第2話 カラマワリカラジシ(下)

「……なかなか血の気が多いなあ炎さん……あ、今アホムラさんって言っちゃったかな?」

 風で強盗団の下っ端が近付くのを防ぎつつスイは冷静になる。

 唐獅子の刀を炎は避けていく。

 炎はまだ刀を抜いていない。

 炎灯理の刀・血飛沫丸は虎の子だ。

 取っておきたい奥の手だ。

 焔で対処できる相手にはそれで済ませる。

 今見せてもらったところ強盗団の下っ端相手なら拳一つでも十二分に相手と戦えるらしい。

 しかし唐獅子には拳が届かない。大きく長さのある刀に阻まれて炎は防戦一方だ。

 炎灯理は刀を抜くだろうか。スイは訝しむ。

「どちらにせよ、あの人にお護りが一切通らないなら私に出来ることなんてないもんね……」

 喧嘩慣れしている炎と違いスイは荒事の素人だ。

 今、風で隊商を守っているのだって正直に言えば意外と無理をしている。

 いつ風の操り方を間違えて隊商に矢が届くか心労は絶えない。

 それでも弱音は吐かない。

 弱さは見せない。

 スイは選んだ。

『蛇』クチナワを選んだ。戦いを選んだ。

 あの魚が選んだように、炎が選んできたように、スイも選んだのだ。

 苦労を乗り越えて、ここにいる。

 経験で負けても心で負けるわけにはいかないのだ。

「……私に出来るのは下っ端の攻撃への対処。そして……思考」

 唐獅子のお護りの無効化にからくりがないかを探る。

 唐獅子に通じなかったのは炎の焔とスイの風。

 それ以外ならどうだろう。

 たとえばあの雨降らしの龍が降らした雨を唐獅子は無効化するのだろうか?

 雨に打たれただけでは人は風邪を引くくらいの損害しか喰らわない。

 しかし雨が溢れれば人は押し流される。

 スイと炎が必死になって逃走したあの物量の水相手でも唐獅子は立っていられるのだろうか?

「……というかこれは完全な無効化でもない、ね」

 スイは思考を深める。

 無効化というのは炎のお護りに対して焔をそもそも出させないことこそが、無効化というのではないだろうか?

