2-4

「ちく、ちくしょう!」

 浦霧うらぎりが、回れ右をして走り出した。ようやく潮時を感じたのだろう。

 俺もそろそろ逃げたかった頃合いだ。後は、クソッタレ七里の尻を叩いて撤収しよう。

「ぁ、あ、どうすれば、何を検索すれば、私っ!」

「逃げるんだよ、モタモタするな!」

 だが、メタボ女の体躯は、この場にがっちり根付いているように、微動だにしない。どこまで足を引っ張りやがる!

 浦霧の方は、這う這うの体ではあるが、巧く逃げているようだ。

 樹木野郎に同化された周囲の雑木林が激しくざわめき、多方から浦霧に襲い掛かる。浦霧はこれを紙一重の有り様ながら逃れ、避け切れなかった物はチェーンソーで斬り落としてのけた。

 俺の補助魔法が効いている事を加味しても、あいつの近接戦闘センスは非常に高いと見える。

 俺は今から、役立たずの七里の方を抱えて逃げなければならない。浦霧には、ただ無事を祈ってやる事しか出来ない。

 俺は七里の弛んだ首根っこを引き掴むと、掌に魔力を巡らせた。

「全身鎮静」

 欠片の優しさも込めずに詠唱してやると、七里の肥満体がぐったりと崩れ落ちる。畜生、意識が消失したせいで、ますます重くなりやがった。

 だが、魔法に目覚めた俺にとっては担げない重さでは無い。

 外周の雑木林どもが、どさくさに紛れて包囲網を縮めて来ていた。"人喰いの林"の躍起面目か。

 とりあえず、馬鹿デカい荷物を背負った俺に、出来る事はそう多くない。

 敷地外に向かって、ひたすら走るしか無い。

 走りながらも、視線は満遍なく雑木林に巡らせる。焦ってはならない。極力、枝の射程外に位置を取りつつ、蛇行しながら走るんだ。

 一発、二発、三発。俺の背後で、芝生が鞭打たれては噴砕された。

 そして。

 俺の鼻先に、黄色がかった靄が……あの見るからに良くない類の瘴気が漂い始めた。

 "人喰いの林"どもが、今まで出し惜しみしていたそれを、目一杯噴霧し始めたようだ。

 ここで決める積もりか。

 息を止めようとするも遅く、相当量を吸ってしまった。

 コーラを焦げるまで煮詰めたような、妙な甘さとえぐみのある臭気が鼻孔を満たす。

 症状は、即座に現れた。喩えるなら、全身の血が一瞬で強酸に変わったような激痛と熱さが巡り狂う。

「部分、鎮静」

 痛みこそは魔法で誤魔化せるが……膝に力が入らず、その場にぶっ倒れた。七里も、俺と枕を並べる格好で突っ伏した。

 俺は即時、魔法的思考を切り替えた。

 この毒霧が、どれ程の、どんな毒性を持つかはまだ分からない。致死量……では無いようだがこのまま無防備を晒すのは不味い。

 身体に混ざった異物の気配を、俺は魔法で検知する。…………よし、毒素の存在を捉えた。

「血清データ構築。対象毒素、除去」

 俺の皮下に、紫色をした魔法光が走った。体内の毒を分析し、これを消し去る事で、俺は解毒が可能となった。

 同じ毒は、もう通用しない。

 毒のデータが手に入った今、七里を解毒するのに一秒とかからなかった。

 だが。

 何の解決にもなっていない。

 "人喰いの林"は、俺達を手遅れなまでに取り囲んでしまっていた。

 恐怖心を麻痺させているから狼狽えずには済んでいるが、俺の頭の片隅で、死ぬ予感がけたたましく叫びを上げている。

 俺の人生、こんな終わり方で良かったのだろうか。

 枝が、舌舐めずりをするように迫ってきて、


 暴力的なエンジン音。

 木々の砕け折れる、乾いた破砕音。


 俺達を喰う寸前だった林が、反射的に退いて行った。俺は、何もしてないぞ?

