ランカ・フライング
いいの すけこ
魔法と踊る受験生
第1話 魔法と踊る受験生-1
真冬の冷たい風が運んできたのは、異常事態だった。
住宅街の公園の入り口で、風に乗って聞こえてきたのは叫ぶような子どもの声。その声に走り出せば、
風は異様なにおいも運んできた。何かが燃えるようなにおい。入り口からそう長くもない距離を走って、植え込みの前で、数人の少年たちが狼狽しているのが見えた。
「何してるの!」
大声を上げると、少年たちはいっせいに蘭花を振り返った。少年達の間に割って入る。どういうわけか植え込みには火がついて、パチパチと爆ぜる音を立てながら燃えていた。
「離れてっ」
言うと同時に、蘭花は手を振りかぶった。
瞬間、蘭花の手のひらの上に水の塊が表れて、腕が描く軌道のまま、水が炎に向かって飛び出していった。
ばしゃん、と水がはじける音と、ジュウウという蒸発の音を立てて、炎は沈静化する。
「すげえ!」
呆然と成り行きを見守っていた少年たちは、目の前で起きた出来事に興奮したらしく、色めき立って蘭花を囲んだ。
「こらあ!」
そんな少年達を前にして、蘭花は厳しい顔で一喝する。
「なに火遊びなんてしてるの!」
背は低いが蘭花は中学三年生なので、小学校低学年くらいの少年たちから見れば十分に年上だ。それでなくても悪いことをした自覚があるらしき少年たちは顔を歪ませてうつむいた。
「ごめんなさい……」
「たまたま私が気づいたからよかったものの、一歩間違えば火事になってたんだよ。どれだけ危ないことしたか、わかってる?」
「はい……」
「反省してるならいいんだけど。私だって水の魔法なんてほとんど使ったことないから、もっと火の勢いが強まってたら消火できなかったよ」
蘭花が言うと、少年たちは再び顔を輝かせる。
「やっぱりお姉さん、魔法使いの人⁈」
少年たちの変わり身の早さに、蘭花はまた一言たしなめようかと思ったが、少年たちはあまりに無邪気な顔をしているので。
「うんまあ、魔法は使えるね」
蘭花はようやく笑って答えた。
世界には魔法が存在した。
もとから魔法というものを持って生まれる人間がいたのか、遠い昔にどこかの誰かが魔法というものを生み出したのか、それは誰にもわからない。
ただ、歴史書の類には古くから魔法を使う者がいること、不思議な力を持つ者がいることが記されていたし、人々の間にも語り継がれていた。おとぎ話とはまた別に、現在でいう科学や解明された自然現象とはまた別に、確かに不思議な力が存在し、それを操る人々がいた。
しかしある時代から長らく、魔法は不遇の時代を迎える。魔法を、魔法使いを迫害する時代が到来したのだ。
魔法を持たぬ人間からすれば、得体のしれない力、悪魔の力と恐れられる。数少ない魔法使いを数で勝る魔法を持たぬ人間が弾圧し、追い詰める。罪人とする。処刑する。そうして魔法は不幸な歴史を歩み、両者の間には深い溝が生まれた。争いの時代もあった。
けれど歴史は少しずつ前へ進む。
時代が進むにつれ、人々は魔法を理解しようとし始めた。それは肌の色や生まれで人を差別することを愚かだと気付き始めるのと同様で、己と違う人間を認め合い、共に生きようという思いを人々が抱き始めたのだ。魔法を待つ者と持たざる者、両者は歩み寄りはじめる。
現在、社会に魔法は認められ、魔法使いは一般社会に溶け込んで生活している。そもそも、魔法を使えるからと言って何か使命を持って生まれてくるわけでもない。一般に魔法を持つ者は生まれつき魔力を持って生まれ、大体が祖先から魔法使いの血統である。それが特別というならそうなのかもしれないが、血や生まれで区別する時代では最早ないということだ。
ただ、それでも。
魔法でしかできないことがある。
「で、結局子供の火遊びだったってわけ?」
「そうみたい」
騒ぎのあった公園を後にして、蘭花は後から駆けつけてきた友人二人と一緒に帰路についていた。もともと一緒に下校中だったところ、異常を感知して蘭花が一人駆け出したのを追いかけてきてくれたのだ。
