第28話 前日準備(改稿後)

 祈りの塔から戻った私は、リタと一緒に王宮へ行くための準備の確認をしていた。



「申し訳ありません、お嬢様。本当は私が一人で責任を持って全てを行わなければならないのですが……」



「いいの、気にしないで。リタも私も初めて王宮に行くから、一緒に荷物を確認したいって言ったのは私でしょう? リタは私の専属だもの。リタのことを信じていないとか、そういうことじゃないんだよ?」



 そう、私が目覚めた日からいつの間にか私の専属に任命されていたらしいリタが、先輩の侍女たちと一緒に王宮へ行くための準備は既に終えてくれていた。

 しかし、私は元現代日本人なのだ。今まで自分の荷づくりは自分でしてきたのに、遠出するにも関わらず、自分が何を持って行っているのかわからない状態って結構不安なのだ。日本みたいに、足りなければコンビニとかで買えばいいや、とはいかないのである。



 キャリーバッグのような、車輪がついたグレーの革のカバンの留め具をリタに外してもらう。どうやらこれが私の荷物用のバッグらしい。いくら全てを使用人たちがやってくれるとは言え、それすらも知らなかったとかやっぱり不安すぎる。聞いて正解だわ。



「お嬢様、今からこれを開きますので、後ろに2歩ほど下がってくださいませ。そこにいるとぶつかってしまいますので」



「……このぐらいでいい? ねえ、リタ。ぶつかるってどういう……」



 私がそう聞きかけたところで、バッグの中から私がさっきいたところに向かって何かが勢いよく飛び出してきた。私は驚いてもう一歩飛び退く。

 リハビリのおかげで、身体強化がなくてもある程度の日常生活が送れるようになっていた。しかしそのせいで、無意識に身体強化を切ってしまっていた。普段のソフィーの身体の反射神経では、危うくぶつかるところだった。危ない危ない。



「これは魔導カバンですよ、お嬢様。貴族の方は何かと入用ですけれど、あまりたくさんの荷物は転移陣の中に持ち込めませんから。こういった、中にいろいろな棚や洋服掛けが収納できる空間を持つ特殊なカバンを皆様お持ちのようですよ」



 目を見開いて驚く私に、リタがくすくすと笑いながら教えてくれる。やばい、これは貴族の常識なんだ。覚えておかないと。



「教えてくれてありがとう。中身が何か教えて? あと、『転移陣』って何?」



「中身は一度出してお見せしますね。転移陣というのは、対になっている魔法陣のところに空間魔法で移動できるもののことですよ。王都はここから馬車で行こうとすると1週間以上かかってしまいますから、王都のヘンストリッジ辺境伯爵家の屋敷に設置してある転移陣へここから飛んで移動するのです。十分な量の魔力さえ流せば、すぐに移動できるんですよ」



 リタは私に荷物の中身を一つひとつ出して見せながら、転移陣の説明をしてくれる。転移と言ってもどこでも行けるわけではないらしい。設置をするには、ペアのもう片方を置く許可を取る必要があるので、そう簡単に設置できるものではないそうだ。

 この屋敷にある転移陣は、王都の自分たちの屋敷の分と、お母様の実家であり、ヘンストリッジ家と仲良しのシウヴァ侯爵家の屋敷の分だけなんだそうな。



 リタの話を聞きながら、私は泊まりでもないのにやたらと荷物が多いことに驚いていた。騎士服は4着、それに合わせた靴も4足、その他もろもろ……こんなにいらないでしょ。終わったらすぐ帰ってくるんだもん。……帰ってくるんだよね?



「お嬢様。王都に行けば、忘れ物や足りない物があっても私単独では戻って来られません。皆様にご迷惑をおかけしないよう、何があっても問題がないように準備をするのが私たちの役目なのですよ。これでも足りないくらいなのです」



 私の怪訝な視線を感じ取ったのか、私が聞く前にリタが釘を刺してきた。うう、そう言われたら文句は言えない。ちゃんと準備してくれているし、教えてもらって安心したし、荷物の準備はこれでいいだろう。



 私は、わざわざ荷物から出してまで見せてくれたリタにお礼を言って、残りの準備の確認のために部屋をあとにした。













「明日の招集に関する陛下からの書類? ああ、見せるのは構わないぞ。ただ、魔法契約の書類だからね。ソフィーは手を触れてはいけないよ?」



 リタと荷物の確認をしたあと、私はお父様の執務室を訪れていた。もちろん、目的があってのことだ。



 お父様はそう言うと、執務室の机の引き出しから細長い白木の箱に入った、くるくると丸められた羊皮紙のようなものを取り出し、それを開いて見せてくれた。……あれ? 全然読めない。



「ああ、これはノードレス文字で書かれているからね。まだソフィーには難しいだろう。えっと、これが召集の内容で……」



 首を傾げていた私の様子に気付いたお父様が、羊皮紙の文字を一番上から指で指し示しながら説明してくれた。なるほど、これが魔法契約か。



「今回の件は、一応国家の最高機密ってことになっているんだ。禁止されているはずの『死の鎖』が使われたことはもちろん、ソフィーが暗殺されそうになったことも公にはされていない。だからこそ、今回は正式な謁見としては行われないし、我々が話すのも陛下と研究者1名だけだ。国の重要事項のためとはいえ、男性に素足を晒さなければならないソフィーの名誉を守るためにもね」



 お父様は脳筋一族の一人だと思っていたけれど、色々考えてくれていたようだ。招集に合わせて結ばれた魔法契約の内容を頭に刻み込む。これはどちらかと言うと、万が一の時のための準備だ。抜かりがあってはならない。



 私は、仕事中にも関わらず、快く対応してくれたお父様にお礼を言い、執務室を後にする。次に向かうのは、歴史のヴァルナーダ先生の家だ。



 まず自室に戻ってリタに声をかけ、ヴァルナーダ先生の家に一緒に来てもらう。先生の家は実はすぐ近くだったりする。

 今日は、本来はお休みの日だ。だから、こうして家まで押し掛けるのはどうかとも思ったが、明日はお勤めが終わったらすぐ出発するそうなので質問できるチャンスがない。先生がおうちにいますように! 教えてくれますように!



