雨のやつ 実質ボツ やる気なし

 神立と呼ばれる町にはとある噂があった。

 天から降り注ぐ雨粒の中に一つだけ、宝石が混じっている。そのティアドロップを受け取った者は特別な力が手に入るのだと。

 雨宮清乃はそれを真に受けなかったが、以来少しだけ天に注目するようになった。

 ある日、雨宿りをしながら、グレーに染まった空を見上げていた。雨は嫌いではない。大地を潤し、心を癒やす。よほど激しく降らない限りは情緒があって、いいと感じる。それに雨は綺麗だ。透明感があって。

 そうしてぼんやりと雫に目を向けていると、キラリと光るものが混じっていることに気付く。

 おや? と首を傾けながら身を乗り出すと、ハッキリと目に入る。見間違いではなかった。そしてそれは目の前に降ってくる。おずおずと手を差し出して見ると、雫が手のひらに落ちた。水色に輝くティアドロップだった。

 手にとった瞬間体の奥底から強い力が溢れてくる。海のよな泉のような。それはとても澄んでいるが、あまりにも透明すぎて、目には見えないし、うまく感じることができない。

 そのとき後ろに禍々しい気配が出現。振り返るとそこには得体の知れないなにかがあった。黒い影。正体は誰も知らない。意思すら感じない。ただ本能のままに目の前の少女に襲いかかる。

 彼女は動かなかった。突然のことで頭がついていかない。なにをすればよいのか、どのような行動をすれば正解なのか、答えを見失う。金縛りにかかったかのように、体が動かない。目を見開いたまま、硬直している。脳だけは正常に機能し、目の前の景色をダイレクトに目に届ける。

 刹那、宝石が光を放った。そのまぶしい太陽のような光は影を白く塗りつぶし、かき消した。

 次に目を開けたとき、視界にはなにもなかった。ただ青い空が広がっているだけ。影は消えていた。

 あれはいったいなにだったのだろうか。意味が分からないし、ドキドキが止まらない。早鐘を打つ鼓動は平穏の終わりを意味しているかのようだった。そして空は早くも曇り始めている。

 その嫌な予感は的中。彼女は特別な力を得た。普通では見えないものが視界に飛び込むようになり、結果として戦いに巻き込まれるのだった。


 ***


「清乃、一緒に行こう」

「ああ、私はパス」

 同級生からの誘いを断って、一人で学食に向かう。

 コーヒーとサンドイッチを買って、屋上で食べる。

 やはり一人が心地よい。別段、人間不信というわけではないし、他者との関わりを拒絶しているわけでもない。ただ、一人のほうが楽なのだ。だから今日も一人で昼食を取る。

 サンドイッチを頬張りながら煤けた空を見上げる。煙がかっているように感じるのは気のせいだろうか。ここは田舎で空気も水もきれいだというのに。

「しかしもったいないよね」

 不意に誰かの言葉が頭をよぎる。

「あんた美人なんだから積極的になればいいのに。そうすればモテるわよ」

 名前も顔も忘れた誰か。もったいないというけれど、余計なお世話だと彼女は感じる。確かに自分の容姿は優れているという自覚がある。だが、それがどうしたというのか。セーラー服が似合う清楚な少女であっても、中身が気に入られなければなんの意味もない。実際に男子が噂をしていることもある。「A組のマドンナが云々」と。初めて聞いたときはわざと聞かせて、からかっているのではないかと思った。けれども、彼らは本気なのだ。本気でそのように思っている。

 別段、嫌いではないけれど、勘弁してほしい。目立ちたくはないし平和に生きていたかったのに。

 けれども実際に騒がしくされることはない。近づいてくる者もいない。全てが彼女が放つオーラのせいだ。全てを達観し、遠くを見ているような雰囲気。無表情であるため、感情が表に出ない。無機質かつ、メタリック。そこがまた近づきがたい空気に拍車をかけていた。

 一周回って静かな毎日。これはこれでありがとう。


 ともかく清乃は学校を終えて、帰路につく。その帰り道、不穏な影を見つけた。またかと足を止める。それは禍々しい気配を漂わせながら、徘徊している。特別、なにかを狙っているわけではない。ただ美味しそうだと感じるものに狙いを定めているらしい。

 正体は分からない。ただ特徴からして悪霊としか言いようがない。彼女が得ている知識ではそれくらいしか例えようがなかった。

 なにはともあれ、倒さなければならない。清乃は前に出る。そして手のひらを向けて、光を放つ。それを受けた敵は燃やされるように消えた。討伐は完了。

 そう、それこそが彼女の持つ力。悪霊のような何かを浄化するものだ。それを利用して、悪霊と戦い続ける。そんな日々が日常と化していた。


 生活に不満はない。特別な力を得てしまった以上は戦わなければならない。それがおのれの義務だ。そう、手に入れてしまった以上は自分も物事を遂行しなければならない。そう割り切っていた。

 ただ一つだけ気になることがある。

 力を手に入れてからというもの、不思議な夢を見る。それは自分が別の世界で戦っている記憶だ。現実で戦いすぎたのが反映しているだけなのだろうか。いや、それにしては妙な既視感がある。懐かしいような泣きたくなるような、不思議な感覚。

 その陰鬱な世界で戦って光と出会った。雲のようにふわふわとして頼りなくも、白い彼と。彼は自分と共に戦い、関係を深めあった。彼と一緒にいたからこそ、今の世界が手に入った。

 深い闇に呑み込まれる少女に手を伸ばした誰か。そして、その手を引き上げ、明るい場所に導いてくれた人。

 いったい誰なのだろう。何者なのだろうか。気になって仕方がない。

 一つ言えることがあるとすれば、その人のおかげで今の自分があるということ。

 だからお礼を言いたかった。感謝の気持ちを伝えたい。しかしながらそれは敵わない。今は彼の居場所を、正体すら掴めていないのだから。


 ***


 以降も悪霊を退治しながら日々を送る。

 今日も夕方になって悪霊との戦いを続けている。そんなとき、影が視界を横切った。それは別の者へと襲いかかっていた。思わず、そちらへ駆け出そうとした。けれども、その相手は平然とそこに突っ立っている。

 もっといえば剣を挿しているように見える。彼は刃を抜くや否や、影を真っ二つに切り裂いた。切り裂かれた闇はそのまま霧散し、あたりは静寂で満ちた。

 清乃はというと、ぼうぜんとそれを見届けてしまう。動けない。ただただ魅入っていた。彼の手並みの鮮やかさに。その戦闘の手慣れた具合に。

 ドキドキが止まらない。自分と同じ存在を目撃してしまったことに。

 そしてどうしたものかと留まる。声をかければよいのか、否か。

 だけど気がつくと彼の姿はなかった。あれはいったいなにだったのか。気になって追いかけた。道路を駆け抜け、気配を追いかける。なかなか相手の姿は見当たらない。けれども諦めずに虱潰しに探す。