 邪魔な遮蔽物が下がると、音の原因が分かった。

 パワーショベルだ。灰褐色と暗い緑の迷彩柄にペイントされた物。そのアームが、拳骨よろしく樹木野郎本体をぶちのめした所だった。

 そうだ、この近辺でも自衛隊による救護活動が行われていた。"人喰いの林"どもにぶち壊された瓦礫を撤去するべく、この掩体掘削機えんたいくっさくきが持ち込まれたのだろう。

 自衛隊のそれは、アームの駆動角度や車体の自由度が、一般の重機より高いと言う。パワーショベルが、生き物のような軽やかさで、しかし、重い打撃を樹木野郎に何度も何度もぶっこんでいる。

 樹木野郎もただ殴られっぱなしではない。一際強く大地を踏み締めると、渾身の殴打を――パワーショベルが、消し飛ぶような勢いで後退し、これを回避した。およそキャタピラ駆動の重機の動きとは思えない。

 乗ってるのは……浦霧だ。

 もう、何でも有りだな、あいつの魔法。

 だが、流石に魔物相手のインファイトは無謀と思ったのか。わけわからん動力を得た車体を大きくスウェーさせると、浦霧は再びネイルガンを構えた。

 超常的なフットポンドを孕んだ釘の横雨が襲う。粗いコマ送りのように、樹体が抉れてゆく。

 だが、奴がボロ廃材となるよりも早く、周囲の雑木林が龍のようにしなりながら、本体の樹木野郎を覆って行く。

 支配ジャックした林を盾に、また自然治癒の時間を稼ぐ気か。だが好都合だ。そうして縮こまっている間に、俺達は逃げ切れる。

 パワーショベルにも、あれだけの機動力が付加されている。浦霧は何の心配も要らないだろうし、俺は七里を担いで脱出する事だけを考えれば良い。

 が、俺のそうした展望とは裏腹。

 浦霧が、逃げようとしないのだ。

「浦霧、どうした!?」

「トドメを刺してやる!」

 そんな事をのたまうと、あいつは縦横無尽に重機を駆け巡らせながら、車内から何かを取り出した。

 アルミケースだ。その中から更に取り出された物……それは湯沸かしポットにも似た機械。

 浦霧が、無造作にスイッチを入れる。

 すると、樹木野郎の身体に赤い光の縦線が走った。

 あれは、レーザー墨出機か。要はレーザー光で建築現場で水平や垂直を測定する為の道具だ。あんな物で何をする気だ。

 だが。

 ふっ、とレーザーの光が消えた。

 そして、入れ替りに、激しい白光を放射したかと思うと、樹体が深々と焼き切れた。調度、レーザーの線が当たっていた部分だ。

 そして、赤熱した傷跡から炎が噴き出した。

 まさか。俺は一つの予感を覚えた。

 当然だが、レーザーポインタや墨出機のレーザー光線に殺傷力などあろう筈も無い。ああ言う、目に見える波長のレーザー光線には、そんな力は無い。

 だが、浦霧の"魔改造"とやらは、そんな条理も歪めて、墨出機をレーザー兵器に変えてしまったらしい。

 不可視域に波長を変えられてしまったレーザー光線は、俺達の目には見えない。だが、樹木野郎の内部から爆発、あちこち炎上し初めているのが分かる。

 炎そのものの魔法に対するレジストは完璧でも、レーザー光で生じた副次的な熱には、どうやら対応出来ないらしい。

 レーザー切断の威力とは、出力もさる事ながら、照射時間にも比例する。

 だが樹木野郎には、遠くレーザーを照らして来るだけの浦霧に対して、どうする事も出来ない。

 これなら、殺せるかも知れない。

 見返りがある訳でも無いが、自分達の安全を思えば、魔物の数を減らしておいて悪い事は無いだろう。

 行け、浦霧!

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