「どうしようもない悪ガキたちだねえ」
「特撮ヒーローの主人公が炎の魔法使いで、それに憧れてやってみたくなったんだってさ」
「さっきの子供たちの中に、誰か魔法使いの子がいたの?」
「ううん。お父さんのライター勝手に持ち出して遊んでたんだって」
はあ、と大げさにため息をついて友人たちは首を振る。
「魔法使いだって、むやみに魔法は使っちゃいけないって言われてるんだけどね。私は緊急事態ってことでさっき使っちゃったけどさ」
「いいよなあ、蘭花は。私も魔法使いに生まれたかったよ」
「普段は使わないにしてもねえ、やっぱ憧れるよねえ」
三人の中で、魔法を使えるのは蘭花だけだ。学年でも魔法使いは数人しかおらず、何かと羨望と好奇心の混じった視線を向けられる。それは時折、居心地の悪さを感じるので、蘭花は話題をそらした。
「特撮って、日曜の朝やってるやつだよね。あれの主人公の俳優さん、結構かっこいいよね」
中学生には子どもっぽい話題な気もしたが、幸いにして友達は乗ってくる。
「あの俳優さ、本物の魔法使いなんだって。なんでも今回の作品は、CG無し、スタント無しで、戦闘シーンとかで俳優が本当に魔法使ってるのが人気なんだって」
魔法が今ほどエンターテインメント業界に乗り出していなかった頃に生み出された『特撮』という技術は、今でも形を変えて、魔法と共存しつつ残っていた。
「へえ、そりゃ人気出るわ。CMとかで主人公が炎の魔法使うの見たけど、確かにすっごい迫力あるし」
それを聞いて、蘭花は勢いこんで言った。
「ね!炎の魔法ってまさにヒーローだよね!」
悪人や怪人を焼き払う炎の魔法。それは正義の魔法だと、蘭花は半ば本気で信じている。
「あれ、蘭花って特撮ファンだっけ」
「ううん、特別ファンじゃないし見てないけど。でも、炎の魔法は世界一かっこいいよ」
笑顔で言い切る蘭花に、友人たちは微妙な表情で顔を見合わせた。
「蘭花って時々言うことが変。まあいいけど」
「にしても、芸能界も魔法が席巻してるねえ」
「エンタメと魔法は相性いいしね。そりゃ私だって、使えるんだったら魔法のアーティストとかやってみたいもん」
そう言って、二人の友人はまた口をそろえるのだ。
「蘭花はいいよね、魔法使いで」
「魔法学校、行くんでしょう?」
蘭花たちは中学三年生、受験生だ。
「うん」
そして蘭花のような魔法使いの子どもは、魔法の教育機関に進学するという選択肢があった。
「どこ行くの?」
「
「ああ、真木野ね」
即座に反応が返ってくる。魔法を学習要綱に盛り込んでいる学校は数少なく、それゆえ却って目立つ存在であった。物珍しさもあって、たとえ魔法使いでなくても、進学を希望していなくても、その名を知っているということが多かった。
「あれって読み方、マキノ?マギノ?」
「マキノ、だよ。真木野、がマギの、に由来するってのは聞いたことあるけど」
マギ、はラテン語で魔法のことである。魔法が世間で認知されているとはいえ、あまり目立たない校名の魔法学校が多い。
「いいなあ、真木野。あそこ普通科のほかに芸能科もあるもんね」
「蘭花は当然、芸能科行くんでしょう?」
当たり前のように問われた。よくある決めつけとはいえ、伝わらないものだなあと思いながら蘭花は答える。
「私は普通科に行くよ。芸能科には行かない」
そう決めている。蘭花が目指しているのは魔法をいかに社会に生かしていくかを学ぶ場所。魔法芸術やパフォーマンスを学ぶ場ではない。
「ええええ?」
「嘘でしょ!」
どんなに蘭花が腹を決めていようと、周りの反応は否定から入ってきた。
「なんでよ、だって!蘭花だったら芸能科行くでしょ!小さいころからずっと色々やってきたのに!」
「そうだよ、蘭花の魔法なら絶対活躍できるのに、もったいないよ!」
二人を置き去りにするように、蘭花は歩みを止めずに言った。
