第6話 休を得て食を望む

 炎灯理はまた夢を見ていた。

 今日と同じように燃え盛る焔に巻かれた日の夢を、あの日、あの人が自分をすくい出してくれた時の夢を見ていた。


「これが……炎か?」

 その言葉と共に、その人は灯理を護るように包んでいた赤い殻に手を触れた。赤い殻はキラキラと光を反射しながら砕けた。

「……誰?」

「……覚えていないか、無理もない。俺はこの村の人間だった。この村をいずれ来るりゆうわざわいから救うため、この村を出て方策を旅の中で探していた。尽きる万策よりも先に火龍の災が到来してしまった今となっては、ただの流浪のおっさんだがな」

 その話を灯理は知っていた。身近な人物のこととして、かねてより聞いていた。

 だから相手が誰なのか、灯理は気付くことができた。

「父さん……?」

「……うん」

 答えづらそうに、父は頷いた。

「……父さん」

 灯理は俯いた。顔を忘れるほど久し振りの再会に、何を話していいのか分からなかった。

 父の顔面には、自嘲的な笑みが浮かび、長らくの苦労が深い皺となって刻まれていた。その顔を見るだけで、幼い灯理にも父の無念が手に取るように分かった。その失意の深さたるや、これまでの不在を帳消しにするだけのものであった。

 だからこそ、灯理は俯いた。

 そんな父の顔を見続ける勇気が彼にはなかった。

「炎、お前に道を示そう」

 父は、灯理を見つめながら、そう言った。

「蘚花が燃え、一人になったお前を、もう二度と一人にさせないための、道を示そう。『蛇』クチナワを、知っているか?」

「お護り使いの互助組織。お護り使いがお護りを信じるために群れる場所。蘚花うちみたいなやり方では徒党を組めないお護り使いたちを束ねる、この国の王家にも縁深い、一大勢力」

「そうだ。俺は今そこに厄介になっている。あそこにはいろいろな連中がいる。風を操る奴、人を操る奴、布を操る奴、時間を操る奴、人を治す奴、敵を倒す力を持った奴、仲間を守る力を持った奴、金剛石を拳で打ち砕くのが趣味なんて奴もいる。そこに行けば、お前は一人になんてならない。だから『蛇』クチナワに入れ、炎。お前が俺のいる事を不満とするならば俺は姿を消そう。だからお前は一人にならないでくれ」

 父はうなだれた。護るべき者のために護るべき者から忘れ去られた哀れな男がそこにはいた。

「分かった。『蛇』クチナワに行く」

「そうか」

「父さんがいる『蛇』クチナワに行く」

「……そうか」

 灯理は父を見上げ、父は灯理に微笑んだ。それまでの何かに耐え忍ぶ心とは裏腹に心底からの笑みだった。

 灯理は、少しだけ嬉しかった。抗えない悲しみで塞いでいた胸に、わずかな光明が差したようだった。自分の選択に父が微笑んでくれたことが、灯理には嬉しかった。


「炎さん! 炎さん!」

 夢の中に、声が響く。

 あの日には決して、聞こえなかったはずの声。

 誰の、声なんだろう。

「起きた! 生きてる! よかった! お葬式しなければいけないかと思いました!」

「生きてます。生きてます」

 早すぎる埋葬はごめんである。

「怪我というか火傷がひどいです……」

「怪我薬があるから平気だ」

 炎は懐から薬を取り出した。『蛇』クチナワの医療班謹製がまの油。打ち身切り傷火傷かぶれかゆみ何にでも効く優れものだ。

「空気を歪ます迷彩作戦。成功でしたね」

 スイが愛海愛に接近できたからくりはそれだった。おかげで炎が愛海愛の攻撃の焔を気にせず近付けた。スイの風で空気の屈折率を操った。どうやら風のお護りは炎の想像以上に汎用性が高い。焼くだけしか能のない焔のお護りより便利に思えた。

