第2話 魔法と踊る受験生-2

ある日のニュース番組。

『私は今、県の防災センターに来ています。見てください、こちらの建物の中には、実際の災害現場が再現してあるんですね』

 リポーターは災害でつぶれた家や瓦礫だらけの道路を再現したセットの前から中継をしている。再現された災害現場は狭い路地の先にある住宅地のようで、いかにも救助活動が困難な現場の様相を呈していた。

『それではさっそく救助訓練の様子を見せていただきましょう。お願いします!』

 リポーターが言いながらカメラの前から下がる。カメラに映し出されたのは、よく目立つオレンジの作業服を着た救助隊員らしき人たちが数人ほど。

『これより救助を開始する』

 リーダーらしき隊員が言うと、残りの隊員が一斉に了解の声を上げる。統率の取れた動きと号令を出しながら、隊員たちはつぶれた家の前に立った。ひときわ大きな屋根が家を押しつぶし、重機がなくては救助活動もままならなそうだ。

『全員配置完了、浮上開始!』

 号令がかかると、数名の隊員たちはつぶれた家に向かって手をかざした。と、その手元が淡く輝き、それに合わせてつぶれた屋根と、その下の家の骨組みや瓦礫が宙に浮かび上がる。

『要救助者発見!』

 浮いた瓦礫の下から、救助者に見立てた人形が発見された。隊員たちの半数が瓦礫に手をかざしたままとどまり、残りの隊員が救助者を抱えて担架に運んだ。救助者が安全な場所に運ばれたのを確認すると、隊員たちはゆっくり手を下ろし、それに伴って浮かび上がった瓦礫も静かに地面に落ちる。

『皆さんお疲れ様でしたー』

 リポーターが拍手をしながらフレームインしてきた。隊員たちもカメラの前に整列をする。

『皆さんは、このほど県内のレスキューチームに初めて配備された、魔法救助専門の隊員の皆さんです。隊長さんにお話を聞いてみましょう』

『はい。災害現場では重機が入れないような現場や、その場にある設備だけでは救助が困難な現場もあります。そういったとき、魔法を使うことで迅速に、安全に救助活動を行うというのが、私たちが組織された主な理由になります』

『日本ではまだ少ない魔法救助隊ですが、一部地域ではすでに活躍している魔法救助隊もいますので、今後の活躍が期待されます』

 ではスタジオにお返しします、とリポーターが言うと、明るく華やかなスタジオセットに切り替わる。

『ありがとうございましたー。いやあ、実に素晴らしい活躍でしたね。ゲストの皆さんにも感想を聞いてみましょう』

 笑顔の男性キャスターが言うと、カメラは女性キャスターを挟んで座っている青年たちを映した。

『いやほんとに、すごく頼もしいですね。こういう風に魔法が使われるのって、とても素晴らしいことだと思います』

 当たり障りのないコメントをした青年に、女性キャスターがさらに質問を加える。

『皆さんのライブも、魔法による演出が大変好評ですよね』

『はい。今度の僕たちのライブは、魔法を使って炎や水が舞台を飛び交うとてもかっこいいステージになっています。僕たちの魔法はまだまだ未熟ですけど、それでも精一杯、楽しいステージになるように頑張ります!』

 アイドルグループらしき青年たちのステージ映像が映し出される。青年たちはダンスに合わせて、体に水や炎をまとって操る。それは通常の舞台装置では到底できることではなかった。

『それでは番組のエンディングも皆さんと一緒に。また明日、お目にかかりましょう』


 現在、魔法は社会に溶け込んだ。

 ある者は社会に貢献し、奉仕するために魔法を使い。

 またある者は、感動と刺激あふれるエンターテインメントとして魔法を使う。

 こうして魔法は、今日も世界の一部になっていた。


  頭上に掲げた手の指先からつま先まで、全身に集中力を張り巡らせて。体の中心の軸を意識して姿勢をまっすぐに。音楽に合わせて体をそらし、足を持ち上げ、両手は柔らかな動きでポーズを取る。ステップを取りながら回転し、跳躍した。