 そして公園にやってきた。ついに相手を見つけた。彼はここへ逃げ込んだようだ。

 ともかく再会が出来た。喜々として声をかける。

「あの」

「しつけぇんだよ! お前はよぉ!」

 勢いよく相手が振り返る。カンカンに怒っていた。

「お前がなんなのかは知らねぇが、いい加減にしとけよ!」

「なによ。やっぱり逃げてたのね。それってやましいところがあるって話じゃない」

 適当なことを抜かす。実際はなぜ彼が自分を避けるのかを知らない。ただ、そうしたくなる事情は分かる。結局は自分も同じなのだと。普通の人間ではないからこそ、他者との接触を避けたがる。そんなものだ。

 ほどなくして青年は落ち着いたらしい。会話を許す程度には態度を和らげた。

 その折、ふと思い出したように清乃は口を開く。

「ところであなたって誰?」

 きょとんと首を傾けると彼はあきれたように肩をすくめた。

「正体も分からずに探ってたのかよ」

「そうよ。正体が分からないからこそ、気になったの!」

 拳を握りしめ、前に身を乗り出す。

「名乗ることもない。俺たちは他人だ。それでいいじゃねぇか」

 気怠げに彼は口にする。けれども彼女にはどうしても納得ができなかった。

「名前くらい教えてくれてもよくない?」

 意地になってせがむ。けれども彼は口を開かない。

 そうこうしている内に日は沈む切って、あたりには夕闇が満ちる。

「もう帰れ。門限があるだろ」

「そうさせてもらうわ」

 あっさりと清乃も引き下がる。彼のことは気になるが、今は家に帰らなければならない。そういう点は真面目なのだ。

 しかし、心残りがある。彼とせっかく出会えたのに、ここで離れたら、一生会えなくなるかもしれない。そんな恐怖感で心が波立った。けれども、もういいのだ。彼も自分と会わないほうがいいと思っている可能性はある。そんなものなのだ。

 自分たちは最初から会わなかった。この機会でなにが起きようと関係がない。そんな運命にある。

 諦めて前に進む。背を向けた。かくして清乃は家に戻るのだった。


 ***


 もう二度と会うことはないと思っていたけれど、実際は彼とは早くに再会した。

 彼は悪霊を積極的に倒して、消滅させている。それが自分の役割だと分かっているように淡々と、キビキビと動いている。その様を見ていると自分とは違うと認識させられる。けれども彼は剣を振るうだけで、異能を使う気配を見せない。対して少女は堂々と異能を振るう。普通の人の目には触れないことをいいことに。

 そうした中、彼は不思議そうに尋ねてくる。

「お前、いいのか。そんなにやらかして?」

「いいって、なにが?」

「その能力のことだ」

「別に大したことじゃないわ。それに、これがないと満足に戦えないし」

 素直に打ち明ける。自分が悪霊に有利と取れるのはティアドロップの力のおかげだ。これがなければ一方的に駆られるだけだ。武器を持っていないため、剣を振るうことはできない。だから魔法を使うような感覚でなんとかしているのだ。

 青年はふーんと彼女を一瞥。ようやくペンダントに目がいき、なるほどと納得の言葉を漏らした。

「ちょっと、勝手に自己解決しないでよ」

 わけが分かっていないのは清乃のみ。彼は彼女のことを知っている。今の彼女がどのような状態にあるのかを。

「お前はアレか。ティアドロップに選ばれたのか」

 宝石を指して口走る。

「偶然にもそいつを手に取った結果、力が手に入った。魔力も力も宝石のほうが負担して、お前にはなんの影響もない。俺らとして羨ましいがな。だが、そんな力、普通の人間にとっては強すぎる。さっさと誰かに渡せ」

「ちょっとなによ。勝手にペラペラと語らないでよ」

 不満げに言い返す。彼は色々と答えらしきものを口に出した気がするけれど、少女の頭には欠片も入っていなかった。

「その宝石、俺に渡して見る気はないか?」

「嫌よ」

 彼女はティアドロップを護るように触れながら、拒む。

 宝石だから誰にも渡したくないという感情と、自分が手に取ったのだから最後まで全うしたいという思いとがある。色々と言い訳を挟みはしたが、自分の考えは変わらない。このティアドロップは自分のものだ。

 そのように訴えかけると相手はあっさりと受け入れた。

「お前がいいならそれでいいよ」

 思いのほか、本当にあっさりと。諦めてしまった。

 その態度を意外に思いながらも任せてくれるのなら、それはそれで有りだと思う。

「その代わり、お前には協力してもらうぞ」

「なにが」

「なにって戦いだよ」

 当たり前のように彼は告げる。

「お前も討伐者の一員だ」

「討伐者」

 彼の放った言葉を反芻する。

「そう討伐者」

 彼も人真似をするように、もう一度つぶやいた。

「悪霊退治の専門家。天に遣わされた者たち。それが俺たち」

 淡々と彼は語る。その言葉がぐるぐると脳内を駆け巡っている。理解ができない。追いつかない。そんなものになった。なってしまった。その現実をどう飲み込めばいいものか。だけど特別な存在になれたのは事実であり、まあいいかと自己完結。

 かくして二人は別れて、帰路についた。

 ベッドに横になって今日の出来事を振り返る。彼と出会ってティアドロップのことや討伐者に関することを聞かされた。天に遣わされた戦士たち。天使とでもいうのだろうか。そんなものになったと聞かされて、人外に片足を踏み込んだかもしれないという、恐れを抱く。だけど、いまいち実感が沸かない。力を手に入れてもいままで通りの自分を貫いている。少し戦いに巻き込まれる程度で、いたって普通の自分である。なにも起こらない。起こりませんように。これ以上は、なにも。

 そんなことを心の底から祈っていた。

 それでも不思議と安心感があるのは彼と出会ったおかげだろう。彼は自分と同じ存在だ。つまり、一人ではない。彼と一緒にいればなんとかなる。そう、楽観していた。


 ***


 次の日、買い物に出かけるために隣町へ行こうとした。田舎であるため近所には商店くらいしかいない。ホームセンターに行くにはバスを使うしかないのだ。しかし、妙なことにバス停で待っていても、バスが来ない。

 頭上には雲が漂い、日を隠す。あたりが薄暗くなる中、不穏な空気も増していく。なにがあったのだろうか。嫌な予感がする。幸いにも隣町の境の地区だ。スーパーまでは遠いけれど、徒歩で行くだけ行ってみよう。清乃は歩き出した。

 三〇分後、彼女は足を止める。

「なにこれ……」

 ぼうぜんとつぶやく。目の前には闇が広がっていた。そこから先はなにもない。足を踏み出そうとしたけれど、一歩も進めなかった。見えない壁に弾かれたように。

 状況が掴めない。ただなにかが起きたことは明白だ。さらにもっと、厄介なことが起こる。それを証明するかのように天は紅く染まる。まるで血で染まった水面のように。ブルルと震えてくる。全身に鳥肌が立った。

