第27話 欠けるもの


 華やかな音楽が流れている。

 それに乗ってステップを踏む紳士淑女たちが、シャンデリアの光を浴びて煌びやかな世界を作り上げていた。


 ラドニア王国第一王女の生誕パーティーは、すでに始まっている。

 婚約者のいないアイリーンは、父王にエスコートされて入場すると、最初の一曲を華麗に踊った。

 そして現在、様々な客人から祝いの言葉をもらっている。


「このたびはお祝い申し上げます。殿下もついに十八とは、早いものです」

「ありがとうございます、アニストン侯爵」


「お誕生日おめでとうございます、ミラー王女。ますます綺麗になりましたね」

「ありがとうございます、ブライス王子。王子も大きくなられましたわ。以前は私の背と同じくらいでしたのに」

「成長期ですからね」


「このたびは殿下の生誕パーティーにお招きいただき、感謝申し上げます。いつもお美しいとは思っておりましたが、今日は一段と輝いておられますね。まるで月夜の女神だ」

「まあ、さすがに褒め過ぎですわ、フリットウィック伯爵」

「いやいや、そんなことはありません。おまえもそう思うだろう? ダン」

「はい、父上」

「紹介しましょう。これは私の愚息でして、年は殿下の一つ下でしたかな。兄と同じくらい優秀なのですが、引っ込み思案なところが玉に瑕でして……」


 伯爵の視線が息子に向けられる。それは言外に「ほら、言うんだ」と何かを催促するような視線だった。

 アイリーンはピンとくる。

 おそらく、この次にダンが言うだろうセリフは、


「殿下、よろしければ、その、僕とダンスを踊っていただいても?」


 ――やっぱりきた。


 アイリーンは内心でうんざりしながら「ええ喜んで」と差し出された手に自分の手を重ねる。

 これで何度目だろう。祝いの言葉を方便に、自分の息子を売ってくる貴族に遭遇するのは。

 彼らは決まってダンスを申し込んでくるので、アイリーンに休む暇はない。

 おかげでアルバートともまだ会えていない。

 というより、彼の姿が会場内に見当たらないのだ。先ほどから視線だけで探してはいるのだが、まだ見つけられていない。

 いくら喧嘩をしたとはいえ、それでパーティーを欠席するような人でもないので、アイリーンはずっと心配していた。


「やあ、アイリーン。久しぶり」


 やっとフリットウィック伯爵子息とのダンスを終えたアイリーンは、次にかけられた声に振り返った。

 また捕まった、と少しげんなりしたが、その相手がアズラクと知ると、自然と顔が綻ぶ。


「アズラク! ええ、久しぶりね。やっと会えたわ」

「なんだ、俺を探してたのか?」

「いいえ? でも、用があったから」

「おい。そこは素直に探してたって言っとけよ」


 アズラクが半目になる。

 アイリーンはくすくすと笑った。


「ずっと気を張ってたから、なんだかほっとしちゃった。アズラクがルークだからかしら」

「さあな。それより、誕生日おめでとう。これは言っとかないとな」

「ふふ、ありがとう」

「それで、エリクはどこだ? 会いたいんだが」

「私もさっきから探してるんだけど、見当たらなくて」

「へぇ?」


 なんだか含みのある「へぇ?」に、アイリーンは首を傾げる。


「じゃあ、一緒に探すか。おまえもそろそろ疲れてきた頃だろ? もしかしたらテラスや庭園にいるかもしれないし」

「そうね、そっちはまだ見てないし、その案に乗るわ」


 アズラクがアイリーンの腰に手を回す。エスコートしてくれるのだろう。

 身内以外のエスコートなんて初めてだったアイリーンは、慣れなくて少しだけ腰を引かせる。

 が、アズラクにしっかりと引き戻された。

 二人が連れ立ってテラスへ消えていくのを、周囲は騒めきながら見送っていた。





 外に出ると、冷たい空気が肌を撫ぜる。

 その気温のせいか、テラスには誰もいなかった。


「いないわね」

「じゃあ庭園に行ってみよう」


 テラスから続く階段を指して、アズラクが言う。階段を下りれば、確かに庭園にはつながっている。

 しかし。


「さすがに庭園にはいないと思うわ」

「なぜ?」

「だってこの寒さよ? 出てもテラスまでじゃないかしら」

「それはわからないぞ。いいから、行ってみよう」


 どこか強引なアズラクに、アイリーンはまた小首を傾げた。まるで誘導しているみたいだ。

 腰をがっちりと掴まれているので、アイリーンは仕方なくついていく。


 すると、階段も下りきるというところで、小さな騒めきが聞こえてきた。人の声だ。しんと静かな夜だからこそ、ささいな音も聞こえてきやすい。


