第4話 魔法と踊る受験生-4

 蘭花は生まれて長らく、その存在を秘されていた。

 決して社会問題になるような、戸籍を持たない子どもだとかいうのではない。間違いなくこの国に正式に生まれ持った情報が登録されている、一人間として認められた存在ではあった。

 ただ、レディ・ランファの子どもであるということをずっと秘匿されてきたのだ。

 女性の魔法使い――往々にして魔女と呼ばれるけれど――は、妊娠出産がその身に宿す魔力に大きな変化をもたらすと伝えられていた。実際、ある程度医学的というか、魔法学的にそういう傾向があると実証されていることだった。子どもを産むと同時に魔力が減少する傾向にあると言われていて、ほんの少しの減少で済む魔女もいれば、大きく魔力を損なってしまう魔女もいた。

 そのため、特に魔法を売りにした女性パフォーマーや芸能人は、結婚や妊娠出産を契機に大きく人生が変わるものが多かった。

 それまでできていた魔法のパフォーマンスがうまくいかなくなり方向転換を余儀なくされるもの。仕事が減っていくもの。出産を契機に引退まで追い込まれるものもいた。

 清純さや、身もふたもない言い方をすれば男性の影があるか否かが問われる一般のアイドル並みに、もしかしたらそれ以上に、結婚が人気を大きく左右する世界だった。

 真子は結婚せずに一人で蘭花を産んだので、事が露見すればなおのことセンセーショナルに取り上げられることは明白だった。真子は自分の生き方を否定したり、人生の選択を後悔したりすることを屈辱に感じる人間なので、蘭花を後ろめたい存在とは思わなかっただろう。

 そんなことは、十分愛情を受けて育った蘭花自身が一番よくわかっている。進路のことで喧嘩しようが、それで一時険悪になろうが、そこははき違えないつもりだ。

 ただ、世間から向けられる無責任で不躾な好奇の視線や、偏見や悪意といったものから、母は多くのものを守りたかったのだろう。

 苦心を重ねるだけ重ねて、使える手立ては使えるだけ使って、妊娠も出産も、蘭花の存在も真子は隠そうとした。そうして隠し通すことで守られていたふたりの日常生活は、蘭花が小学校に入学するころに一変する。

 蘭花の存在が世間にばれたのだ。

 むしろ良くもったほうかもしれない。蘭花の成長に伴い、その世界は広がっていった。蘭花の世界が広がれば、それだけ存在は大きくなる。いつかはばれてもしょうがなかったことだが、いよいよその時はやってきてしまった。

 どこから情報が漏れたかは正確にはわからないが、大方、蘭花が小学校に入学したことがきっかけだろう。幼稚園や保育所の類には通わず、ベビーシッターや家政婦に子守されながら幼児期をやり過ごした蘭花が、初めて社会と関わりを持ったのが小学校といっても過言ではないのだから。

 真子は潔く蘭花という子どもがいることを認めた。そのうえで堂々と振舞い、毅然とした態度でマスコミや世間の好気の目に挑んだ。隠し通せず守れなくなったものを、今度は真っ向から立ち向かうことで守ろうとした。

 テレビの中でマスコミに追われ、囲まれる母を蘭花は見た。蘭花の前では決して見せない厳しい表情で画面に映る母を観て、幼心にこの世に自分たちを追い詰める何者かがいることを知った。自分たちの生活をかき乱そうとするものがあることを悟った。

 だから蘭花は、外を歩くときはいつも怯えていた。騒ぎのせいでめったなことでは外を出歩かなかったが、学校に通っているからには全く外に出ないわけにはいかなかった。 

 騒動の渦中にあっても、却って目立つからと送り迎えをしてもらうことはなかったので、学校と家の間を誰にも守られず歩いていくしかない。それでも朝の登校時はまだよかった。蘭花の通う学校は集団登校をしていたので一人になることはなかったから。