「まあなんとかぶっ倒せたな」

「愛海愛さんは……死んだのでしょうか?」

 スイは周囲を見渡して愛海愛の姿を探す。そこには大きな爆発跡以外、愛海愛がいた痕跡はなかった。

「……それはないな」

 だとしたら炎のダメージはこんなものでは済まないはずなのだから。

「愛海愛さん最後に何か言ってませんでした?」

「最盛期環。『蛟』ミズチの連中の最終兵器だ。自分を殺して自分の時を巻き戻す。自分が一番強かった時点まで自分を回復させる……あれを完遂されてたら俺はマズかった」

 二重の意味で。

『おおーい』

「鯉の神様!」

「なんだ無事だったか。爆発に巻き込まれて本格的に焼き魚になったかと思った」

『あの傘子愛海愛とか言う狼藉者が護ってくれたよ』

「怪我の功名……不幸中の幸い? ですね。ご無事で何よりです」

「悪いな神様。神様と崇めてくれる奴をつぶしちまって」

『構わん。この山を燃やそうとしてくる奴なんざどれだけ崇めてくれようとわしは要らん。神様らしく信者は選り好みしてやる』

「そうか」

「気を取り直して出発進行、ですね。炎さん」

「ああ。全然休憩にはならなかったけどな……」

「そういえば私たち休憩中でしたね……」

 スイはすっかり忘れていたらしいが炎は口の中に鯉が入ってきそうになったあのぬるっとした感覚を忘れてはいなかった。

「で、魚。ここは山でいうところのどのくらいだ何合目だ」

「中腹くらいだな」

「まだ半分か……」

 炎はため息をついて歩みを進める。

 道はまだ遠かった。


「野宿をする」

 数時間進んで炎は宣言した。

「はい……」

 スイは少しだけ嫌そうな顔をしたが素直に頷いた。

 日はずいぶんと傾いていた。

「俺も夜道を危険だなどと言わなければいけない実力の人間でもないが夜の山道は無理だ。俺の灯りも照射範囲の限界がある。獣と行き会うのも避けたい」

「そうですね。私も疲れました。でもお山に住んでずいぶん経つはずですが野宿は初めてですよ……」

「とりあえず食えるものを探そう」

「ウサギ狩ります? 罠が仕掛けてあるのはもうちょっと上だし私刃物は持ってませんけど炎さんの刀を借りれば捌けますよ! まあてっとりばやく鯉神様を食べても良いですけど!」

『やめんか』

「いや俺もそれは遠慮したい……というかうん。良い機会だな今もう言っておこう」

 理由を色々つけて遠慮しようとしたが積み重なった疲労でそれも面倒くさくなり炎は白状することにした。

「俺の前で殺生は御法度だ」

「あら何らかに帰依された方でしたか?」

「いいや、これはただの呪いなんだ」

「呪い……?」

「昔々俺の村は滅んだ。その時の呪いだ。母さんが俺にかけたんだ。たぶん血刀で守るのと引き換えだったんだ。耐火には対価が必要だった。自分の能力を超えたものの代償だ」

「わざと分かりにくい言い方をしてますね?」

「うん。一言で言おう。俺は母さんに呪われた。殺すな、と」

 今でも夢に見る。故郷の夢。

「動物性の食べ物が苦手ってのはそういうことだ。食べるための殺しも俺には許されていない。基準がよく分からないが植物はいいらしい。傘子愛海愛が死んでいたらその呪いが俺の額を焼いたはずだ。だから傘子愛海愛は死んでいない。魚野郎も表面を炙るくらいは出来ても存在が死ぬほどに燃やすことは出来ない。一応遠くで狩られて調理されたものは平気だがこの距離で狩りをされたら無理だ。見殺しも許されないらしい」

「よくは分からないけれど、分かりました。承知しました。そして安心しました」

 炎の告白にスイは優しい笑顔を見せた。

「炎さんと一緒にいたら私は死なない。見殺しにされない。そういうことですものね?」

「……うん。前向きに受け取ってもらえて嬉しいよ」

「では私は食べられるキノコとか木の実とかを中心に探します。安心してくださいそういうの得意です。それを食べながら今度は血刀の話と……よろしかったら炎さんの故郷の話を聞かせてくださいね」


 スイが作ってくれた夕食の出来は得意と豪語しただけのことはあった。

「店でも開けるんじゃないか」

 焔だけは炎のお護りを使用した。しかしそれ以外は皿や味付けも含めすべてを取ってきた植物でやりとげて見せたスイに炎は太鼓判を押した。

 スイは鯉神に木の実を分けてやりながら照れ笑いを浮かべた。

「全部父に教わったことです。食事のことは父に教わりました」

「そうか」

 父の話は母の話より出ていない気がする。


 食事をしながら炎の故郷の話になった。

 故郷の話。鮮花村の話。それは口にしてみれば案外とすんなり話せるものになっていた。

 炎の故郷は血刀のお護り使いが多くいる村だった。村の風習で子供たちは髪を伸ばしていた。夏には螢が川を飛び、それを追いかけた。子供同士の喧嘩では血刀が使われた。出血しても血刀でその血をかさぶたのように防ぐことが出来るから。そんな話をたくさんした。スイはそのどれもに目を輝かせていた。炎にとっては当たり前だったことたちが、炎にとっては思い出すだけで辛くなってしまうはずだったことたちが、スイには新鮮で楽しそうだった。

