第39話 王都の祈りの塔 中編

「お待ちしておりました、ヘンストリッジ辺境伯爵様、レイモンド様、ソフィア様。先触れ及びヘンストリッジ領の領都神官長グレゴリウスからお話は伺っております。どうぞ、こちらへ」



 私たちが祈りの塔に足を踏み入れると、待ち構えていたように白い長衣を着た少年が駆け寄って来た。そして、さっと跪いて挨拶をするとすぐに塔の奥へと案内してくれる。塔の中の入り口付近で護衛騎士の一人が合流したので、彼が先触れとして連絡を入れてくれたのだろう。それにしても、グレゴリウスは一体何を話したのか……あんまり聞きたくないような。



 私たちは、少年神官に続いて王都の祈りの塔の中をゆっくりと歩いていく。内側の造りは、領都の祈りの塔とほぼ同じだ。異なるところと言えば、その大きさと天井の高さだ。天井がより高い分、半透明の摺りガラスのような壁や天井から柔らかく降り注ぐ日光の量が増えて、より塔の中が明るく感じる。

それから、もう一つ異なるところがある。塔内の左右の壁だ。領都の祈りの塔は、最奥の壁だけに切れ込みが入っていて、そこからパイプオルガン、いやリュフトシュタインが出てきた。しかし王都の祈りの塔には、最奥だけでなく左右の長い壁にも、その中ほどまで切れ込みが入っている。もしかしてこれも全部パイプなのかな? ふふふ、楽しみだなあ! 早くその姿が見たい!



 せっかく白い長衣を着た少年が、私に配慮するように歩幅を気にしながら案内してくれているのに、私はもうわくわくしすぎて走り出してしまいそうだった。だって、私の予想が正しければ、王都のリュフトシュタインは、もしかしたら死ぬ前に一番弾きたかった、でも結局触ることすら叶わなかった楽器かもしれないのだ。これはもう、我慢なんてできないでしょう! 

私が脳内でクラオタワールドを炸裂させつつ、ついご令嬢としてのソフィーであることを忘れて走り出しそうになったところで、慌てたようにソフィーが話しかけてくる。



「ゆいー、おちつくのだー! りゅふとしゅたいんはにげないのだー! ここはおうとなのだ! はしったりしたら、きっとヴァルナーダせんせいにおこられるのだ!」



おっと、いけない。ソフィーの言う通り、ここは王都で私は貴族令嬢だ。いくらドレスじゃないとは言え、走り回るとか貴族令嬢としてアウトだろう。領都なら、あの領主一家の娘ってことでそこまで気にされないかもれないけど……ここだと本当にどこの誰が見ているかわからない。走るのもスキップするのもぐっと堪える。くうっ、も、もう少しだから、我慢よ我慢……



「……ありがとう、ソフィー。私も気を付けてるつもりだけど、どうにも目の前に楽器があるとね。……ソフィーも、私と一緒にちゃんと勉強してるんだもんね」



 ふうっ、と自分を落ち着かせる様に息をつき、何事も無かったかのように装ってみんなの後について歩きながら、ソフィーにお礼を言う。私がソフィーを助けることがあっても、正直ソフィーに助けてもらうことがあるとは思わなかった。今回のは出会った頃のソフィーからは考えられない言動だ。

この1か月、時々うとうとしているソフィーを起こしながら一緒に勉強したり、マナーの基本の練習をした甲斐があったのかもしれない。私が演じている外側のソフィーだけじゃなく、ちゃんとソフィー本人だって成長しているのだろう。私がクラオタである限り、どうしてもここだけは暴走しない自信がないのだ。そこをソフィーがコントロールしてくれるならこれほど心強いことはない。



「えっへん! ソフィーはえらいのだ! ゆいがまいにちがんばってるのだ! ソフィーもがんばるのだ! もっとほめてもいいのだ!」



 エティエロ王子のことはどうかと思ったけど、まだ中身は4歳なのだ。こうして私が傍で見守って、一緒に勉強していけば……私がいつか消えて無くなっても、あるいはソフィー自身が自分で生きていきたいと思っても、悪役モブなんかにならずに済むだろうか。いや、そうならないように、私がここにいる間になんとかしてあげたい。そのために、今代わりにこうしてソフィーになっているんだから。



