第241話 唯一
疾風の如きオランジュの突撃に、エリーゼは後退しつつカウンターを取ろうとした。
フック付きワイヤーを用いた、ダガー三本による遠隔攻撃だ。
三方向から迫るこの攻撃を、オランジュは携えた槍を振るって悉く防ぐ。
加えて密かに放たれていた不意打ちの四本目も、槍の弾性を用いた跳躍にて回避する。
己が身に迫る危機の『可能性』を全て察知し、それに『干渉』する『能力』。
どれほどに周到な仕掛けを用いて攻撃しようと、オランジュには通じぬという事か。
それでもエリーゼは改めてワイヤーを操作、仕損じたダガーにて追撃を試みる。
が、オランジュには通用しない。
空中で身を捻りざまに槍を振るい、ダガーと繋がるワイヤーを絡め、無効化する。
これによりエリーゼは一時的に攻撃手段を喪失、後手に回らざるを得なくなる。
未だ使用可能なワイヤーを用いて、側面への退避行動を選択。
しかし、その様な隙をオランジュが見逃す筈も無かった。
◆ ◇ ◆ ◇
防御の為に空中で身を捻る――オランジュはその動きを攻撃の起点としていた。
身を捻る速度、捻りによって生じる力の溜め。
それらの要素を、振り被った右腕に集約させる。
柳のしなやかさと、鋼の強靭さを秘めた右腕が、大きく撓む。
その手に握る双頭槍を解き放たんと見据える先は、跳躍回避を行うエリーゼだ。
次の瞬間。
重い風切り音と共に、オランジュの右腕が右半身ごとブレて霞んだ。
手にした双頭槍を投擲したのだ。
その速度は掛け値無しに光速、稲妻に等しい。
ただ、それでも今のエリーゼなら、ぎりぎり回避可能の範疇だ。
ワイヤーによる牽引加速、『強化外殻』による身体能力向上。
これらの要素を踏まえて対応するなら、決着とはなり得ぬ投擲だろう。
オランジュの投擲を察知したエリーゼは、空中で新たにワイヤーを射出していた。
このまま側面方向へ逃れても、角度的に被弾すると判断した為だ。
新たなワイヤーを用いて跳躍中に方向転換する事で、双頭槍を避けようというのだ。
それが通用しなかった。
側面方向へのワイヤー牽引から、後方へのワイヤー牽引に切り替えた次の瞬間。
オランジュの放った双頭槍も、追尾する様に方向を転換したのだ。
「……っ!」
不可解な槍の挙動にエリーゼも反応、即座に背後の牽引ワイヤーを掴むと、強引に引き絞る。
これによってエリーゼの空中姿勢と移動速度が変化し、槍の直撃は免れた。
――が、免れたのは直撃であり、被弾自体を避ける事は叶わなかった。
耳障りな金属音が響き、激しく火花が飛び散る。
鋭利な槍の穂先は、エリーゼの右腕部装甲を深く抉っていた。
直後エリーゼは低い姿勢で床の上へ滑り込む様に着地する。
同時に五メートルほど先で、オランジュも軽やかに着地した。
更に、硬質な金属音が弾け、歪み引き攣れた白銀の装甲板が床の上に散らばる。
エリーゼが右腕部を覆う外部装甲を、自らの意志で破棄したのだ。
右腕の屈伸に干渉しかねないほどの歪みが生じた為だ。
結果、エリーゼの右腕内部装甲と駆動用パーツが剥き出しとなる。
腕の出力及び可動には現状問題無いが、次に被弾したなら負傷は免れまい。
オランジュは石床の上に散った装甲板に視線を送り、次いでエリーゼを見遣る。
左手の双頭槍を軽く旋回させると背中に沿わせ、更に何も持たぬ右手を振るう。
軽い風切り音が響き、数メートル離れた床に突き立つ双頭槍が跳ね上がった。
槍はそのまま吸い寄せられる様にオランジュの元へ飛び、差し出された右手に納まる。
手にした右の槍も緩やかに旋回させて肩に担ぐと、オランジュは愉しげに口を開いた。
「――私の『魔法』は如何かしら?」
言いながら槍を握る右手を軽く動かしてみせる。
手首の辺りで繊細な光が束になって揺れた。
ワイヤーだった。
「お姉様が切断したワイヤーを、ちょっと拝借したの。『魔法』のタネとしては単純だけれど、面白い事が出来て良いわね、これ。お姉様ほど上手くは扱えないけれど……」
オランジュはワイヤーの束を見せたまま、右の槍を下方へ垂らす。
先ほどの攻撃は、エリーゼが廃棄したフック付きワイヤーを用いたという事か。
つまり双頭槍をフック付きワイヤーに繋いで操作してみせたと。
「……それでも使い勝手は悪くないわ」
「……」
確かにワイヤーを用いる技術は、エリーゼに遠く及ばないだろう。
しかしオランジュの技量なら、槍一本をワイヤーで操作する事など容易い。
これを付け焼刃と侮る事は危険だ。
付け焼刃にしてオランジュは、エリーゼの右腕部外装甲を破壊したのだ。
むしろ攻撃の選択肢が増えた事を、純粋に脅威と捉えるべきだろう。
「お姉様が本気になれないというのなら、私が全力で礼を尽くす努力をしないと」
オランジュは双槍を携えたまま、両腕を左右へ伸ばす。
そしておもむろに手を離した。
双槍を手放したのだ。
朱色の槍と鋼色の槍が、空中へ投げ出される。
手から離れた二本の槍は、緩い放物線を示し――しかし地に落ちる事は無かった。
双槍は真円の煌めきを空中に描きつつ、オランジュの周囲を飛翔して巡ったのだ。
飛び交う双槍の中心ではオランジュが、左右の腕を優雅に躍らせている。
その姿は、エリーゼがスローイング・ダガーを操る姿に酷似していた。
自在に弧を描き、波打ち、やがて双槍は再びオランジュの手に納まる。
掴んだ槍を軽く回転させて振るうと、オランジュは微笑んだ。
「お姉様が『モリグナ』である事を捨てたのなら、私が唯一の『モリグナ』――」
「……」
「――その責務は私が全うする。『モリグナ』として私が、この世を戦火に染める」
「……」
エリーゼは無言のまま、両腕を左右へ大きく振るう。
背中の『ドライツェン・エイワズ』より、フック付きワイヤーを四方へ飛ばしたのだ。
散らばったダガーを回収する為か。
或いは回避行動を取る為の布石か。
エメラルドグリーンに煌めくオランジュの瞳に、繊細な光の糸が映る。
しかし、それら糸の行方を気にする様子は無い。
オランジュは下方に双槍を垂らしたまま、ゆっくりと歩き始めた。
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