 だから炎はその先の話をしなかった。鮮花村が戦火に包まれた日の話をしなかった。スイも深くは追求しなかった。

 代わりに血刀と焔の話になった。

「血刀は生まれつきのもの……村の人間とともに育んだお護りで俺の根幹に位置するものだ。一方で焔のお護りは違う。後天的に学び獲得したものだ。だから血刀のほうが俺の体には染みついていて馴染みが深い。だからこそあまり多用は出来ない。使いすぎると焔のお護りが抜けてしまう。焔を忘れないために血刀は切り札扱いにしている」

「血刀使いは全員その折れた刀を使うのですか?」

「いいや。この血飛沫丸は俺の……まあもらい物だ。血を流すためにどっかしら切る必要があるから便利に使っている」

「そうなのですか。お護りって本当に色々あるんですねえ」

 スイは感心したようだった。

「……そういえばお護りを知らないのに『蛇』クチナワはどういう教え方をされていたんだ?」

「いつかお前が困ったときに蛇の紋章を探しなさい。それはお前を助けてくれる人間のいる『蛇』クチナワの印だから、母にそう教わっていました」

 かつて言われた台詞をそのままサラサラと口にした。スイの言葉はそのような感じであった。

「ふうん……まあ『蛇』クチナワは拠り所をなくしたお護り使いの互助会という側面があるから間違ったことは言ってねえな。正しいことも言っていないが……」

「どうして母はそんな回りくどいことをしたんでしょうね……」

「どうしてだろうな」

 死んだ人間の心なんて分からない。母の気持ちなど分からない。自分を置いていった人間の気持ちなんて考えたくもない。


 駄目だな、と炎は思う。


 どうしても重ねてしまう。渇いた村も親を亡くした少女も我が事のように思ってしまう。そうすればそうするほど薄れていくだけなのに。本質から遠ざかるだけなのに。変にから回るだけなのに。炎はそれを他人事には出来ない。

「……髪の長い炎さんも見てみたかったです」

 炎が黙り込んだのをどう捉えたのか、急にスイはそんなことを言った。

「……つい先日までは長かったんだけどな」

「えっ、そうだったのですか?」

「うん」

「私、父も出会った村の大人たちも髪が短かったので男の人って髪は短くなるものかと」

「そういう奴が多いみたいだけど長い奴は長いよ。長髪を武器として操るお護り使いなんかもいるしな」

「へー……見たかったなあ炎さんの長髪。どうして切ってしまったんですか?」

「切ったというか……切られた……」

 その時のことを思い出して炎の顔は険しくなる。

「えー!」

 スイは急に怒った。

「その人許せません! 炎さんまた髪を伸ばしましょう! 是非!」

「気が向いたらな……」

「私とお揃いの髪型にしましょう!」

「それはちょっと嫌かな……」

「そんな!? お揃いの髪型は友好の証だと母が言っていました」

「うーん。人によるんじゃないかな」

「でも母はまっすぐな髪質で父は短髪で私は癖毛だったのでお揃いにはなりきらなかったんです……炎さんは見たところそれなりに癖っ毛のようですからきっとお揃いになれますよ!」

「……じゃあまあ気が向いたら」

 炎は勢いに押されて適当な返事をした。

 スイはその返事に嬉しそうに笑った。

「やったあ」

 スイの様子に気が向くことは多分ないと思う、とは言えず炎は気まずく目をそらす。

 どこかで茶々を入れられるのではないかと思っていた鯉神は一切話に口を挟まなかった。

 ちらりと筒を覗くと目を閉じていた。眠っているようだった。魚とは眠る生き物だっただろうか。

「俺たちも眠るか。見張りは大丈夫だ。何かが近づいたら俺は起きる。そういう訓練を受けている」

「分かりました。それじゃあ私は気にせず寝てしまいますね」

 炎はスイに羽織を渡してそこに眠らせた。スイはかなり申し訳なさそうな顔をしたが炎の頑固さに折れた。炎はそのまま地面に寝転び、空の星々を眺めた。

 山の標高が上がるにつれて空は澄み渡っていき、滅多に見られない星空がそこにはあった。

 この空をあるいはこれより綺麗な空をスイは常日頃から見ていたのだろうか。そんなことをつらつらと考えるうちに炎は眠りについた。

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