 なにがなんだか分からないまま、嫌な予感だけが加速していく。そうした中、不意に嫌な気配が周囲を覆った。気がつくと敵に囲まれていた。どこもかしこも悪霊まみれ。それらが群れを成して襲いかかってくる。

 清乃はひとまず手のひらを広げて、全体へ向けた。放たれた浄化の光はあたりを殲滅。影は一つも残らず消え去った。ひとまずは安全かと思いきや、まだまだ敵の気配は消えない。気がつくとあたりに無数の影が出現していた。

「うそ。なにが起きてるの」

 慄きと共につぶやいた。本当になにが起きているのだろうか。これでは切りがない。いくら倒しても沸いてくるのではないか。ただただ目の前の状況に圧倒されて、身動きが取れずにいた。

 そこへ攻撃が飛来する。あ……と遅れてつぶやいた。なにかをしなければならない。対処しなければならない。分かっているのに体が動かない。ただ、なにかをしなければならないことだけは分かるため、手のひらをかざそうとした。

 直後に影は切り裂かれる。バラバラと砕けて、倒れた。その影から現れたのは青年だった。

「あなた……」

 彼のことを呼び掛ける。

「なにをしてるんだ。手こずるようなやつじゃないだろ」

 ぶっきらぼうにつぶやく。心配している様子ではなさそう。実際に手を出さなくても彼女なら生き残れた。ティアドロップがオートでやってくれるはずだと。それでも助けてくれた。その事実が少しばかり嬉しかった。

「こいつはまた厄介なことになったな。元凶を排除しない限り、町は元に戻らないぞ」

「元凶? あなたなにかを知ってるの?」

 尋ねる。

 自分では分からないことも彼ならば分かるかもしれない。そんな希望にすがるように。

 実際に青年はなにかを知っているかのような口ぶりで彼方を向いた。

「ああ、裏世界でなにかが起きてるんだ。そこで問題を解決しない限り、どうにもならない」

 決めつけたように言い切る。

 なにがなんだか分からないが、彼に従うしかなさそうだ。

「でも、裏世界っていったい? こことは別に世界でもあるの?」

 不思議に思って問いかける。彼は当然というように答える。

「俺たちが元はいた世界だ。あるに決まってるだろ」

「でも、いきなりそんな概念を突きつけられても」

「俺にとってはそこが自分の世界なんだがな。ティアドロップだってあそこから降ってきたものだろ?」

「そうなんだ」

 話に理解が追いつかないが今は受け入れるしかなさそうだ。

「お前はどうするんだ?」

 彼が視線をよこす。

「怖いのなら置いていく。裏の世界はお前が知っているよりも」

「行くわよ!」

 強気に前に出る。

「正気かよ? まさかなにも分かってないで甘く見てるんじゃないだろうな? そこは今の世界みたいな平穏とは違うんだ」

「そうだとしても、私は責務を全うしなくちゃいけないの。そういうことなの」

 ハッキリと主張する。

「ねえ、そのために私がいる。違わない?」

 胸に手を当てて訴えかける。

 その覚悟に迷いはなかった。それを見て、彼も一息つく。

「後悔しても知らないぞ」

 口走りながら、腕を横に伸ばす。広げた手のひらの先に空間が開く。それは漆黒の四角となって目の前で主張をする。

「飛び込め」

「え? 大丈夫?」

 なにか良からぬものに呑み込まれはしないのだろうか。なんとなく、嫌な予感がする。闇に染まるビジョンしか浮かばなくて、ためらってしまう。

「今さらなんだ? 決めたことだろ? 後悔しても遅いんだよ」

 見下すような態度。若干の不満を覚えながらも、彼にそのようなことを言われたら、逃げることはできない。自分は強いのだ。この役割を全うするのだ。その意思で前に出る。

 そして彼女は漆黒の渦の中に飛び込んだ。自らの意思で。

 続いて青年も同じように四角の中へくぐる。そのゲートを通して、二人は別の世界へと赴く。

 両者の姿は虚空に消えた。


 ***


 気がつくと二人は灰色の世界に立っていた。墓場のような雰囲気の場所だが、民家がきちんと建っている。列記とした町なんだ。

「なにこれ、趣味悪い」

 眉間にシワを寄せ苦言を呈する。

「俺に言われても困る」

「あなたに言ったわけじゃないわよ」

 文句を言いたげな目をして口走ると、彼は勝手に歩いていってしまう。急いで追いかけ、歩き出す。

「元凶を探す」

「元凶っていっても心当たりはあるの?」

「ない」

「そんな自信満々に言わないでよ」

 あきれたように肩をすくめる。

「だが、手がかりくらいはあるはずだ。それをやりそうな輩はな」

 本当だろうか。本当に手がかりは見つかるのだろうか。清乃は訝しむ。

 ともかく情報収集を始める。幸いにも人影はある。一人ずつ声をかけていけば、なんらかの情報は手に入るだろう。そう楽観していたけれど、結果はさんざん。誰も彼もなにも落としやしない。変わったことがないかと聞かれば、なにもと答える。怪しい人について尋ねると、これまたなにも。まるでロボットのようだ。

 これではらちが明かない。きちんと自分たちで考えて、まとめるべきだと判断。二人で話し合いを始めた。

「まず表の世界に悪霊が溢れかえった理由って、なんだと思う?」

 それが自分ではピンと来ないため、くわしそうな彼に任せる。

「氾濫でも起きたんだろう」

「氾濫?」

「こっちの世界と表の世界は繋がっていると前に言っただろ」

「言ったっけ……?」

 清乃は悩ましげな表情をする。言われたような言われなかったような。いまいち覚えていないが、彼が言うのだから本当のことだろう。あっさりと受け入れた。

「こっちの世界で氾濫が起きると表にも影響が出る。もっというと悪霊が大量発生したってことは、人の負の感情が引き出されたということでもある。周りの者にも影響が及ぶだろう」

「へー」

 軽く流す。

「つまり、こちら側の問題ってことよね」

「ああ。それは何度も言ってる」

 だが、改めてハッキリさせておく必要があるだろう。そう、自分にも言い聞かせる。

「ところでこの世界ってなんなの?」

「裏側の世界だが」

「その裏側の世界って?」

 ゴリ押すような形で問う。

「問題が起きたとき、自動生成される空間だ。普段は混沌しかないが俺たちはこっち側にも飛ぶことはできる。そして問題を解決してるんだ」

「でも、その問題というのが最初から起きてるんでしょ? あれ? なんだかわけが分からなくなってきたわ」

 つまり、どういうことなのだろうか。問題が起きてから自動生成されるはずなのに、表の世界で起きている氾濫は、裏世界で起きた問題げ元凶。これは矛盾しているのではないだろうか。

