盗賊と令嬢 連作

 普通は町の中に引きこもっているべきだというのは分かっている。町の外は結界がなく、魔物が多い。それに治安だって悪い。盗賊の類が活動しているし、いつ襲われてもおかしくはない。だけど、家の中に引きこもっているのだって、つまらない。採集くらいはしておきたい。せっかく薬草を見分けるスキルを手に入れたのに、使わないなんてもったいない。

 だから籠を手に野原に行き、採集を進める。時折、小動物が出てくるけれど、対処は可能。叶わなくても逃げれば大丈夫だ。

 ふー、そろそろいいだろう。

 額の汗を拭って、立ち上がる。

 ちょうど夕日が沈んでいる。夕焼け空を眺めながら、歩き出す。町のほうへと向かって。

 心にはちょっとした達成感で満ちていた。

 そのまま帰路につく。人気のない道を進む。夜道のように暗いが、大丈夫だろう。自分なら行ける。すぐに通ってしまえばいい。だけど、松明で照らされていない道は心細いし、少し怖い。魔物の類でもいいから、火の玉くらい出てきてくれないものだろうか。

 そんなことを考えていると、ふと誰かが近づいてくる。マントを身に着けた者だ。やや長めにセットした髪型で、目つきが鋭い。その見た目は洗練されていて、盗賊の類には見れなかった。

「ひょっとして、君か?」

「なにのこと?」

 よく分からなくて首をかしげる。

「このネックレス。君のだろ」

 彼は懐から首飾りを取り出した。キラキラとしたチェーンの先に、大粒のルビーが光っている。間違いなく、自分がいつかなくしたものだった。

「え? どうして分かったの?」

「イヤリングだ。きっとこれとセットなやつだと思ったから」

 尋ねるとさらりと答える。

「とにかくよかった。近場だと思って、このあたりを探していたんだ」

 彼はチェーンを差し出す。

 少女は黙って受け取った。

 それから彼は、黙って横切り、町のほうへと進んでいった。少女はしばりぼうとして突っ立ってしまった。だけど、すぐに正気に戻り、急かされるように、歩き出した。


 町に戻って、家の中に入る。

 レンガ造りの家は周りのものよりも大きく、内装も充実していた。シャンデリアの明かりに照らされた室内で、彼のことを考える。あの青年の正体はよく分からなかった。初対面だし、名前すら知らない。情報を伝える間もなく、彼は去ってしまった。それでも悪い人ではないと分かる。わざわざ首飾りを渡してくれた。本来なら質に出してもいいところを。だから、信頼できる。なにより、謎という神秘に包まれた彼のことをもっと知りたい。そんな感情が湧き出してきた。