 褒められて嬉しそうなソフィーの頭をいつものようによしよしと撫でつつ、私は深呼吸をして再度自分を落ち着かせた。そして、領都の祈りの塔の通路の倍はあろうかという、広い通路の真ん中をお父様に続いて歩いていく。

キョロキョロするわけにはいかないので、目線だけで周りをこっそりと見回してみた。平民から貴族っぽい服装をしている人まで、老若男女幅広い世代、そして様々な身分の人がいるようだ。しかし、こちらを興味深そうに見ている人はたくさんいるが、跪いたりしてくる人は誰もいない。領都の祈りの塔とは、なんだか違うようだ。



「ソフィー、そういえば言い忘れていたけれど……王都の祈りの塔は、平民を始め、たくさんの貴族、そして王族まで来るからね。いちいちその身分ごとに跪いていたら平民は、それこそ祈ることもできなくなってしまうだろう?

だから、3代前の国王陛下が『王都の祈りの塔の中では身分を問うてはならない』という決まりをお作りなったんだ。だから、周りが我々に跪かなくても、彼らが無礼な振る舞いをしているわけじゃないんだよ」



 私が不思議そうにしていたのを感じ取ったのか、いつの間にか私の横に来ていたお父様が、私だけに聞こえるくらいの小さな声で前を向いたまま教えてくれる。

 そんな素敵なルールがあるのか! 3代前の国王様天才! 私は、貴族として跪かれることに1か月経っても全然慣れないし、これからも慣れそうにない。だから、本当はこういう風に接するというか、むしろ放っておいてくれると心の底からありがたいと思う。

だって、領都の祈りの塔でお勤めする時は、毎日朝から領民に跪かれていたたまれない気持ちになっているんだよ? 王都のルールをグレゴリウスも採用してくれないかなあ……でもハルモニア様が絡んでるんだもんなあ……だめだ、グレゴリウスが真っ先に跪きそうだ。とりあえず今は諦めよう。



 周りが決して無礼な振る舞いをしてるわけではない、ということを理解しつつ、私たちは王都の最奥の壁を目指して歩みを進めていく。入り口に近い方の長椅子には、祈る人や雑談をしている人、神官と話す人がたくさん目に入ったが、奥に行けば行くほど人がまばらになっていく。



 そして、立体的な神々やその眷属の像が壁から生えている最奥の壁から見て、最前列の長椅子のところまでやってきた。その前には神官長が説教などで使いそうな、大きな台のようなものがあり、あとは領都の祈りの塔と同じように、最前列の前に一定の間隔でずらりと並べられた蝋燭が小さな火を灯している。



 案内してくれた少年は「神官長を呼んできます」と言い残して、最前列の左側にある扉からどこかへ駆け足で去って行った。と思ったら、八十歳は超えていそうな、白髪で長い白髭を揺らした、見るからに高齢の神官を連れてすぐに戻って来た。

少年に支えられた神官は、その白い長衣の裾を少し引きずりながら、よたよたとこちらに歩いてくる。その歩き方はおぼつかないが、神官の表情は太陽のように明るく、優しいお爺さんといった雰囲気で、お父様とお爺様に親し気に話しかけた。



「ふおっ、ふおっ、ふおっ! レイモンドにアラン、久しぶりじゃのう。本当は儂が出迎えたかったのじゃがなあ。この通り、近頃はずいぶんと足元もおぼつかなくなってきてのう。そろそろハルモニア様からのお迎えが来るのかと、楽しみに待っておるところじゃ! ふおっ、ふおっ、ふおっ!」



「ふんっ! なあにを言っておるのだ、フランチェスコ。十年前から言うておることが変わっておらんと、会うたびに言っておるではないか」



 歩くこと以外はぴんぴんしていそうなお爺ちゃん神官に、お爺様が鼻を鳴らしながら鋭く突っ込む。人は死にそうと言っているうちは死なないと言うらしいが、お爺ちゃん神官はまさにそのいい例ということかもしれない。



 私は、お父様に紹介してもらって王都の祈りの塔、及び国内の全神官の神官長であるフランチェスコに挨拶をする。なんと彼は今年91歳になったところで、国が把握している限りで現在最高齢なのだとか。そりゃあ、足元くらいおぼつかなくなるわ。むしろ、現在も現役の神官長として仕事をしているのがすごい。ちなみにフランチェスコを支えている少年は、彼の曾曾孫らしい。



