Ep02 愛車遍歴と、ガレージハウスの話。~その2~

 オープンカーって奴は、実用性なんてモノさえ考えなければ本当にキモチのイイ乗り物である。

』なんて事が出来るのダカラ……。


 風を感じて走るならバイクでもイイんじゃない? って思った人居るよね?

でも、チョットだけ考えてみて欲しいんだ。

バイクってヘルメット被らなきゃいけないし、ヘマすると転んじゃうっていう乗り物なんだよね……。転べば、当然ながらバイク本体は傷だらけだし、運転してる人間だって大ケガするかもしれない。


 一方、オープンカーってのはヘルメットも必要ないし、四輪だから転倒する事も無い。普通に安全運転するなら、思いっきりオープンエアーを感じながら運転を楽しめる訳だ。


 だけど、俺は東京に転勤になったんだよなー……。

当たり前の事なんだけど、車の数がハンパなく多い。そして主要な道路――環八や環七・国道20号や246号に世田谷通り――は言うまでも無く、首都高に上がっても時間を考えないと渋滞の嵐である。

訳だ。


 だけど、都内って場所によっては面白い車とすれ違ったり、並走したり出来て楽しかった。

白金や青山に六本木・西麻布とか、普通に最新のフェラーリやランボルギーニなんかのスーパーカーがウロウロしてるし、運が良ければ希少価値の高いヴィンテージ・カーや、もっとマイナーな(失礼! イイ意味でって事ね)パガーニやら、とにかく普段ならまずお目に掛かれない様な車が普通に居たりするんだよね。


 コレって車好きな人間にとっては、目の保養だし後付いてってみようかな? なんて思う事もしばしばだった。(←実際には行ってないヨ、本当に)



 あ、ここからチョット車のハナシから離れるけど辛抱してね。

 転勤になった俺の仕事は、ラジオ番組の制作だった。

久しぶりのラジオの仕事だった。

俺は、とある地方の放送局に社員として入社したのだけど、入社から三年半がラジオ制作部勤務、その後の三年半がテレビ制作部勤務だった。

当時は、大らか……というか、ユルい時代で企画を通すのも予算を分捕ぶんどるのも、とても容易たやすく入社してから制作の現場に居た頃は仕事なんだけど好きな事しかしてなかった。


 あのアーティスト好きだから、ゲストに呼ぼう! とか、あの女優さんに会いたいから、コンベンション行ってみようかな……。みたいな毎日だった。

 テレビ制作の時は作業量が格段に多かったのでアンマリ遊べなかったけど、仕事自体が遊びみたいなモンだったから、楽しくてしょうがなかった。

 特に制作関係の部署だったり編成関係の部署だったりに居ると、実は個人的に……オイシイ事があるんだけどね、コレは別の機会に話そうかな……。


 そう、俺は都内某所の東京支社でラジオの番組を作っていたんだ。

それも、殆どが夜九時から始まって、夜中の一時前に終わる長尺の生放送だった。そんな勤務だったから、当然朝から出社なんてしない訳で昼間は、それこそドライブしたり、買い物したり遊んだりしていた。


 そして、東京支社に常駐している制作担当者は自分一人だけだった。

何をしていようが自由なわけである! まるで天国の様な七年間だった……。

俺は実に七年間もの間、制作で支社勤務したのだった。

コレは、俺の知る限り最長記録である。(普通は三年居られれば長い方だった)


 コレで遊ぶなって方がムリな話である!

だから、ホントは自家用車での通勤は禁止だったのだけど、俺は躊躇ためらう事無く車通勤していた。

 そして、そんなある日いつもの様に夜中に生放送が終わって出演者とスタッフにタクシーチケットを渡して送り出し、俺はいつも帰り道に使っていた世田谷通りを走っていた……。

そしたら、ソイツが停まってたんだ!


 ソレが、前に話した二台目の『プジョー205』だったんだけど、外見も中身もノーマル車とは全く違うシロモノだった。

俺は迷わず、その『205』の前に愛車バルケッタを停めて車から降り、引き付けられる様に『205』に近付いて行った……。


 

ボディの形状からしてノーマルとは全く違った、とにかくワイドでブリスターフェンダーがハンパなかった……。半ばア然としながら、後部に回ると明らかにレース車輌に付けられる様なマフラーが顔を出しており、さりげなくウイングまで付いていた。そして目を引いたのがカッティングシートによる装飾と、現役のレース用車輌の様に様々なパーツメーカー等のロゴが至る所に貼られていた。

ホワイトのボディにフロントとリアのスポイラーがレッド、ボディ中央に配されたショップらしきロゴの一部が青という、トリコロールカラーを基本に、パーツメーカー等はマットブラックでまとめられ、とてもセンスとバランスが良く一目で虜になっていた。


 外見の凄味もさることながら中身がまた凄かった!

内張りや後部座席は全てはがされドンガラ状態で、ノーマルの代わりに奢られていたのは、スパルコ社製のドライカーボン・フルバケットシート2つだった。

そして、ウェイトバランスのためにバッテリーを後部トランク部分に移設。

もちろんキルスイッチも付いていた。

…………そんな風に思えた。

それぐらい気合いの入った『プジョー205MAXI 仕様』だったのだ。


この衝撃的な出逢いの翌日の昼間、早速あのイカレタ『205』が停まっていた場所に行ってみた。あれは、アノ時たまたまアソコに停まっていただけでもう居ないかもしれない……。

だけど、アノ『205MAXI 仕様』は普通に同じ場所に停まっていた。

よく見ると、ボディに貼ってあった青のショップのロゴらしきカッティングシートと同じ看板が控えめに掲げられていた。


 すげー、このショップがこの『205』をチューンしたのか!

そう思いながら迷わず、店内に入った……のはイイんだけど店内に居たのは明らかに外国人……ニホンゴで大丈夫なのかな? って思いながら会釈したら

 「いらっしゃい。こんにちは。ボクは、フランクです」

穏やかで流暢な日本語が返ってきた。おぉ! これなら通じる! よかった!

 「表の『205MAXI 仕様』なんですけど……」

そう言った途端、店の外に連れ出され『205』の横に連れて行かれた。

そこからはもう、フランク氏の独壇場だった。(モチロン笑顔で聞いてたよ)

彼は、フランス人で元レースなんかをやっていて、プジョー社のレース部門である『プジョー・スポール』にも顔がきくという、凄い人だった。

その彼が、あらゆるコネクションを駆使しゼロからパーツを集めて本気で作ったデモカーがコノ『205MAXI 仕様』だった。


 まずエンジンからして普通じゃなかった。

なんと、Aが入っていたのである。

まず、普通の人間じゃ手に入れられないエンジンだし、ブレーキもレース用のブレンボで、ミッションもラリー車用の物に換装されていた。そして、例のマフラーである。マダックっていうメーカーのレース車輌用の物で今はもう製造していない物だった……。


 俺は導かれるままに、前にノーマルだったけど『205』に乗っていた事や、とにかく『205』愛を熱く語っていた。

フランク氏とはこうして意気投合し、色々な話をして盛り上がった。


そして、その3日後に俺はあのイカレタ『205MAXI 仕様』購入の契約書に実印を押していた……。

そう、出逢いって凄いよね!


~その3~ へ、続く……





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