 ディナーの最中も彼のことで頭がいっぱいで、全く集中できない。

「ねえ、ねえってば」

 上質なドレスを着た妹から何度も話しかけられる。

 その度に謝って、話の続きを聞く。

 それを何度か繰り返し、ようやく妹が切り出してきた。

「誰のことを考えてるの?」

「誰って?」

 どうして、誰なのか。

 自分が誰のことを考えているのか、妹には分かるのだろうか。

「あのね、道の途中で出会ったの。とてもかっこいい人だったわ」

 少女の語りに、妹は耳を傾ける。

 ややつり上がった目は宝石のように輝いている。好奇に満ちた視線の中で、少女は続きを話す。

「私がなくしたペンダント、川に落としてしまったんだろうなって諦めてたんだ。でも、彼が見つけてくれたみたいで、返してくれた」

 視線を上げながら、口を動かす。

 彼のことを考えていると気分が盛り上がる。胸の中に甘い思いが広がり、料理の味すらかき消してしまいそうだった。

 そんな少女を観察しつつ、妹はある情報を口に出す。

「ひょっとしてあの人なんじゃない?」

「あの人って、どの人」

「名はしれてないわ。でも、噂になってる。いろんな町に現れて、困っている人を助ける人。願えばきっと救われる。そんな噂すらあるの」

「そんな、神様みたいな」

 ますます彼に興味が惹かれる。

 もしも本当に神ならば、もう一度会って、確かめたい。その威光をこの目に見たい。そんな思いがこみ上げてくる。

 ガタッと立ち上がり、肘を曲げて、拳を握りしめた。

「こうしちゃいられないわ」

「って、待ってよ。もう夜よ。どこへ行く気?」

「ああ、そうだったわ」

 思い出したように席に着く。

 心はまだ浮ついている。そわそわとして、落ち着かない。でも、彼に会いに行くことを考えるとドキドキとして、気持ちが盛り上がった。

 こうして夜はふけっていく。


 彼は自分の町と同じ方へ歩いていった。行き先は同じだ。昨夜は宿に泊ったのではないだろうか。そう考え、町を歩く。街路樹に彩られた町並みは美しく、風が花の香りを運んでくる。石畳の上を歩けば、いい音が鳴る。とてもいい町だ。

 でも、彼が見つからないとなると、少し落ち込む。望めば望むほど、会いたいと思えば思うほど、彼が遠ざかっていくような気がした。偶然に身をまかせるしかないのだろうか。

 気分が沈み、うつむいたとき、どこからか女性が喚く声が聞こえてきた。

 ん? と顔を上げて、そちらへ歩き寄る。貴族ばかりが住まう市街地で、ドレス姿の婦人がなにやら甲高い声を上げている。彼女の姿を間近で見るのは初めてだが、どことなく顔色が悪く、老けて見えた。

「ああ、今頃あの子は魔物の巣の中よ。どうして、そばにいてあげられなかったのかしら。ついていってやれたらよかったのに」

 淑女とは思えぬ狼狽振り。

 周りの男たちは彼女をやんわりとなだめているが、全く聞いていない。一人ただ、思いのままに叫んでいる。

 ともあれ、事件の匂いだ。蜜におびき寄せられた虫のように、そちらへ迫る。

「あの、なにがあったのですか?」

 控えめに声をかける。

 すると婦人は振り返り、こちらを向いた。彼女の目は充血していて、ひどく痛々しい面持ちに見えた。

「あの子が、いなくなったのよ。昨夜から帰っていない。考えすぎっていうのでしょう? あなたも。私もそうであってほしかったわ。どうか杞憂であればいいのに。だけど、どうしてか、嫌な予感が消えませんの」

