第10話 褪せない過去
「あ゛ーっ、だからそこは混ぜすぎないでって何度言わせるの!?」
「その前はしっかり混ぜろと言っただろう!?」
「前は前! 今は今! 食感が悪くなるんだって!」
「そういうことはもっと早く言ってくれ!」
「言ったよ!」
女性陣が和気あいあいと作っていた中、近くの男性陣からは言い合う声しか聞こえてこなかった。
さすがのアイリーンも、ちょっとばかり心配になる。それはアイリーンだけじゃなく、夫人もハンナも同じらしい。
最初は身分が上のアルバートに敬語を使っていたユーインも、いつのまにか砕けた口調になっていた。
とっくに作り終えていた女三人は、固唾を呑みながらそんな男二人の作業を見守っていた。
「そう。そこは捏ねないように生地を集めて。いい? 捏ねちゃだめだよ」
「わかってる。くどい」
「くどっ……。俺だってね、君が何度も同じところで間違えなければこんなにくどく言わないよ!」
「それはっ…………貴殿の教え方が下手なんじゃないか」
「人のせいはよくないよ!?」
また雲行きが怪しくなってきた。
夫人はだんだんと呆れた目で二人を見つめ始める。まるで子供の喧嘩のようだと思ったのだろう。
ハンナも似たような言い合いを繰り返す二人に、次第に退屈してきたらしい。
「アイリーン様、あの二人を置いて先にお部屋に戻らない? なんだかんだ楽しそうよ、お兄様たち」
「ハンナの言うとおりですわ、殿下。喧嘩ができるなら問題ないでしょう。ここにいてもいたずらに時間を過ごすだけですし、先に休憩いたしましょうか?」
母子に提案されて、アイリーンは喧嘩真っ最中の二人に目を配る。
「今度は綺麗にまとめてね。生地に空気が入らないように。いいかい、筒状にするんだよ」
「だからわかっている」
「そう言ってさっきはぺちゃんこに潰したじゃないか」
「一度の失敗くらい大目に見られないのか、貴殿は」
「一度じゃないから口うるさく言ってるんだよっ」
お互いに文句を言いながらも、ちゃんとクッキーを作り上げていっている。
その光景が微笑ましいと思うのは、今の二人に前世の光景を重ねているからだろうか。
「いえ、私はもう少し、彼らを見ていることにしますわ」
「でもつまらなくない?」
「そんなことないわよ? とっても微笑ましいと思わない?」
「え〜?」
理解できないと言ったようにハンナが口を尖らせる。
何かを悟った夫人は、そんなハンナの手を引いた。
「わかりましたわ。では、わたくしたちは先に戻っておりますね」
「ええ。私も後から向かいます」
「慌てて来られることはございません。ごゆっくりなさってくださいませ」
夫人に意味深に微笑まれて、アイリーンは首を捻った。
「? では、お言葉に甘えて」
母子を見送ると、アイリーンはまたアルバートとユーインに視線を戻す。
目の前に広がる光景が、さあっと過去に塗り替えられていく。
――青い空。広がる畑。その向こうに、見慣れた屋敷。しないはずの土の匂いまで、鼻を掠めた気がした。
『エミリー、これは俺がやるから、やっぱり君は何もしないで』
『嫌です。私もやります。この鍬を振り下ろせばいいんですか?』
それは、領地の貧困を救うため、領主が自らの屋敷の庭に畑を作ったときだった。
もともと孤児院で畑を耕したことがあったエリクとリジーは、このとき大いに活躍した。
彼らの指導の下、使用人たちが交代で畑を耕す。芋や小松菜、にんじんなど、野菜を中心に育てていた。
そこに、領主の娘であるエミリーが、自分にも何かできないかと頼んできたのだ。
使用人たちはもちろん断ったが、心根の優しい彼女は自分も領地のために何かしたいと訴えた。
『わーっ待って待って! 鍬なんてエミリーには無理だからっ』
『無理じゃありません。私にだってできます』
『女の子には無理だから!』
『リジーだってやっているでしょう? 差別は嫌いです』
『そういうつもりじゃなくって……! ああもう、リジーも笑ってないで止めてよ!』
ちょっと頑固なところがあったエミリーは、よくこうしてエリクを困らせていた。
そんな二人の喧嘩が面白くて、リジーは、この平和がずっと続けばいいと思っていたのだ――。
「わーっ待って待って。切るのは俺がやるから!」
「いや、私がやる。再挑戦だ」
「再挑戦はまた今度やって! さっきみたいに修復不可能な形にされても困るんだって!」
前世に思いを馳せていたら、どうやらクッキーの生地を切るところまで進んでいたらしい。
今回作っているクッキーはアイスボックスクッキーだから、筒状にまとめた生地を、最後は包丁で切っていくのだ。そうして丸い形のクッキーが出来上がる。
おそらく今は、どちらが包丁で生地を切るか、それについて揉めているらしい。
「今度は必ずうまくいく」
「その自信はどこから来るの!? 危ないから俺がやるって」
「危なくはない。さっきは殿下も切っておられた」
「そういう問題じゃなくてね?」
「では貴殿が私にやらせないのは、これまでの仕返しか?」
「自分の態度が酷い自覚はあったんだね!? てかそういう問題でもなくって……! ちょっとアイリーン! 笑ってないで止めてくれない!?」
ああ、もう。
どうしてこんなにも、彼らは〝同じ〟なのだろう。
エリクも、エミリーも、今はもういないはずなのに。
アルバートも、ユーインも、魂の根っこの部分は変わらない。
それが懐かしくて、愛おしくて。
「ふふ、ふふふっ。ごめんなさい、だって、おかしくって」
終いにはお腹を抱えて笑い出したアイリーンに、男二人が困惑している。
彼らは互いに顔を見合わせて、どちらからともなく気まずい表情を浮かべた。
「なんか、だんだん恥ずかしくなってきたんだけど」
「奇遇だな、私もだ。少し幼稚な喧嘩をしていたように思う」
「同感」
結局この後、アイリーンは笑いすぎだと二人から怒られたものの、反省することはなかった。
今世こそこんな穏やかな日々を守るのだと、彼女は決意を新たにする。
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