「ああ、哀れ哀れ。どうしてこんな」

 人々の嘆きの声が村に漂っていた。

 陰鬱な空気。

 死の気配が漂いつつある。

 事情は分かった。彼らの村は襲われたのだと。

 彼らにかけてやれることはなにもない。ただ、心にグサグサと刺さるものがあった。

 だが、それよりもまずはけが人の治療を。生き残ったのはいいものの倒れている者もいる。

 彼らの元へ寄ってまずは治療をしていく。

「なんなんだ、君は?」

 地べたに寝かされた彼らは大きな声を上げる。

 周囲の者も彼女に注目するも、セレーナは気にせず、手をかざす。

 彼女の聖なる光を受けた者はすぐに傷が癒えていった。

 皆は戸惑いながらも受け入れて、喜びあった。


 だが、そこへ小さな子が歩いていた。

「治療されていた」

 冷静な口調。

 子にしては珍しい落ち着いた雰囲気を醸し出している。

 その言い知れぬ雰囲気に、皆の顔色が変わった。

「俺、見たんだ。必死になって追い払った。倒したはずの相手だぞ」

 それはいったいなにをするのか。

 ただ一つ頭に浮かんだ。

 森で見た男は腹から血を流していた。大きな傷を負っていたのだ。あのまま放っておけば死ぬほどの。

「倒したはずだった。あいつさえ殺せていれば、この村が襲われることはなかったかもしれない」

 彼は糾弾するような目をしていた。

 たちまち背筋に戦慄が走る。

 セレーナはすっかり萎縮し、固まる。体が縮まって、凍えるような感覚がした。

「誰のせいだ? お前のせいか?」

 指差す。

 皆の視線がこちらを向く。

 凍てつく温度。鋭い目付き。敵意。

「治癒の魔法を使える奴なんざ、見ない」

「珍しいってレベルじゃないだろ」

「ああ、お前しかいない」

 睨みつける視線。

 目、目、目。

 怖くなった。

 そして少年は彼女に向かって石を投げる。

「消えろ!」

 精一杯の攻撃。

 反射的に避けた。

 そして男たちは武器を持って襲いかかる。

 走ってくる。

 たまらずセレーナも駆けた。

 ただひたすらに後ろも振り返らずに。


 どれほどの時間が経っただろう。

 走って走って、走り疲れた。

 ここは荒野。

 周りには誰もいない。人の気配すらない。

 一人ぼっち。

 こんな場所にやってくるだなんて。

 ああ、なんてことに。なんて間違いを犯したのだろう。

 まさか自分が人を助けたことがきっかけで、村が一つ滅ぶなんて。

 自責の念に駆られる。

 自分で自分を殺したくてたまらない。いなくなってしまえばいいとすら思った。

 後悔で心が埋め尽くされる。

 もうなにもかも否定したくて、なかったことにしたくてたまらなかった。

 その内、雨が降ってくる。その雨は心まで染み込んで、濡らすようだった。けれども、傷は癒せず、そればかりかより染み、傷むようだった。


「このような場所でなにをしているのかな?」

 声が降ってきた。

 顔を上げる。

 そこには戦士がいた。豪華な装い。立派な剣を携えた彼。

 ひと目で分かった。彼は勇者だと。

「あなたの身になにがあったのかは分からない。ただ顔を上げてほしい。悲しまないでほしい。私まで悲しくなってしまう」

 彼は穏やかな口調で伝えた。

「でも私は、私のせいで」

 セレーナは狼狽していた。

 自分の犯した罪は重い。それは決してなかったことにはならない。

「私が治癒した人が悪い人だったら、あなたは私を責めますか?」

 自分が余計な真似をしなければ、なにかが変わったかもしれない。なにもかも、穏やかなまま時が流れていたかもしれない。

 あの村も。あの村の人たちも。

 自分のせいだ。自分が悪い。

 黒い雲が心を覆い尽くす。

 焦燥と共に全てを吐き出していた。

「そうか、あなたは聖なる魔法が使えるのだな」

 彼はつぶやいた。合点がいったというような言い方だった。

「ならばこちらにとっても都合がいい。共に旅に出ないか?」

「え?」

 顔を上げる。

 うるんだ瞳で彼を見上げた。

「私は勇者として魔王を倒す旅をしている。聖なる加護を持つあなたなら、そのパートナーにふさわしい。どうかな? その力、使っても。そうであればこれから先、多くの人を救える」