 胸に手を当てて、声を震わせる。

 彼女は本当に娘のことを思っている。そんなことを思った。

「分かりました。私がなんとかして見せます」

「本当にですか?」

 婦人が食いつく。

 希望に見開かれた目には、かすかに水の膜が張っていた。

「はい」

 はっきりと少女はうなずく。

 ただし、そのやり方は他人頼みではあるのだが。

 それでも、助けたいと思う心に嘘はない。

 だから彼女は動き出した。婦人に背を向けて、舗装された道を歩く。顔を上げる。その目はしっかりと前を向き、クリアな景色を映していた。


 それから真剣に青年のことを探しだした。

 宿の周りを嗅ぎ周り、道行く人に聞き込みをして回った。そうした堅実な調べの元で、二人は出会う。

 そこは広場の中心。古びたベンチが並び、噴水が吹き出した場所で、二人の男女は向き合う。

「あなたは困って人には手を差し伸べる人だと聞きました。あなたに頼みたいことがあります」

 彼女は真剣な顔をして、彼を見据える。

 青年も静かに相手の話に耳を傾ける。

 そして少女は語り出した。婦人の狼狽を、彼女の叫びの訳を。


「分かった。叶えよう」

 力強く、彼はうなずく。

「本当に? ああ、よかった」

 胸に両手を当てて、安堵の息を漏らす。

 自分のことではないのにも関わらず、勝手に安心している。

「相手は盗賊だな」

「え? 分かるの?」

 顔を上げ、彼の顔をまじまじと見つめる。

「ああ、近頃そういった被害が出ている」

 彼は確信を得たように口に出す。

 本当に合っているかはともかく、すごい。

 素直に感嘆する。

「大丈夫だ。盗賊団なら俺がなんとかする」

 そう告げ、彼は歩き出す。背を向け、遠ざかる。その姿をいつまでも見つめたまま、突っ立っていた。

 ややあって気づく。本来なら依頼を口実に彼に迫るつもりだったのに。せっかく会えた機会を逃してしまった。こうしてはいられない。すぐにでも追いかけなければならない。

 思うが早いか、少女は石畳を蹴った。


 盗賊の情報は彼女も知っていた。なんでも近くの森に居を構えているらしい。情報通の妹が言うのだから間違いはない。だけど、本当にいるのかどうかは行って見なければ分からない。

 一瞬の迷い。そんな危ない場所に首を突っ込むのはいかがなものか。本当はおとなしくしていなければならない。女の自分ではどうにもできないと。でも、彼ならばなんとかしてくれる。そんな確信があった。

 見に行くだけだ。それならば大丈夫。盗賊の姿を遠目に見たら身を隠せばよい。常日頃、魔物と追いかけっこをしている身。逃げ足には自信がある。

 よしと覚悟を決めて、町の外に出た。舗装された道から外れて、草むらで。さらに奥の平野を通っって、森へと入る。広葉樹に覆われた空間は爽やかな雰囲気で、心地よい。鳥のさえずりとグリーンの香り。足元からは土の湿り気も伝わってくる。頭上にはおいしそうな赤い木の実がちらつく。手を伸ばしたくなったところで、なにやら話し声が聞こえてきた。

「いったいどこで手に入れたんだ、あんな上玉」

「町だよ。あそこはいい。上等な女がたくさんいる」

「殺すなよ。あの女は生かしたままでないと、価値を失う」

 木々の影に複数の男たちが集まっている。皆、革の装備を身に着けている。足元は汚れていて見るからに怪しげな風貌。まさか彼らが盗賊だ。そしてまた、新たな獲物を探している。

「さあ、次だ」

「俺たちも早く捕まえてぇぜ」

 話を聞いているとゾワゾワとしていた。鼓動が加速し、緊張が走る。

「おい」

 そのとき不意に背後に気配が現れた。

「おもちゃが自分から現れるとは。よほど捕まえてほしかったらしいな」

 ざらついた声を聞いた。

 直後に首の裏に衝撃を感じ、頭が揺れた。体から力が抜けて、まぶたが下りる。

 彼女の視界は暗転した。


 気がつくと建物の中だった。

 照明の影響が琥珀色の光に包まれている。前方は開けていて、大きめのテーブルがある。周りにはたくさんの男の姿がある。顔立ちは違うが皆、強面の顔をしている。中には顔に傷を作っている者までおり、威圧感が増している。そしてどことなく酒の匂いが漂う。悪人が集まる酒場に足を踏み入れたような気分だ。

 ここはどこか。考えるまでもなく盗賊のアジトだ。少し様子を見るだけだったのに、アジトの中に入ってしまった。はからずもといったところだが、全く嬉しくないし、想定外だ。

「こいつか、色々と嗅ぎ回っていた女は」

 ボスと思しき男の声。

 彼は皆よりも豪華な装いをしていた。肌は褐色で、手首や首元には黄金の飾り。盗品だろう。瞳も宝石類と同じくギラギラと光っていた。目を合わせているだけで、萎縮してしまう。

 どうにかして脱出の手段を考えなければならない。気持ちが焦るのに、頭が回らない。ただ恐怖を抱いているだけではどうしようもないのに、畏れという感情に身を任せて、逃避をしたくなる。

「甘く見られたものだな。だが、逃さない」

 目の前の男は口角をつり上げる。

 また、ぞっとした感覚を背中に走った。

 そんなとき、押し殺したような、もしくは強引に抑えられたような高い声がした。遠く、壁の端のほう。よく見ると男たちの影が山のように集まっている。そこに注目して見ると、小さな影があった。少女だ。自分と同年代で、栗色の髪を床に垂らしている。身なりはずいぶんと汚れ、布は切り裂かれているが、それでも美貌だけは保っていた。