 問題は下校時だ。集団下校ではなかったので、蘭花はほとんど一人で帰っていた。幼稚園に通っていなかった蘭花は小学校で突然始まった集団生活の中でなかなか友達ができなかったし、騒動のせいで周囲の人が怖くていつもおどおどしていたから、あまり声もかけてもらえなかった。

 その日も何かに怯えるように、時々後ろを振り返りながらびくびくと一人下校していた。蘭花はいつも教室で、今日こそは誰かに声をかけて一緒に帰ろうかと試みては、結局誰とも一緒になれず最後に一人教室を出て行くので、スクールゾーンを歩くころにはもうほとんどだれも歩いていない。

「ねえ、なんで後ろチラチラ見ながら歩いてんの?」

 振り返った瞬間、少し後ろを歩いていた男の子に話しかけられた。

「俺のこと気にしてんの?」

 少年がやや不機嫌そうな表情をしたので、蘭花は慌てて首を振った。

「ち、ちがう」

「ならなんで?」

 眼鏡をかけた男の子だった。

 青い鮮やかな塗装をしたメタルフレームの眼鏡で妙に目立つ。蘭花の周りにはクラスメイトも含めて眼鏡をかけた人がいなかったので、少し物珍しかった。ランドセルに交通安全の黄色いカバーをかけている。新入生が夏休みまでつけておくよう言われるものなので、おそらく自分と同じ一年生だ。

「誰か追いかけてくる気がして……」

「学校のやつ?それとも変な人?」

「ううん、あのね、ママが追いかけまわされてるから、私のとこにも来ちゃうかなって、怖くて」

 少年は眉根を寄せた。蘭花は事情を説明する。

「へー。お前あのテレビに出てる人の子どもなんだあ」

 少年は報道の内容をよくわかっていないのか、何でもないことのように言った。

「あの人、なんか悪いことしたみたいに言われてるな」

「そんなこと……」

 ない。と言い切りたかったが、蘭花にはもう良くわからなくなっていた。ママは悪い人なんかじゃない。でも、周りを取り囲む人たちはママの話なんて聞いてくれない。

「でもさ、あれ、周りにいるやつらのほうが悪い人みたいだよな」

「え?」

「だってさ、お前のお母さんがなにしたか俺よく知らないけどさ。でも、周りにいるマスコミっての?あの人たちのほうがすっごい意地悪に見えるよ。大声で質問したり歩くの邪魔したりさ。あんなのに追っかけ回されたら怖いもん」

 少年らしい素直な意見だった。幼くとも不愉快な光景なのか、いかにも不満げに言う。

「うん、怖いの、あの人たちすごく怖い!」

 わかってもらえた。蘭花の胸に緩やかに喜びが迫る。

「だよなあ。なに、あいつらお前のとこにも来るの?」

「わかんない。今まで来たことないけど、でも一人で帰るのいつも嫌になるの」

「そっか。じゃあ一緒に帰ろうか!」

 元気よく少年が言う。蘭花は目をしばたたかせた。

「え、え?ほんとに?」

「うん。どうせ俺も家そっちだもん。それにな、俺は魔法使いだから、悪いやつが来たらやっつけてやるよ!」

 そう言って少年は、特撮ヒーローのようなポーズを取った。蘭花とほとんど背は変わらない。だけどすごく、頼もしい。

「ありがとう!」

 蘭花は笑った。学校生活の中でこんなに笑顔になったのは初めてのことかもしれない。

「俺は熊谷くまがい火連。火が連なるって書いてカレンっていうんだ。かっこいいだろ!」

「うん、すごくかっこいいね!私は草壁蘭花っていうの。ねえ、火連くんって呼んでいい?」

「いいよ、俺は蘭花って呼ぶから!」

 初めてのことだった。名前で呼び合う友達と出会えたのは。


「へえ、蘭花も魔法使いなんだ。俺、お父さんとお母さんとテレビ以外で魔法使いに会うの初めてだ」

 出会って以来、蘭花と火連はいつも一緒に下校するようになっていた。火連は蘭花がマンションのエントランスに入っていくまで律儀に見守ってくれていたし、おかげで安心して下校することができるようになっていた。

