飼い犬転生 ~犬は人の心を持てるのか~

橋本洋一

第1話「必ず帰ってくるから、良い子にしているんだよ、シロ」

 ボクは犬である。

 正確に言えば犬だった。

 毛色が白かったから、ご主人さまにシロと名付けられた。


「必ず帰ってくるから、良い子にしているんだよ、シロ」


 ご主人さまはそう言って、戦争に出かけた。

 ボクにはよく分かんないけど、お国のために戦うんだって言っていた。

 そのとき隠れて泣いていたのを覚えている。

 死にたくないってご主人さまは泣いていたんだ。

 その涙を舐め取ったのも覚えている。


 ボクは戦争に行ったご主人さまの帰りを待ち続けた。

 雨の日も、雪の日も、待ち続けた。

 街が空襲で焼けたときも待ち続けていた。

 運良くご主人さまの屋敷は燃えなかったけど、真っ赤に染まった空を見て、この国はひどいことになってしまったんだとぼんやり思った。


 それから何年か経って。

 戦争が終わって。

 ご主人さまの戦友が訪ねてきた。


「シロ。お前の主人は、いつもお前のことを話していたよ――」


 戦友はそう言って、ボクに写真を見せてくれた。

 戦地でご主人さまが戦友と一緒に写っている写真だった。

 笑顔だったけど、どこかボクの好きなご主人さまの笑顔じゃなかった。


「お国のために、お前の主人はよく戦ったよ。おかげで俺は生き残れた」


 戦友はそう言ってボクの頭を撫でてくれた。

 なんとなく、ご主人さまが死んだことが分かった。


 その後、ボクは年老いて、死ぬときを迎えた。

 最期に思ったのは。

 ご主人さまと会いたいということだけだった。




『ああ。なんて主人思いの忠犬なんだろう!』

『そうだ、この犬を転生してあげよう』

『大丈夫! きっと主人に会えるさ!』

『会えるまで転生させてあげるよ!』




「ロッシ! 何ぼうっとしているのよ! さっさと歩きなさいよ!」

「ご、ごめんジュリア。今行くよ!」


 ボクは――人間になっていた。

 何がどうなったのか分からないけど、気がついたら赤ちゃんになってた。

 それからボクは十五年間、普通の両親と普通の生活をしていた。

 ――おっかない幼馴染が居るけど。


「まったく! 本当にとろいんだから!」


 いつもボクを叱っているのは、幼馴染の女の子、ジュリアだった。金髪を三つ編みにしていて、ぱっちり大きく開いた目に大きい口。ボクには分からないけど、村一番の美少女らしい。でもいつもボクのことを怒ってる。きっと動作がのろいから嫌われているんだろう。

 後ろ足で歩くのは、十五年経ったので、少しは慣れたけど、前足――手先は不器用だった。そんなところもジュリアを苛々させる。


「早くしないと英雄さまを見逃しちゃうんだから!」

「分かっているよう!」


 ボクは目にかかった白髪を払いのけてジュリアの後を追う。

 だんだんと人の臭いが強くなってきた。曲がり角を抜けると、そこには大勢の人がひしめいていた。


「もう! ロッシが遅いから、出遅れたじゃないの!」

「で、でも、そんなこと言うなら、ジュリア一人で行けば良かったじゃないか」

「あなたと一緒に――なんでもないわよ!」


 怒っているジュリア。ボクは近くの民家の上に昇っている人たちを見てジュリアに言った。


「ねえ。上から見ようよ。梯子もあるし」

「仕方ないわね! さっさと行くわよ!」


 レンガ造りの家に昇って、ボクとジュリアは行進してくる騎士の団体を待った。


「まだかしら?」

「もうちょっとで着くよ」

「あんたどうして分かるのよ? ああ、臭いで分かったのね。本当に嗅覚が犬並みだわ!」


 元々犬だから、当然だけど。これは家族に口止めされているので言わなかった。


「あ! 来たわよ!」


 ジュリアが興奮してボクの手を握った。彼女はこういう癖があった。

 行進する騎士たち。

 そして馬上には、世界統一を企む『帝国』の軍勢を討ち滅ぼした英雄たちが居た。


「王国の三英雄! 『破壊者』レベッカさま! 『神算』ハドリックさま! 『聖騎士』レオパルドさま!」


 ジュリアがはしゃいでいる。まあ彼女が特別というわけじゃない。王国では熱狂的な支持を得ている騎士たちだから――

 その三人のうち、ボクは後ろに居た英雄に注目した。


 黒髪で端整な顔立ち。鎧姿。腰には細身の剣。遠目だからはっきりしない――でも匂いで分かる。


「ねえジュリア! あの黒髪の人――」

「うん? あのお方はハドリックさまよ! きゃあああ! 目が合ったわ!」


 目が合うわけがない。

 いやそんなことはどうでもいい。

 あの人は、ボクのご主人さまだ!


