第22話 危機
「エリーゼの身体能力なら、制圧よりもシスター・カトリーヌをあの場から遠避けて、危機を未然に防ぐという選択も出来た筈だ」
「逃走を図る暴漢が走り寄って来た為、止むを得ませんでした」
「機械化した元兵士だ、エリーゼの身体は戦闘用じゃ無い、対応限界を超えていたかも知れない」
「相手の行動、シスター・カトリーヌの安全確保、状況的に考えて、制圧以外の選択肢はありませんでした。治安事務所でも同じ事を伝え、全て調書に記録して頂いております」
淡々と返答するエリーゼに、不平や不満を示すといった変化は無い。
レオンの諫言に、反発している様子も、疑問を感じている節も無い。
全ては当然の事として自身の中で完全に完結している、という風に見える。
その様子にレオンは、仄かな不安を感じた。
確かにエリーゼの身体はレオンが練成した物で、戦闘用では無い。
しかしエリーゼの魂は、古の練成技師がエメロード・タブレットに刻み込んだ物だ、驚くべき精度と技術で組み上げられた膨大な数式は、明らかに通常のオートマータとは異なっていた。
エリーゼ曰く、かつて参加したグランギニョールに於いて、敗北する事無く連戦を続けたと言う。
今回の件に当て嵌めて考えるならば、身体的能力値が機械化兵士に劣っていたとしても、その差を埋めて凌駕するだけの、経験と戦闘知識を有していた、という事なのかも知れない。
だが、そうでは無く、エリーゼの性質がレオンの想像超えて好戦的な物であるという事なら。現在の環境にエリーゼを留め置く事についても、考え直す必要が出て来る。
レオンはエリーゼの背筋に沿って並ぶコネクタを、一つずつ丁寧に取り外しながら、改めて口を開く。
「解った、もう済んでしまった事だ。でも、今後は自ら危機に飛び込む様な真似は自重して欲しい」
「承知致しました、ご主人様」
エリーゼは即答する。反抗的な素振りなど微塵も感じられない。
好戦的な性格をしているとは思えない。
レオンはエリーゼの首筋に繋がる最後のコネクタを取り外しつつ、最後に最も気掛かりな点について言及した。
「……エリーゼがヤドリギ園へ身を寄せる事になったのは、父の奸計から逃れる為だ。何が口実になるか解らない、父に隙を見せない為にも、派手な行動は謹んで欲しい」
「左様でございますか」
コネクタ・ケーブルを取り外されたエリーゼはそう答えると、診察ベッドからゆっくりと身体を起す。傍らの脱衣カゴから白いワンピースを取り出しては袖を通し、片手でフロントボタンを留める。
そしてグレーの修道服に袖を通しつつ、小さく呟く様に言った。
「ですがご主人様……」
ケーブルを巻き取っていたレオンは、エリーゼの声にどこか不穏な物を感じ、顔を上げた。
「なんだ?」
修道服を着たエリーゼは、眼を伏せたまま言葉を紡いだ。
「……ご主人様のお父上は、きっと甘くないと思います」
「そう思うなら尚の事だ、気をつけてくれ」
レオンは、やや強い口調でそう答えると、エリーゼから視線を逸らす。
エリーゼは胸元に手を添え頭を下げると、失礼しますという言葉と共に、診察室を後にした。
◆ ◇ ◆ ◇
革張りの椅子に凭れたレオンは、カップに注いだ林檎発泡酒をあおる。
エリーゼの発言と態度に、問題があったとは思えない。
しかし何かが、胸の裡にわだかまりとして残っている。
エリーゼは、父・マルセルの事について言及していた。
甘く無いと、そう言っていた。
派手な行動は慎む様にという、レオンの発言に対する返答だ。
エリーゼもマルセルを警戒している、という事なのだろうか。
レオンをピグマリオンとして、グランギニョールの舞台へ立たせる……それがレオンの父、マルセルの目論みだろう。
その為にマルセルは、シャルルを利用し、エリーゼのエメロード・タブレットを、レオンの元へ届けさせた。
故にレオンは、グランギニョールと関係のあったシャルルでは無く、特別区画との接点が薄い『ヤドリギ園』に、エリーゼを受け入れて貰う事を決めた。