 私は、挨拶の後にお父様とお爺様がフランチェスコと話をするのを静かに聞いていた。しかし、その中で、お父様から私が毎日リュフトシュタインを弾いていることを聞いたフランチェスコは、みるみるその目を輝かせたかと思うと、少年神官が止めるのも聞かずによろよろと私の前でしゃがみこんだ。そして私と目線の高さを合わせ、その節くれだった両手を震わせながら祈るように私の手を取り、



「おお、グレゴリウスから聞いてはおったが……まだこんなに幼い子どもなのに、使徒として毎日お勤めをのう……なんとも立派なことじゃ。何ができるかわからんがのう、儂ら神官にできることがあれば、何なりと言うてくだされ。微力ながら、使徒様のお力になりましょうぞ」



 眩しくなるほどの輝くような笑顔を浮かべ、フランチェスコが私にそう伝えてきた。その表情からは、決してお世辞や社交辞令で言っているわけではないことがわかる。

私は、ソフィーの小さな手でフランチェスコの震える手を握り返してお礼を伝えつつ、今日ここに来た目的を伝え始めた。







「グレゴリウスから聞いてはおったがのう……この壁にそんなものが隠されておったとは。長生きはしてみるものじゃな、ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」



 実は壁の中に神獣リュフトシュタインがいて、白の魔力を流すとその姿を現すことを話すと、神官の説教台の椅子に座ってこちらの話を聞いていたフランチェスコが驚きつつ、なんとも嬉しそうな顔をしながら話してくる。そして、その白くて長い髭を顎から下に向かってゆっくりと撫でながら、今度は何かに思いを馳せるように目を閉じ、言葉を続ける。



「儂は、祈りの塔の孤児院出身でな。気が付けば最古参であり、最年長であり、最高齢になってしもうたが……幼いころから祈りの塔にずっと関わってきても、この壁に神獣がおることなど知りもしなかった。儂が祈りの塔のことで知らぬことがあったとは、人生とはわからぬものじゃ。

 それにしても、白の魔力か……。現在の神官はのう、孤児や平民を始め、グレゴリウスのように元貴族もおってな。もしかしたら、調べれば国内に一人か二人くらいは白の魔力持ちがおるやもしれん」



「本当ですか! リュフトシュタインは、演奏できなくてもその姿を現しているだけでも効果があるそうです! だから、私以外にもリュフトシュタインを養う人が一人でも増えたら、ハルモニア様もとっても助かると思います!」



「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ! 使徒様は自分が楽になるのではなく、ハルモニア様が助かるのが嬉しいのじゃな。だからこそ、ハルモニア様がお勤めを任せたのじゃろうなあ。

全神官の魔力調査は、儂が責任を持って行いましょうぞ。ひと月くだされ。来月、七の月の今日までに、グレゴリウスを通して使徒様に結果をお知らせしましょう」



おお! なんと心強い! いっつもハルモニアワールドに旅立ってて、なかなか帰って来ないグレゴリウスとは大違いだ。さすが全神官のトップ。やれることのスケールが違うし、足元がおぼつかなくたって仕事はきちんとやってくれそうな感じだ。



私は、すぐ後ろで話を聞いているお父様とお爺様を振り返って二人の顔を見た。二人とも笑顔で頷いている。このままお願いしていいってことなんだろう。二人に頷き返し、フランチェスコにぜひ、とお願いした。これで一人でもいいから、神官の中に白の魔力持ちが見つかれば……ハルモニア様はもちろん、私の気持ちの面でもとても助かる。現状、私しかリュフトシュタインと関われないというのは、実は結構プレッシャーなのだ。



 フランチェスコと一通り話しを終えたあと、お父様やお爺様、リタに護衛騎士たちには祈りの塔の最前列の長椅子に座って待っていてもらう。フランチェスコは、私がリュフトシュタインに魔力をあげる様子を近くで見たいとのことだったので、少年神官に支えられて椅子から降り、最奥の壁の前に私と一緒に立っている。



