婚約破棄でみんな幸せ!~嫌われ令嬢の円満婚約解消術~

春野こもも

前編


 わたくしの名前はエルザ=フォーゲル、16才でございます。侯爵家の次女として生まれ、今日成人いたしました。


 プラチナブロンドの髪と琥珀色の瞳は、お父様がいつも綺麗だと褒めてくださいます。侍女のカトリナも、「とても美しくて磨き甲斐があります」と言ってくれるので、わたくしも人前に出ても恥ずかしくない程度の容姿はしていると思います。





 6才の誕生日を迎えてすぐのことでした。わたしはこのバーデン王国の第2王子でいらっしゃいますレオンハルト殿下と、形ばかりの婚約をいたしました。レオンハルト殿下は眩い金髪にアイスブルーの瞳をお持ちで、それはそれは美しい容貌でいらっしゃいました。わたくしは初めて殿下を見たとき、思わずぼーっと見惚れてしまいました。


 その頃のわたくしは、肌が白くて目だけが大きく、鼻の周りにそばかすがあり、痩せっぽっちで、まるでドレスに着られているような少女でございました。

 婚約者同士の初めての顔合わせのとき、当時8才だったレオンハルト様はわたくしの顔を見るなり、指を指しておっしゃいました。


「こんな醜女と結婚するなんて嫌だ! 僕は大きくなったら好きな人と結婚したい!」


 陛下はそんな殿下をお諫めになりましたが、殿下はつんとそっぽを向き、さっさとどこかへ行ってしまわれました。お父様は拳を握りしめ、プルプルと振るわせて静かに怒ってらっしゃいました。

 わたくしはその場は堪えましたが、胸が痛くて、自分の部屋に帰ってわんわん泣きました。


「こんなにお可愛らしいのに、なんて失礼なのかしら!」


 カトリナはとても憤慨して、わたくしを抱きしめ慰めてくれました。あのときのことは決して忘れません。わたくしは殿下の言葉が悔しく、とても傷ついたのだけれど、カトリナのわたくしを思ってくれる気持ちがとても嬉しかったのです。


 わが国の王太子はまだ決まっておらず、わたくしが王太子妃になる可能性もございましたので、王妃教育を受け始めることとなりました。

 礼儀作法、語学やこの国の歴史についての勉強など難しいことも多く、大変ではございましたが、もともとお勉強が好きでしたのでそこまで苦になることもなく、自分の糧となるよい機会をいただいたと思っております。


 お陰様で先生方の覚えもめでたく、今ではほかの妃候補の皆様の授業に同席し、先生の助手を務めさせていただくまでになりました。そのため、候補のご令嬢とは今でも大変仲良くおつきあいさせていただいております。


 ですが、初めてお会いした時から殿下とお会いすることはございませんでした。殿下からのお誘いもありませんでしたし、わたくしも殿下とお会いするのは気がすすみませんでした。






 わたくしは12才になり、王国の魔法学園へ入学いたしました。その頃にはそばかすも消え、胸もふっくらしてきて、カトリナは将来が楽しみだと言ってくれるくらいにはなりました。


 しかしレオンハルト殿下とは、学年が違うこともあり、やはりお会いすることはことはございませんでした。わたくしのほうも遠くからお見かけするだけで、特にこちらから声をかけることはありませんでした。

 殿下はそれは見目麗しく成長されており、にこりと笑うだけで周囲の女子生徒がほうっと頬を赤らめる有様でした。


 わたくしはわたくしで、クラスの男子生徒から交際の申し込みやプレゼントをいただくことが増えてまいりました。しかし、男子生徒の皆様には、相手が殿下だとは言わずに、婚約者がいるからとお断りをさせていただいておりました。






 わたくしが14才になった春、学園に一人の女子生徒が転入してきました。お名前はルイーゼ=ダールベルク令嬢。男爵家のかたです。ピンクブロンドに紫紺の瞳の大変可愛らしいかたで、その容貌と天真爛漫な性格で彼女は瞬く間にレオンハルト殿下の目に留まったようでした。