 お父様に契約の内容を聞いても、ヴァルナーダ先生がそれについて教えてくれなければいざとなった時に闘えない。他にそういうことに詳しそうな人も知らない。だって、みんな基本的に脳筋なんだもん、はあ。



 私は祈るような気持ちでヴァルナーダ先生の家のドアをノックした。













「お休みの日にどうなさったのかと思えば……王国法ですか。もちろん、歴史と法律は密接な関わりがありますから、当然私は網羅しておりますし、いずれお嬢様にお教えするのも私の仕事ですが……」



「明日王宮に行く前に、魔法契約に関わる王国法を教えてほしいです。お父様が私を守るために陛下と契約してくれたそうです。でも、私はそれが何なのかがわかりません。ただ、それを破ると魔法契約と王国法の両方に違反すると聞きました。だから、関係のある法律を知りたいのです」



 ヴァルナーダ先生は、「魔法契約を貴族が破るなんてありえないことですけど」と言いつつも、ノードレス文字で書かれた法律書と思われる本を本棚から取り出し、いくつもページを開いて確認しながら説明してくれた。



「……こんなところでしょうか。どうです? 魔法契約に関しては、特に貴族は誰も破ろうなんて考えないとお分かりいただけたでしょう?」



「はい……『契約に違反すれば、犯罪奴隷として契約相手に隷属する』……確かに、これなら誰も違反したりしないと思います。安心しました。先生、ありがとうございました。お休みのところ、押し掛けてすみませんでした」



「いいんですよ、勉強熱心な生徒を持てて嬉しゅうございますから。明日、絶対に無いとは思いますが、万が一の時には先ほどの条文をお使いくださいませ」



 ヴァルナーダ先生に教えてもらったことを頭の中で何度も復唱しながら、私は先生にお礼を言った。先生の言う通り、これなら万が一なんてない。あったら大変なことになってしまう。陛下とお父様の契約だから、もしもの時は陛下がお父様の奴隷ってことになるんだから。

 国王陛下に直接お会いするのは初めてだが、近年でも比類ないほどの賢王と呼ばれていると聞いている。当然、魔法契約のことだって理解しているに決まっている。追放死亡ルートが怖すぎてなんだか嫌な予感もしていたから、色々準備してみたけれどこれなら大丈夫かもしれない。準備するだけして、なにも起こらなければそれでいい。安心、とまではいかないけれど、お父様が結んでくれた契約の拘束力の強さに私は幾分気が楽になっていた。










 私が自分でできるであろう、明日への準備は完了した。私はほっと息を付きながらリタと屋敷へ戻る。

 その後夕食と入浴を済ませ、リタが寝る準備を整えてくれる。濡れた私の髪を風魔法で乾かし、お母様からもらったグラナディラの櫛で丁寧に梳かしてもらう。グラナディラの表面に薄く花油を塗ってから梳かすことで、トリートメントが無くても髪の艶を保つことができている。

 ちなみに、入浴前にも同じことをするのがポイントだ。石鹸でそのまま毎日髪を洗ってしまえば、油分が落ちすぎてパサパサになってしまうので、あらかじめ花油で保護しておくのだ。



「お嬢様の髪は艶があってとても綺麗ですね! これから長く髪が伸びていくのがとても楽しみです!」



 リタは、毎日そう言いながら嬉しそうに髪の手入れをしてくれる。鳥の巣事件から1か月経ったが、私の髪はまだ耳にかからないショートヘアだ。貴族女性に必須のロングヘアなんてまだ随分先の話になりそうだ。



 明日だって、本当はドレスのところを、ヘンストリッジ辺境伯爵家の正装だから、と騎士服を許可してもらっているくらいなのだ。いずれは軽くて動きやすい騎士服から、重くて動きにくいドレスへと服装を変えなければならないだろう。はあ、私ずっと騎士服がいいなあ……



 私は寝る前にもう一度、綺麗だけれど中性的でショートヘアが似合う、まるで男の子のような今の自分の姿を鏡で見た。理由はわからないが、なんだかとても複雑な気持ちになった。

 頭を左右にふりながら、その複雑な気持ちを頭の中から振り払う。そして、さっさと寝ようとベッドに潜り込む。



 そして、そっと目を閉じながら明日の曲を選んでいた。明日は、お勤めの後にいよいよ王都に行くのだ、その前にハルモニア様に祈るような曲にしたい。何が起こるか、起こらないかもわからないことに対して、助けてほしいなんてそんな都合のいいことは考えていない。でも、ただハルモニア様が見守ってくれている、そう思うだけでも心強いことに変わりはない。



 私は敬愛するモーツァルトが作曲した、今一番私の気持ちを表現するのにぴったりだと思う曲を選ぶと今度こそ意識を手放した。



 




 明日、自分が思っていた以上に王都での人やものとの出会いに振り回されることになるなんて、この時の私には知る由もなかった。

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