「それは端からそっちの世界でも問題が起きているってことで、解決する。そのために俺はそっちの世界に行ったんだ」

「ああ、そうだったんだ」

 そうでなければ討伐者は表の世界に現れないか。そう彼女は納得した。

「ねえ、それってまさか私がティアドロップを手に入れてしまったことが原因?」

「それはないな」

 あっさりと断言する。まさしく切り捨てるような勢いだった。

「お前程度、世界に影響は与えない」

 そう言われるとショックだ。清乃はガビーンと固まる。

「多分、元ある世界と接続してしまったことが原因だと思う」

「それって?」

 首をかしげる。

「何者かが狙っていたんだよ。理由は分からないが」

 つまりそれが元凶なのではないだろうか。清乃は確信を持った。

「裏世界からの影響を受けて悪霊どもは蔓延った。違うか?」

「私に聞かれても分からないわよ」

 困ったように訴える。

「つまり、それだけの影響力を持った者が黒幕。元凶ってことよね」

 結論を出す。

「だけど、そんな人勝てるのかしら」

「見つけるのが先だ」

「いいえ。それは問題だけど、勝てなきゃ終わりじゃない」

「見つけられなかったらそもそも始まらないぞ」

 それはそうだけど。清乃は目をそらす。

 だけどうっすらと恐怖を抱いた。今から死地に赴くなんて。そんな危険を犯せるのだろうか。いいや、やるしかな。高潔な思いを胸に、彼女は唇を引き結んだ。


「とりあえず闇が濃い場所へ向かったらいいんでしょう」

「ああ」

 元凶に近づくとは危険な場所に迫るということ。

 怖くはあるけれど、やるしかない。それでしか問題を解決する術がないのだから。そう覚悟を決め、二人は歩き出した。


 ***


 道中、淡々と歩く。彼と一緒に旅をしても面白くはないと思っていたけれど、実際は沈黙していてもなんとも思わないから、ちょうどよかった。第一危険な旅に楽しさはいらないのだ。だから淡々と進める。

 そうこうしている内に町が見えてきた。あと一息というところで荒れた風貌の男が接近。

「おう。そこの女を渡せ」

 鼻の下を伸ばしている。いやな雰囲気だ。自分は襲われ、食べられてしまうのだろうか。目の前の相手が豚男かなにかのように見えてきた。

 だが、なんとか対抗しなければ。焦りを覚えたとき、青年はかばうように前に出る。

「なんだよ?」

 文句をつける。

 彼は答えず、静かに剣を抜いた。

「覚悟をしろよ」

「ああ、いいともさ! 今からお前を八つ裂きにしてくれよう!」

 小物は叫ぶとダガーを握って襲いかかってきた。

 危ないと叫ぼうとした。けれどもそれは杞憂だった。彼はなんの気なしに剣を振るうと一撃の元に叩きのめした。

 すごいと一言。思うと同時に大丈夫だろうかと冷や冷やする。

「みねうちだ」

 そんなところまで気を使ったというのか。なんだか感心してしまう。

「行くぞ」

「うん」

 彼に呼びかけられて、素直にうなずく。彼と共に町へ行く。


 そこへある程度は人通りの多い場所だった。しかしながら町行く者たちの格好はみすぼらしく、現代と比べると寂れた空気が広がっていた。

「悪いねお客さん、二人分はないんだ」

 老婆が申し訳無さそうに眉をハの字に曲げる。

「いいんだ。来れ」

 コインを差し出し、パンを受け取る。その一つのパンをどうするというのか。様子を伺っていると、静かに彼はパンを渡す。

「ほら、やるよ」

 まるごと、一つ。

「え? いいの? はんぶんこにするとかじゃなくて?」

「俺はいらねぇ。それよりもさっきから喚いていただろ。腹が減ったとかさ」

「それは、その……」

 もじもじと指と指をくっつける。確かにわがままを言った覚えがある。だけど別に叶えてほしかったわけではないし、わざわざ指摘されると恥ずかしくなってくる。

「いらないのか? だったら俺が」

「分かったわよ」

 ヤケになりつつ受け取る。けれども、真っ二つにちぎった。

「おい」

 戸惑う彼に対して彼女は片方のパンを渡す。

「これじゃ、平等じゃないもの」

 頑なに言い張り、パンをもぐもぐと食べだす。

 その内彼も渡されたほうのパンを食べ始めた。


 彼と関わって色々なことが分かった。最初は陰気なだけの人間かと思っていたが、そうではない。いや、実際にその通りではあるのだろうけど、彼は優しい人なのだ。一緒にいても明るくなることはないし、楽しくもない。だけど落ち着く。彼と一緒にいるのは居心地がよかった。

 しかしと清乃は思う。なぜこんなにいい一面があるのに、それを全面に押し出さないのだろうか。まるで理解ができない。彼のことはまだまだ分からないままだった。

 それでも次第に距離が縮まってきていることは分かる。このまま行けば、いい関係になれるかもしれない。希望を胸に二人で旅を続ける。


 ***


 さらに道すがら歩く。前方の空がうっすらと黒みがかっている。雨でも降り出しそうな空気だが、やってきたのは新たな敵だった。

「久しぶりだな」

 剣を担ぎながらとある男が寄ってくる。

「お前は」

 青年が息を呑む。普段とは違い、動揺が見られる。彼は相手の何を知っているのか。知り合いなのか。とにかく、ただならぬ関係であることは確かだった。

「取り逃がした悪人だ。ありがとうよ逃してくれて。おかげで俺ぁ、さんざん人を殺せた悪事もたくさん。だがお前にとっちゃ不幸だな。この俺を取り逃がしちまったせいでここで死ぬ羽目になるんだからよ」

 残虐な目をした男は剣を振るい、その切っ先を青年へ突きつける。

 彼は引き締まった顔をして、緊張と共に相手を睨む。

「確かに俺はお前を逃した。立ち向かうことすらできなかった」

「ああ、そうだな。惨めに這いつくばるばかり。あまりに惨めだったものだからよ、俺ぁ見逃しちまった」

「つまり逃したのはあなたのほうじゃないの?」

 横槍を入れる。

 視線が一度、こちらを向く。

「おい、余計なこと言うんじゃねぇよ」

 慌てて青年が止めにかかる。しかし、清乃は止まらない。

「さっきからなんなの? 私は置いてけぼり。勝手に話を進めないで」

「へー、こいつはまた上玉で」

 ニヤリと男は笑った。それだけで虫唾が走る。全身の毛が逆立つような悪寒がした。

「だが、いいのかい、あんた? 自分の心配をしたらどうだ?」

「なによ。あたしだって、戦闘力くらいは」

「そいつは悪霊限定なんだぞ」

 ズバリ、冷徹に事実を突きつける。

「え……?」

 途端に彼女の顔から色が消える。

「知り合いがお前を求めていた。行ってやれよ。そのために生命だけは奪わないでいてやる。いや、五体満足で引き渡すのも嫌だな。少しくれぇはサプライズでも仕組んでおかないとな」