 ボクは思わず吼えてしまう。


「わんっ!」


 それは意外と大声だったらしく、下に居る街の住民たちが、こっちに注目した。

 英雄たちもこっちを見た。レベッカという赤髪の女性も、レオパルドという緑髪の男性も。

 そしてハドリック――ご主人さまも。


「いいわよ! ロッシ! もっと吼えなさい!」


 ジュリアの声は耳に入らなかった。

 やっと会えた! ボクのご主人さまに!

 ボクはいつまでもハドリックさまを見続けた。

 街を通り抜けるまで、ずっと。




「はあ!? 村を出て王都に行く!? 何を考えているんだ?」


 その夜、ボクは父親のストーに話した。

 母のネルは「馬鹿なことを言わないの」と諭すように言う。


「あんたは畑を耕すのよ」

「そうだよ兄ちゃん。それに王都に行ってどうするんだ?」


 一歳年下の弟のミルトも反対している。それでもボクは行きたかった。


「ただ行くだけだよ。家業は継ぐよ」

「だから、行ってどうするんだよ?」

「ごしゅ――ハドリックさまに会いに行く」


 すると家族全員が吹き出した。


「お前なあ。田舎者がそう容易く会えるもんじゃねえだろ」

「言っても門前払いされるだけよ」

「そうだよ。それに今日、ジュリアさんと街に出かけたから、畑仕事遅れているんだよ?」


 流石に家族三人に反対されてしまったら、仕方がない。


「前々から思っていたけど、お前はおかしいよ」


 父親がボクに向かって溜息混じりに言う。


「臭いに敏感だし、犬に話しかけたり。まるで犬のようだ」

「だってボクは犬だった――」

「その冗談は止せと言っただろう! 何度言わせれば分かるんだ!」


 父親が怒鳴ってきた。テーブルを思いっきり叩く。

 母親は疲れた表情を見せて、弟は嘲りを隠そうともしなかった。


「家族以外には言っていないだろうな? もし言ったら確実におかしな奴だと思われるぞ」

「うん。誰にも言ってないよ」


 ジュリアにも言っていないことだった。というよりジュリア以外に友達は居なかった。


「とにかく、王都には行かせない。分かったか?」


 ボクは「分かったよ……」と言って仕方なく自室に戻る。

 家族たちはボクが居なくなってから、談笑し始める。

 まるで群れから仲間はずれされている気分だった。




 不貞寝していると窓を叩く音がした。誰だろうと開けるとそこにはジュリアが居た。


「ジュリア? どうしたのさ」

「あなた、さっきハドリックさまに会いたいって言ってたわね」

「うん。まあ」


 街から村へ帰る途中でジュリアに話したっけ。


「じゃあ一緒に行きましょう。王都へ!」

「えっ? ジュリア、パーセウスさんには?」


 パーセウスさんとはジュリアのお父さんだ。村の長、村長をしている。


「いいのよ別に。手紙書いたから」

「それって家出ってこと? というかなんで今なの?」

「さっき帰るときに聞いたのよ。王都で騎士を募集中ってね」


 ジュリアは悪戯っぽい目でボクを見つめた。


「私、魔法が得意だし、あなたは剣が得意だし。きっと騎士になれるわよ!」

「そうかなあ。得意って言っても村の中の話だよ?」

「何を怖気づいているのよ! チャンスじゃない!」


 ボクは幼馴染の話を黙って聞く。


「世界統一を企む『ガーバルト帝国』の軍勢を退けた『トルネ王国』の三英雄に会うにはこの騎士募集に応募するしかないのよ!」

「なんでボクを誘うのさ。他にもいろいろ――」

「あなたはとろいし白髪だし手先は不器用だし馬鹿だけどね」


 酷い言われようだった。まあ元々が犬だから仕方ないけど。

 それからジュリアは何故か顔を赤く染めた。


「私に従順なのが気に入っているのよ」


 まあ幼馴染だからということもある。


「さあ荷造りしなさい! 夜明けに出かけるわよ!」


 ボクはジュリアの申し出を断ることができた。

 でも断らなかった。


「分かった。少し待ってて」

「そうこなくっちゃ! 頼りにしているわよ、ロッシ!」


 何故か了承すればご主人さま――絶対にそうだ――に会えるかもしれないと思ったからだ。

 荷造りを終えたボクたちは村を後にした。

 きちんと『探さないでください』とジュリアに書いてもらった手紙を残したので、家族のみんなも安心だろう。

 それにボクがいないほうがいいに決まっている。

 

 こうしてボクの運命は決まり。

 そして動き出した。


 ボクの願いはただ一つ。

 ご主人様に会って――頭をなでなでしてもらうことだ。

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