第82話 才能

 ソファの上へ脚を投げ出し、大きく欠伸をしながら、男は口許に左手を翳す。

 黄金の色に煌めく、精巧な義肢だ。

 そのままポンポンと二度三度、自身の口許を手のひらで叩く。

 子供っぽい仕草だが、それが不思議と様になる男だった。


「――失礼。一仕事終えて仮眠をとっていたんだ。ああ、まだ眠いな……」


 そう言いながら男は、カトリーヌに微笑み掛ける。

 カトリーヌは呆気に取られていたが、すぐにソファから立ち上がった。

 男の方へ向き直ると頭を下げ、謝罪の言葉を口にする。


「申し訳ございません。お休み中のところ、無作法をお詫び致します……」


 ここは『特別区画』だ、本来なら立ち入れる場所ではない。

 ダミアン卿に無理を言い、連れて来て頂いたのだ。

 故に、揉め事を起こす事などあってはならない。

 相手が何者であれ、誠実に謝意を伝えるべきだとカトリーヌは思う。

 が、男は軽く手を振り、鷹揚に答えた。


「いやいや、ボクだってシスターの前で大欠伸したり、随分と無作法な態度だったからね、こちらこそ申し訳ない、シスター……よいしょっと」


 謝罪の言葉を口にしながら、男はソファから脚を降ろし座り直す。

 ドレスシャツの胸元が開けている事に気づき、おっと失礼――と、呟きつつボタンを留める。

 奇妙な人懐っこさを感じさせる態度だった。

 やがて男は、手櫛で頭髪を撫でつけつつ、言った。


「あー……それでシスターは、どうして朝から闘技場へ? 今日は仕合も行われないし、ここには礼拝堂も無い、恐らく弔問も不要だ」


 胸元で揺れるモノクルのレンズを、男は左目に嵌める。

 カトリーヌはどう答えるべきか戸惑ったものの、すぐに応じた。


「――あの、私は『衆光会』の錬成技師として仕合に参加した『ドクター・マルブランシュ』の助手です。先生が事故に遭われたと聞き、ダミアン卿を頼って闘技場へ案内して頂きました」


 隠す様な事では無い、それに眼前の男が悪人だとは思えない。

 ――が、その話を聞いた男は、意外な反応を見せる。

 カトリーヌの顔を見つめたまま、小さく口笛を吹いたのだ。


「ちょっと待った、シスターの言う『ドクター・マルブランシュ』というのは、レオンの事だね? それじゃあキミが、レオンの言っていた『シスター・カトリーヌ』くんってワケだ、そうだね?」


「は、はい、そうです……」


 唐突な男の指摘に、カトリーヌは当惑しながら答える。

 男はソファから立ち上がり、回り込む様に移動する。

 カトリーヌの正面で立ち止まると、姿勢を正して告げた。


「初めまして、シスター・カトリーヌ。ボクはマルセル……マルセル・ランゲ・マルブランシュだ。息子のレオンがいつも世話になっているそうだね?」


 その男――マルセルは、輝く様な微笑みと共に右手を差し出す。

 カトリーヌは混乱しつつも、マルセルの右手を握り、胸の高さに掲げた。


「えっ? あ、あのっ……は、初めまして、マルブランシュ様……。その、カトリーヌ・ルルス・フローです。こちらこそ、レオン先生には……いつも大変お世話になっております……」


 たどたどしくも、精一杯応じる。

 彼がいわゆる『反りの合わない父親』……という事なのだろうか。

 レオンの施術を担当していると聞かされた時から、或いは対面する事になるかも知れないと考えていた。

 ただ、あまりにも唐突な出会いで、思考が追いつかず動転してしまった。


 マルセルは愉しげに眼を細め、カトリーヌを見下ろしている。

 そして、おもむろに口を開いた。


「そんなに畏まらなくったって良いさ、うん。ところで……『錬成機関院』の技師から聞いたんだが、今回の施術で使用した義肢、アレの起動と調整を行ったのは――キミかね?」


