第111話 倍率

 豪奢にして荘厳な、回廊状の巨大建造物――『喜捨投機会館』。

 屋根を支える円柱が等間隔で連なる有様は、古代の神殿を思わせた。

 『枢機機関院』が管理するこの建物は『グランギニョール』にて行われる、コッペリア同士の『聖戦』に『喜捨』と『投機』を以て参加する事が可能な、公営の遊興娯楽施設――端的に言ってしまえば、貴族達が博打を愉しむ為の場所だった。


 陽光に照らされ、青々と煌めく芝生が足元に広がっていた。

 何処からとも無く心地の良い、弦楽四重奏の調べが聞こえて来る。

 『喜捨投機会館』の中庭は、既に多くの貴族達でごった返していた。

 見渡す限りにタキシードと、淡い風合いのバッスルドレスで溢れている。

 彼らは皆、香水と白粉の匂いを漂わせ、ワイングラス片手に談笑を交わす。

 そして中庭入り口の向こう正面に設置された、巨大な掲示板を見上げるのだ。

 そこには何枚ものポスターが貼り出されていた。

 特に目を引く大きなポスターは、二対一組で合計八枚。

 『グランギニョール』の序列を再編する為の『トーナメント』――その組み合わせが、示されていた。



 トーナメント一回戦・第一仕合。

 『衆光会所有・エリーゼ』対『ベネックス勲爵士所有・ベルベット』。

 『エリーゼ=1.55』『ベルベット=3.95』『引き分け=49.00』


 トーナメント一回戦・第二仕合。

 『枢機機関院所有・マグノリア』対『ギャンヌ子爵所有・アドニス』。

 『マグノリア=1.70』『アドニス=3.35』『引き分け=46.00』。


 トーナメント一回戦・第三仕合。

 『錬成機関院所有・ルミエール』対『ラークン伯爵所有・ナヴゥル』。

 『ルミエール=1.65』『ナヴゥル=4.12』『引き分け=52.00』


 トーナメント一回戦・第四仕合。

 『マルブランシュ男爵所有・オランジュ』対『ジュスト男爵所有・コルザ』。

 『オランジュ=1.01』『コルザ=35.0』『引き分け=90.00』



 貴族達は各コッペリアに設けられたオッズを確認しつつ、仕合の行方を占う。

 大本命である『レジィナ・オランジュ』を止める者は現れるのか。

 二〇年ぶりに姿を見せた元レジィナ『マグノリア』の実力は如何ほどか。

 更に『アデプト・マルセル』の息子が錬成した『エリーゼ』は、奇怪な戦闘を繰り返す『ベルベット』を下す事が出来るのか。


 「一回戦の相手は『ベルベット』か――」


 黒いフロックコートを着込んだシャルルは、沈んだ表情で呟いた。

 ベルベットの所有者であるベネックス所長が、かつてレオンと懇意にしていた事を知っている為だ。

 やりにくかろうという事は、容易に想像出来る。

 レオンの胸中を慮れば、深く言及すべきでは無いだろうと考えていた。


「――オッズは1.55倍、勝てばおよそ一億三四〇〇万ほどか」


「いや、一億三六四〇万クシールだ。報奨金分もベットする」


 払い戻される金額について、シャルルは確認する。

 傍らに立つレオンが、すぐに訂正の金額を口にした。

 シャルルと同じく黒のフロックコート姿だ。

 その声は落ち着いており、煩悶や懊悩の色は無かった。

 ベネックス所長に関する事柄は、既に整理し乗り越えたという事か。

 しかしシャルルの表情は未だ冴えない、他にも懸念事項がある為だ。


「しかし……四億八千万クシールには届かないか」


 そういう事だ。

 前回の仕合、エリーゼは『グランギニョール』に於ける事実上の序列二位――『グレナディ』に勝利している。更にレオンの父親が、天才として名高いピグマリオン――『アデプト(達士)・マルセル』である事も問題だ。 

 これら二つの事実が枷となり、オッズに影響しているのだろう。


「資金調達を成してしまえば、後はどうとでも理由をつけて、戦線を離脱する事も可能だったんだが……」


「一仕合ずつ気を抜かずに対応するしか無い。目標金額に達するまで仕合う、それ自体は変わらないんだから」


 シャルルの言葉にレオンは、山高帽を深く被り直しつつ、低く答える。

 ただでさえ『アデプト・マルセル』の息子として注目を集める立場だ、人目を惹かぬ様に気を配っているのだろう。

 おもむろに踵を返し、ゆっくりと歩き始める。

 向かう先は『喜捨投機』の窓口――掛け金を指定するベッティングルームだ。


「確かにな――二戦目は『マグノリア』か『アドニス』か――どちらが勝ち上がって来ても序列上位だ。その辺りはオッズにも反映されるだろう」


 レオンの隣りを歩きながら、シャルルは言う。

 頷きつつレオンは呟く。


「ああ……出来れば、二倍以上のオッズが着いて欲しいが……」


「なんだい? レオン。もう一回戦を勝ち抜けた気でいるのかい?」


 その時。

 涼やかな声が、歩くレオンの耳に届いた。

 陽光の差し込む回廊の途中。

 聞き覚えのある声に足を止め、振り返る。


 目に鮮やかな、ワインレッドのロングワンピースを身に纏っていた。

 胸元はふくよかであり、引き締まったウエストには黒の革コルセット。

 肩には黒いショール、頭には黒のトーク帽。

 ウェーブを描くライトブラウンのロングヘアは煌びやかだった。

 ヘーゼルカラーの瞳に、銀縁眼鏡が光る。

 そして口許には、艶やかな笑み。

 トーナメント一回戦の相手『ベルベット』の主。

 イザベラ・ヴォベル・ベネックス所長だった。


「ベネックス所長……」


 振り返ったレオンは、複雑な表情で美貌を見遣る。

 ベネックス所長は紅い唇の端を、きゅっと吊り上げつつ言った。


「右腕の義肢……完全に癒えたんだね。腐ってもマルセルくんだな。問題無く仕上げるとは思っていたよ。ひとまず、ご健勝で何よりだ――」


「……」


 レオンは口を閉じたまま、何も答えない。

 ベネックス所長は、すっと眼を細める。


「――とはいえ、この私に易々と勝てるだなんて思わないでくれたまえ。いや、勝つのは私だ。私の『ベルベット』が、キミの『エリーゼ』を討ち果たす。この世の神性を否定し、夢の先へ歩を進める為にね」


 眼鏡の奥で光る瞳は、敵愾心に燃えている。

 レオンはその瞳を見つめたまま、はっきりと告げた。


「……僕は、孤児院の子供達やシスター達を、父やあなたの下らない思惑に巻き込んでしまった。心底後悔している。この過ちを償う為に、次の仕合、勝たせて貰います」


「勝てると思うなよ? レオン」


 笑みを形作る紅い唇が更に吊り上がり、白い歯が見えた。

 糸切り歯の鋭さが、獣の牙を思わせる。


「マルセルの血を継ぎ、ガラリア・イーサに生まれ育ち、苦も無く安閑と生きて来た坊やが、のぼせ上がるなっ……」


「……」


 知的な美貌に、言い知れぬ嫌悪の色が浮いていた。

 レオンは視線を切ると歩き始める。


「……失礼します」


「闘技場で会おう、レオン」


 すれ違いざま、肩越しに声が投げ掛けられた。

 振り向く事無く、レオンは歩み去った。

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