「お前……!」

 喜々として語る男に青年が敵意をむき出しにする。

「そう怒るなよ。俺の立場からすりゃ、当たり前の話なんだ。ほら、敵は残虐に殺すべし、だろ?」

 煽るような視線。だが挑発には乗らず、代わりに青年は静かに剣を抜いた。

「おや、いいのかい? 早計だな」

「どうせお前は引き下がらない。だからここで倒す」

 彼の意思は頑なだった。

「だったら仕方がねぇ。俺もいっちょう、相手をしてやらぁ」

 男は前に出る。そして剣を構え、戦いは始まった。


 緊張感があたりを包む。どうしてこうなったのか、なにがどうしてこうなったのか。分からない。分からないけれど、どうにもならない。一度始まってしまった以上は誰にも介入ができない。それはそういう戦いだった。

 剣戟は続く。空が曇って雨が降ってもなお。戦いは彼が不利だった。渾身の一撃も相手は簡単に受け止めてしまう。カウンターとして攻撃を返すが、相手は本気を出していない。まるで子どもの遊びに付き合っているような有様。それも相手がその気だからだ。飽きたら簡単に終わってしまう。それは、そういう戦いだった。このままではまずい。だけど、自分はどうしたら。清乃の心は波立っていた。

「おい、いつまでちんたらやってるんだ。見せてみろよ」

「なんの話だ?」

「お前の異能の話だ」

 異能。その単語を耳に入れて、心が波立つ。彼も自分と同じで特別な力を扱える。だが、それを彼は使わない。それには理由があるはずだ。この期に及んで出し惜しみをする理由がない。

 使えるのなら使ったほうが得だ。それで一発逆転のチャンスが生まれるやもしれない。

 それでもなお、彼は渋っていた。なかなか前に出ない。このまま膠着状態が続いてくれるとも思えない。

「分かった。お前はそういう男だ。つまり、保身に走ったんだな? いいぜぃ、その生命、奪ってやろう」

 男が剣を振るう。その大剣に目をつけられ、青年は動きを取れない。反応が遅れた。

 直撃。

 それよりも早く、彼女は飛び出した。

「やめて!」

 走り出す。懸命に腕を振るう。地を蹴る。そしてその体を、彼らとの間に割り込ませた。

 対して青年は舌打ちをしつつ、剣を手放した。

「なんだお前? いよいよやる気か?」

 諦めたのか。否、それは。

 彼は前を向いた。その瞳から硬質な光が漏れる。それは心臓を鷲掴みのするような気迫があり、思わず足を止めてしまうほどだった。

 雨の中、光がほとばしる。それは男を飲み込んだ。

 視界は今、ゼロになる。まぶしさに目を細め、風圧に呑み込まれ、彼女は伏せた。

 ほどなくして暴風は止む。いよいよあって立ち上がる。

 男は倒れていた。青年は立っている。肩で息をしているけれど、勝ったのは彼のほうだ。

 やった。喜んで駆け出そうとする。そんな彼女を青年が視線で制する。

「待て。まだ早い」

 彼はゆっくりと近づくと、男へ向かって刃を振り下ろす。

 なんて容赦がない。その目は冷徹なまでに冷めていて、表情一つ変えない。それが一つの作業だというように。そんな異様な空気に言葉を失う。それにのまれて、衝撃と動揺で心が震えた。

「行くぞ」

 青年は静かに言い、足を動かす。

 少女もその後を追いかけていった。


 ***


 様子が変だとは思ったのだ。なんだかぼんやりとしていたり、呼びかけにも応じてくれなかったり。最初はただ疲れているだけかと思ったけれど、実はそうではなく。宿に着くなり、ふらりと彼は倒れたのだった。

 なんとかベッドに寝かせたのはよかったものの、彼には熱があった。風邪かなにかかと思って、右往左往。だけど、薬なんてどこにもない。看病はどうすればいいのかと思ったけれど、どうにもこうにもできはしない。今はとにかく彼が目を覚ますのを待つしかない。

 そうして待つこと数時間。日が暮れ、夜になってから、ようやく彼はまぶたを開けた。

「ああ、こうなったか」

 平然とつぶやく。それで今の状態にも気づいたらしい。

「あなた、無理しているのでしょう?」

 真剣な顔をして問いかける。それはある程度、核心に触れていた。

「ねえ、教えて。あの異能を隠していたのって、あなたがそうなるからなんじゃ?」

 仮説を述べる。彼が調子を崩したのは戦闘の後だと考えると、しっくりくるのだ。なにせ、いままでこんなことはなかった。精神的なダメージもあるかと考えたけれど、今のところはなんとも言えない。ただ真相を知りたい。

 教えてくれないとは覚悟していた。けれども存外、彼は簡単に詳細は明かした。

「俺だけじゃない。討伐者はみんな、そんなものなんだよ」

 ポツリポツリと語りだす。

「天から力を授かる代わりに、異能を行使すれば行使すれうだけ綻びていく。寿命ごと」

「それって……」

 清乃は言葉を失った。

 戦えば戦うだけ弱る。寿命を失う。ほころんでいく。そんなこと、許されるのだろうか。

「そんな残酷なことって」

 言葉を震わす。

「いいんだよ」

 彼は諦観したように言う。

「俺たちは消耗真だ。壊れたら別のやつが補充される。そんなものなんだよ」

 全てを悟ったような物言いにふつふつと熱い感情がこみ上げてくる。

「俺たちはみんな絶望を抱えてる。どうにもできない。どうにも。こんな運命なんざ、誰にでも変えられない」

「あなたはそれでいいの?」

「言い訳ないだろ」

 彼は苦笑いで答えた。

「ずっと後悔を続けてきた。天と契約を結んだことも。誰かの役に立てると思って、喜々として取り組んだことも。それでたくさんの命が消える瞬間を見たことも。守れなかったものがあったことも。なにもかも」

 後悔で一杯だった。

 彼の心は曇っている。

 それでも、もはや取り返しのつかないこと。悔やんだところで仕方がない。後悔しても意味はない。分かっているのに、やめられない。すがってしまう。もしものイフを想像する。もしかしたらもう一度やり直せるのではないかと。そんな未来、訪れないことは分かっているのに。

