3-11

 程なくして、私は帝国からこの辺境の地まで運んでくれた輸送艦内に軟禁されることになった。まぁ、自分から好き好んできな臭い香りと人血に満たされた資源惑星ライン上の施設にもう一度足を運ぼう等という気は起きなかったのだけれど。もはや我が家の一つのような印象さえ持ち始めた私室には、見慣れた人影があった。背後の唯一の出入り口に電子ロックが掛けられ、そのひとと室内に二人きりになる。私は自然とはにかんでいた。


「ご無事でしたよ」

「フリーデ様、それは、私の会話の切り出しがワンパターンだとおっしゃりたいのですか」


 フランチェスカの浮かべる笑みを見つめて私も安心した。そして、思う。今回ばかりは彼女を自室に置き去りにして良かった、と。


 パーティまがいのあの会場に彼女にも付いてきてもらおうかしら、と一人きりになるのをごねる子供のような我が儘も浮かではいた。けれど、私は彼女を見つめながら思った。真っ当な感性の持ち主は心理的ショックを受けるであろう、あんな壮絶な光景を目の前の彼女に見せたくはないし、見せるべきでもない、と。私が血まみれで倒れる羽目になったあの日、フランチェスカはそれに類する経験を既にしてしまっている。


 だからこそ、これ以上目には見えない傷を作る必要は無い。臭い物に蓋をしろという訳ではないけれど、見なくても良いものは知らずに健やかに生きていける方が健康的だ。だから、私は勝手だけれど、大切なひとには傷つかずに居て欲しいのだ。


 彼女と何気ないやり取りを交わした後、私はこの部屋と関連付けて思い出されるもう一人の人物の安否が気になった。


「メルクーアは、どう。彼女は確か、実地調査に何らかの形で潜り込む予定を立てていた様子だったのだけれど」


 最悪の事態、とでもいうべきものを一通り想像して、覚悟を覚えながら私がそう尋ねると、フランチェスカは表情を僅かに曇らせた。


「残念ながら現段階では何ともお答えすることは出来ません。艦内で私が耳にした限りでは、各地で散発的に通信妨害が行われいるようで、メルクーア様に限らず各地に散った人員全ての安否を把握することは叶わないようです。人的及び物的の被害規模が明瞭になるのはそれこそ事態が収束する頃になるでしょうね……」


 加えて、つい先ほど私達のように無事に混乱の渦から脱した生還者らの報告を元に、外部から状況がつかめないエリアに対して機械仕掛けの騎士団らを中心とした戦力を派遣することが、私がこの艦に落ち着くまでの間に決められたらしい。そういう話を詳細に及ぶまで、フランチェスカは私に教えてくれた。


「……そう。私は、運が良かったのかも知れない。見知った騎士様が同じ部屋にいなかったら、生きていられたかどうかも危うかったの」


 私がそう言うと、フランチェスカは疑問形で、見知った騎士様、と反復した。なので、私はフランチェスカに、ビショップ・フォン・ルーデル大佐が、何やら人外染みた察知能力を備えたゴット・ヘイグの命を受け、護衛としてこの場に乗り込んでいたことを話した。


 それを切掛として、私は懐に仕舞っていた招待状の存在をふと思い出した。おずおずと取り出してみると、少し皺が寄ったようだったけれど目立った損傷は見られなくて、胸をなで下ろした。それは何ですか、というフランチェスカの視線を感じたので、


「彼、来月結婚するらしいの。だから、その招待状を受け取った」


 何でも無い風を装ったけれど、私の演技は上手くはいかなかったらしい。フランチェスカの、そうですか、という何でも無いはずの言葉に、私をいたわるような響きが混じるのを認めた。だから、私は今更改まって言うことでもないのだろうけれど、ここだけの話よ、と前置きして、


「今思えば、私はあのひとのことを――」


 そこまで言いかけたところで、止めた。これ以上口にすることは、この先を考えるのは、止めるべきだと自分の中に築かれた防衛機構が警鐘を鳴らしていた。第一、言葉にしたところで何も変わらない。せいぜい自分の心なんて言う不確かなものを宥められるくらい。それくらいの気休めに過ぎない筈だ。


 胸が熱かった。機械仕掛けの心臓の異常では無いことははっきりしている。やっぱり、何でも無いわ。そう自分の口から発した言葉が他人のもののように感じられた。ただ、泣いてみたいのかな、という気持ちが朧気にあるだけで、涙は出ないのだ。暫く無言を保っていたフランチェスカが口を開いた。


「皆まで言わずとも、結構です。あの方は罪作りな方ですね。少しだけ、羨ましい」


 フランチェスカはそう言って、私の右手を優しくその小さな二つの手で覆った。そして、私を本来の座席ではなく、可塑性のソファの方へと誘導して座らせてくれた。まるで童話の中に出てくる一場面のように私の前に跪いて。その傅いた姿勢から紅茶でも入れようとしたのか、彼女は立ち上がって私から離れようとしたけれど、私が彼女の指に自分の指を絡ませてしまっていたおかげでその動作は中断された。


