020 夢か現か、それとも
兵士が次々に倒れていく。魔物が放出する煙を吸って、兵士は剣を落としていった。
そして、全てが一瞬の出来事だったかのように辺りは静寂に包まれる。自身が呼吸する音が聞こえるほどに、辺りは静まり返っていた。
そんななか、メアリーは目にしてはいけないものを見てしまったかのように硬直している。
最初はただリュウの様子を眺めているだけだった。しかし、メアリーはおぞましい笑みを浮かべたリュウの横顔を見てしまう。
普段の彼とはかけ離れた笑みは、メアリーの脳裏に深く焼き付きついていた。
「終わったぞ」
リュウがメアリーに向けて声をかける。
液体と化した蛇は何処へやら、もうそこには何も残っていなかった。
もちろん、アレクサンダーがいた形跡も綺麗になくなっている。
「はい」
最後のひとりが倒れるまで、メアリーはただ茫然と見つめることしかできなかった。
あれだけ優しかった彼は幻のように思えて、これが本性なのかと心が苦しくなる。
「あの、リュウさん。お尋ねしたいことがあります」
「なんだ?」
「私に見せてきた貴方の人間らしい一面は……あれは本物ですか? それとも偽物ですか?」
これまでメアリーが見てきたリュウは、本当に実在するのか疑問に思った。
ぶっきらぼうかつ不器用で、それでいて妙に過保護気味。それこそがリュウだ。
少なくともメアリーはそう信じている。
信じているからこそ、その疑問が残るなかでメアリーは父親に会いに行くのは嫌だった。
「パパに会いに行く前に教えてください。リュウさん、お願いします」
わざわざ頭を下げてまで懇願する。それを見たリュウは面倒臭そうに溜め息をこぼした。
やはり自制心を持って行動しないと、後々さらに面倒なことになると痛感する。
おまけに、リュウ自身は蛇の中に取り込んだ騎士を早く吐き出したいと思っていた。
中に異物が入り込んだ違和感を感じながら、渋々メアリーの話しに付き合う。
「メアリー、本物か偽物かなんて決めることじゃない。所詮はそいつの一面に過ぎないからな」
「では先程楽しそうにしていたリュウさんは」
「あぁそうだ、あれこそが俺自身だ。ま、あまり見せられたものじゃないけどな」
「そう、ですか」
できれば否定して欲しかった。とメアリーは思ったが、それ以上は考えないようにする。
代わりにリュウの新しい一面を知れてよかったと、考えを切り替えることにした。
「だからと言って、今までメアリーと接してきた俺も決して嘘にはならない」
「私もそう思っています。必ずしも内面はひとつだとは限らないでしょうし」
メアリーの呟きに対し、リュウは「そうだな」と答える。たしかに内面はひとつとは限らないが、リュウは元々今の人柄とは大きくかけ離れていた。
昔はもっと荒んだ性格だったと言える。そんななか、今の人格に辿り着いたのもいろいろな巡り合わせを経たからだ。
もちろん、その中にはメアリーも含まれている。
「もういいか? 親父さんはこの先にいるから、早く会いに行こう。婚約者のこともケリをつけたいしな」
「そうですね。行きましょう!」
メアリーを守っていた少女の魔物は、役目を終えて帰るべき場所へ戻っていった。
リュウが手を差し伸べる。メアリーは元気よく彼の元まで走り、差し伸べられた手を強く握りしめた。
「なんだかとても不思議な気持ちです。私はメアリーですが、貴方と過ごした記憶が確かにあります」
「もう一回お兄ちゃんって呼んでいいんだぞ」
「その事は後でじっくり話しましょう。他にも気になることは沢山ありますし」
そうこうしているうちに、ふたりは目的の場所にたどり着く。そして目の前には、メアリーの父が立ち尽くしていた。
その周りでは、リュウを警戒している数人の兵士がふたりを取り囲む。
「そんな、まさか……本当にメアリーなのか?」
「もちろん貴方の娘、メアリーです。今まで沢山の心配をかけてごめんなさい」
「そんな……こんな、都合よく私の目の前に姿を現すものなのか? にわかには信じがたい」
父親はそう呟くと、メアリーをじっくりと観察し始めた。無理もない、こうも都合よく現れるのは普通ならあり得ない。
周りにいる兵士たちも警戒を解かず、父親から命令が下るのを待っているようだった。
「では私だと証明しましょう。パパとママがふたりきりの時に呼び合っている名前で」
「アッ、よおくわかった。この娘は私の娘、メアリーで間違いないな! うん! いや、あははは!」
メアリーが本物であると証明しようとした瞬間、父親が血相を変える。
そしてあからさまな態度に豹変し、心なしか汗も掻いてるようだ。
「そうだ。すまないが君たち、遠くで倒れている仲間の生存確認をしてきてくれ」
「心配するな、死んじゃいない。ただ眠ってもらっているだけだ」
「ふむ、そうか。なら大変だと思うが仲間を起こしてきてくれ、私はここで彼らと話がしたい」