「うん。私もママと、『フーディエ』の人たち以外には初めて会ったよ」

「フー……とかっていうの、蘭花のお母さんがいるマジックチームだよな。テレビで見たけどすごいな、あれ。特に蘭花のお母さんが一番すごい。空飛べる人はテレビの中でもあの人しか見たことないや」

 火連は期待に満ちた表情で言った。

「もしかして、蘭花も空飛べるのか?」

「飛べるよ。でも、ママは私にあまり魔法を使うなっていうの。目立つと色々大変だからって」

 蘭花は少しうつむいた。今でこそ真子は蘭花に積極的に魔法の練習をし――もちろん、使用できる場所は限られているけれど――、目立つことこの上ないパフォーマーを目指すように説き伏せているが、この頃は蘭花に魔法を使わないように言いつけていたのだ。

「あー。確かに魔法を自分勝手に使ったらいけないって、俺もお父さんとお母さんに言われるなー。もっといっぱい使ってみたいのに」

「私、魔法使いたいのか使いたくないのか、自分でもわかんないや……」

 母の真似をして空を飛んでみようとしても、困ったように『魔法でお空を飛んではだめよ』と言われてしまう。その一方で、『蘭花にもたくさん魔法を教えられたらいいのにね』と相反する希望を真子は口にすることもあった。

 真子が蘭花の魔法を隠そうとしたことも、できれば教えてあげたいと思うことも、どちらも母なりの愛情であったのは理解できる。

 この頃の真子と蘭花に対する世間の目は厄介なものであったから隠したかったのもわかるし、それでも自分の誇りである魔法を娘にも教えたかったという気持ちだって今となればわかるのだ。

 けれど幼い蘭花は、自分の中に芽生えていた魔力を使っていいのか、いけないのか、魔法はいいことなのか、悪いことなのか、すっかりわからなくなっていた。

「……なあ、蘭花ってしょっちゅう下向いて歩くのな」

 思わず暗い気分になっていたら、頭までそのまま下を向いてしまった。

 人の目が怖いとき、自信を失ってしまった時。小さな体を縮こまらせて、蘭花はどんどんうつむいてしまう。

「だって私、弱虫だから」

 弱虫。自分で言ってあまりにもみじめな響きがした。目立たない代わりに、とても臆病な生き物になってしまいそうだった。

「でも蘭花、空飛べるんだろ?かっこいいじゃん」

「飛んじゃ駄目って言われてるもん」

「お母さんの言うことは守らなきゃ駄目だよ、それは。あんなに追っかけまわされるかもしれないのに、魔法使って目立っちゃ駄目だよな。でもさ、魔法使って活躍してる人、いっぱいいるだろ。蘭花のお母さんみたいにテレビ出てる魔法使いもいるし、他にも警察官とか消防士とか、レスキューの人とかにも、魔法で人助けしてる人もいるだろ。今は無理でも、蘭花だっていつかそうなるかもしれない」

「無理だよ、そんなの」

 とても想像できなかった。母のような華々しい世界を歩む自分も、ヒーローみたいに人を助ける自分も。

「ちゃんと顔上げろよ、蘭花」

 強い声だった。蘭花ははじかれたように顔を上げる。まっすぐ蘭花をみてそう言う火連は、いつだって背筋を伸ばして歩いていた。

「魔法はすごい。空飛べるのはもっとすごい。だから蘭花はすごいんだよ。今は使っちゃ駄目って言われてもさ、いつか空飛ぶの、見せてよ」

 火連は笑顔で言い切った。

 びっくりした。蘭花のことをすごいだなんて、そんな風に言ってくれる人はいなかったから。魔法使いは特別ではないという。けれどそれでも魔法はすごいと、蘭花はすごいと火連は言うのだ。