「私たちは未来にしか行けない。過去なんて、なにも」

 少女はつぶやく。

 彼にかけてあげられる言葉はない。彼にしてあげることはなにもない。だけど、そばにいることはできる。彼に力を与えることは。

「ねえ、もう……戦わないで」

 それは懇願だった。

「どうしてだよ?」

 分かっているはずなのにあえてはぐらかすように彼は尋ねる。

「だってもうあなたに、傷ついてほしくない。私が代わりに戦う」

 本気で伝える。

 けれども彼は首を縦に振らなかった。

「そうするしかないんだ。俺はこの運命を享受するしか」

「だけど!」

 少女は声を張り上げた。

「あんまりだわ。あまりにも」

 声を震わす。

 潤んだ瞳で彼を見つめる。

 青年は目をそらした。ただ言いづらそうに気まずげに笑ってから、独り言のようにこぼした。

「ありがとう」

 それは何に対することなのか。

 感謝なんて言われることはない。なにもしてないに。なにもできないのに。それでも彼は。それなのに。

 曖昧な気持ちが胸中に流れ込む。その中で彼女は思った。彼を救いたいと。

「これからやり直しましょう」

 その両手を取った。

 青年は戸惑った様子で目を大きくする。

「後悔したって仕方がない。今は未来へ進むしかないの。私たちでよい未来へと」

「そんな都合のいい運命、あると思うのか?」

 彼はまた笑った。

 それは完全に諦めたような笑い方で、胸が痛くなった。

 ああ、でも――それでも、彼にはまだ生きていてほしい。未来を掴み取ってほしい。そんな幻のような希望だけが胸の中で膨らんでいく。どうか神様……彼に希望を授けてほしい。今はそれだけが望みだった。


 ***


 決戦の時は近い。

 闇の根源も次第に近づいてきた。そした彼方を向くと巨大な城が建っている。あれが敵の根城だ。それがもはや目と鼻の先にまで近づいてきていた。いよいよこの旅も終わるのだ。そして元凶を倒さなければならない。

 だけど、本当にそれで終わるのだろうか。うまくいくものなのだろうか。今更ながら不安になる。自分たちは無敵なわけではない。いままでの流れの中でも危機はあった。この間なんてそうだ。結局倒せたからよかったものの、彼は異能を使ったことで倒れてしまった。これ以上、彼が消耗することを考えると、ぞっとする。

 されども泣いても笑っても最終決戦。全力を出しきらなければ、勝てない。全てを投げ出す覚悟で行かなければならないのだ。清乃はそう自分に言い聞かせ、迷いやためらいを振り払おうとする。そう、終わるのだ、なにもかも。待ってはいられない。相手は待ってくれないし、自分たちは前に進むことしかできない。そんな選択しか残されていないのだから。

 迷いを振り払うように立ち上がり、前を見据える。もう後悔は残さない。たとえ失敗したとしてもそれでよかったと思えるほどのなにかを達成すべきだ。自分で自分の決めたことは守ろう。そうして彼女は前に進んだ。


 あと一息で城に近づく。

 その前に宿に泊まる。そこは灰色の世界において、繁栄した世界。夜道を照らす街灯に蛍のように輝く魔力の欠片。幻想的な光景が広がっている。それを窓から眺めながらポツリと清乃は零した。

「もう無茶、しないわよね?」

 祈りを込めた問いかけに青年は答えない。

「どうだっていいんだよ、俺のことなんざ」

「よくないわ」

 彼の曖昧な返事に、ピシャリと頬を打つように少女は言い放つ。

「私はあなたにそばにいてほしいの。ずっと、ずっと」

 彼と自分が厳密には違う存在であったとしても、彼の命がこれ以上は持たないのだとしても。それが自分が抱える精一杯の想いだった。

「ねえ、帰ろう。全てを終わらせたら日常に。そしたらずっと平和に生きていられる」

 熱い眼差しで彼を見上げる。それでも彼は彼女の想いには応えない。それだけはできないと諦めたように。それでも彼は口を開く。

「そうだな。俺もずっと、そうしていたかった」

 だけど、できない。そうと分かっているかのように。

「ねえ、いなくならないで。お願い」

 真摯な想いで言葉をつむぐ。青年の返事はなかった。されども彼は少女の手を握りしめる。その手のひらを重ね合い、二人で夜空を背に、一緒になった。夜空を流れ星が流れた。それは幻想的でロマンチックな一つの夜。


 ***


 いよいよ出発の時。準備は整えた。後は城に突入するだけだ。

 意を決して歩みを進める。扉へ開いて、中に入る。思いのほか内装は静かだ。敵が溢れかえっているわけでもなく、トラップが仕掛けられているわけでもない。家具だけは上質で、シャンデリアの光があたりを照らす。それが道しるべのように灯りながら、彼らを導く。

 奥へ進むにつれて緊張感が高まる。闇の濃い気配も高まっていく。本当に自分たちはこの先へ進んでもいいのだろうか。そんな格好が頭をよぎる。いいや、今更だ。ゲートをくぐった時点で逃げるという選択肢は消え失せている。後はやれるだけのことをやるだけだ。自分も力を尽くそう。浄化の力があれば彼が生きて帰れるかもしれない。そんな期待を込めて、奥へ奥へと進む。


 階段を上がって、ついに最奥へ足を滑らせる。そこには一人の男が待ち構えていた。

「よく来たな」

 彼は堂々と構え、客人を出迎える。

「お前は……!」

 青年が口を滑らせる。相手が何者なのかは分からない。ただなぜから不穏な気配がする。相手の正体がなんにせよ油断はできない。神経を張り詰めていなければならない。そんな思いで彼女は相対する。

 対する男は余裕の構えを崩さず、涼やかな顔で振る舞う。

「待っていたぞ、お前たちを。否、求めていたのはただ一つではあったが」

「どういうことだ?」

 青年が怪訝な目で男を睨む。

「言葉は不要。我の目的が叶えばそれでよいのだからな」

 よく見ると彼の背には鏡がある。それが映すは表の世界。なぜだか分からないがぞわりと嫌な予感がした。核心には至らないし、相手がなにをやりたいのかも不明なまま。だけど、それはろくでもないことは確かだ。下手をすれば表の世界を滅ぼしかねない。そんな悪のオーラ。闇の力を全身から放っていた。

「なんでもいいわ」

 毅然とした態度で相手と向き合う。清乃は武具を手に敵と向き合う。

「その悪、この私が浄化して見せる」

 先手必勝。手のひらから光が放つ。

 相手は避けなかった。そのまま光で包まれる。終わったか。勝ったかと様子を伺う。

 いや、これで終わりなはずがない。悪の元凶がこんなもので終わるはずがない。妙な核心があった。でも、終わってほしい。この力を持ってすれば悪なんて余裕で滅ぼせるはずだからと。

 しかし、光は収まった。視界が戻り、現れたのは無傷の男だった。

「どうして……?」

 愕然として、立ち尽くす。自分の異能は強力だ。悪の属性を持つ者なら立ちどころに浄化される。闇の力を持つ者であればなおさらだ。ましてやこれほどの闇の気配。もはや人ならざるものといっても過言ではないのに。

「狙いは貴様だった。その浄化の力を行使する天敵を、対策しないわけがなかろう」

 自信を持って彼は答えた。その指には銀の指輪。ああ、そういうことかと理解する。その指輪の形をした魔道具が浄化の力を吸収し、無効化しているのだ。それではまるで通じない。自分がここにいる理由がないではないか。清乃は全身の力が抜けるような思いだった。