  踊ることは好きだから、レッスンも楽しい。蘭花は母の強い希望で、幼いころからパフォーマンスのためのレッスンを受けていた。

 巷にはダンスやバレエ教室、声楽教室など表現を学ぶためのあらゆる教室が存在しているが、その特色は様々だ。

 趣味や教養として楽しめる教室もある一方、幼いうちから将来を見据えてレッスンに取り組む教室も存在する。

 レッスンに通い、その後の進路をどう選ぶかは自由だが、教室によってはパフォーマンスの専門学校を受験することを目標にしているところもいくつか存在している。

 蘭花の通う教室は特別に決まった学校や進路を推奨しているところではない。しかし卒業生のパフォーマンス学校への進学率が高いことと、何人も有名なパフォーマーを輩出していることから、レッスン生は本気で将来のパフォーマーを夢見ている少年少女たちばかりであった。

 受験シーズンに突入した今、舞台俳優やダンサーを目指す彼らのレッスンは一層の熱が入っている。その熱量が表現に一層の磨きをかける者もいれば、不安や焦燥感に駆られるがゆえに熱を入れすぎてしまうものもいた。どちらにせよ、懸命にレッスンに励む周りの生徒たちを見るにつけ、蘭花は同じようにはなれないと思う。

 決して彼らを冷めた目で見ているだとか、自分が手を抜こうだとかいうわけではない。幼いころからステージに立つ母の姿や教室の発表会で芸の世界を垣間見てきて、厳しくも美しい、素晴らしい世界だと思う一方で、それでも自分がその世界に入りたいとは思えなかった。自分がなりたいものとは違っていた。そんな蘭花が、舞台に立つことを目指し努力を重ねる彼らと肩を並べて踊るのは失礼だろう。

 今日のレッスン最後の課題曲が終わって時計を見れば、予定時間を十五分越えたところだった。整列をして先生の評価や締めの話を聞き、挨拶をしてレッスンは終了する。

 時間がいくらあっても足りないレッスン生たちは、真剣な表情を崩さず帰り支度を始めた。体を動かしていない間も、頭の中でレッスンの内容を反復し、振り付けの流れをなぞり、万全な状態で受験やオーディションに臨めるよう備えているのだろう。

 思いつめたような表情で教室を後にするレッスン生たちを見るたび、蘭花はなおいっそう後ろめたい気分になるのだった。


「うー……、グラフってよくわかんない」

 シャーペンのノックで口元を叩きながら蘭花は唸った。目の前のテーブルいっぱいにノートと参考書を広げながら頭を抱える。

「先生、因数分解ってわかります?」

「中学生の数学なんてもう忘れちゃったよ。私が教えられるのはダンスと簡単な魔法だけなんだから」

 蘭花の問いに、張りのある声が返ってくる。声の主である女性は手元でいじっていたタブレットを部屋の隅の棚に置いた。タブレットはレッスンに使う音楽の管理や、生徒やその保護者とメールなどをやり取りするためのものだろう。

 彼女は蘭花の通う教室の講師だ。レッスン後、二人で普段使うレッスンルームの地下にある事務室に降りていた。事務室として使っているだけでここもダンスルームとしての設備が整えられていて、周囲は鏡張りになっているしレッスンバーも備えてある。鏡に囲まれながら、蘭花は受験勉強に励んでいた。

「ねえ蘭花ちゃん。真子さんとちゃんと話した?」

 先生はレディ・ランファを本名の「真子」で呼ぶ数少ない人のうちの一人だ。先生もまた、真子から親しげに下の名で典子と呼ばれる。

 先生は水原典子みずはらのりこという名で、彼女もまた現役パフォーマーだったころは芸名で呼ばれていたが、現役を引退してからは本名で呼ばれることのほうが多いようだ。

 典子は引退するまでフーディエに所属していた。そのため、蘭花は教室に通う前から典子と交流があったし、他のパフォーマンス教室は選択肢になく、真子の絶対の信頼を得ている典子の教室に通い続けている。

「一応、話はしたけど、わかってはもらえなくて……」

「でしょうね。でなきゃこの時期に私に個人レッスンまで頼んでくるはずないもんね」

 典子はため息をついた。

 蘭花は通常レッスンの後に典子から個人レッスンを受けている。当然、その分レッスン料は余計にかかるが、真子はそんなことは問題にしない。

 使えるところでは人脈をフルに使う人でもあり、本来個人レッスンは受け付けていない典子に頼み込んで特別に時間を設けてもらった。これはまさしくコネであり、贔屓であり、蘭花がほかのレッスン生たちに対して負い目を感じる要因の一つでもあった。