 令嬢だ。あの、行方知らずの彼女が前方にいる。理解した瞬間、稲妻のような感覚が背中をなでた。

「彼女を開放して!」

 弾かれたように叫び、ボスの顔を見上げた。

 すると彼は露骨に表情を歪めた。

「自分の身のことを考えろよ。ずいぶんと舐められたものだな」

 舐めていたことは認める。自分の危機だというのも分かる。だけど、同じく捕まって危ない目に遭おうとしている少女なら、目の前にいる。彼女を助けなければ。でも、どうやって。それは無謀な考えでしかなく、頭にはなんの策も浮かばない。

「おっと、取引しようとしても無駄だぜ。俺らはなにも聞く気はねぇ。女の数は多いほうがいいからな。それを手放す気にはなれねぇのさ」

 男は口角をつり上げる。

「どうせならお前から犯してやろうか」

 顔を近づける。

 少女は表情を固めた。

 悲鳴を上げたくなるのをこらえた。だけど、悲鳴を上げなければ、誰にもこの声は届かない。でも、自分を助けてくれる者はいるのだろうか。偶然、通りがかったとしても、見捨てて逃げ出すに決まっている。

 だけど、彼なら。あの彼なら、可能性はある。

 心の中で祈った。助けて。どうか、ここに着てと。

 そんな少女の叫びに答えるように、轟音が響いた。

 はっと顔を上げる。あたりに木の破片が散らばる。ちょうど、入口のあたりだ。扉を蹴破って、中に誰かがやってくる。革のブーツで床を踏み、抜身の剣を手に、男を見やる。

 それは、道端で出会い、町で再会して依頼をした者。彼女が求めていた青年、本人だった。


「誰だ、てめぇは?」

 顔を歪め、不機嫌そうな雰囲気になる。

 周りには部下たちが集まる。

 皆の視線はただ一人の青年に向かっている。

「答えるつもりはない。ただ、目的を果たしにきた」

 自己紹介はない。

 ただ彼は剣を構え、刃を突きつける。

「いいぜ、やってやろうじゃねぇか」

 ボスも剣を抜いた。床を踏みしめ、皆で揃って構える。

 そして、床を蹴り、腕を振り上げる。盗賊だちが襲いかかる。まるで波のよう。

 思わず声を上げそうになった。逃げてと、助けを求めておきながらなんたること。でも、彼には無事でいてほしかった。どうせなら自分のことだって見捨てても構わない。今すぐにでも飛び出していきたい。だが、その必要はなかった。

 次の瞬間、目の前で男たちが散る。血を流し、バタバタと倒れていく。

「なんだ、てめぇは?」

 ボスが困惑の声を出す。

 彼の周りで部下が散らばっている。皆、手傷すら与えぬまま、返り討ち。圧倒的な強さを前に、ボスは困惑の色を隠せない。

 対して、相手はなにも答える気はないらしい。

 刃についた血を払うと、元の銀色に戻った。その刃はさらに鋭い光を放つ。殺意すらある銀の色を前にしても、ボスは臆さない。ただ、不愉快だというように舌打ちをして、構いやしないとばかりに、踏み込む。