 女性の声だろう。少しだけ低いけれど、なんとも艶のある声だった。

 その声の後に、男性の声も聞こえてくる。いや、この声は知っている。アイリーンがこの声を聞き間違えるはずがない。


「アルバートだわ」


 声に反応して、アイリーンは考えるより早く歩き出していた。アズラクの腕から抜け出して、声の許へと近づいていく。

 そうして辿り着いた先に。


「まあ、なんて初心うぶなのかしら。こんなことで顔を真っ赤にさせるなんて。うふふ、嗜虐心がくすぐられるじゃないの」

「いや、あのね? さっきから何度も言ってるんだけど、こういうことは好きな人とね?」

「お堅いのね。別にいいじゃない、楽しんだって。あなたももっと遊んだら?」

「だからね? 俺は興味ないから――って何しようとしてるの!」

「キスだけど」

「平然と言わないでくれる!? ちょ、ほんとに待っ……」


 見たことのない妖艶な美女が、アルバートの両頬を掴んで引き寄せている。

 あまりに想定外な光景に、アイリーンは呆然とした。目の前で何が起こっているのか、なかなか脳が処理できない。


 知らない女性だ。見たこともない。

 何よりも、彼女はエミリーじゃない。

 エミリーじゃない女の人が、アルバートを奪おうとしている。


 自分があんなにも悩んで、抑えて、必死に諦めようとしていたアルバートに。

 見ず知らずの女は、いとも簡単に触れている。

 キスしようとしている。


「――っ」


 ふざけないで、とアイリーンの中の何かがキレた。


「アルバートの、浮気者ッ!」

「え!?」


 たまらずアイリーンが叫ぶと、アルバートは驚いた拍子に女を突き飛ばした。

 しまった、と彼の顔が青ざめる。尻餅をついて痛そうにしている女を、アルバートが気遣わしげに見た。


 それが、アイリーンの怒りを助長させる。


「最低っ。あなたがそんな節操なしだったなんて、知らなかったわ! この女たらし! 変態! エミリー様に言いつけてやる!」

「アイリーン!? え、いつのまに……てかちょっと待って!? 浮気も何も、これは違うからね!?」

「何が違うのよ! その人に言い寄られて鼻の下伸ばしてたくせにっ。最低、不潔、浮気者!」

「アイリーン、だから違うんだって。落ち着――」

「触らないで!」


 アルバートが伸ばしてきた手を、反射的に振り払う。

 ばし、と手に痛みが走ったとき、アイリーンはようやく我に返った。

 アルバートの表情が、驚きと痛みに歪んでいる。


「あ……わ、たし……」

「アイリーン……」


 落ち着きを取り戻したアイリーンに、アルバートがもう一度手を伸ばす。

 すると、今度はびくりと肩を震えさせて、まるで怯えるように身を引いたアイリーンに、アルバートが息を呑んだ。


「……こんな状況じゃ、楽しく自己紹介ってわけにもいかないな」


 それまで黙っていたアズラクが、ここでようやく口を開く。

 やっとアズラクの存在に気づいたアルバートは、ひと目で彼が前世のルークだと理解したらしい。


「久しぶり、エリク。今はアルバートって名前だったか。俺はアズラクだ。積もる話もあるが、それは後にしよう。とりあえずアイリーンは連れて行くぞ」

「連れて行く? どこに?」

「どこか休める部屋に。それと、俺とアイリーン、婚約するんだ。本当はおまえにも祝ってもらいたかったけど、この状況じゃそれも無理だし、また今度でいいよ」

「祝う? 俺が?」

「だってそうだろ? おまえがエミリー様と恋人になったとき、俺たちはちゃんと祝ってやったぞ」

「それは……」

「だからおまえも、もちろん俺たちのことを祝ってくれるよな?」

「……っ」


 挑発めいた眼差し。

 アルバートが苦しげに奥歯を噛みしめているように見えるなんて、そんなのはアイリーンの瞳が勝手に作った幻だろう。


 彼のグリーンスフェーンの瞳が揺れて、目が合いそうになる。

 咄嗟にアズラクの後ろに隠れたのは、ただその瞳から逃げたかったからだ。


 だから、逃げたアイリーンは気づかなかった。

 アズラクを頼るように身を寄せたアイリーンを見て、アルバートが愕然としていたなんて。


 だから、アルバートも気づかなかった。

 そんなアルバートを見て、アズラクが口の端を上げていたなんて。


 すれ違う二人を、欠けた月だけが見守っていた。



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