「でも、私が目指してるものと違うもの。私、パフォーマー目指してるって言ったことあったっけ」
「ない、けど」
「でしょ?」
二人はまだ納得しきれないような顔だった。
「それさ、お母さんに言ったの?」
聞かれて、蘭花はうつむいた。それを言われるのは痛い。
「……じゃ、私電車乗るから。じゃあね!」
なので、駅が近づいたのをいいことに二人を振り切ってしまう。
学校を出て住宅街を抜けると地下鉄の駅に着く。近隣住民が主な利用者である短い距離の地下鉄は、駅も小さく繁華街とは程遠かった。それでも生活に必要な店や施設はそろっていて、中学生が通う学習塾もいくつかある。けれど蘭花の通う習い事は特殊なもので、電車で出かける距離の場所にあった。
改札をくぐり、たいして深くもない地下のホームへ降りていく。ちょうど滑り込んできた電車はやはり小さくて、見るたびおもちゃみたいだと思ってしまう。最近では流入する近隣住民に対して輸送量が釣り合わなくなってきていると言われているし、通学時間帯のラッシュはなかなか壮絶だと聞く。高校生になったら毎日これに乗るのだなあとやや気おくれしながら、まだ空いている平日午後の電車に乗り込んだ。
車両入り口の頭上には路線案内のモニターと、それに並んで広告用のモニターが設置されていた。車内マナーの啓発CMや鉄道会社のPRの合間に、映画やエンタメ情報が流れてくる。洋画の人気シリーズのCMから切り替わり、『HuDie』と書かれたクラシックな飾り文字が映像に浮かび上がった。続いて映し出されたのは、スポットライトに照らし出されるステージと、中央に立つ女性の姿。一見すると肩や胸元が露出したようなデザインの衣装を着ているが、よく見ると肩も胸も背中も、大きく開いている部分は肌色の薄い生地でおおわれている。ちょうどフィギュアスケーターの衣装のようだ。華やかさと動きやすさを併せ持っているのであろう衣装をまとった女性は、それこそフィギュアスケートか、もしくはバレエのようにしなやかにポーズを取りながら、ふわりと跳躍した――いや、そのまま宙を飛んだ。己の身一つで、宙に浮かびながら蝶のように舞い踊った。
「あ、レディ・ランファだ!」
蘭花のそばに座っていた同年代らしき少女が、モニターを見ながら友人らしき少女に言った。
「きれいだよねー、ランファのショー。私一回でいいから、『フーディエ』を生で観てみたいんだあ」
「魔法のステージの中でも、結構チケットの競争率高いもんね。テレビでは見れるけどさあ」
「この人さ、結構年いってるんだよね?確か四十歳近いんじゃなかったっけ。私たちと変わらないくらいの子どももいるはずだし」
「嘘、ウチのお母さんと比べても断然若く見えるんですけど。これでウチらと同じくらいの子どもがいるの?」
「娘じゃなかったかな。やっぱランファとおんなじで魔法使いなのかねえ。そのうち、二世タレントとかいってデビューしたりして」
広告が切り替わるよりも先に次の駅に到着し、少女たちは電車を降りていく。蘭花はその背中を眺めて見送る。
彼女たちの知らないことを、蘭花は知っている。
舞台を舞い飛ぶ麗しの蝶。観客を魅了する魔女、レディ・ランファ。魔法のパフォーマンス集団、『フーディエ』を率いる座長でもある。
おおよそ推測されているものの、正式には公表されていない彼女の年齢は三九歳。レディ・ランファはもちろん芸名で、本名はいたって純和風だ。娘が一人いて、その娘は中学三年生。その娘の名前は、自身の芸名にちなんで名づけられている。娘には華やかで、そして自分が誇れる名前を付けたかったのが名づけの理由らしい。
その魔女の本名は、
そして娘の名は、ランファにちなんで、蘭花という。
草壁蘭花。
レディ・ランファの娘。
モニターに映る母の横顔を見つめながら、蘭花は息をついた。
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