 おおおおおと、鬨の声を上げ、特攻する。腕を振り上げ、挑みかかる。

 そして両者は交錯する。

 それは一瞬のこと。呼吸すらできないほどの、張り詰めた空気。そのときは自身の生死のことすら頭から抜けていた。

 そして、ボスの体から血が吹き出す。彼はドサッと床に倒れ込む。その手のひらから剣が転がり落ちた。

 決着。青年の勝利だ。

 彼は静かに刃を収めると、こちらを向いた。

 少女はなにも言い出せない。ただ、固まったままでいる。

「年頃の娘には刺激が強かったか?」

 苦笑いをし、肩をすくめる。

「い、いいえ」

 慌てて彼女は否定する。

「むしろ、怒られるんじゃないかと」

 彼女はさらに続けた。

「ああ、それは褒められたものではなかったかもしれないね」

 彼は冷静に言葉をつむぐ。

 だが、糾弾しようとはしなかった。

「生きているのならそれでいい。次からは反省しておとなしくなるだろう。それに俺は個人には干渉しないたちだからな」

 淡々と言い、なめらかに視線を壁際へと向ける。

 そこには令嬢の姿があった。

 彼女はいまだにビクビクとしている。肉食獣に睨まれた小動物のように怯えている。だが、その目はしっかりと青年のことを見つめていた。

「立ち上がれるか?」

 声をかける。

 少女は何度もうなずいた。

 ただ、それしかできない。

 完全に怖がっている。それを察したのか、彼は黙って部屋を後にする。出口から外へ出る。その彼を追いかけ、少女も扉を抜けた。

「あの!」

 森の中で立ち尽くす青年の背中へ向かって、呼びかける。

「ああ、君か」

 振り返って、冷淡な声を出す。

「俺はもう行く。次からは深入りし過ぎないように気をつけるんだな」

 そう言い残して背を向ける。

 彼は歩き出す。

 その姿は森の向こうへと消えていった。


 少女は追いかけることができなかった。

 あの、深入りするなという言葉が、拒絶を意味しているような気がして。

 思えば最初からおかしかった。見ず知らずの相手に近づこうだなんて、彼の気持ちすら考えずに。隠したいことがあることすら分からなくて、ただ、個人の興味で迫ってしまった。

 そしてこんな危険な目に遭う。反省すべき事件だ。

 はぁとため息をつく。

 重たい影を背負ったような心持ち。

 だけど、なぜか気持ちはすっきりしている。

 彼のことは謎のままだ。神か人間か、その化身かすら分からない。ただ、青年のことはそれでよかったのだろう。謎は謎なまま、神秘的な彼が一番にかっこいい。口元を引き締め、うっすらと笑みを見上げながら、天を見上げる。広葉樹の葉の隙間からは木漏れ日が差し込んでいた。


 ***


 自分が悪人である自覚はあった。

 かつて盗賊だった男だ。上等な館に忍び込んでは金品の類を盗んで売った。人気のない夜道ではすれ違いざまに物をひったくる。別に、好き好んでやっていたわけではない。そうするしか生きられなかっただけだ。両親はいつの間にかいなくなっていた。捨てられたか、戦場へ行ったか。いずれにせよ真意を知ることはできない。

 俺はただ、生きるのに必死だった。だから、略奪行為も正当化できたのだろう。

 ただし、そんな日々も長くは続かなかった。たまたま忍び込んだ屋敷に強者がいた。そいつはとある令嬢の用心棒で、俺の姿を見るなり、剣を抜いて斬りかかってきた。腕を斬りつかれ、血が飛び散った。俺は盗みを諦めて屋敷から脱出した。窓を破って、外へ。裏に広がる森へと逃げ込んだ。さすがに中は鬱蒼としていて暗い。敵も追ってはこられまい。

 しかし、思いのほか深く斬りつけられたらしい。血が止まらない。服はあっという間に赤く、赤黒く変色した。手持ちの布で縛って止血をしたが、もう遅い。貧血で意識が朦朧としていた。視界が今の夜のように薄暗くなっていく。そんなとき、目の前に女神が現れたのだ。もっとも、こいつは比喩で相手は列記とした人間だった。俺はいつの間にか手当てを施され、看病をされていたらしい。

 それから俺たちは一緒に行動をした。生活力のない俺の代わりに彼女は料理をして、時には薬草の採取もして、薬を作ってくれた。代わりに俺は彼女を護る。一人でいるときよりは不便ではあったものの、雰囲気が華やいだ。

 彼女の目の前では盗人行為もできない。だからまっとうに冒険者としての道を歩むことになった。冒険者といってもダンジョンに連れ込むようなマネはできない。だから、偽ったのだ。ギルドに所属していると話して、ギルドの仕事のマネをする。要は依頼人の前に冒険者として現れて、依頼を遂行する。それを繰り返していた。

