第2章 アラカル人(ト)

第1話 カラマワリカラジシ(上)

 ほむらあかとスイ・ウォータープルーフは研究者たちの調査終了を待たずして一足先に『蛇』クチナワへと帰還することにした。

 帰りはへびがいればどこにでも移動できる「蛇の道はヘビ」は使わない。あれはクチナワの体力を消耗する『蛇』クチナワ秘中の秘なのである。

 折良く王都近くまで向かう隊商が通りかかったので護衛を引き受ける代わりに相乗りさせてもらう契約が結べた。

 スイは初めて乗る荷馬車に最初は興奮していたが、しばらくすると車酔いを発症し無言で椅子に横たわっていた。

「とても……情けないです……」

「まあなんだそういうこともあるさ」

 炎灯理は慰めることに徹した。

「ところでさあスイ」

「なんでしょう炎さん」

「その敬語とさん付けそろそろやめてくれないか? 仲間からの敬語はむずがゆいんだ」

「ええとじゃあ……炎……」

 言ってスイは少し頬を赤らめた。

「炎さ……炎、ちょっとこれ慣れるの時間がかかりそうです……かかりそう……」

「そうか、まあ無理にとは言わない」

「いえ! がんばります! がんばる! ……うっおえっ!」

「あ、こら張り切りすぎるな。もういいからゆっくり寝てろ」

「はい……うん……」


 スイの体調不良をのぞけばしばらくは穏やかな時間が続いた。

 しかしそれは突如として襲いかかってきた。

 最初に聞こえたのは警笛だった。続いて荷馬車ががくんと急に止まる。

 炎は腰の刀に手を当てて即座に荷馬車を飛び出した。

 スイも慌てて腹と口を押さえながらも気丈にもそれに続く。

 荷馬車が止まったのはうっそうとした森の中であった。

 車が通れるだけの道はある。

 そして前方に馬の一団が見えた。

 統一感のないやたらと派手派手しい服装。それでいてなかなか統率の取れた馬の動き。強盗団に違いなかった。

「囲まれてるぞ!」

 商人が悲鳴のように叫ぶ。

 後方からも馬の足音がする。

 左右の森にも潜んでいることであろう。

「俺が切り込む。スイは荷馬車の上で援護しつつ遠距離攻撃に備えろ! そして隊商が逃げ切れそうなら隙を見て逃げてしまえ!」

「はい!」

「豪火・焦燥!」

 炎の迷いのない呼び声におまもりが応える。

 後方の強盗団に焔が襲いかかる。


 お護りとは人の信じる力だ。

 人の心が呼び覚ます能力だ。

 焔を出す、岩をも砕く、風を吹かせる、布を操る、傷を癒す。

 様々な能力に分類されるお護りを使うには、使用者の、『自分にはそれが可能である』という確信が必要となる。

 炎灯理は自分のことを焔のお護り使いだと信じている。

 その信頼にお護りはいつも応えてくれる。

 

 対する強盗団からは矢が飛んできた。

 炎はそれをいちいち撃ち落とさない。

 スイのお護りである風が矢の進路を妨害してくれている。隊商には届きもしない。

 炎が気にしなくても遠隔攻撃に対してはスイに任せて大丈夫そうだった。

 車酔いをしていた割になかなかどうして頼りになる。

 炎は強盗団に向けて歩を進める。敵の馬は焔を恐れて走れなくなっていた。

 いちいち刀を抜くまでもない。炎は拳を固めて前方先頭の男に飛びかかった。

「お護り使いを雇ってやがったか!」

「畜生!」

 強盗団から罵声が飛ぶ。炎はいちいち気にすることなく殴り倒していく。

 基本的な体術は『蛇』クチナワで習得できる基本技能だ。

 一部の特殊なお護り使いをのぞけば体術一つでも人間相手なら十分に対応できる。


 炎はしばらくそうして焔と拳で蹴散らしていたが、後方の強盗団側から急激に誰かが近付いてくるのが見えた。

「団長ー!」

 強盗団が叫ぶ。遅ればせながら親玉の登場らしかった。

 それはやたらと大きくて重そうな刀を持った男だった。

 着崩した和装と肩辺りまで伸ばされた金髪の男だが、男自身の印象より刀の印象が真っ先に目に飛び込んでくる。とつてもない存在感のある身の丈ほどの長さの刀。それを引きずりながら馬を追いかけて猛烈な勢いでその男は徒歩でこちらに向かって急接近していた。

