第24話 背信
エリーゼが相談事を持ち掛けて来る事など、今まで一度も無かった。
レオンは戸惑いを覚えつつも、部屋の中へエリーゼを招き入れる。
「解った、とにかく中へ」
「失礼致します」
エリーゼが部屋へ入ると、レオンはデスクへ近づき、革張りの椅子を引き寄せ、そこへ座る様にとエリーゼを促す。
「普段、人が訪ねて来る事も無いから、お客用の椅子が無くてね。僕が使っている椅子で申し訳ないが……」
「恐れ入ります」
エリーゼが椅子に座ると、レオンもベッドの端へ腰を降ろす。
そしてエリーゼに問い掛けた。
「それで……相談というのは?」
「ご主人様にご相談したい事はふたつ。その前に、私の認識に誤りが無いか、確認させて下さいませ」
「何を確認したい?」
レオンの質問に、エリーゼは小さく頷くと答えた。
「今現在、ヤドリギ園に重大な問題が発生している……この認識に誤りはございませんか?」
レオンは言葉に詰まる。
エリーゼの認識は正しく、誤りでは無い。
故に束の間、返答に窮したが、すぐに口を開いた。
「……何故、そう思う?」
この質問に意味は無く、不毛である事は重々承知だ。
しかし問わずにはいられない。
何処から話が漏れたのか、そんな事が知りたい訳では無い。
ただ、エリーゼの思惑が知りたい。
エリーゼは自身の手元へ視線を落とすと、落ち着いた口調で答えた。
「シスター・カトリーヌと共に生活を送る中で、気づいた事がございます。彼女は裡に痛みを抱えようと、己が信ずる矜持を貫く事の出来る方です。他者を想い、苦痛に寄り添い、その上で具体的な行動を選択出来る方です。歳若くあっても、彼女は確かな尺度と美意識を持っておいでです。滅多な事で、その姿勢を崩す事は無いでしょう」
確かにそうかも知れないと、レオンは思う。
シスター・カトリーヌは、心優しく、芯の強い娘だ、そこに異存は無い。
ただ、話が見えて来ない。
レオンは黙ったまま、耳を傾ける。
「ですが今日、園内で涙を流す彼女を見ました。たとえ困難な事案に直面しようと、解決可能な問題であれば、彼女はまず行動するでしょう、ですが行動に移せない……問題が手の届かぬ所に在り、涙を流す事でしか感情の整理がつかない、それ程の事があったのでしょう」
「……」
エリーゼの声音や表情に変化は無い。
紅い双眸は、膝の上に組まれた自身の指先を見つめたままだ。
「子供達の様子は普段通りでした。彼女が担当する診療所の患者にも問題があった様には見受けられません。では、ヤドリギ園の関係者であるシスター達、園長、そしてご主人様の様子はどうでしょう」
レオンは浅く息を吐いた。
エリーゼの話が、凡そ理解出来た為だ。
「憔悴と苦悩を感じます。園長も、副園長も、何事かを抱え、耐えておいでです。シスター・カトリーヌの様子と合わせて考えれば、ヤドリギ園が危険な状態にあるという事でございましょう」
エリーゼは顔を上げると、レオンを真っ直ぐ見つめて言った。
「この社会で生きる以上、痛みと苦悩は尽きず、その原因は凡そ三種類。身体的苦痛、人間関係、金銭問題。ヤドリギ園に降り掛かる危機は、金銭に関わる問題だと考えております」
「その通りだ」
レオンはエリーゼの視線を避ける様に目を伏せ、答えた。
その通りだ、としか答えようが無い。
エリーゼの推察は全て正しく、金銭トラブルで間違い無い、しかし。
額面が普通では無い。
早急に対処出来る問題では無い上に、時間も無い。
非常に切迫した……寧ろ、半ば手詰まりに近い状況だ。
思い悩むレオンの耳に、エリーゼの声が響く。
「では、その前提を踏まえた上で、ご主人様に相談したい事が二つ、ございます」
「ああ、役に立てるかどうか解らないが……言ってくれ」