 人のために生きることは難しいが、やりがいがある。事をなせば感謝されるし、報酬ももらえる。彼女の顔は明るくなり、より積極的に動くようになった。しかし、その日々は終わりを迎える。

 彼女の前に使者が現れたのだ。黒服の男が複数の部下を連れて、俺たちの元にやってきた。その中心に立つ男が、俺に手傷を負わせた用心棒だった。そのとき悟った。俺が忍び込んだ屋敷にいた令嬢が、今となりにいる娘なのだと。一気に血の気が引いたのを覚えている。

 彼女は抵抗を見せたが、もう逃げられないと悟って、前に出た。俺は彼女に手を伸ばせなかった。行くなと言えなかった。結局のところ彼女はなんのために俺を助けたのか。手傷を負ったことを知っていたから? それなのに、どうして……? 疑問が募る。

 だけど、ここで別れてしまったから、問いは投げきれないまま。俺もあの令嬢とは離れて生きている。いまだに詳細は聞けずにいた。


 それから時間は流れた。

 俺は彼女と過ごした日々を忘れられずにいる。彼女がいなくなったことでできた空白を埋めるように、人助けを続けている。だけど積極的に報酬を受け取るようなマネはしない。

 食事なんかは木の実や狩りで代用する。時々、値打ちのある物が落ちていると、元の持ち主を探して返す。時にはお礼と称してなにかを貰えることがあるが、それを目当てには動かない。

 盗賊としての活動をしていたことで、隠密スキルが身についたし、実力もついた。皮肉にも今の俺ならどんなダンジョンでも生きて帰れるほどだと思う。それでも、せめて汚い仕事から手を引けたらよかったのに。それは早いほうがよかった。それなのに俺はいつまでもズブズブと盗みを犯し続けた。後悔が今頃になって押し寄せてくる。

 過去を振り返って振り返って、それでも、どうしようもないほどに悔いてしまう。それは無意味だと知っているのに。


 俺はまた町に来ていた。

 お礼がしたいとのことで招かれたのだ。そこは懐かしい大都市。煉瓦の建物が並ぶ通り。華やかな店が建ち並び、人通りも多い。そんな場所に俺なんかが着ていていいのだろうか。それになによりもここには見覚えがあった。

 そう、ここを知っている。俺が以前、盗みを働いた屋敷がある町だ。だから、どうにも気まずさがこみ上げる。彼女と会うかもしれない。そんなことを思うと緊張してきたし、逃げ出したい気持ちに駆られる。それでも俺はなんとか前に進んで、用事を済ませてきた。

 建物から外に出る。真っ青な空に丸い太陽が浮かんでいる。日差しはまぶしく、直視しなくても目がつぶれてしまうと錯覚するほどだ。下を向きつつ、足を動かす。早くこの街から出てしまいたかった。彼女と顔を合わせたくない。それでも彼女のことを想っている自分がいることに気づく。なぜだろう。こんなにも恐れているのに。どうして自分は焦がれてしまうのか。

 加速していく鼓動を抑える傍ら、冷たい汗が頬を流れた。


「久しぶりだな」

 そのとき、不意に声がかかる。

 顔を上げた。前を見る。ちょうどそこは屋敷のある通りだった。前方から一人の男が歩いてくる。黒服で引き締まった顔立ちをしている。忘れもしない、自身に傷を負わせ、令嬢を連れ去った男だ。