 敵の刀を視認して炎は腰の刀に再び手を伸ばした。

 道の前方の強盗団に特大の火焔をくれてやりながら、炎は隊商の後方、団長とやらが向かってくる方に回る。

 団長と呼ばれた男は炎の後方の隊商には目もくれず炎の前で止まった。

「なかなかたいそうな刀をぶら下げてるな。盗賊風情が」

 炎の挑発に男は楽しそうに笑って見せた。

「お褒めいただきどうも。お護り使いか?」

『蛇』クチナワの炎灯理だ」

「ははは。よりにもよってお護り使いの総本山かよ」

 よりにもよって、などとまずそうに言いながらも男は笑顔を絶やさない。

「俺はからだ。よろしくな灯理!」

「強盗に名前を呼ばれる筋合いはねえなあ!」

「せっかくの刀使い同士が相まみえたんだ! 楽しく斬り合おうぜ!」

 唐獅子は重そうな刀を上段に構えた。

「ああ、そうだな……」

 炎灯理は刀の柄に伸ばした手に力を込め、叫んだ。

「滅火・転倒!」

 炎灯理の呼び声に応えてお護りが燃え上がり唐獅子の体を包んだ。

「ずるい!?」

 後方からスイが思わず叫ぶ声が聞こえた。

「不意打ち上等! 卑怯者と罵りたいなら罵ればいい。俺は別に刀で斬り合うなどと言った覚えはねえ」

「それが隊商を守る正義側のお方の台詞ですか!?」

「別に『蛇』クチナワは正義の軍団でもないしな!」

「いえまあ、それは母の件で身に染みましたが……」

「いやあとんだ卑怯もんだなあ……大したもんだ」

 スイと炎の言い合いを遮るように、焔の中から唐獅子のしみじみと心の底から感心したような声がした。

 炎は戸惑う。

 炎灯理は殺せない。

 母の呪いは絶対だ。

 しかしだからといって焔のお護りを手加減もしていない。死なない程度に最大限の火力は発動した。しかし唐獅子は大した被害を負っているような声ではなかった。

 唐獅子は焔の中に立っていた。焔の熱さをものともせずに刀を上段に振り上げたまま立っていた。

 仁王立ち、だった。

「……えらく頑丈な盗賊だな?」

「卑怯な真似をしたから罰が当たったのでは?」

 スイが後ろから茶々を入れてくる。頼むから強盗団の方に集中して欲しい。

 とはいえ強盗団の荒くれ者たちも団長が出てきた瞬間に炎たちからも隊商からも距離を取り、団長の戦いを見守る体勢に移行していた。

 そして団長が火に包まれたところで慌てる様子もない。

 炎は唐獅子を観察する。焔による損傷を受けていない。それどころか服に焦げ跡すらついていない。

 焔の攻撃を避けたわけではなかった。唐獅子の後ろ髪の辺りはまだ炎の焔が燃えさかっている。しかし炎の嗅ぎ慣れた焦げ臭い匂いがしない。

「お前も……お護り使い、か?」

 しかし防御のお護りを発動している気配はない。

「おいおいなんだよ炎灯理。鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしてるんじゃない。お楽しみはこれからだろう?」

 言うが早いが、唐獅子は炎に向かって巨大な刀を振り下ろした。

 炎は後ろに飛び退る。

 炎が立っていた地面が深くえぐれた。

 唐獅子の刀は見せかけだけではない質量がしっかりあるようだった。生半な刀で受けては刀が折れるだろう。

「炎!!」

 スイの切迫したような声が聞こえる。

「大丈夫だ!」

 この程度はまだ対処できる。いくらでも攻撃の手はある。心配するな。

「スイは荷馬車を守ることに集中してくれ!」

「その人! 私の風も通じてない!」

「何だと?」

 炎は唐獅子から目をそらさず、体を警戒状態に保ったままスイの声に耳を傾けた。

「傘子愛海愛さんの焔をかき消したときの応用! その人の口の周りに無酸素空間を作り出してみたんだけど普通に息してます!」

 スイ・ウォータープルーフのお護りは風だ。

 それも酸素や真空をも操れる。

 炎のように人から受け継いだものではない。

 それは生まれたとき、子供の時に感じていた万能感が結実し、さらに科学的な知識と結合して強化されたものだ。

 酸素は人間の生命維持に必要なものだ。

 スイはその気になれば風邪を操り文字通り息の根を止めることが出来るのだ。

 それが、通じていない?

「あっさりと、親切にも種明かしをするならば俺には俗にお護りだの護り神だのあるまじきまものだのと呼ばれる力は通じない。俺にとって世界にそれはねえものだからな」

「……強盗風情がずいぶん教養を持っているじゃないか?」

 極力動揺を見せ内容に心がけながら炎は感心する。

 お護りの呼び方は多々ある。一般に知られているのがお護りでこれはリュウ達のようなお護りに縁のない子供でも知っている呼び方だ。『蛇』クチナワでも採用されている。

 護り神は『蛟』ミズチの呼び名。霊山で出会ったあのかさのような狂信者どもの呼び方だ。あまり世間には知られていない。

 そしてあるまじきまものはずいぶんと古い呼ばれ方だった。

 あるまじきまものにして、あるじまもるもの。そういう呼ばれ方をお護りがしていたのは何百年も前の話であり、その呼び方をするのはごく一部の地方の人間に限られる。

 炎だってそう出会ったことはない。

「ははは。流れ者って奴だよ。今でこそこいつらの親玉に収まっているが結構苦労して生きてきたんだぜ?」

「団長ー!」

「やっちまえー!」

 強盗団から声援が飛ぶ。

「苦労話ならもう俺らには間に合っているよ」

 炎灯理もスイ・ウォータープルーフも苦労をしてきた人間である。

 唐獅子がどのような苦労をしてきたかは知らないが、そんなことを言われても関係はない。

 苦労比べをする気もない。

「俺は強盗どもを倒して隊商を守る。それが今の役割だ」

「いいじゃないか。じゃあ、俺はお前を倒して隊商から奪う。それが俺の役割ってことにしよう」

 唐獅子はもう一度、刀を上段に振り上げた。

「楽しく戦い合おうじゃないか。お護り使い!」

「せいぜい俺の刀の錆になりやがれ、強盗風情!」


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