レオンは俯いたまま答える。
役に立てるかどうか解らないというのは、正直な気持ちだ。
現状、ヤドリギ園の問題で手一杯だからだ。
これ以上、何か問題を抱え、上手く処理出来るとは思えない。
そんなレオンに、エリーゼは透き通った声で告げた。
「まずひとつ。衆光会経由で私を、グランギニョールに登録して下さいませ。恐らく問題なく登録は受理され、仕合への参加が認められるでしょう」
レオンは顔を上げ、エリーゼを見た。
エリーゼはレオンの視線を真っ直ぐ受け止め、続けた。
「そしてふたつ。私の参加する仕合に、相応の金額をお張り下さいませ。緒戦ならばオッズが跳ね上がり、問題解決の糸口となる可能性が出て参りましょう。ご主人様が練成された、この身体で仕合うならば、勝てます」
◆ ◇ ◆ ◇
「どういう事だ」
絞り出す様に発せられたレオンの声は、低く掠れていた。
「ご主人様のお父上は、甘く無い」
エリーゼは些かも動じる事無く、レオンを見据えたまま、静かに言い放った。
「――先週、私がご主人様に、そうお伝えしたのを覚えておいでですか? 今の状況、これは、お父上の想定通りだと思います」
「……想定通り?」
薄ら寒い感覚に、レオンは囚われた。
一週間前、エリーゼが暴漢を制圧した日の夜。
確かにエリーゼは、父親・マルセルに言及していた。
その言葉に軽い苛立ちを覚えつつ、同時に。
何かしらの違和感、わだかまりも感じていた。
この薄ら寒さは、一週間前に感じた物と同じだ。
「ご主人様は以前、お父上がシュミット商会なる練成技師互助会を通じ、ダミアン卿を唆した……そう仰っておられましたが、恐らくそうではありません。衆光会に参画している貴族を通じて、ダミアン卿を謀ったのでしょう」
「衆光会の貴族……」
つまり、ここを見誤っていたという事なのか。
あの時、感じた違和感。
父・マルセルが、既に介在している可能性。
その事を考慮せずにいた認識の甘さ、迂闊さこそが違和感の源なのか。
エリーゼは発言を続ける。
「シュミット商会では、ダミアン卿とヤドリギ園の情報が手に入りません。ですが衆光会に属する貴族を利用するなら、ダミアン卿の経済状況と、ヤドリギ園の経済状況を、同時に伺い知る事が可能です」
エリーゼはレオンを見据えている。
「蘇生された私が、ダミアン卿であれ、ヤドリギ園であれ、どちらに引き取られる事になったとしても、金銭的圧力を掛ける事で、ご主人様をグランギニョールの舞台へ引き摺り出す、そうせざるを得ない状況を作り出す……その様に手を打っていたのだと予想します」
紅い瞳は静謐な輝きを湛えている。
「――故に、私をグランギニョールに登録する事は容易い。元よりそれが狙い、問題無く登録出来る筈です。ならばそれを利用すべきです、グランギニョールに参加すれば、掛け金を得る事が可能です」
エリーゼは一呼吸を置き、告げた。
「改めて申し上げます。私を、グランギニョールに登録して下さいませ」
◆ ◇ ◆ ◇
さほど広く無い部屋に、重い沈黙が立ち込めていた。
微かに響くのは、壁掛け時計の振り子がゆっくりと揺れる音。
そして、蒸気式暖房機器の駆動音のみだった。
レオンはベッドの縁に腰を降ろし、椅子に座るエリーゼを見つめていた。
その視線は、鋭く尖っていた。
灰色の修道服を身に纏ったエリーゼは、大きな革張りの椅子に腰を降ろし、レオンの視線を受け止め、見つめ返していた。
息苦しい程の沈黙を破ったのは、レオンだった。
「――何時からだ?」
硬質な声だった。
「何時から、その可能性に気づいていた?」
エリーゼは、静かな眼差しでレオンを見つめたまま、口を開いた。