「蘭花ちゃんが芸能科やパフォーマンス系の学校に進学しないっていうなら私は構わないし、普通科を受験したいっていうなら、個人レッスンなんかより勉強したい気持ちもわかるわ」

 真木野学園は、魔法のパフォーマンスを学ぶ芸能科ならば、魔法の能力試験やダンスなどの技能試験がメインで筆記試験はおまけ程度だという。しかし普通科を受験する場合は、魔法よりも五教科の筆記試験の結果が合否を決めるのだ。もちろん、魔法の教育機関なので魔法が使えなくては話にならない。そのため受験時に魔法の能力を見られるには見られるらしいが、それは適性検査のようなものらしい。芸の道という特殊な世界に進むための芸能科と、一般社会に羽ばたくための足掛かりとされる普通科では性質が違うということのようだ。

「でも、私もお金をもらってる以上、約束通り個人レッスンをしないのは契約違反になっちゃう。後から真子さんにレッスン料を返金したっていいけど、そういう問題でもないし、真子さんは許してくれないだろうなあ」

「私がちゃんとママを説得します。先生には迷惑かけません。だからお願いします、この時間を使って勉強させてください!」

 蘭花はテーブルに額がつく勢いで頭を下げた。

 無理を言って、個人レッスンの時間にダンスや体操のレッスンではなく勉強をさせてもらっている。本当は学習塾に通いたいのを我慢して、母の望み通りパフォーマンスのレッスンに行っているのだからそれくらい良いじゃない、と言いたい気持ちもある。

 けれどそれは蘭花の勝手であり、蘭花と母の問題であり、職務を全うすべき典子を巻き込むことではないのだ。わかってはいるけれど、蘭花だって自分の進路を曲げたくはない。だからこそ一刻も早く母を説得しなくてはならないのだが、これが難題だった。

「なるべく早く、真子さんときちんと話し合って決めてね。さっきも言ったように私も付き合うには限界があるし、そもそも、もうあんまり時間ないでしょう」

「はあい……」

 母の目をごまかしながら勉強することはできても、最後まで自分勝手に突き進むこともできまい。嘘をついたり隠し通したりしてやりきれるわけもなく、何度か正直に自分の希望を話しているのに聞き入れてもらえない。それでも願書を提出するまでには母の同意を得なければならないし、その日もあとひと月ほどでやってくる。

「頑張ってね、私は蘭花ちゃんの味方」

 蘭花が沈んだ顔をしたのを見抜いたか、典子が明るく言った。真子さんは怖いけどね、と冗談めかす。

「私も両親には自分の希望する進路を反対されたクチだからさ。魔法使いとしてでも良い、そうでなくても良い、パフォーマーやダンサーになりたいって言い続けたのに、猛反対された。銀行に商社に公務員に……。そういう仕事に就きなさいってさんざん言われた。パフォーマーを目指すように真子さんに言われる蘭花ちゃんとは逆ね」

「ママに聞きました。先生はご両親の反対を押し切って芸の道に進んだって」

「そう。許しもないまま家を飛び出して……。苦労話なんて面白くもないからしないけど、どうにかこうにか真子さんのもとでステージに立てるようになった。それでも結局、いまだに両親には理解してもらえていないけど」

「今でも、認めてもらえないんですか」

 蘭花の年齢と同じくらいの時間はパフォーマーとして生きている典子が、それほどに長い間、両親の理解を得られていないことに驚く。

「和解とは程遠いね。だから蘭花ちゃんは、ちゃんと真子さんと向き合って、そのうえで自分の行きたい道に進んでね」

「はい……」

 やっぱり、蘭花だって母とは喧嘩したくない。いや、喧嘩したっていいから、最後にはちゃんとわかりあいたい。だから、ちゃんと話そう。

「そうだ蘭花ちゃん。今、甘いものって食べられる?」

 空気を変えるように典子は言った。

「いただいたお菓子があるの。蘭花ちゃん、体重制限とかしてない?」

 レッスン生の中にはスタイルを保つために厳しい食事制限をしている者もいた。成長期の子どもにそれを強いるのは典子の好むところではないらしいが、それでも無理に止めることもできないようだった。

「ありがとうございます、大丈夫です!」

 蘭花も母に体の管理にしっかり気を遣うように言われているが、もとが小柄なこともあって体重制限をしたことはなかった。もちろん、他のレッスン生たちとは意識に大きな差があるのだけど。