その命令が下ってやっと、警戒していた兵士たちも構えるのをやめる。そして父親の命令のもと、兵士たちはその場を離れていった。
「ところでメアリー。なぜお前が私たちしか知らない秘密の名前を知ってる?」
「ふふん。パパとママのことはお見通しだから」
父親が汗を拭いながら、メアリーに真っ先に問いかける。その問いかけに対し、メアリーは腕を組んで誇らしげに答えた。
子どもは親の見ていないそばで、あらゆる知識を得る。今回は夫婦の間に存在する秘密の名前が対象になっていただけだ。
「パパ、よく聞いて。彼には敵意なんて一切ないから、それだけはわかってほしいわ」
「わかっている。でないと護衛を私から離したりはしない。ところで、私は彼をなんと呼べばいい?」
「あぁ彼はり……」
「ロベリアと呼んでくれ」
メアリーが父親に紹介しようとした時、リュウが遮るように自身の名を口にする。
このとき初めて聞いた名は、メアリーの思考を停止するには十分だった。
「ロベリア。花の名前か」
「真名を血縁以外に知られてはいけない掟がある。例え恋人同士でもな」
「それは厳しい掟だ。私はヴァルッテリ、ここよりずっと遠くの北の地から嫁いできた」
父親は気付くこともなく、自然と世間話が始まる。
メアリーは驚いた表情をしたまま、ふたりの様子を見守っていた。
「このご時世にしてはかなり珍しいな」
「そうだろう。当時はいろいろと風当たりも強かったが、戦果をあげたりとここまで頑張ってきた」
「それは褒め称えられるべきことだ」
ロベリアという名前と同時に、ここまで口数の多いリュウもこの時に初めて目にした。
メアリーはリュウについて、知らないことがまだまだ沢山あるのだと実感する。
と、同時に嬉しくも思った。
なんせメアリーは最初から『リュウ』という名前を知っている。当然嬉しくないはずがなかった。
「娘を勝手に連れ去って悪かったな。獣が沢山いる危ない森の中で泣いてたもんだから」
「そうだったのか。まあ娘が無事でなによりだ、ロベリアに敵意がないことは十分伝わっているしな」
ふたりの会話に耳を傾けながら、不意に父親がいつもとは違うような違和感を感じ始める。
だが目の前にいるのは確かに本人であり、メアリーは胸の中でもやもやしたものを感じていた。
「ところでおと……ヴァルッテリ、卿……ひとついいか。ずっと気になってることがあった」
「どうされた?」
「あんたは誰かに催眠術をかけられているな。いや、催眠術じゃない……一種の呪いか」
「まさか、私がか? 信じられないな」
父親自身は思い当たる節がないため、金毛の髭をさすって首をかしげている。
しかしリュウの目には全てお見通しのようだ。それは単なる催眠術ではなく、呪術であることも見抜く。
「じっとしていろ。俺が取り払ってやる」
リュウは父親にそう言葉をかけると、彼の目前に手をかざした。そして次の瞬間には「終わったぞ」と言い、かざした手を退ける。
呪術が払い退けられても、父親には特に異変は起こらなかった。
が。しばらくすると父親は突然強烈な頭痛に襲われ始める。あまりの痛みに脚の力は抜け、その場に崩れ落ちた。
「パパ! 大丈夫!?」
「くっうぅ……私は大丈夫だ。メアリー、うぐっ」
メアリーが心配する声をかけ、父親に駆け寄る。父親は顔を俯けたまま、頭痛を耐え凌いだ。
頭がかち割れるように痛い。原因もわからず、なすすべもなかった。
が。頭痛は意外と早くに治まり、父親はおぼろげながら顔を上にあげる。
「ん……ん? ここは、どこなんだ。私はなぜここにいる? 今まで見ていたのは、夢か?」
「あんた平気かよ」
「誰だおまえは。私に気安く話しかけるな」
リュウが心配する声をかけるも、父親は今までと一変した態度を見せた。そしてリュウを凝視した後、突然剣を構え出す。
「お前だな、私の夢に出てきたのは。この悪魔のクズめ! 娘をさらっておいてよく私の前に姿を現せたな! 殺してやる!」
「ぱっパパ!? いきなりどうしたの!」
「はっ、メアリー!? どうしてそこに、今まで見ていたのは夢では……」
父親の豹変ぶりに、ふたりは状況を飲み込めずにいた。が。父親は娘に引き止められ、その姿を見た途端に今度は慌てだす。
そして剣を片手に構えたまま、意識混濁の症状を見せ始めた。
「こりゃあ呪術のせいだな。この呪いをかけた奴、相当なやり手みたいだ」
「ど、どうしましょう。パパが」
「落ち着けメアリー、なにも問題ないから。取り敢えず、この人には一旦眠ってもらおう」
慌てふためくメアリーをなだめ、リュウは意識混濁を起こした父親に歩み寄る。そして躊躇いなく、彼の頭に強烈な一撃をお見舞いした。
平然としつつも行われた凶行に、メアリーは絶句する。そんななか、父親は意外とすぐに意識を手放して地面に倒れ込んだ。
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