018 それは確かにあの人だ
それは余裕もなかった末に出た、咄嗟の判断にすぎない。メアリーたちに向けて放たれた矢は、大抵は的を外れて地面に突き刺さった。
それでも数本の矢は的中している。的中した矢は全て、リュウの背中に突き刺さっていた。
なぜ矢が背中に刺さっているのか、それはリュウが身を呈して庇ったに過ぎない。
そして未だに矢が降り続けるなか、メアリーはここが最も望まなかった場に化したことを悟った。
「リュウさん……」
自身を庇ったまま反応がないリュウに声をかける。体温が少しずつ伝わり、彼の匂いが鼻腔をくすぐった。
その匂いは初めて嗅ぐはずなのに、不思議とどこか懐かしいような不思議な感覚を覚える。
ふと過去にも抱きしめられたことがあると、妙な既視感を感じた。同時に頭痛も押し寄せ、メアリーは強烈な痛みにさいなまれる。
「あ……わたし、私は……」
その時、メアリーは全てを思い出した。頭の中で今生とは別の記憶が、蓋を開けたように溢れ出てくる。
つい最近まで毎晩のように見ていた悪夢の謎も、今になってようやく解けた。
「リュウさん」
自身が誰であったかも思い出し、両目からぽろぽろと大粒の涙が溢れていく。
メアリーはもう一度、彼の名を口にした。
「リュウさん……また会えていたなんて、嘘みたいだわ。でも本当なのね」
リュウの顔を見つめ、溢れ出る想いを口にする。それでもなお、彼は反応を示さなかった。
背中に手を伸ばすと、突き刺さった矢が手に当たる。同時に生暖かい感触も指にまとわりつき、メアリーはそれを確認した。
手にはべったりと、リュウの血がついている。
「痛そうに……。相変わらずあなたは無茶なことばかりするんですから」
「……」
「でも私は大丈夫です、だから安心して。ここまでして本当に心配性ですね、お兄ちゃんは」
目の前にいる彼が誰であったのか、メアリーは確かめるように呼んだ。自身が彼の妹であったことも知り、恐れることもなくなる。
その時にようやく、今まで反応を示さなかったリュウが口を開いた。
「後でじっくり昔話でもしよう。ひとまず俺の背中に刺さった矢を抜いてくれ」
「痛みを我慢できるなら、私にお任せあれです」
頼まれたとおり、メアリーは刺さった矢を丁寧に抜いていく。その間リュウは痛みに耐えしのいだ。
最後の一本を抜いた時、リュウがおもむろに立ち上がる。メアリーが全てを思い出した今、容赦する意味はなくなったと前方にいる兵士らを睨みつけた。
「あの、リュウさん。お願いがあります」
「なんだ?」
リュウから放たれる殺意を感じ取り、慌てて彼の腕を掴む。不安そうな顔をするメアリーに、リュウは「どうした?」と優しく問いかけた。
「彼らは許せないと思います。でも手加減はしてあげてください、殺さない程度には……」
「……」
リュウは魔王を倒した男だ、本気を出せば悲惨な結末も起こり得る。メアリーは望まない結末が来るのではないかと危惧した。
そんなメアリーの頼みに多少の思うとこはあれど、リュウは「わかった」と頷く。
「殺さない程度にしておく。死なない程度に」
「は、はい」
不意に足下にあった影が大きく伸び始め、そこから黒い何かが姿を見せた。禍々しいものを感じ、メアリーは思わず後ずさる。
リュウがそれに手を伸ばすと、そこから傘を持った女の子が出てきた。
「ひっ」
「大丈夫だ、安心しろ」
「この娘は、どなたですか?」
「別にだれでもない。だがこれから俺の代わりにメアリーを守ってくれる」
青白い顔の女の子は、薄汚れた包帯で目が隠れている。メアリーより幼い容姿をしていて、右手には縫合の痕があった。
そして女の子が現れたことで、なにかが腐ったような臭いが鼻をつく。
嗅いだこともない臭いにメアリーは顔をしかめ、それが女の子から発せられていることに気づいた。
「リュウさん、この娘……まさか」
「今は変な勘繰りをしてる暇はないぞ。
女の子について訊ねようとしたが、リュウに遮られてしまう。結局わからずじまいで、リュウは敵のいる方向へ向かっていった。
リュウの後ろ姿をメアリーは心配そうに見つめる。怪我を負った状態で敵に向かっていく姿は、あまりに無謀といえた。