「ご主人様に蘇生して頂いた日。ダミアン卿と共に、ご主人様のお父上から送られて来たという、メッセージを拝見した時でございます」
エリーゼのタブレットを起動した日。
確かにあの日、父からの手紙をシャルルとエリーゼに見せた。
あの内容とシャルルの話、そこから逃げ場の無いこの状況を読み取ったのか。
エリーゼは続けた。
「あの手紙、ご主人様が歯車街で医師として働く様子に、言及しておりました。つまり、ヤドリギ園も把握していたという事でしょう。ダミアン卿に至っては事の発端として利用しています。それまでの流れと、お父上の妄執、権力と財を考慮すれば、自然な発想ではないでしょうか」
レオンは、件の手紙に書かれた内容を思い返す。
益体も無い、人の神経を逆撫でする様な、そんな文面だった。
だが、それ以外に何と書かれていたのか。
“塵芥の様な診療所で、下らない浮浪者共の義肢を治している様な人間じゃない”
確か、そう書かれていた。
ここから、父・マルセルの思惑を読み解いたのか。
確かにレオンは父から逃れ『歯車街』へと流れ着き、診療所を構えた。
父の権力と各方面へのコネを以ってすれば、音信不通となったレオンを探し出す事など――容易なのかも知れない。
しかし、それでは。
「――解った。あの手紙から現状把握を行ったという点は理解出来た。じゃあ何故、そうと知りながら、ヤドリギ園を選択したんだ? シャルルと孤児院を、天秤に掛けて決めたのか?」
そういう事だ。
シャルルが身元を引き受けると言う提案に異議を唱え、ヤドリギ園での生活を提案したのは、エリーゼ本人だ。
つまりエリーゼは目覚めて直後、あの手紙を目にした瞬間から、グランギニョールへ参加する事になると予想し、ヤドリギ園が巻き込まれると、想定していた事になる。
エリーゼは身じろぎひとつしないまま、答えた。
「ダミアン卿は義理堅い方です。私が蘇生した日、オートマータの暴走を予想しながらもご主人様を救う為に、乗り込んで来られました。決死の覚悟が無ければ出来ない事です。そんなダミアン卿が、ご主人様に対して強い負い目を感じておられました。預かったオートマータを死なせたという負い目、想像以上に大きな物だと感じます」
「……」
「負い目を感じたままのダミアン卿が、お父上の策に嵌り、全てか無かの二者択一を迫られた場合……あの方は破滅を選択してでも、ご主人様に対する義理を果たそうとする可能性があります。絶対とは言いません、ですがダミアン卿は、そういう方です。そうする事で、私のグランギニョール参加を阻止しかねません」
シャルルに対するエリーゼの見立ては、正しいのかも知れない。
だが、質問の回答として適切では無い。
「――だからといって、ヤドリギ園を選んで良い理由にはならないだろう? 今の状況を、あの時点で想定出来たのなら、なぜそう言わなかった? シャルルの危機も、ヤドリギ園の危機も、同時に予見できたのなら、別の方針を、他に逃れる道を検討する事も出来たんだ、別の誰かに託すという事も……」
レオンは質問を重ねながら、予てより懇意にしているベネックス所長を思い浮かべる。
しかし今となっては、どうする事も出来ない。
そんなレオンに対してエリーゼは、冴え冴えとした声音で応じた。
「最初から、逃げ道などございません」
一切澱み無く、更に言葉を紡ぐ。
「ご主人様は本気で、平穏無事にヤドリギ園で暮らせると思っておられたのですか? お父上がご主人様の事を諦めると、お父上の思惑から逃れる事が出来るなどと、本気で思っておられたのですか?」
「な……」
その言葉に、レオンは絶句した。
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