 それから殿下とルイーゼ嬢は人目もはばからず、二人で学園内を歩くようになりました。殿下は婚約者の存在など忘れてしまっているかのようでした。実際忘れていらっしゃるのでしょう。


 わたくしは殿下をお慕いしているわけではなかったので、お二人を見ても特に何も思わなかったのですが、寮から実家へ帰ったときに、噂を聞いたカトリナがそれはそれは憤慨していました。お父様もとてもお怒りのご様子です。


 これはいけません。わたくしはこれまで殿下を遠くから拝見させていただきましたが、殿下と結婚してしまっては、わたくしはもちろんのこと、わたくしの愛する人たちも幸せにはならないと考えました。

 愛する人たちの心の安寧のためにも、この婚約を解消しなくてはなりません。そして、婚約解消をしても、家にもわたくしにも何のお咎めもないように、円満に事を進めなくてはいけないと考え、わたくしは決意いたしました。


 わたくしは学園に戻った後、黒髪のウィッグと眼鏡をつけて変装し、ある日の昼休み、ルイーゼ嬢とお散歩をされている殿下に近づきました。


「殿下、ルイーゼ嬢、ご機嫌よう。恐れながらお耳に入れたいことがございます。どうかわたくしの発言をお許しくださいませ。」


 わたくしはお邪魔になるのを承知でお二人に声を掛けさせていただきました。深く一礼して顔を上げると、なぜか殿下がわたくしの顔を見て、瞠目していらっしゃいます。

 わたくしは変装がばれてしまったのではないかとはらはらいたしました。


「誰? 貴女。こちらの方をこの国の王子殿下と知ってて声をかけてきたの?」


 ああ、ルイーゼ嬢は大変ご立腹のようです。


「もちろんでございます。この国の尊敬すべき王子殿下、並びに今殿下に愛され、最も近くにいらっしゃるルイーゼ嬢でいらっしゃいますわよね?」


「あら、分かってるじゃない。何の用?」


 ルイーゼ嬢のご機嫌が直ったようです。そして相も変わらず殿下はわたくしの顔を穴が開くほど見つめていらっしゃいます。


「わたくしの名前はマルティナと申します。殿下の形ばかりの婚約者、エルザの従姉でございます。」


 今は隣国に嫁いだ従姉マルティナの名前を、わたくしは勝手ながら拝借させてもらいました。


「あ、ああ、あまりにもエルザと顔立ちが似ているものだから、つい貴女がエルザかと思ってしまった。」


 なるほど、殿下は一応おぼろげに私の顔を覚えていらっしゃったのですね。髪の色は全く違うのですが危ないところでした。とりあえず別人に成りすますという、作戦の第一段階は成功したようです。


「実は従妹のエルザは、殿下とルイーゼ嬢の仲睦まじい姿に、真実の愛はかくあるものかと大変感動しておりまして、自分のような形だけの婚約者がお二人の愛を育む障害になるのではないかと、懸念しておりますの。」


 わたくしは睫毛を臥せ、悲しみの色を表情に浮かべながら、大きな溜息を吐きます。


「なんだと……? エルザがそんなことを……?」


「あら……。いろいろ根回しする手間が……いえ、何でもありませんわ。おほほほ。」


 殿下は愕然とした表情を、ルイーゼ嬢は喜びを隠しきれないといった表情をしていらっしゃいます。好感触でございますね。後は畳みかけるだけでございます。


「つきましてはこちらに、既にエルザによって署名済みの、婚約破棄承諾書がございます。あとはこちらに殿下のご署名をいただけませんでしょうか? 二人の署名が揃いましたら、わたくしからフォーゲル侯爵にお願いして、陛下に受理していただきます。既にフォーゲル侯爵には許可をいただいております。そしてこの書状が陛下に受諾されれば、晴れてお二人には何の障害もなく、真実の愛を育んでいただけます。」