 フランチェスコと少年神官が息をのんでじっと見つめているのを感じながら、私は右手を軽く伸ばし、祈りの塔のひんやりとした壁にそっと触れた。








「おお、ソフィー。儂らの本体にようこそ、じゃな」



「ごはんごはんー! こっちのうつわはおなかすいてるのー!」



「おい、ソフィー。朝俺たちを一回食わせてるから、今7割くらいしか魔力残ってないぞ? どうすんだ?」



「はあ、どうもこうも、この量であたしたちをここから出すのは無理さね。ふう、一部ならどうにかできそうだけどね」



 ほんのちょっとだけ触れて一旦手を離し、リュフトシュタインと会話できるようにする。手が触れたところがほんのりと白く輝くのを、フランチェスコと少年神官が驚きの声を上げながら見つめている。私は二人のことはちょっと置いておいて、頭の中でリュフトシュタインに話しかける。



「やっぱりそうだよね。ちなみに、ポーション使って魔力を回復したら演奏できたりする?」



「いやーっ! ポーションはまりょくがうすまるのー! まずいってきいたのー! たべたくないのー!」



「はあ、ポーションって、要は薬で無理矢理身体に魔力を作らせるやつさね。急激に魔力を作らせる間、一旦身体の魔力を薄めて見かけの量を増やすそうだよ。攻撃とかに使う分には問題ないみたいだけど……。ふう、あたしたちはその魔力を食べたことないけど、あんまり美味しくなさそうだし、魔力が薄くなるなら余計量が必要になるかもしれないさ」



「俺んとこの魂の中にも、ポーションはそういうもんだって言ってるやつがいるぞ。だから、どうも嘘じゃなさそうだぜ。それに、お前の身体にも負担がかかるんじゃないのか? 無理はすんなよ?」



「ふうむ、儂も勧めはせんな。どうせ、こうして毎日儂らに魔力を喰わせておるのじゃ。今後少しずつ魔力量自体が増えていくじゃろう? 今焦らなくても2、3年もすれば、全員ここから出すくらいはできそうなもんじゃが」



 なるほど、ポーションはどのみちやめた方がよさそうだな。今日は演奏できないけど、魔力は使えば使うほど少しずつ増えていくらしい。ふふふ、いいこと聞いちゃった! じゃあ、毎日リュフトシュタインに食べさせた残りで魔法の練習とかすれば、より早く王都のリュフトシュタインが弾けるかもしれないのね! うふふ、それならなおさら頑張らないとねえ。ふふふ、ふははは!



 私は、今日弾けないショックよりも、今後のことに胸を躍らせながら、リュフトシュタインに今の残りの魔力で本体の演奏台コンソールだけでも出せないか聞いてみる。これが、私が今日一番やりたいことなのだ。これだけでいいから見たい。見せてほしい!



「ん? 演奏台コンソールだけでよいのかの? ソフィーの残った魔力を5割くらい食べれば、左右のは無理じゃがこの壁の一番前の部分くらいは一緒に出せるがのう?」



「わかった、じゃあこの壁の分もどんな感じか見たいから、出せる分はお願いね。あとはパル爺に任せるよ。倒れるのは怖いから、特にフルフルは食べ過ぎないでね!」



 結構ギリギリまで魔力を食べさせるのは初回以来だ。もう日常生活に身体強化を使っていないから大丈夫だとは思うけど、食いしん坊のフルフルは心配なので釘を刺しておく。

 「しんがいなのー! おやくそくはまもるのー!」とぶつぶつ文句を言うフルフルを放っておいて、私はフランチェスコと少年神官に少し下がってもらうように伝える。足元の分がどれくらい出てくるのかわからないが、前回私は下から上がって来た椅子にしがみついていたくらいなのだ。足元がおぼつかないフランチェスコが巻き込まれたら危ないことこの上ない。



 少年神官に支えられたフランチェスコが、とても残念そうにしぶしぶ最前列の長椅子へと向かい、腰を下ろしたことを確認し、私は再度壁に右手を触れた。



 魔力が右手から一気に吸われ、身体から力が抜けるような、何度味わってもなかなか慣れない感覚を今回も味わいながら、身体がふらつかないようにぐっと堪える。そして、私は自分の手を中心に壁いっぱいに放射状に伸びていく、白く輝く光の線をじっと見ていた。



最奥の壁一面が輝くのを眺めながら、私はどうかこの本体が、私が心の底から会いたかった楽器であることを勝手に祈りながら、壁や足元がゆっくりと動き始めるのを感じていた。

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