「ありがとう、火連くん」

 火連にありがとうというたびに笑顔になる。

「いつか一緒に空を飛ぼうね。二人で飛べるのかはわからないけど、私、頑張るから」


「本当に久しぶりだね、火連くん。会えて嬉しい!」

 思いがけない場所で、思いがけず火連と再会した蘭花は満面の笑みで彼に駆け寄った。

「いや、だから下の名前で呼ぶなって」

 火連が一歩身を引いて言う。

 確かに飛びつきそうな勢いだったけれど、さすがに男の子にいきなり飛び込むなんてしないのに。

「どうして?火連くん自分の名前かっこいいって言って気に入ってたじゃない」

「そんな昔の話……。ほんとないわ、響きは女子っぽいのに字面だけいかつくて却ってダサいわ恥ずかしいわ……。うちの親のセンスどうなってんだよ」

 火連は呻きながら額を抑えた。

「かっこいいのになあ。火連くんにぴったりなのに」

 言っても蘭花が呼び名を改めないので、火連はあきらめたようにため息をついた。

「火連くん、どうしてこんなとこにいるの?もしかして、『フーディエ』の舞台、いつも観に来てるの?」

「いや、初めてだけど」

「ほんと?でも今日って関係者向けの公演なんだけど、どうやってチケット取ったの?」

 蘭花は首を傾げる。何席か一般向けに発売されていたのだろうか。

「……蘭花のお母さんがチケット送ってきたんだけど」

「はい?」

 思わず間抜けな声を上げる。

 なぜそんなことをしたのか見当もつかなければ、教えてもらってもいなかった。いや、それよりも。

「ママが火連くんにチケット送ったの?嘘、だって私、引っ越してから何度も火連くんに手紙送りたいって、電話したいってお願いしたのに、ママが火連くんの住所も電話番号も知らない、調べられないっていうから諦めたのに、なんで?」

 蘭花は小学一年生の夏休みに引っ越しをして転校している。安全とプライバシーを優先して、より高度なセキュリティが売りのマンションに移り住んだのだ。市内であったしそこまで遠方に引っ越したわけではないのだが、幼い蘭花では一人で火連を訪ねることもできなかった。

「何でと言われても、知らん」

「調べたのかな。でも今になって?昔、私に手紙とか電話とか駄目って言ったのは、あの時期ママの警戒心がすごかったからかもしれないけど……」

 まあいいか、と吹っ切るように言って、蘭花は顔を上げた。

「なんでママが火連くんを招待したのかはわからないけど、こうやってまた会えてよかった!これで私また、魔法学校の受験に向けて頑張れそうだもの」

 蘭花にとって火連は、何より勇気をくれる人なのだ。今こうして会うことができて、それがどれだけ力になるだろう。

「こっちはいい迷惑だよ」

 だから、ため息交じりに言い放たれた言葉を、蘭花は一瞬理解できなかった。

「……え?」

「受験近いこの時期に、興味もないのに全然知らん場所に出向いて。断ろうと思ったけど、レアなチケットに違いないから、もったいないことしないで行って来いとかうちの母親は言うしさ」

 思い出の中の火連と、目の前にいる少年の姿が離れていく。火連の言葉をうまく呑み込めなくて、蘭花は呆然とした。

「いまいち受験勉強にも身が入んないしさ。こんなことしてる暇ないっていうのに」

「火連くんも、魔法学校受験するんだよね?」

「さあ、どうするかな。別に普通の学校でもいいかなあ」

 火連はこんなこと言う人だっただろうか?

 蘭花の知る火連はもっとまっすぐで、いつも蘭花を励ましてくれる人だった。

 思わず、どうしてと声を上げそうになった瞬間。

「よく来てくれたわね、火連くん。蘭花も」

 よく通る声を響かせて、ロビーに真子が現れた。

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