「婚約破棄承諾書……。エルザはそんなに私のことを……。」


「ええ、エルザは殿下にお幸せになってほしいと申しておりましたわ。」


 あら? なぜか殿下のお顔の色がすぐれません。てっきりお喜びになるかと予想しておりましたのに、想定外です。


「レオ様! せっかくこう言っていただいてるのですから、早く署名をしてくださいませ。わたくし、早くレオ様と堂々と一緒に外を歩きたいのです。」


 ルイーゼ嬢が殿下の首に腕を回し、猫なで声で甘えています。こういっては何ですが、すでにお天道様の下を堂々とお二人で歩いていらっしゃるので、今さらのことと存じます。


 殿下は書類をぎゅっと握って逡巡していらっしゃいます。……ああっ、そんなに力強く握ったら大切な書類が皺になってしまいます! 貴重品ですので丁寧に取り扱ってくださいませ!


「マルティナ嬢、悪いがこれはしばらく預からせてもらえないだろうか。」


 えっ、ちょっと待ってください。すぐに署名をいただけないなら持って帰ります……と、ええ、とても言えませんでしたとも。


「は、はい、承知いたしました。エルザにはそのように伝えさせていただきます。」


 わたくしは別れ際に見た、沈痛な面持ちの殿下の様子が気になりましたが、あとは殿下とルイーゼ嬢で決めることでございます。あの書類に署名なさることは、お二人にとって何の損失にもなりません。

 きっと数日中に署名を終えて書類を返していただけるでしょう。



 ………そう思っていた時期がわたくしにもありました。

 あの日レオンハルト殿下にお預けした婚約破棄承諾書が一向に返ってくる様子がありません。このままでは婚姻の日がやってきてしまいます。


 今でもわたくしと殿下との交流は全くございません。

 そして相変わらず、学園内では殿下とルイーゼ嬢がお二人仲睦まじくご一緒に歩いていらっしゃいます。

 ただ、あの日から毎日、どこからか誰かに監視されているような視線を感じます。以前より殿方から見つめられるといったことは時々ございましたが、最近感じる視線はそれとは違う感じがいたします。






 そしてそんな日々を送りながら、とうとうわたくしは15才の誕生日を迎えてしまいました。


 ある日の放課後のことでございます。わたくしが帰り支度をして教室を出ようとしたところ、別のクラスの男子生徒がわたくしに声をかけてきました。

 交際の申し込みをいただき、わたくしはいつものようにお断りの返事をいたしました。ところがその方は他の方のようにすぐに諦めてくださらず、強引に私の腕を掴み思いの丈を訴えてこられたのです。