『ヤドリギ園』への避難を最初に提案したのはエリーゼだ。
レオンはその案の是非を考え、問題無しと判断したのを覚えている。
『ヤドリギ園』はグランマリーの関連施設ではあるが、特別居住区内で貴族達と互恵関係にあるグランマリー上層部『枢機会派』の施設では無く、一般居住区内での活動を主とする『在俗区派閥』に属している。
そのトップは、現教皇に直接指名されたイーサの在俗教区長であり、人望も篤く、在俗司祭達の支持を広く集めている。
枢機会派とはいえ、おいそれとは手出し出来ない人物だ。
マルセルが特別区画内で、いかに持て囃されていようとも『在俗区派閥』の存在を無視して事を起す様な事は出来ない、そう考えられる。
無理を通そうとすれば必ず揉める。
エリーゼのエメロード・タブレットを復活させる、確かにそこまでは、マルセルの思惑通りだったのかも知れない。
しかしそれは放置された魂という人質の存在と、父の行いに対する憎悪が引き金となった行動だ、その二つは練成技師として決して許す事など出来ない、だが、そんな状況は容易に作り出せる物では無い。
故にもう、自分が揺らぐ事など無い、レオンはそう考えていた。
犯罪や違法行為、そういったグランマリー在俗区派閥が禁忌とする行いを避けるならば、ここ『ヤドリギ園』で、安寧を維持出来る。
しかし。
何かを見落としている様な、そんな想いが消えない。
何を見落としているのか、何を見誤っているのか。
レオンは、デスクに置かれた発泡林檎酒のボトルに、改めて手を伸ばした。
この薄ぼんやりとした焦りを、出来る事なら忘れてしまいたかった。
◆ ◇ ◆ ◇
件の騒動から一週間が経過していた。
ここの所、天候の思わしくない日が続いている。
今日も鉛色の分厚い雲が、空一面を覆い隠していた。
今にも泣き出しそうな、という表現が相応しい空模様だった。
多少の曇天ならば『ヤドリギ園』の子供達も、気にせず遊ぶ。
しかし程無くして雨が降るとなれば、皆大人しく施設内に篭る事を選ぶ。
雨の中で泥に塗れたなら、園内を汚す事になり、洗濯の手間も増える。
それはシスター達に対する、子供達なりの配慮でもあった。
そんな、子供達の騒ぐ声が聞こえない『ヤドリギ園』の午後。
やがてポツリポツリと大粒の雨が降り出し、すぐに本格的な豪雨となった。
人気の無い前庭が、雨にぬかるみ始めた頃。
一台の黒い高級蒸気駆動車が泥水を跳ね、園の敷地内へと走り込んで来た。
雨避けの幌を張った、黒いカブリオレ型駆動車両だ。
後部座席のドアを内側から開け、ぬかるむ前庭へと足を降ろしたのは、ダークブラウンのフロックコートを身に纏った、シャルルだった。
◆ ◇ ◆ ◇
「……突然の訪問をお許し下さい、園長。そしてシスター・ダニエマ。どうしても早急にお伝えすべき事があり、お伺いした次第です」
応接室のソファに座ったシャルルは、強張った表情でそう告げた。
切迫した様子から、良い知らせでは無い事が伺える。
部屋中央に据え置かれたテーブルを挟み、向かい側のソファに座るのは、ヤドリギ園の園長、副園長のシスター・ダニエマ、そしてレオンの三人だ。
「わざわざご足労頂き、ありがとうございます、ダミアン卿。随分お急ぎのご様子でしたが、何か問題でも発生しましたか?」
そう訊ねたのは園長だ。
シャルルの不穏な気配と動揺を察しつつも、柔らかな物腰と静かな口調は、普段と変わらない。
落ち着いた園長の様子に、シャルルも一旦呼吸を整え、姿勢を正す。
しかし顔色は相変わらず良くない。
シャルルは口を開いた。
「単刀直入にご報告します……ヤドリギ園の管理運営を統括していた衆光会所属の貴族が、借金返済を理由に、所有していたこの辺り一帯の土地、二〇ヘクタールを売却しました……つまり、ヤドリギ園が建てられているこの土地は、衆光会の管理外となってしまったんです」
「まあ……ルイス卿が……」
「まさか……」
園長が口にしたルイス卿という人物が、ヤドリギ園周辺の土地を管理していたのだろう。