 スイの認識でも唐獅子の周りは無酸素状態になっていた。

 スイと炎が生じたお護り自体は存在しているのだ。

「ええっとこんがらがってきましたね……」

 スイは思考を深める。

「唐獅子の無効化はお護りそのものの無効化ではない……お護り自体が存在することを否定できてはいない……事実、仲間に私のお護りが作用することは止められていない……」

 唐獅子が行っているのはお護りの完全否定ではない。

「つまり……認識の問題……? あの村に雨が降らないと人々が信じていたように、自分にはお護りは効かないと分かっているだけ……?」

 そこに解は導かれた。

「お護りだと認識したものの自分への作用の否定。だったら対処法は……簡単」

 スイ・ウォータープルーフは自分の周囲を探る。

 強盗団が放ってきた矢が散らばっているのが見える。

「お願い」

 スイは心に祈る。風を操れると知っている自分の心を呼び覚ます。

 風は渦巻き矢を上空に巻き上げた。


「ちっ」

 炎灯理は苦戦していた。

 まだ刀は抜かない。

 唐獅子は善戦していた。

 まるで手先のように大きな刀を振り回し、かろうじて避けていく炎に細かな傷をつけていく。

 致命傷には至らない。

 それでも傷がつけばつくほど、痛みが増せば増すほど、出血すればするほど、炎の動きは精彩を欠く。

「……それでも」

 炎灯理は引かない。

 致命傷を喰らわない限り炎は引かない。

 それが炎灯理の役割である限り、戦いから逃げない。

 それが『蛇』クチナワの炎灯理の仕事なのだ。

 何が何でも。

「どうして抜かない!?」

 唐獅子は高らかに問いかける。

「お前ごときに抜くまでもないからだ!」

 炎は虚勢を張る。

 本当のところは刀を抜いて、それを無効化されることを警戒しているからだ。

 最悪、炎は折れた刀で唐獅子に直接斬りかかることも考慮していた。

 普段から虎の子ではある血飛沫丸だが、今回それを奥の手にするのは普段よりも重たい意味を持つ。

「抜かないならそのお前ごときに殺されろ!」

「お断りだ!」

 唐獅子が上段に振りかぶる。

 炎灯理は避ける方向について思考する。


 そこに風が吹いた。


「効かねえって……!?」

 風が伴うのは大量の矢。

 強盗団がスイと荷馬車に射かけようとしてスイが撃ち落とした矢だ。

 それらが一斉に唐獅子に向かっていた。

「ははっ! なかなか頭良いじゃねえか、お前の女!」

「おん……っ! ただの連れだ!」

「そりゃどうもごちそうさま!」

 唐獅子は刀を上段にぶち上げたまま振り回した。

 スイの風に乗った矢が打ち落とされていく。

 しかしこれは隙だ。

 炎灯理は身をかがめながら唐獅子に接近する。

「もらったあ!」

 炎灯理の拳が唐獅子の顔面に突き刺さる。

「ぐっ!」

 唐獅子がバランスを崩す。

「炎さん!」

 スイの警告。

 唐獅子を狙っていた矢が炎にも降り注ぐ。

「防火・霹靂!」

 炎のお護りが矢を焼き尽くす。

「まだまだあ!」

 唐獅子の刀がお護り発動の隙をついて炎に向かう。

 炎は身をよじる。

 刀の側面が炎に殴りかかる。

 衝撃。重さ。唐獅子の刀の力強さを感じながら炎灯理は森の向こうに転がっていった。

「炎ー!」

 スイの声を聞きながら炎はかろうじて意識を保ったまま吹き飛ばされた。


「炎……」

「待ちやがれ!」

 唐獅子は隊商にもスイにも目をくれず炎灯理を追った。

 スイも追いたかった。

 しかしそれは許されない。

 まだ倒されていない強盗団がじりじりと荷馬車に寄ってきていた。

「……私に今できることを」

 それがスイ・ウォータープルーフの役割だ。

「来るなら来い! 私は『蛇』クチナワのスイ・ウォータープルーフ! この荷馬車は私が守る!」

 スイは高らかに宣言した。


「はあ……はあ……馬鹿力め……」

 炎灯理は肩で息をしていた。

 全身が痛かった。

 特に刀で殴られた部分が一番痛かったが地面を転がり回ったことでまんべんなく全身が痛かった。

「やってられるかあの野郎……!」

 炎がそう叫ぶより早く目の端に唐獅子の姿が見えた。

「……こっちを追うのかよ」

 スイを襲い、荷馬車を狙って隊商から商品諸々を奪っていれば、今頃は逃走の途につけているだろうに。

 それはもちろん炎灯理にとっては不幸中の幸いだ。

「とんだ喧嘩馬鹿だな」

 炎は忌々しかった。

 戦いを愛し、楽しむ種類の人間を炎灯理は好きではない。

『蛇』クチナワの中にはそう言う人間もいるが炎は違う。

 炎の焔も刀も楽しみのためのものではない。

 ただ一つの祈りのためのものだ。

 失った故郷のような惨劇を起こさない。

 その願いが炎灯理を前に進めている。

 だから炎灯理は唐獅子のことが嫌いだ。

 今はっきりそう思った。

「……スイが指針は示してくれた」

 唐獅子のお護りの無効化は完全なものではない。

 風を止めることが出来たわけではない。

 風が自分に作用するのを防げるだけだ。

 風がもたらした矢からは逃げられない。

 それなら炎にもやるべきことがある。