 そのときでした。


「おい、やめろ! 困っているじゃないか。」


「へ? で、殿下?」


 男子生徒は驚いたようにレオンハルト殿下を見て声をあげると、わたくしの腕を放し、一礼して慌ててどこかへ去っていきました。

 わたくしも驚きましたが、一応助けていただいたお礼をしなければと、殿下に頭を下げました。エルザとしては、実に8年ぶりの会話でございます。


「ありがとうございます、殿下。」


「あ、いや……。」


「……。」


「……。」


 ええ、とても会話なんてできません。わたくし達には何ら積み重ねているものもありませんし、お互いのこともよく存じません。8年の空白が重くのしかかります。

 間がもちませんでしたので、わたくしはその場を辞すべく殿下にご挨拶をいたしました。


「それでは殿下、失礼いたします。ご機嫌よう。」


 わたくしが一礼いたしますと、突然殿下から声がかかりました。


「待ってくれ。この、婚約破棄承諾書の署名は確かに君のものなのか?」


 ああ、そうでした。せっかくですから殿下の署名をいただいて、念願の婚約破棄承諾書を預からせていただきましょう。


「はい、確かにわたくしのものでございます。」


 わたくしの言葉を聞いた殿下は、あの婚約破棄承諾書を預けた日の別れ際の時のような沈痛な面持ちで俯き、またもや書類を握る手が震えていらっしゃいます。


「そんなに、君は、俺が嫌いなのか……。」


 殿下の言葉を聞いて、わたくしは理解に苦しみました。わたくしは殿下に対してお慕いする気持ちこそございませんが、嫌いなどと思ったことはございません。


「いえ、わたくしは殿下のことを嫌ったりはしておりません。」


「じゃあ、なぜこの書類に署名をしたのだ。」


「それは殿下の幸せを思えばこそでございます。初めてお会いした時に、殿下は『好きな人と結婚したい』とおっしゃられていました。ですからルイーゼ嬢との真実の愛を育んでいただくために、その書類を作成させていただいたのでございます。」


「……ぅ。」


「はい?」


「違う! あの女に対して特別な気持ちはない。勝手に彼女がついてきているだけだ!」


 え、一体どういうことなのでしょう。あれだけ仲良く歩いていて何とも思っていないと言われましても、わたくしにはとても信じられません。


「わたくしにはとてもそうは見えませんでしたけれど。」


「そうか……。君は一応俺のことを気にしてくれていたのか……。」


 いえ、違います。気にしなくともあれだけ堂々と二人で歩いていれば自然と目に入ります。それでなくとも殿下の容姿は目立つのですから。


「俺は、初めて会ったあの日、君に言ったことをひどく後悔した。そして何日か後に謝罪の手紙を書いたのだ。だが、君からの返事は来なかった。俺は許してもらえなかったと思った。」


 え、どういうことでしょう? わたくしのもとには殿下からの手紙は一度も届けられていないのですが。


「わたくしのもとには、殿下からのお手紙は一度も届いたことがございませんけれど。」


「え、何だって……!? 俺は確かに届けてもらうように頼んだのだ。俺はあの日から君に憎まれていると思って、全てがどうでもよくなった。俺の周りで囀る声も存在もどうでもよくて勝手にさせていた。どうせ君は俺のことなど気にしないと思っていたから。」


 なるほど。殿下の言うことが本当ならば、ルイーゼ嬢にとっては、拒否はされないのだから受け入れてもらえていると思ったのでしょう。でもそれはある意味、殿下が彼女を受け入れているということになるのではないのでしょうか。

 お手紙のほうは、あの時お父様はとても怒ってらっしゃったので、秘密裏に処分されていたのでしょう。


「俺は君に初めて会った時、あまりの可愛らしさに妖精に会ったかと思った。でも恥ずかしくてつい君に悪態をついてしまった。すごく後悔した……。本当にすまなかった。あれから君に会うことはできなかったけれど、学園に入ってからはずっと君を見ていた。君はどんどん美しくなるし、いつも男に声をかけられる君がいつか誰かに攫われるんじゃないかとはらはらした。だが君に断られ肩を落とす男達に、俺は優越感を抱いたりもした。このまま婚約者でいればそのうち君は俺だけのものになるのだから、来るべき日まで待てばいいのだと思っていたんだ。」


 なんですって。殿下のおっしゃりようでは、まるでわたくしのことを好ましく思っているようではありませんか。

 もしかして、最近どこからか感じていた視線は殿下のものだったのでしょうか。

 それにしても殿下のお考えはわたくしの気持ちを全く無視したものでいらっしゃいますよね?


「レオンハルト殿下。わたくしには殿下のそのお気持ちは全く伝わっていませんでしたし、わたくしにとっての殿下は、初めてお会いしたときわたくしに酷いことをおっしゃった殿下のままなのです。それから8年もの間、殿下との間に何の交流もないのに、好意など芽生えるはずもございません。ですから殿下。」


 わたくしは改めて殿下に婚約からの解放をお願いします。


「その婚約破棄承諾書にご署名をお願いします。」




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