第36話 死闘

 観覧席から仕合を見下ろす貴族達が、興奮した面持ちで拳を握り締める。

 紳士も淑女も皆、額に汗を滲ませ、シャツの襟元に染みを作る。

 むせ返る程の熱気が、巨大な闘技場内に渦巻いている。

 止め処も無く湧き上がる歓声に、オーケストラ・ピットの管弦楽団が応える。

 勇壮な楽曲がアリーナに響き渡り、マスクで目許を隠した女が謳い上げる。

 狂喜と狂乱の宴は、未だ始まったばかりだった。


 『レジィナ』への挑戦も囁かれる、十二戦無敗のコッペリア『ナヴゥル』。

 天才ピグマリオン・マルセルの息子に練成されたコッペリア『エリーゼ』。


 グランギニョール初日の最後戦・第七仕合。

 注目を集めたこの一戦は、ナヴゥルの一気呵成極まる強烈な突撃によって、観客達の予想を超えた展開となっていた。


「……刀剣寸鉄全て逸失。羽根を捥がれた様なモノよなあ? ナハティガル――小夜啼鳥、ははっ」


 黒のレザースーツを纏った長身の娘、ナヴゥルは嗤った。

 鋼の如き筋肉を隆起させた右腕――その手には、長大な戦斧が握られている。

 その長さを利用した突撃は、七メートルの間合いを一気に詰める凄まじい物であり、そこからの一閃は、融通自在にして強烈無比な一撃だった。


「ならばせめて、その名の如くに啼いて歌え、挽肉になって咽び啼け」


 ナヴゥルの放った比類無き横薙ぎは、エリーゼの神懸り的な回避行動を猛追し、その手に保持したロングソードを弾き、脚に巻かれた革ベルトを切断すると、ホルダーに納まっていた十六本のスローイング・ダガーを全て、闘技場の床一面に撒き散らしていた。

 仕合開始数秒――エリーゼは最初の交錯で、武装の大半を喪失したのだ。


 しかしエリーゼは些かも動じる事無く、白いドレスの胸元に右手を添えては、銀の鈴を震わせるが如き声音で、静かに応じた。


「肉にしたとて、私は櫟の木の実を啄ばみたるナハティガル。この身には櫟の毒がある。食べるに能わぬ肉でございましょう」


「ふーっ……戯言を抜かす余裕、今すぐ消してやる……」


 ナヴゥルはそう吐き捨てると、両手で戦斧を構え、改めて上体を低く沈める。

 ギリギリと全身を捻り撓めた、力漲る『溜め』の姿勢だ。

 直後に放たれる突進からの斬撃――その威力と精度は、既に示されている。

 あの攻撃を繰り出すつもりなのだ。

 

 対するエリーゼは、再び何の構えも取る事無く、直立している。

 脱力した様に両腕を垂らし、足を揃えた不動の姿勢――棒立ちと言い換えても良い。


 エリーゼの後方――入場門脇の待機スペースでは、レオンが立ち尽くす。

 旗色の悪さに顔色を失い、焦りを隠す事が出来ない。

 武装喪失という危機。

 更に、ナヴゥルを前にして、構えを取ろうとしないエリーゼの不可解な行動。

 本当に勝つ事が出来るのか。

 眼前の死闘を見守る事しか出来ず、不安だけが増大して行く。

 闘技場と待機スペースを隔てる欄干を握り締めた。


 闘技場の床に敷かれた石板が、再び音を立てて砕けた。

 同時に、ナヴゥルが突っ込んで来る。

 間合いは一〇メートルと遠い、しかしエリーゼは一切の構えを放棄している。

 膝の溜めも無く、回避出来るか否か、こうなっては危険な距離だ。

 しかもナヴゥルの突撃速度は、初撃を更に上回っていた。


 瞬きの間すら無く、加撃の間合いへ踏み込むナヴゥル。

 全身のバネが開放され、構えた戦斧が弾ける様に動く。

 が、その軌跡は円に非ず直線。

 巨大な斧部先端に設けられたスパイクを用いての、強烈な刺突であった。 


 鋭く光る刺突用スパイクが、目視可能な速度を超えて、エリーゼの胸元へ吸い込まれる。

 貫通する――そう見えた直後。

 エリーゼは上体を捻ると半身に構え、ギリギリで切先を回避した。


 しかしこの攻撃は、槍によるモノでは無い。

 戦斧――ハルバードによる刺突だ。

 半身となったエリーゼに、巨大な斧部の刃が迫る。

 危険な刃を、エリーゼは後方へと仰け反り避ける。

 驚くほどに柔軟な動きだ、しかし。

 白いドレスの胸元から、オートマータの血液である濃縮エーテルがしぶいた。

 

 ナヴゥルは更に一歩踏み込み、放った戦斧を力強く横へと流し、引き戻す。

 風を引き裂く音と共に鋼鉄の戦斧が、仰け反るエリーゼの側頭部を襲う。

 エリーゼは顔を背けつつ全身を旋回させ、床へ伏せるよう倒れ逃れる。

 白い頬にまたひとつ傷が増え、鮮血が淡く飛び散る。

 