 やれることがある。

 一か八かに賭けるべき事柄がある。

「追いついたあ!」

「嬉しそうな顔しやがって……この戦闘狂……一番嫌いな人間だこの世で……」

「さあ抜け! 殺し合おう!」

「いいぜ。抜いてやる。俺の血飛沫丸を抜いてやる!」

「物騒な名前だな。ああ俺の刀の名前を教えてやろう」

「興味ないな」

「まあそう言わずに……葉哉丸はかなまるだ」

「……はかなさとは無縁の刀になかなか妙な名前がついているな」

「ははは。そりゃどうも!」

 唐獅子は葉哉丸を上段に振りかぶる。

 炎は血飛沫丸の柄を強く握りしめる。

「死ねえ!」

「血飛沫丸!」

 葉哉丸は炎に向かって振りかぶられ、血飛沫丸は炎灯理の全身からその刃を突き出した。


「……これは?」

 炎の体に唐獅子自身がつけた傷の出血から生えた無数の刃に貫かれて唐獅子の体は硬直する。

 血飛沫丸。

 炎の血刀。

 血統が繋いだ血刀。

 炎の故郷の伝わるお護り。

 焔のお護りと違い、炎灯理が生まれついて有するお護り。

 唐獅子は血を流していた。炎の刃は唐獅子の臓器のいくつかを貫通している。

 しかし死ぬほどの怪我ではない。

 唐獅子も苦痛を感じてはいるようだが、崩れ落ちるほどではない。

 丈夫な奴だ。炎は悪態をつきたくなるが、その元気もなかった。

 体全身から血を流し、その血を刃と変えた炎灯理。

 失血は普段より激しい。

「お護りの直接の作用を無効化する……お前は今、俺が刀を抜くと思った。俺は刀を抜いた。その刀がお護りによって作られたものでも、刀であることに代わりはない。矢を運んだのがお護りであったように……一か八かの賭けだったが……俺の勝ちだな」

「……ちえっ」

 唐獅子は笑いながら舌打ちした。

 ずいぶんと爽やかな顔であった。

「負けだ負け。お護りに完全敗北だ。悔しいぜ……クビ持っていきな。それなりに賞金首になっているぜ俺」

「それはしない……俺は殺さない」

 炎灯理は殺せない。

「そして別に正義の味方でもない……じゃあな。二度と会わないと良いなお互いに」

「おいおい。マジかよ生き恥さらせって言うのかひどい奴だな!」

「知らねえよ」

 炎灯理は唐獅子に背を向けた。

 急がなければいけない。

 スイ・ウォータープルーフが待っている。


 走り去っていく炎灯理を見送って唐獅子はため息をついた。

「あーあ。自己暗示という完璧な理論に基づくお護りの無効化……まだ足りないかあ……」

 唐獅子はお護りの存在そのものを否定している。

 信仰の如くお護りを信じていない。

 お護りへの対処のひとつとしては有効である。

 それは霊山の麓の村人たちが雨降らしの龍の来訪を否定し続けたのと同じだ。

 それをひとりでやっているというのは特筆すべき意志の強さだ。

 しかし穴がある。

 お護りに対して無知であるが故に、どこまでがお護りかお護り使いの反応に頼るしかない。

 炎灯理が刀を抜く。

 唐獅子はそれを信じた。

 炎灯理の刀がお護りとしての作用を持つと予想できていても全身の血が刃になるとまでは思っていなかった。

 それが敗因。

「まあ……名前は覚えたぞ。炎灯理……とあの子なんて名前だろうな?」

 唐獅子は全身から血を流しながらも暢気にそう言った。

 強盗団の部下たちが助けに来てくれるのを待つことにした。

「……いつかあのお護り使いに勝つために……今日の敗北は良い指針だ。感謝しよう」


「スイ!」

「炎!」

「お護り使いが戻ってきやがった!」

「団長がやられた!?」

「私もお護り使いなんだけどな……」

 スイは強盗団の悲鳴に少し不満を漏らした。

「散火・徹底」

 炎の呼び声にお護りが応える。

 散開している強盗団に一斉に焔が襲いかかる。

「撤収ー!」

 強盗団は蜘蛛の子を散らしたように逃げ去っていった。

「しょせん唐獅子頼りの烏合の衆か……ご苦労、スイ」

「炎もお疲れ様です! ……あの私ちょっと困りごとが……」

「おお、どうした?」

「……降りれません」

 荷馬車に無我夢中でよじ登ったがために乗るのは問題なかったが、降りるには少し高すぎた。

「よしちょっと待ってろ」

 炎は荷馬車から少し距離を取る。

 そしてそのまま走り荷馬車の上に飛び乗った。

「わあ」

 荷馬車が揺れる。

 スイはバランスを崩す。

 炎はそれを支える。

「あ、ありがとう……」

「よし。下りるぞ。しっかりつかまってろ」

「はい……」

 スイを抱えたまま、炎は荷馬車から飛び降りた。

「……ありがとう、炎。傷は大丈夫?」

「ああ、血刀で止血できているから、そこまで問題はない。失血はちょっと貧血を感じなくもないが、このまま荷馬車で移動する分には問題ないよ」

「そう。よかった」

 スイは笑った。

 炎も笑顔を返した。

「どうやって唐獅子さんを倒したの?」

「ああまあそれは荷馬車の中で話すよ」

 隊商におおいに感謝されながら、炎たちの『蛇』クチナワへの旅は進む。

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