 本能が相手を敵だと認識している。視界に入れているだけで緊張感が増す。ピリピリとした空気があたりに張り詰めた。

「そう構えずともよい。俺はお前を捕らえる気はない」

 冷静に告げ、近づく。

「少し話がしたい。なに、数分の時間をいただくだけだ」

「今更なんの話だ?」

 眉をひそめ、問いかける。

「そうか、お前はあの娘のことが気にならんというのか。なんとも情の薄い」

「令嬢、セレーナのことか?」

 娘という単語に反応して、食いつく。

「ああ」

 男は静かにうなずく。

 それから一言。

「彼女はお前を最期まで案じていたぞ」

 聞いて、息を呑んだ。

 一陣の風が吹き抜け髪をさらった。

 最期、ああ、最期なのだ。

 それで全てを理解した。

「彼女は死んだよ。流行り病で」

 淡々と告げ、背を向ける。

 男は歩き出す。もう二度と会うことはないし、関わることもないのだろう。やつはただそれだけを言うために姿を現し、去ったのだ。

 俺は引き止めなかったし、追いかけもしなかった。ただ、その場でぼうぜんと突っ立ってしまう。

 ああ、そうだ。逃げていたのは自分だ。彼女は最期の最期まで自分を想っていてくれていたのに。それを証明する術は今はないけど、せめて俺もなにか彼女に返すべきだった。

 彼女がいるから今の自分がいる。彼女が自分を救ってくれたから、そのために誰かを救おうと思った。彼女のように誰かのために生きる者になりたいと、そう。

 それなのに、自分は彼女に会いに行く勇気がなかった。盗人だと分かっていたのに助けてくれた。そんな彼女に合わせる顔がない。冒険者だと嘘をつき、騙していた。よい人だと見せつけていた自分への引け目。

 全ては言い訳だ。屋敷に行けば会えた。彼女に事情を説明し、きちんと自分のことを伝えるべきだった。それで事がよい方向へ行くとは限らないし、自分もそれを望んでいたわけではない。

 ただ事実として自分は最後の機会を永遠に失った。もう二度と、彼女とは会えないし、交わることもない。それがただただむなしくて、鼻にツンとしたものがこみ上げてくる。

 俺はただ天を仰いだ。いつの間にか日が暮れている。空は紫紺の色に染まっている。彼女に似た尊い色。その色に手を伸ばす。されども指先はなにも触れない。触れることができない。

 ようやく分かった。この胸の空白が示している。自分は彼女を愛していた。


 昔から箱入りと呼ばれて舐められていた。お嬢様だと称されるのはいいのだが、弱いと思われるのは好きではない。周りからきちんと稽古はつけてもらっているし、剣術も学んだ。魔獣だって倒せる。だから今日も腰に短剣を挿して、街の外に出た。

 その結果がこの始末だ。

 盗賊に囲まれ、小屋の中に押し込められた。そこは酒の匂いと土の湿り気が漂う場所だった。汚れた空間は令嬢たるおのれには苦でしかない。早くここから脱出したい。だけど、恐い者たちに睨まれているから、なにもできない。

 誰か助けて。口の中でつぶやいた。

 それから扉が開いた。また、次の獲物が運び込まれる。ああ、彼女も自分と同じように食い散らかされるのだろうと予想がついた。普通に死ねたらラッキー。下手をすれば、死ぬよりもつらい目に遭う。女としての性を辱められ、蹂躙されたまま、捨てられる。自分が自分でいられなくなることを考えると、心が震えてたまらなかった。

 弱いと言っていた人たちを見返したかった。だけど、現実はこの始末。結局、自分は助けを待つだけのか弱い娘でしかなかった。痛いほど実感して、自分自身に絶望する。ああ、どうしてこうなのだろう。なにもかもが甘かったと今なら分かるのに、どうして皆叱りつけてくれなかったのか。悪いのは自分だと分かっているのに、他の人々を恨みたくなる。

 そんなとき、急に扉が蹴破られる。姿を現したのは精悍な顔立ちをした青年。自分の知らない顔。知らない人。だけど、その姿には安心感があった。そして彼はその腰に携えた剣を抜くと、盗賊を一気に薙ぎ払った。

 彼は血を浴びなかった。代わりに床は真っ赤に染まる。本当に殺してしまった。やるとは思ったし、心配はしなかった。彼は強い。だからこそ、不安に思う。もしも彼が盗賊よりも凶暴なものだったら。彼は自分を殺すだろう。そう思うと、助けられたことがよいこととは思えなくなってきた。自分は今、生きているのか、信じているのか。無事なのか、危機に陥っているのか。混沌とした脳内。混乱が心を包む。頭の中が真っ白になり、視界がチカチカを点滅した。