 軽い口調で投げ掛けられた質問だったが、カトリーヌは緊張する。

 昨晩、レオンの為に義肢を起動調整を行ったのは、確かに自分だ。

 それは『錬成機関院』から派遣された技師達を、差し置いての判断だった。


 彼らに作業手順を説明したとしても、微妙な調整やコツの様な物は伝えられない。恐らく彼らに任せたなら、作業工程の中でその都度、構造解析を繰り返す事になるだろう、しかし起動調整に余計な時間を掛ければ、義肢の精度が落ちる可能性もある。

 ならば自分で行った方が早い――カトリーヌはそう考えたのだ。


 その考えが正しかったのか、それとも誤りだったのか。

 誤魔化す事は出来ない、カトリーヌは正直に答える。


「はい――私が、義肢の起動調整を担当致しました」


「なるほど――そうか、そうなんだね……」


 マルセルは感じ入った様に目蓋を閉じ、何度も頷く。

 金色の指先で自身の顎を撫でながら、呟く様に言った。


「――実に素晴らしい仕事だったよ、シスター・カトリーヌ」


 ゆっくりと目蓋が開かれる。

 煌めく灰色の瞳に、艶やかな褐色の肌をした、カトリーヌが映り込んでいた。


「……レオンが錬成したあの義肢は、置換途上の半金属を、敢えて用いた代物でね、扱いが難しく、それなりに研鑽を積んだ錬成技師でも、起動調整の過程で劣化を生じさせてしまうんだ。ボクはそれでも仕方ないと思っていた、後にボクが調整する事で帳尻を合わせ、仕上げれば良いと思っていた」


 マルセルは穏やかな口調で、滔々と語る。


「――にも拘わらず、ボクの手元に届いた義肢は、素晴らしい状態だった。正直……アレ以上は恐らく望めない。そういう意味に於いて、完璧だと言い換えても良い。人造血管内を流れる濃縮エーテルに一切気泡が含まれていなかった、冷却の不完全さから生じる神経網の劣化も殆ど無かった、ゴミや埃の付着も無い、手際だ、手際が良い、素晴らしい手際の良さだと、一目で感じ取る事が出来た……」


 身振り手振りを交えつつ、マルセルは続ける。

 その言葉に、熱が籠り始める。

 カトリーヌは黙したまま、マルセルを見上げている。


「――キミが身に纏っている修道服は装飾の無い濃紺。その色と様式は、キミが『グランマリー教団・在俗区派閥』に属し、助祭という立場のシスターである事を示している。そして在俗区・助祭のシスターは、入信に際して錬成医学の初歩を学ぶと聞く……が、キミの手腕は、既にそのレベルじゃあ無い……!」


 その口調は謡う様で、その声音は歓びに満ちていた。

 黄金の義肢を波打たせての熱弁だった。


「しかもキミは『南方大陸』出身だろう? 使う言葉に少しばかり南方マウラータの響きがある。つまり物心ついてから、ガラリア・イーサへ移り住んだという事だ。彼の地であれ、この地であれ、物事を学ぶに厳しい環境だったと想像できる……にも関わらず、にも関わらずなんだよ……! 言っている意味が解るかね?」


「あ、あの……いいえ、申し訳ありま……」


 紡がれる言葉の熱量に、カトリーヌは圧倒される。

 そんなカトリーヌをマルセルは真っ直ぐに見つめ、宣言した。


「キミには『才能』が在る……!」


 マルセルはモノクルの下で煌めく左目を、軽く閉じて見せた。

 ウインクしたのだ。

 カトリーヌは身動ぎひとつ出来ぬまま、マルセルを見上げている。

 カトリーヌの細い肩に、マルセルの両手が添えられた。

 両肩を、きゅっと掴まれる。

 

「いいかね? キミには『才能』が在る……! 錬成技術を理解する『才能』が在る、錬成技術を努力研鑽する『才能』が在る、錬成技師として生きるに足る『才能』が在る……! 解るかね?」


 強烈な熱が伝わって来る。

 痛みでは無く、圧迫感でも無く、熱量を感じる。

 何だろうと思う。


 この感覚が、この気持ちが何なのか、カトリーヌには解らない。

 だけど、嫌悪では無かった。

 見上げた先の、煌めく灰色の瞳から、目が離せない。


「……才能在る者は、その才能に見合う『義務』を果たすべきだ。キミはその才を以て『錬成技師』を目指すべきだと、ボクは思う!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る