レオンも突然の事に、呻く様な声を上げる。
シスター・ダニエマは凍りついた様に動かない。
シャルルは低い声で発言を続ける。
「新たな土地の所有者は、イーサの陸運会社でコルベル運輸。そして、この会社の実質トップは大株主であり、地方豪族のラークン伯爵」
「ラークン伯……」
レオンは眉を顰め、その名を呟く。
いわゆる古の名門貴族だ。
広大な領地を所有し、その領内で収穫される農作物と、数種の天然資源だけでも十二分な収入があるが、ラークン伯の収益はそれに止まらず、大規模な陸運事業、鉄道事業にも参画しており、その商才はガラリア・イーサでも、抜きん出ていると聞き及ぶ。
ただ、醜聞の噂も多く、対立する貴族や企業に対しては、容赦の無い圧力を掛ける事で知られていた。
ガラリアで生活するなら、敵に回したく無い人物の一人だろう。
しかしむしろレオンは、ヤドリギ園に事前連絡する事無く、土地売却を決定した衆光会々員……ルイス卿に憤りを覚えていた。
衆光会自体、格差是正と労働者の地位向上という、立派なスローガンを掲げてはいるが、色々と問題を指摘されている組織だ。
全ての会員がそうだと言うつもりは無い、しかし、貴族の立場で衆光会に参加する人物には、己に湧いた不評を払拭する為の禊として慈善活動を行う者や、税金対策として利用している者、世間に疎い理想主義者も多い。
そして衆光会を束ねる労働者団体代表団にしても、貴族会員達を都合の良い金づるの様に扱っている節がある。
身分や経済格差問題を過剰に煽り立てる事で、労働者層を味方につけ、政財界に於ける組織の立場を維持している……そう揶揄する者も少なくない。
だが、今はそんな事よりも、ヤドリギ園が売却されたという事実だ。
売却の対象はヤドリギ園だけでは無く、この辺り一帯の土地、凡そ二〇ヘクタール。それは近隣に建てられた、日雇い労働者向けの安価な宿泊施設等も含む話となる、間違いなく『歯車街』を揺るがす問題となるだろう。
レオンは最も気になる点について質問した。
「シャルル……土地の所有者が変更された場合、ヤドリギ園の存続は望めるのか? コルベル運輸とラークン伯は何と言っているんだ?」
シャルルは、暗い表情のまま答える。
「彼とコルベル運輸は、この辺り一帯を陸運拠点として、巨大集配施設を建設するつもりだ。ヤドリギ園と宿泊施設、食料配給所や集会所は、全て取り壊すと、代理人を通じて連絡して来た。ヤドリギ園の運営は不可能になる……近々、ヤドリギ園にも通達が来る予定になっている」
「そんな話になっているのか!?」
シャルルの返答に、レオンは憤りを隠し切れない。
園長とシスター・ダニエマも、苦悶に満ちた表情を浮かべている。
どう対処すれば良いのか。
レオンは更に質問を重ねる。
「衆光会はどうするつもりなんだ? この辺りの土地がルイス卿の物だったとしても、衆光会と共同管理する形だったんじゃないのか?」
「……確かに衆光会の共同管理者達も、ヤドリギ園の管理運営に携わっていたが、以前話した通り、衆光会は慢性的な資金難に陥っていたんだ……園に対する資金援助に関しては、ルイス卿に頼り切っていた。そんな状態で、卿の決定に反対出来る筈がない……売却された二〇ヘクタールの土地は『歯車街』の外れと言っても、きちんと配管整備が成されている上に幹線道路も近い、更に区画整理と路面の整備も行われているから、資産価値が高い、単純計算で四億四〇〇〇万クシール相当だ、衆光会の力ではとても……」
途方も無い金額だ。
そんな馬鹿な話があるか……レオンはその言葉を飲み込んだ。
怒鳴ってどうにかなる問題では無い。
その時、部屋の扉を弱々しくノックする音が響いた。
「どうぞ、お入り下さい」
園長が静かに応じると、応接室の扉が開く。
戸口の外には、ティーセットを給仕ワゴンに乗せたカトリーヌが、青褪めた顔でひっそりと立っていた。
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