 フランチェスカは幾分か驚いたようだったけれど、ひどく優しい顔つきになって私の隣に腰を下ろした。思えば、彼女と並んで座るなんて、何でも無いようなことが過去にはなくて不思議な気分になった。ごめんなさい、と思わず口走った私に、温かな声と瞳でフランチェスカは問う。


「何を謝っているのですか、フリーデ様」

「その、手を繋いだままにしてしまって、ごめんなさい」


 口ではそう言ってみたものの、絡めた指を解くことは出来なかった。硬直して動かせないのか、と錯覚するのは一瞬だけ。すぐに気付く。私自身が、繋いだままにしておきたいのだ感じているのだと。彼女の、自分の内を占めるその大きさを意識すると、指先の感覚は敏感になった。私の身の回りの雑事を、機械化すれば出来るはずの多くの余分な手間と無茶とをこなして来たフランチェスカの指先は、それでも端麗で、尊いものに思えた。


 そう思いながら、その顔を私が直視しすぎたせいか、彼女は少し視線を逸らした。


「私がフリーデ様のお心を射止められるような人間なら、抱擁の一つでそのお気持ちを慰められるのでしょうね。きっと」


 どこか自嘲するような響きのその言葉。だけれど、それは違う、と私は断言していた。


「貴女も私にとって必要なひとなの。大切な、ひと。心からそう思っている」


 本心だとも。貴女に他の誰かの代わりをして欲しいわけじゃない。貴女だからこそ、今まで私は救われてきたのだから。そういう思いを込めて言葉にした。そういう私の雰囲気を、フランチェスカも感じ取ってくれたらしい。


 フランチェスカは、穏やかな顔だった。まるで、そう。死に化粧された母さんにそっくり。生者と死者を比較するのは自分でも感心しないのだけれど、そういう、枷が取り払われたひとにのみ許された安穏。その種の充実がフランチェスカという人間にもたらされていた。彼女は夢見心地の声音で言う。


「あぁ。こんなときに、甚だ不所存なことを思ってしまいました。貴女に、フリーデ様に、私は本当に必要とされている。私にも生きる意味はあった。私も許されているのですね、ここに存在していることが。自分の、私だけの言葉で言い表したのに。何て、言葉というものは不自由なのでしょうか。私、今満たされています。死んだって、構わないくらいに」

「そんなこと、言っては、嫌」


 ただの比喩表現だとは分かっている。しかし、これ以上身の回りで誰か――それがあまりに身勝手だとは思うけれど、大切なひとは、特に――が消えていくのは、もう沢山だと思った。人の生死にこんなに携わるなんて自分の人生はやはり異常だ。普通、という表現は曖昧だと百も承知だけれど、自分が関係した限られたひとびとの、何の変哲も無い日常の中での穏やかな死こそが、せいぜい現在を生きるひとびとが感じることを強いられる悲しみなのではないの。


 私が経験してきたひとびとの死。それらを忘れ去って、清浄な自分の世界を保ったまま生きていくことはもはや不可能なのだろうと思う。けれど、それらを薄れさせながら生きていくことくらいは。


  私は、フランチェスカを抱き寄せていた。自分の意思とタイミングで彼女を引き寄せたのに、勢いに耐えきれずに背後からソファへ倒れ込んでしまう。吊られる形で私の上乗りになってしまったフランチェスカが、大丈夫ですか、とすぐに退こうとするのを制した。


「私に触れられるのは、嫌……?」と尋ねた。


 多分、妹が私に我が儘を言うときの、あの顔つきを自分はしている。フランチェスカは口ごもりながら、


「そうでは、ありませんが」

「なら、暫くこのままでいさせて。そういう、気分だから」


 空いた左手。義手として感覚を失いながらも、その手でフランチェスカの背中を経由して頭を撫でるようにして胸元で抱きしめる。右手は、彼女の手の熱に未だ触れ続けていたから。私は、倒錯しているかも知れないけれど、誰かに甘えるよりは甘えられたい。


 頼られてみたい。必要と、されたい。おそらく、初めて私の中から生じた思いが、こんなものだった。アルゴリズムに沿った機械的な悉皆法ではなくて、客観性なんて無視し尽くしたヒューリスティックな、私の解。


 こんな大胆な行動を実行して、彼女に拒絶されるかも知れないという恐怖は勿論あった。でも、フランチェスカは最初こそ身動き一つしなかったけれど、ゆっくりと。しかし確かに、私の背中へ、ソファの柔らかい波へと潜り込むようにして手を回した。私の胸元に顔を埋める彼女の滑らかな髪を見つめながら思う。妹にも、フリーデが私を受け入れてくれるのであれば、こういうことをして上げれば良かったのかもしれないな、と。


 いや、今からでも遅くはないか。誰かに依存するだけではなくて、自分以外の大切な誰かの支えになること。ただ他者に依るだけではなく、施されたものを与えることも出来るようにならなくては、永遠に私は未熟な人間のままだ。そんなひととしてあたり前のことを、これからやり直していくべきかもしれない。生きてさえいれば。そう、私はまだ平均寿命の半分にすら満たないような短い間にしか生きていないものね。


 あぁ、それはなんて、我ながら利己的で甘美で、幸福なのだろう。そんな、幸せの絶頂。そんな穏やか世界にいられたのは、ほんの少しの時間だった。

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