「よくぞ来てくれた」

 改めて彼は両手を広げて歓迎のポーズを取る。

「お前をこちらに招いたのはほかでもない。私自身だ」

 彼は白状する。ネタバラシをしているようなものだが、その意味が彼女には分からない。彼はなにを言っているのだろうか。頭が空白に染まっている。

「全て、罠だったのだよ」

 男はゆっくりと語り出した。

「私はお前を欲していた。お前のその器をな」

「私の、器……?」

 意味が分からないなりに言葉だけを追いかけ、復唱する。

「そうだ。貴様が手にしたティアドロップは特別な力を秘めている。だが、問題はそこではない。ティアドロップに選ばれし娘。ターゲットは貴様だったのだ」

 リングをつけた指で、少女を指す。彼女は硬直したままその場に立ち尽くしている。

「私は絶対的な力を追い求める。そして手に入った。しかし、現状はなんだ? 力を行使すればするほどこの肉体は滅びる。できるのならば頑丈な器がほしい。それも永遠を司るような特別なものがな」

 男の眼が鋭く光る。

「見ていたぞ、貴様らの同行を」

 見られていた。そう言われると、ぞわりと皮膚が泡立つ。

「不思議に思わなかったか? いくらティアドロップに選ばれた者であったとしても、都合がよする。強すぎる力を得たにも関わらず、貴様は普通なのだ。なにも起きなかったといわんばかりに」

「それは」

 確かにそうだ。不思議に思わないほうがおかしい。いくらティアドロップが負担を吸収しているとはいえ、この力は強すぎる。普通の討伐者と同じく反動が起きてもおかしくはない。それなのに彼女は平気でいられる。それはなぜなのか。そしてその状況はおかしいのではないかと。

「貴様は特別なのだ。少なくとも、その器は。ゆえに貴様を求める。我は貴様を欲している」

「だからお前はこいつをこの世界まで呼び寄せたのか」

 奥歯をかみつつ、彼は問いかける。

「ああ、そうだ。だからご苦労だったと言ったのだ。貴様がいなければ、そこな娘は永久に表側の世界に留まっていただろう」

 そのために裏世界で闇を増幅させ、表側の秩序を乱した。そして彼女がゲートをくぐって元凶を倒しに来ると予想して、その仕掛けを起動した。全ては目の前の男の手のひらの上だったのだ。その罠にまんまとかかってしまった。それは自分の失態だ。

 それでもなお、彼女は力を振るう。効かないと分かっていても、抵抗せざるを得なかった。そしてそれは現実逃避の顕れ。可能性を信じたわけではなく、奇跡を祈った。ただそれだけ。

 けれども彼女の力は通じない。いくら手のひらを向けても、光を放っても、男には届かない。その指輪の魔道具で全てを打ち消してしまう。

 青年も戦いに加わるも剣戟は通じない。剣を向けても相手は防ぎ、突き飛ばす。彼は倒れ伏した。


 なんて無意味な戦い。無意味な旅路。ここまで来た意味とはなにだったのか。元凶を倒せないのなら、自分がここにいる理由はない。役に立てると思った。彼を救えると、そう思ったのに。

 全ては自分が悪いのだ。なにも得られない。なにも。彼になにも授けられない。なんて醜い、なんて無駄、無意味な日々。

 少女は静かに膝をつく。終わった。今度こそ。ああ、これが本当の終わりなのだ。

「我がものになる気になったか? ならば共に来てもらおう」

 男が影を伸ばす。ああと声を上げて、青年は動こうとした。けれども、対応できない。

 彼女は影に捕まり、体を持ち上げられ、男の元へ引き寄せられる。

「清乃」

 青年が少女の名を呼ぶ。しかし、彼女の耳には届かない。少女の心は黒く染まっている。圧倒的な絶望感。こんな敵が最後のボスだったなんて。そんなのってない。無駄だった。なにもかも。

 しかし、希望はあった。ただ一つの勝ち筋を青年は知っている。しかし、それは……。

 彼には異能がある。全てを帳消しにするような特別な力が。だけど、反動だけは消せない。おそらく放てば自壊する。強すぎる力に肉体は耐えられない。裏を返せばノーリスクで技を行使できる少女の器を狙っていたのが、目の前の敵だ。

 彼女が敵の手に渡れば相手は無敵になってしまう。それこそ一巻の終わり。世界の終わりだ。それだけはなんとしてでも防がなければならない。ゆえに青年は立ち上がる。体に残ったわずかな力をかき集め、増幅させ、ただ一つの剣として、敵を滅ぼす。

 体に光を纏う。そのオーラはいままでとは違う。荒らくれた男を倒した時とは比べ物にならない。そんな彼の姿を目にとらえ、少女は息を呑む。その先に彼がどうなるのか、読めてしまった。でもその先の未来はない。絶対に。

 だから叫んだ。思いのまま。泣き叫ぶように。

「やめてぇ!」

 それが最善の策だと知っていながら。それでもなお、やめてほしい。それだけは避けてほしかった。そのために自分はここにいる、はずだったのに。心が暗くなっていくのが分かった。それでも止められない。それが彼の出した結論なのだから。

「終わりだよ、本当に」

 穏やかに彼は言う。その視線が少女をとらえる。

「お前だけはどうしても、渡したくなかったんだ」

 何かを得たように、全てを知ったように。

「もう嫌なんだ。お前を失うのは、過去と同じようなことになるのは」

「でも……だからって……!」

 瞳を震わす。全身の力を振り絞ってでも、彼を止めたかった。だけど、影は振りほどけない。彼女は闇にとらわれていた。

「無駄だ。お前のごとき異能。我には届かぬ」

「悪いな。いや悪いとも思っちゃいないが」

 剣を向ける。その刃が光を帯びる。

「俺には切り札があるんだよ。端から終わる命だ。そいつを薪に燃やせば、全てを薙ぎ払える」

 それを聞いて、男の顔色が変わった。当然、少女の表情も。

 聞いていない。そんなこと初めて聞いた。

 青年だけが知っていた。こうなると想定して作った技ではない。異能でもない。彼は自分の人生に憂鬱さを感じていたし、いつ終わってもいいと思っていた。どの道、未来などないのだから。それでもだらだらと続けてしまった。終わることを恐れたり、そのままさまようのがお似合いだと感じていた。

 華々しく終わることなど許されない。その意識に後悔に苛まれて。でも、これでいいと思った。終わってしまっても。終わらせてしまっても。なぜなら、今がそのときだから。

「お前だけを救って、俺は逝く」

「待って」

 手を伸ばす。

 その手は届かない。

 無情にも光線は放たれた。

 刃を向けた先。切っ先が貫く。男の肉体。闇が解け、霧散する。光は城を覆い、全てを照らす。この空ごと。この世界を。

 そして影は消え、彼女は地上に落ちる。

 爆風と衝撃があたりを包む。しばらくは耳も聞かないほどの轟音。爆弾でも爆発したかのようだった。それでもなんとか意識を保ち、前を向いた。立ち上がると同時に煙は晴れた。

