第2章 誰がために彼女は微笑む
第4話 もう一人の転生者
アイリーンは現在、オルドリッジ侯爵が主催する舞踏会に出席していた。
元から招待は受けていたので、この舞踏会に参加することは何も急なことではない。
が、適当に踊って適当に帰ろうと思っていたところに、そうできない理由ができたのは、とっても急なことだった。
『それで、聞いてくれるかい? 妹のハンナのことなんだけど』
つい先日、そう始まったアルバートの話が、全ての原因である。
彼の妹のハンナとは、アイリーン自身も親交があった。二つ年下の彼女は、アイリーンにとっても妹のような存在で。
休日は二人で街に出かけたこともある。ハンナが城に泊まりに来て、夜、恋の話に花を咲かせたことだってある。
それくらい親密な彼女だが、最近はあまり会っていなかった。
(それもきっと、新しく好きな人ができたからだとは思っていたけれど……)
ハンナ・グレイという少女は、とても恋多き少女である。咲かせた恋の話のほとんどが、実はハンナのものばかりだった。
そして彼女には、好きな人ができるとそっちに夢中になり、しばらく音沙汰がなくなるという悪癖があった。
(たまにイラッとくるほど一途な兄と違って、妹は惚れやすいのよね)
以前「すれ違ったときに微笑まれて、きゅんときたの」と言われたときは、それでいいのかと本気で心配になったこともある。
とまあ、そんなこんなで、どうやら今回の音信不通の原因も、ハンナに好きな人ができていたかららしい。それはアイリーンの予想通りである。
しかし、彼女が好きになった相手というのが、稀代のプレイボーイで有名なヴァレンタイン伯爵だと聞いたときには、アイリーンも思わず天井を仰いでしまった。アルバートが泣きついてきたのもわかるというものだ。
「アイリーン、今日は来てくれてありがとう。ドレスも似合ってるよ」
アイリーンの着る深い青色のドレスを見て、アルバートがさらりと言う。他の女性には貴族らしく大げさな比喩を用いて褒めるアルバートだが、アイリーンにはそうしない。
でもそれは、決してアイリーンを蔑ろにしているわけではなく。
むしろその逆で、親しいからこそ、彼の言葉は簡潔かつ素直なものになるのだ。
だから、レースをたっぷりとあしらった今日のドレスが、彼の好みに合わせて選んだものだと言ったら、彼はどんな反応を返してくれるのだろう。
「ありがとうアルバート。そう言ってもらえて嬉しいわ」
もちろん、そんなことは口が裂けても言わないけれど。
「それより、挨拶回りはもう終わったの?」
「いや……。でもまあ、気にしないで。優先順位は決めてあるから」
「そう?」
アルバートが曖昧に笑う。
アイリーンは不思議に思ったが、深く突っ込むことはしなかった。
だから気づかない。エスコート役の弟王子がいなくなった途端、アイリーンに近づこうとしていた男たちを、アルバートがさりげなく遮ったことに。
「アイリーンはたまに鈍感だから……」
「え? 何か言った?」
「ううんっ。なんでもないよ?」
「? 変なアルバート」
「はは……」
大切な親友で、幼馴染だからこそ、彼はアイリーンに対して過保護になる。その全てに感づいていたら、アイリーンはもう後戻りできないほど彼に期待してしまうだろう。
自分の鈍感さがまさかこんなところで役に立っているなんて、やはり鈍感な彼女は気づきもしない。
「ところでアルバート、ハンナは?」
「ああ、ハンナならほら、あそこに」
苦い顔をしたアルバートが指したのは、ひときわ人だかりができている場所だ。
人、それも、女性ばかり。
その中心に、頭一つ分がぽんと抜き出ている男がいる。その顔を確認して、アイリーンは納得した。なるほど、アルバートが苦い顔をするわけだ。
男の正体は、現在ハンナを虜にしてやまない、オーガスト・スペンサーその人だった。
シャンデリアよりも眩しい金の長髪を後ろでくくり、左目にモノクルをつけた、特徴的な男。アイリーンも知っていた。だから、頭を抱えた。
噂には尾ひれがつきものというけれど、彼の場合は、その噂のほとんどが真実だったから。