 迷いのない目。

「ああ、あなたが気に病むことはない。あなたはあなたのできることをした。そのときそのときで正しい選択を取った。人を一人救えないのなら、多くの者を救うことはできない。悪人一人救えないのなら、善人も救えない。そんなものなのだ」

 別け隔てなく接する。

 それはたやすくできることではない。

 悪人に手を差し伸べるなどあってはならない。

 けれども彼女は知らなかったのだ。それが悪だと。救ってはならない人間だと。

 それでもセレーナの持つ善の心に間違いはない。だからこそ彼女は聖なる力を持っていた。

「ありがとう」

 ただ一つ、お礼の言葉を述べる。

 彼が言ってくれなければ立ち上がれなかった。

 このまま泥沼へと沈んでいくところだった。

 だからその誠意に応えるためにも自分は、それにふさわしい選択をしなければならない。

「私もあなたと共に参ります」

 迷いなく返事をした。


 旅は続く。

 セレーナは様々な戦いを経験した。

 最初は補助に徹していたが、次第に戦い方を覚えるようになり、魔の獣にも対抗ができるようになってきた。なにせ相手には聖なる力が有効なのだ。彼女の持つ力は最大の防御にして最大の攻撃。

 勇者が重宝するだけはあると自分で自分を褒め称えられるくらいだった。

 戦いの経験は積み重なる。自分ならやれる。心の底から実感が湧く。

 そしてついには剣に触れた。振るえば自分と一つになったような感覚がした。軽い。体も心もなにもかも。

 戦いの中に身を置くことは不安ではあった。いつ死ぬかも分からぬ身。だが、生きている。この星で息を吸い、躍動している。その感覚が妙に心地よかった。


 そしていよいよ魔王城へ。

 決戦の時。

 数多の敵を蹴散らしてついに帝王の元へやってくる。彼こそはこの地を闇に染めようとしている元凶だ。

「はははは」

 堂々と剣を振るう王。

 こちらもすぐに動く。

 相手がパワーを押し付けるのなら、こちらは素早さで勝負。

 攻撃を交わし、攻める。

 傷は最小限に止め、かする程度。

 それもすぐに癒してしまう。

 戦況はこちらの方が有利だった。


「ならばこれはどうだ」

 体に攻撃が通じずとも精神には通じる。

 男が発動させたのは精神を縛る攻撃。

 闇が視界に広がる。

 そしてセレーナの心へと届いた。

 怨嗟の声がする。皆、自分を責めている。闇の底から手を伸ばして、こっちへ来いといざなう。

 お前のせいだ。お前が殺した。お前が殺めた。

 分かっている。

 辛くてたまらなかった。

 自分のせいだなんて本当は分かっていた。

 だけど、違う。

 今の自分は後悔を背負って戦っている。けれどもそれを呑み込んで、背負って、今がある。

 だからこそ、その聖なる光は闇を切り払う。

「なに!?」

 王が驚愕を表に出す。

 彼女が聖なる剣を振るうと闇は霧散し、姿を消した。

 その隙に勇者が動く。

 一撃。

 魔王の絶叫。

 その肉体は滅び、倒れた。

 無事に撃破に成功したのだ。


 なにもかもが終わった。

 世界は平和になった。

 二人は祝福のパーティをしに城へ戻り、一夜を明かした。

 後日セレーナは平原を歩く。色とりどりの花が彩る穏やかな場所。清らかな空気。とても心地のよい空間だった。

「あなたに伝えたいことがある」

 彼は声をかけた。

 ドキドキと緊張を表に出して。

「私はあなたが好きだ。ぜひ、婚約を」

 対してセレーナは固まる。

 あっけにとられた様子で。

 まさか勇者が自分に想いを寄せていたなんて。

 少しだけ笑う。

 彼の好意は嬉しい。

 けれども、彼女は首を横に振った。

「申し訳ありません。私には想い人がいるのです」

「そうですか……」

 勇者は肩を垂らした。

「だが、いいのだ。あなたはあなた。それを貫いてほしい」

 そう言い残して彼はこの場を去っていく。

 セレーナは平原に残された。

 暖かな風が大地を抜けていく。

 風がゆらぐ。

 さらさらと。

 髪に振れながら彼方を向く。

 心に思い浮かぶはただ一人の大切な人。

 彼女は今でも彼を想っている。

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