 あたりは完全に粉々だ。男だったものはない。影すら残っていない。その荒れ地と化した床に青年は倒れていた。そこへ駆け寄る。あと少しだけ、可能性があるのだと信じて。けれどもその希望は淡く儚く、打ち砕かれた。


 ***


 一瞬、閉じた視界。一炊の夢を見た。

 過去の情景が黒く染まった視界を横切る。闇夜に沈んだ影。血が草むらを汚す。死した少女。彼女を助けられなかった。彼女と共に過ごし、思いを寄せ合った。自分の人生はくだらない。消耗品として使い捨てられるだけの日々。それでも彼女によって救われたものもあった。そして、彼女を救えているという自覚があった。一緒にいれば希望が得られるかもしれない。明るい未来が手に入るかもしれないと、信じて。

 されども結果は無残な有様。青年は少女を救えず彼女は自分を残して逝ってしまった。

 後悔は今もなお彼の胸を苛む。悔いなかった日々はない。死ぬことすらおのれを許せずただただなにもできずに生きてきた。いや、生きているといえるのか。ただ同じことを繰り返しているだけではないか。なんてくだらない日々。暗鬱とした世界だったのか。

 そんな彼に光が差し込んだ。雨の日に出会った少女の存在。ティアドロップの宝石を輝かせる少女によって、自分の心が軽くなったのを感じる。

 そして、あの日と同じように今、彼の視界に光が生じた。


 瞼を開けると眼の前に彼女がいた。膝を付き、今にも泣き出しそうな顔で彼を見ていた。


 同時に少女の方も気付く。彼が自分を闇から引き上げてくれた存在だと。自分には前世の記憶がある。浄化の術を行使して、悪霊を打ち払ってきた記憶。特別な力は敵の興味をそそり、その力を利用しようと企んだものによって殺された。ただ一人――理解者とも呼べる存在に看取られて。

 そう、これは時空を超えた再会。いままでずっと会いたかった存在との再会。ようやく会えた。彼が道標だ。今の透明な自分があるのは彼のおかげなのだと。

 それがなんて、このタイミングなのか。彼の死を止められないのに、今ごろになって気付くなんて。思い知らされるなんて。切ないような悲しいようななんともいえない複雑な感情に、心がかきむしられる。

「ごめん、なさい」

 自分では彼を救えない。未来を届けられなかった。

「もういいんだ」

 振り絞るようにかすれた声で言う。

「俺は消耗品だ。使えなくなったら新たに補充されるだけの存在に過ぎない。俺の人生は終わる。だけど、いいんだ。お前を救えた。過去を塗り替えられた。たったそれだけで報われるんだよ」

 そう満たされた。望みは叶った。

「でも、私は……!」

 うつむき、髪を振り乱す。

「耐えられないわ。置き去りにされるなんて、私だけがこの思いを抱えたまま、生きるなんて」

 震える声で訴えかける。

「だからお願い、一緒に逝かせて」

 空間は壊れかかっている。ガラガラと瓦礫のように。割れたガラスのように。できるのならこの空間で最期を迎えたい。彼と同じ時に閉じ込められたまま、人生を終えたい。

「それじゃあ駄目なんだ」

 彼は否定する。

 青年は腕からブレスレットを外して彼女に差し出す。少女は黙って受け取った。

「出口はある。今なら間に合う」

 ブレスレットが光り輝いている。それを持っていれば安全な道を進める。ゲートまでの最短距離。

 しかし、それは彼と離れなければならない。自分はまだここにいたいのに。

「生きてほしいんだ」

 自分の分も。

 ここで終わってしまった者のために。

 そう、彼への想いは本物なのだ。ならばなおさらここに留まってはならない。そう言われたような気がした。

 だからそれが止めだった。

「分かったわ」

 託されたのだから応えるしかない。ブレスレットを手に立ち上がる。最後に彼に触れる。その唇に口づけをして、その場を後にした。


 ブレスレットが照らす先を歩く。道を荒れて、ところどころ、途絶えていた。それでも闇の中を進める。浮いて歩ける。そのまま前へ前へと進んでいく。そうしていくと、道が開けた。前方に扉が見える。

 その先へと足を置いた。瞬間、視界が晴れた。頭上には夜空が広がる。キラキラとした星の瞬き。なんて明るい夜なのか。まるでラピスラズリのような空だった。

 見上げながら足を動かす。そして扉の先へと。体を滑り込ませ。

 彼女は元の世界へ戻った。


 ***


 時は移ろう。

 世界には平穏な時間が流れていた。

 悪霊はめっきり姿を現さず、彼女が活躍する機会は少ない。そもそも少女がいなければ目を付けられなかったのだから、当然だ。だけど、いつかは別の悪人が自分を狙うかもしれない。正確にはその器だろうが。

 いつ何時、危険な目に遭うかは保証できない。それでも今はまだ平和を保っていた。

「一緒に行こう」

「うん」

 学校での生活も順調だった。積極的に関わり合うことはないけれど、少なくとも誘いは断らない。皆で一緒に遊ぶのは嫌いではないし、一人よりも何名か友達を作ったほうが生きやすいと思った。

 一緒に笑い合えるなんて幸せ。楽しくて嬉しくて、たまらない。

 だけど時折、寂しくなる。自分にとっての大切な人はこの世にはいない。けれども、彼と共に歩んだ軌跡は今も胸に残っている。目を閉じれば彼がそこにいる。夢を見れば過去に戻れる。

 それでも自分がいるのは現在。そして、未来。もっと先へと進むしかない。この過去を乗り越えて前へ進むこと。それが自分に許された道なのだ。

 不安を断ち切るように前に進む。

 空は青く晴れ渡っている。霧も雲も拭い去った。過ごしやすい気候だ。

 オシャレな服を着て、散歩をするにもうってつけ。そうした中、彼女は歩く。鼻歌を歌いながら淡々と。その折、ふと風が吹き抜けていった。また、いつか感じた気配と共に。

 それは雨に似た感覚。うっすらと感じた雲のような。だけど、そんなはずはない。彼はもういないのだから。それでも、期待してしまう。いつかそんな日が訪れるのではないかと。

 自分が転生したように。彼がこの世に生まれ落ちてくれるのではないかと。それで本当の再会になる。彼女はその日を待っている。いつか巡り会える日を。そんな希望を胸に抱き、少女は生きる。自分の人生を。




 恋愛要素

 キャラ立て、内面描写

 情景描写に力を入れる、文章をなめらかにする

 伏線を張る

 ラスボス戦を盛り上げる

 ラスボスとの因縁を深める

 ドラマチックにする

 危機感を煽る。彼の死を暗示する。

 上の点に対する葛藤と掘り下げ。

 陰気な部分。引きずっている点で思い悩むシーン。

 対比。

 世界観を作成。

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