(不倫、浮気は当たり前。貴族令嬢の純潔を散らした数なら誰にも負けない渡り鳥)
あまりに奔放すぎる彼に、憤った男たちが王家にまで苦情を言いに来る始末だ。自分たちでは手に負えないから、王家がなんとかしてくれないか、と。
さすがのオーガストも、最高権力者に圧をかけられれば、少しは大人しくするだろうと踏んで。
(そのせいでお父様とお兄様がどれだけ頭を痛めたと思ってるのよ)
正直、男女間のことなど当人たちで何とかしてくれと言いたいところだが、確かにオーガストについては、あまりに食い散らかすものだから収拾がつかなくなっていた。
果ては、彼は未婚のまま、すでに何人か子供までいるという。
そんな男の毒牙に、次はハンナが引っかかってしまった。
「どこがそんなにいいのかしら」
我知らず呟いた言葉に、アルバートが勢いよく食いついてきた。
「だよね!? アイリーンならきっとそう言ってくれると思ってた。よかった、君まで毒されてなくて」
「あれに毒されると思われるなんて心外だわ。うちのユーインのほうが何倍もかっこいいし、優しいし、頼りがいがあって、とっても素敵よ」
「あーあー、エミリーのそんな男らしいところは聞きたくない」
「前も転びそうになった私をさっと受け止めてくれて、その胸板のがっしり感といったら頼もしくて最高だったわ」
「あーあー! だから聞きたくないってば!」
もちろんわざと聞かせていた。これくらいの小さな意地悪なら、許されたっていいと思う。
「将来結婚するなら、ああいう真面目で頼りがいのある男性がいいわよね」
「え!?」
すると、アルバートがあまりにもぎょっとしてこちらをガン見するから、アイリーンは眉根を寄せる。
「どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「いや、なんというか、君はユーインみたいなのがタイプなの?」
初めて知った、みたいな顔で彼が言う。
前世も合わせれば長い付き合いなのに、そんなことも知らないほど自分には興味がなかったのかと、アイリーンは改めて現実を思い知った。
「そうよ、タイプはね」
ただ、好みのタイプと実際に好きになる人は、必ずしも同じとは限らないけれど。
「そう、なんだ。いやなに、アイリーンからそんな話を聞くのは初めてだったから、ちょっと驚いたよ」
「あなたはいっつもエミリー様のことばかりだったもの。知らないのも無理ないわ」
「……ごめん」
予想外にきつい物言いをしてしまい、アイリーン自身もばつが悪くなる。これでは小さな意地悪というよりも、完全に悪意ある意地悪になってしまう。
気まずい空気を払拭しようと、アイリーンは誤魔化すように明るい声を出した。
「そんなことより、あとは私に任せて。お父様とお兄様もどうにもできなくて、頭を抱えていたし、絶対なんとかするから」
「えっ。何とかするって、アイリーン自身がかい? それは駄目だ。そんなことしてもらうために、君にハンナのことを話したわけじゃない。あれはただ愚痴を聞いてほしくて……」
「いいから。私も彼にはうんざりしてるの。だから気にせず、アルバートはそこで待ってて」
彼が引き止めようとするのを無視して、アイリーンは歩き出した。
コツ、コツ、と殊更ゆっくりと。普段は足音を立てないよう注意して歩くけれど、今は存在を知らしめるように床を鳴らした。
王女の接近に気づいた令嬢が、慌てて道を譲っていく。
やがて目的の人物へと、道が完全に繋がった。
「これはこれは、王女殿下。お久しぶりでございます。相変わらず美の女神も裸足で逃げ出すお美しさですね」
「お世辞をどうもありがとう、ヴァレンタイン伯爵。今日の私は、お父様とお兄様の代理なの。あなた限定でね」
「それはまた……。では、ダンスにお誘いするのが礼儀なのでしょう」
「話が早くて助かるわ」
オーガストが手を差し出す。
アイリーンは、その手に自分の手を重ねた。
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