 気がつくと目の前に彼がいて、手を差し伸べてくる。だけど、彼女はなにもできなかった。ただ、怯えることしかできない。縮こまってしまった令嬢の姿を見て、青年はあっさりと引いた。

 去っていく、彼が。自分の目の前から消えてしまう。そのときになってようやく後悔の念が心をよぎる。彼は自分を助けてくれた。手を差し伸べてくれたのに、その手を払いのけるような真似をしてしまった。恐れてしまった。

 ああ、なんてことを。

 彼に救われておきながらどうして怯えることしかできなかったのか。それで相手を傷つけてしまってはどうしようもない。自責の念が心に降り積もる。心に切ない想いがこみ上げてきて、彼を追いかけるように小屋を出た。

 森の中を進む。道に出た。その舗装が行き届いていないざらついた足場に立ち、前を見据える。視線の先には青年がいた。きれいな顔をして、静かに剣を挿して立っている彼は、神秘的な空気を放っていた。

「送るよ。放っておいたらまた、連れ去られかねない」

 目を合わせて、確かに言った。

 また、と言われたことに若干、気が咎めた。やはり、自分は弱いのだ。そう思うと本当に情けなくなってきた。

 目をそらし、口をもごもごと動かす。

「お願いするわ」

 うつむきがちに、答える。

 二人の間を冷たい風が吹き抜けていった。

 それから彼女たちは歩き出す。街に無事にたどり着き、通りにやってくる。令嬢の隣に立っていても、青年の容姿は負けていなかった。強者特有のオーラのおかげだろうか。安物の服は清潔感があるためか、絹のように照り輝いている。太陽の光を浴びて顔色は明るく、整った髪型も相まって爽やかな印象を他者に与える。

 石畳の上を歩き続け、ある館の前で足を止める。

「ここでいいんだな」

「ええ」

 うなずき、前に出る。だけど、扉を押すことはできずに、振り返る。彼の目を見て、ためらいがちに声をかけた。

「あの、私……」

 うつむき、唇を閉ざす。

 これは自分のわがままだ。彼がそうしたいと願っているわけではない。それでも、それをしなければならない理由がある。ただで返すわけにはいかない。だから顔を上げて、しっかりと前を向き、口を開いた。

「お礼があるのです。私の屋敷であなたを招きます」

 はっきりと伝える。

 けれども、青年は無言だった。

 顔色は変わらず、表情も変えない。ただ唇を一文字に結んだまま、そこにいる。

「あなたをもてなします。テーブル席ではお料理を提供し」

「いらないよ」

 さらりと彼は口にした。

「俺、そういうのいらないんだ」

 彼は頑なだった。

 令嬢の頼みには従わない。彼女の想いに応えない。

 それは彼なりの拒絶のように聞こえた。その事実は思いのほか、激しく令嬢の胸を衝いた。

 青年は静かに背を向けた。令嬢は彼へ向かって手を伸ばす。だけど首を横に振って、腕を下ろす。

 乾いた風が髪をさらう。さらさらとした毛の先がなびいて、頬を叩いた。

 青年の姿が遠ざかっていく。足音すら立てずに、彼の背中は影となり、シルエットは豆粒のように小さくなった。彼よりもずっと高い建物の並ぶ通りの奥へ。そして、青年の姿は完全に見えなくなった。

 令嬢はいつまでも屋敷の前に立ち尽くしていた。今頃になって切ない気持ちが胸を締め付ける。これほどまでに想っているのに、彼に好意を寄せているのに、青年は振り返ってくれなかった。

 お礼ができないのならせめて、気持ちを伝えたかった。そう思ってしまうのはおのれのわがままなのだろうか。目を細め、口元を歪める。だけど、これがおのれの罪だというのなら受け入れるしかない。

 少女は眉を寄せ、ぎゅっと目を閉じた。

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