 床へと回避したエリーゼを、ナヴゥルは更に追撃する。

 引き戻した戦斧を振り被り、そのままエリーゼの首筋へ打ち下ろす。

 殺意の一撃に対してエリーゼは、二本の腕で上体を跳ね上げると身体を捻り、通り過ぎる刃を見送りつつ起き上がる。


 ナヴゥルの攻撃は止まらない。

 荒れ狂う暴風の勢いと、精密射撃の正確さを保ったまま、連撃を繰り出す。

 薙ぎ払い、切り裂き、刺突し、打撃する。

 攻撃の合間にナヴゥルは叫ぶ。


「逃げ回るばかりか、小夜啼鳥! せめて主人に報いるだけの抵抗を示せ!」


 エリーゼは回避を続ける。

 その苛烈な連続攻撃を、ミリ単位で見切り、掻い潜り、避けて躱す。

 捻り、仰け反り、跳躍し、身を沈める。

 更には、闘技場の床に敷き詰められた石板――その僅かな隙間を『ドライツェン・エイワズ』から射出されたワイヤー・フックで捉え、急速に移動する。

 変幻にして自在な動きだ。

 ――が。


 僅かに回避が遅い。

 ナヴゥルの攻撃速度に、エリーゼの回避が間に合っていない。

 紙一重での回避では無い、皮一枚を裂かれ続けている。


 待機スペースでレオンが息を飲む。

 避け切れていないのだ。


 ナヴゥルの振るう戦斧が、白い肌を掠める。

 血飛沫が僅かずつに飛び散り、白いドレスがポツポツと紅に染まり始める。

 高速の斬撃を、鬼気迫る連撃を、神懸かり的な見切りで、優美でさえある柔軟さで、次々と回避し続ける、それでも僅かずつ皮膚を刻まれる。


 ただ、致命の一撃には未だ至っていない。

 その事に驚くべきか。

 それでも徐々に赤く染まるエリーゼの姿は、悲壮の一言に尽きる。

 敗北という最悪の事態が、じわじわと這い寄って来るかの様だった。


 ◆ ◇ ◆ ◇ 

 

 しかし、この局面。

 誰が見ても、ナヴゥルが圧倒的優位に立っているとしか思えない、この状況。

 この状況に於いて今現在、微かながらも焦りを覚えているのは。

 実はナヴゥルの方であった。


 戦斧による怒涛の連続攻撃を仕掛けながら、何を焦る必要があるのか。

 何処に問題があるのか。


 その理由――それは違和感だった。

 ナヴゥルにしか理解出来ない違和感だ。

 ナヴゥルは戦斧を振るいながら、困惑していた。


 ――コイツはいったい、何をしているのか。

 何を考えているのか。

 何故、コイツは。

 何故、コイツは私の攻撃を避けないのか。

 

 いや、違う。

 攻撃は避けている。

 確実に攻撃は避けているのだ。

 皮一枚を裂かれつつ、紙一重の見切りを以って回避している。


 ナヴゥルは横薙ぎに戦斧を振るう。

 エリーゼは横へと回り込み、距離を取りつつ身を翻す。

 その白い脇腹に朱線が走り、濃縮エーテルがじわりと染み出す。


 しかし、これはおかしい。

 この回避はおかしい。

 これほど絶妙な見切りが可能ならば。

 もっと適切な回避行動が取れる筈なのだ。 

 皮膚を裂かれる様なミスなど犯す事無く、回避出来る筈なのだ。


 で、あるならば。

 適切な回避行動が取れる、その『確実なタイミング』で動くならば。


 私の刃は既にコイツを捉え、直撃の許に切り捨てている筈なのだ。


 過去に、コイツと同程度の回避能力を持った相手など、幾らでも存在した。

 過去に、コイツよりも身体能力の高い相手など、幾らでも存在した。

 更には、私より攻撃能力に優れた相手も存在した。

 その全てを、私は屠って来たのだ。


 横へ、後ろへ、距離を取ろうとステップを踏むエリーゼ。

 その距離を、戦斧の一閃と共に潰しながら前進するナヴゥル。


 逃れる事など許さない。

 回避能力の高さなど、私の前では無意味だ。

 そして、どれほどの鋭い一撃も、私には届かない。

 この場、この時に於いて、相対する者の全てを把握し、支配する。

 それが私の『能力』なのだ。


 黒のレザースーツに包まれた強靭な肢体を躍らせ、ナヴゥルは攻め続ける。

 空間を斬り裂き、石床を削っては火花を散らす戦斧。

 全ての攻撃が致死に足る、絶対の殺意を以っての追撃。

 

 対するエリーゼは、死の縁にて舞い踊るが如くに回避を続ける。

 身に纏う純白のドレスは、既に紅へと染まりつつある。

 加撃に至る武器は無く、頼みは背中の『ドライツェン・エイワズ』のみ。

 必殺必死の決闘遊戯は、未だ終わらない。

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