「はい、どうぞ。好きなのとっていいよ」

「わあい、おいしそーう」 

箱に詰められた色とりどりの焼き菓子に手を伸ばす。蘭花がマドレーヌの包装を選び取ると、典子はその隣のドライフルーツのパウンドケーキを手に取った。典子がお菓子の封を開けると、強い洋酒の香りが漂った。瞬間、テーブルの上にひらりと影が降り立つ。

「キューちゃん!」

 蘭花が声を上げると、その影は蘭花の膝に飛び乗った。ずっしりと重い大型の猫だった。ヤマネコの一種で、飼育に許可がいるような気性の荒い獰猛な種類の猫であったが、蘭花は今まで怖い思いをしたことがない。体は大きいがいつも膝に乗ってくるので、愛らしいなと思ってしまう。猫は蘭花の膝に乗ったまま、お菓子の匂いをかぐ。

「これキーユ。お前のおやつじゃないよ」

 典子が声をかけると、猫は鼻先をゆるゆるとお菓子から遠ざけた。猫はキーユという名前だったが、言いにくいので蘭花はキューちゃんと呼んでいる。

「キューちゃんはかわいいなあ。キューちゃんのショー、また見たいなあ」

 キーユの喉元を撫でてやる。ゴロゴロと喉を鳴らしながら甘えてくるので、ついお菓子をあげたくなるがそれはよろしくない。

「この子も年だからね。私が引退するのと同時に引き取ったけど、まだまだ元気ね」

 キーユ、と一際はっきりした声で典子が呼ぶ。途端にキーユは姿勢を正し、蘭花の膝から典子の足元に降り立った。

 典子が指揮者のように腕を振ると、行儀よく座ったままのキーユが指揮に合わせて首を振り始めた。典子が大きく腕を振り上げる。そのタイミングで飛び上がったキーユが典子の肩に飛び乗った。典子はキーユを肩に乗せたまま踊るように跳ねて、部屋の隅にあるバランスボールへと近寄った。それを転がしながら部屋の中央に戻ると、キーユがボールの上に飛び乗った。うまくバランスを取りながら、キーユは見事な玉乗りを見せる。典子は満足したように笑って、キーユに向かって腕を広げた。その腕にキーユが飛び乗る。

「はいキーユ、お客様にご挨拶」

 典子が言うと、キーユはにゃあ、にゃあと鳴いた。大きな体と美しい毛並みと相まってとても凛々しい。蘭花は思わず拍手する。

「キューちゃんも先生も素敵!」

「ありがとう。うん、まだまだにぶっちゃいないわね」

 言いながら、典子はキーユを撫でてやる。

 典子の現役時代のパフォーマンスは動物芸だった。獰猛なライオンも巨体の象も従順に操り、スリルと興奮に満ちたアニマルショーで観客を魅せた。一方でペットとして親しまれるような犬や猫のショーもまた人気で、特に現役引退まで連れ添ったキーユとのパフォーマンスは人気が高かった。

「今は動物を使ったパフォーマンスは規制が厳しいからね。一般の調教師によるショーの規制はもっと早かったけど、最近は魔法使いと使い魔のパフォーマンスも難しいみたい」

 魔法がメインのアニマルショーは、魔法使いが魔法で操る「使い魔」と言われる動物を出演させる。キーユは典子の使い魔で、本来芸を仕込むのが難しい気の荒い猫であるキーユが典子の言うことをよく聞き、立派に芸をやってのけるのは魔法の力によるところが大きい。そうして魔法の力によって動物を制御することで、アニマルショーが成立しているという側面も確かにあるのだ。

 ショービジネスにおける動物の扱いは複雑で、無理矢理に人間の言うことを聞かせられる動物がかわいそう、という非難はいつでもついて回った。どんなに愛情をもって動物と接し、動物と一緒にショーを楽しんでいたとしても、物言わぬ動物たちとの関係は本当に繊細だ。実際、鞭で叩かれたり狭い檻に閉じ込められたりと、ひどい扱いを受けた上でステージに上げられる動物も多かったことだろう。

 使い魔は鞭で脅して言うことを聞かせたり、鎖で繋いで自由を奪ったりはしない。また、使い魔は魔法使いに制御されている限り野生に戻ることはないと言われているため、安全とされていた。そのため最近まで、魔法を持たぬ一般の調教師による動物のショーよりも優遇されていて、盛んでもあった。しかし「魔法の支配」が動物にとって本当に負担がないのかは実証できないのではないか、見世物には変わらないではないかという意見も強まってきて、結果、魔法使いと使い魔によるパフォーマンスも減少することとなった。