彼が通り過ぎていった箇所には血が滴り落ちている。やはり引き止めたほうが良かったと、メアリーは彼の名を呼ぼうとした。
その時──
「あれは……?」
禍々しい気配を感じとり、不意に訪れた異変に気付く。異変の正体は案外すぐにわかった。
地面に滴り落ちた血から黒いものが少しずつ溢れ出ている。周囲はまだ明るいはずなのに、そこだけ闇が姿を表していると感じた。
「リュウさん? 本当に大丈夫ですか?」
「大丈夫だ。なにも問題ない」
なにも問題ないはずがない──、そう答えたかったが躊躇する。なんせ、些細だった異変は着実に姿を表しつつあった。
明るかった空はいつのまにか雲行きが怪しくなり、周囲は薄暗くなっていく。
小さく姿を見せていた闇は大きく形を作り、今となってはひとつの個体になっていた。
先程感じ取った禍々しい気配はそれから発せられていたことに遅れて気づく。そして同時に、攫われた時に感じた強大な気配と似ていることも思い出した。
強烈な頭痛と吐き気が恐怖とともに押し寄せる。立つことさえままならなくなり、メアリーはその場にかがみ込んだ。
──メアリーの目には、五つの頭を持った巨大な黒い蛇の姿が映り込んでいる。
蛇はリュウの周りにぐるぐるとどくろを巻いた。そしてリュウと同じように、真っ赤な双眸で兵士らをじっと見つめている。
「本性を表したな悪しき者め」
兵士らは巨大な蛇の存在に怖気付いていた。それはアレクサンダーも同じであり、もう勝ち目がないことも悟りきっている。
それでも引き返すわけにはいかなかった。ここで自分たちが死ぬか、男を倒してメアリーを連れ帰るか。
覚悟を決めて、アレクサンダーは再び兵士らに矢の用意をさせた。
そして合図とともに多くの矢が放たれる。
先ほどと同じように上手くいくと、誰もが心から願った。しかし、現実はそう上手くいかない。
矢が放たれると同時に、五つの頭はリュウの頭上へ移動し盾となった。
蛇の至るところに矢が命中する。それを見た兵士らは蛇を倒せると、勝機があると確信した。
が、その些細な希望もつかの間で終わる。
命中した矢は全て、闇に呑まれて蛇の中へ沈んでいった。消えた矢の行方は誰にもわからない。
それだけで兵士らを絶望へ突き落とし、戦意を失わせるには十分だった。
沈黙がその場を支配する。誰も次に射る矢を構えようとしなかった。
そんな時、微動だにしなかった蛇にある異変が訪れる。五頭ある頭のひとつが伸び、口を大きく開けた。
顔を地面に向け、なにかを吐き出そうとしているように見える。
案の定、蛇の口から魔物が吐き出された。
「ば、ばけもの……」
誰かがぼそりとそう呟く。しかしその呟きも、風の音と蛇の嗚咽によってかき消された。
吐き出された人外は蛇の唾液にまみれ、反応は示さない。顔は包帯で包まれ、薄汚れたウェディングドレスを身につけていた。
肌は黒く変色し、生きた人間ではないだろう。もともとは人で、きっと未練を残して死んだんだ。
あのウェディングドレスも彼女にとって、人生を彩るひとつになったかもしれない。
が。それも叶わず、彼女は未練を抱いたまま魔物へ成り果てたのだ。
そんな空想も踊るなか、吐き出された魔物が奇妙な音を立てて動き始める。緊迫した空気が流れ、兵士らは武器を構えた。
魔物が金切り声をあげる。それと同時にアレクサンダーも声高に叫び、戦いが始まった。
「はははっ」
誰かが笑っている。しかし辺りで響き渡る喧騒によって、その笑い声は掻き消されてしまった。
それでもなお声の主は笑っている。よほど可笑しいのか、悟られないように両手で顔を隠していた。
が、不意に笑うのを止める。そしてゆっくりと、指の隙間から双眸をのぞかせた。
いつも気怠そうだが、どこか優しさもあった瞳はそこにはない。まるで獲物を見るような、鋭い目つきに変わり果てていた。
そんな目をした人物こそ、メアリーが心から慕っているリュウであると誰が想像できるだろう。
そして彼が見つめる先には、剣を片手に持ったアレクサンダーの姿があった。
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