「使い魔も結局使われる身だろっていわれちゃうとね…。私はキーユとちゃんと信頼関係を結べているつもりだけど」

 難しいね、と典子は笑う。

「キューちゃんは先生のこと大好きだもの、とってもいい子だし」

「ありがと」

「先生だって、今でもステージに立ったら大人気だよ」

「どうかねえ。一応こうしてパフォーマンス講師をやらせてもらってるだけあって、体はまだまだ動くけどねえ」

「動物の芸は、もう教えないの?」

「んー、使い魔を仕込むのは魔法の領分だからねえ。それこそ魔法学校の分野というか。簡単な魔法ならまだしも、私は魔法のほうはお金もらって教えるほどの腕はないよ」

 そもそも魔法が世間に認められているのは、厳しい規制のもとに成り立っている。魔法使いの子どもはむやみに魔法を使わないことを大人から強く言いつけられるし、親は子どもの魔法のコントロールに関して適切な指導を求められる。

 家庭での対処が難しい場合の子どもは、行政の魔法機関などに相談をして指導可能な魔法使いの元や教室で学ぶことがあるが、この指導者は一定の基準の技量と資格を認められたものだ。真子や典子がフーディエの後輩に指導をする程度のことはあったが、教室まで開いて魔法のレッスンをしようとするなら、それ相応の資格がいる。

「ダンスやパフォーマンス指導は、体が続く限り頑張らせてもらうけどね」

 典子が人気パフォーマーとして活躍し、引退後に開いた教室も人気があるのは、ひとえにその身体能力の高さゆえだった。使い魔の使役は魔法の中ではそこまで難しいものではない。アニマルショーができる魔法使いはほかにもいくらでもいただろう。それを補うように磨かれた典子の肉体美が見せる美しいダンスや身体技が、彼女の地位を押し上げた。それ故、典子のパフォーマンス教室はあくまで魔法を抜きにしたパフォーマンスやダンスレッスンの教室で、魔法を教える教室ではない。

「先生はやっぱりかっこいいな。それにレッスン生のみんなもすごく努力してて、私、申し訳なくなっちゃう」

 弱く笑って、蘭花は力なく椅子にもたれた。

「ちゃんと自分の目標に向かって努力してる人が、その道に進むべきだよ。だから私だって、芸の道じゃなくて、自分の進む道に向かってちゃんと努力したい。そうして初めて、私の魔法は価値を持つんだと思う」

「そうだね。それはもちろんその通り」

「確かに私の使える魔法は、ママと同じく貴重なものなんだろうけど。それだけでママと同じ道は選べないよ」


 ――あなたには他の誰にも真似できない魔法があるの。

 

 蘭花がレッスンを嫌がった時。魔法使いであることをからかわれた時。そして、将来パフォーマーを目指すつもりはないと言った時。母は蘭花にこう言い聞かせた。実際には蘭花や真子意外にも「その魔法」が使えるものはいるらしいのだが、ごく少数で非常に貴重な才能らしい。けれどその魔法はパフォーマンスに特化しているわけではないし、人の役にたち、救うことだってできると蘭花は信じている。だから。

「私は自分の信じる道を行きたいの」


「うー、寒ぅいぃ……」

 教室を出て、口元を覆うマフラーの下で思わずうなる。

 教室は駅前より少し奥に入ったところにあるため人気も少ないが、街灯は強烈なLED照明なのでだいぶ明るい。むしろ駅前のほうが、街灯はあってもほとんどの店が閉店後だったので妙なわびしさがある。冬の寒さに身をすくませて歩いていると、どんどん背筋が曲がってくる。蘭花の背は小さくて、背中を丸めて歩いていると、分厚いコートやぐるぐる巻きの太いマフラーに顔や体がうずもれてしまうようだった。 


 ――ちゃんと顔上げろよ、蘭花。

 

 ふと、蘭花の脳裏に幼いころの思い出が蘇る。こうして背を曲げて歩いているとき、自分に自信がないとき。蘭花はこの言葉と、こう言ってくれた少年のことを思い出す。思い出すたびに、心にはほのかに灯がともる。

「うん、頑張ろ!」

 だから蘭花は、もう一度顔を上げて歩いていくのだ。

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