3-10

 発砲音。やけに大きく感じた。というも、それは一発ではなかったから。複数の銃声が、全く同時にその空間に発せられた。故に、まるで一つの銃声が空気を大きく振動させたかのように感じられたようだった。


「そのまま伏せていろ」


  誰だろう。知っている声には違いない。あぁ、ルーデルか。

私が混乱しながらも頭を上げようとしたのを、彼はその声で制した。天井だけが見える私の視界の外で、もつれ合うような音と発砲音が無規則なリズムで聞こえてきた。私は倒れた姿勢のまま周囲を確認しようとする。けれど、見えるのはライトが犇めく天井や、仰向けに倒れた私を囲む床やテーブルの足にまで垂らされた布達。まるでカーテンが無数に連なり重なり合っているようでどこか幻想的。上半身だけでもテーブルを上に出して周囲を確認したい、そんな危険な欲求を理性でねじ伏せ、足と腕だけを折り曲げ、すぐに立ち上がれるような体勢を作った。


「何のつもりだ。気が触れたか」とルーデル。いや、違う。オリヴィエール・フォッシュの怒号。対する男の声は、以前の私のような、空虚な声で答える。

「先輩には啓示が降りていないようで、それは残念ですね。いやはや、正義の味方の真似事って歳でもないが、正義が自分の味方をしてくれるとは限らないなぁ。でも、知らないのならその方が――」と、私を撃とうとした男の声の、その後半が銃声にかき消された。


「ここを離れる。付いてこい」


 すぐ様、何の説明もなく私の側に身をかがめたルーデルは、私の腕を掴んで無理矢理立たせた。


 視界が床に吸い付けられたような低い世界から、部屋の全貌が見渡せるようになった。無数の人間が倒れていて、残った者は銃を携帯した兵士らしい人間が比較的多い。フレンチ・アップルガースと同じような衣装の人間達が、メトロノームのような一定の間隔で、一斉に発砲していた。それに対しているのは、帝国軍の兵士だろうか。銃の携帯を許された何人かが、まるで数式によって導かれた最適解に従うような攻撃を行う人類統一連合諸国に所属するらしい少数の人間に翻弄されている所だった。


 白い筈のカーテンが。いや、事務用の机を食事用テーブルに変化させていたテーブルクロスらのほとんどが赤く染まっている。無論、染め上げた染料は、赤ワインや料理の類いではないことは、空間を制圧下に置く鉄臭さが物語っていた。


 私がそれらを確認するのに多分一秒すら掛からなかったし、掛けられなかった。発泡しようとする複数のひとびとの顔は、やはり顔無しの人形の用に映ったけれど、数回の瞬きによってそれらは薄れていき、あるべき無表情で無慈悲な顔達に切り替わっていく。自分の視界が少しは真っ当に回復したようで、少し安心した。すぐ様、自分にその機械的に動かされる銃口が向きそうになった。自分にその弾丸が殺到する前に、人血で塗りたくられたテーブルクロスの海へ溶け込むように屈んだ。


  何が起こっていて、自分は何をするべきなのか。頭は混乱していたけれど、私の足腰はその役割を万事心得ているようだった。不意に、私を力任せに引っ張り先導し始めるルーデル。幸い彼のペースに、何とか足手まといにならない程度には合わせることが出来た。


 私の背後に似たような姿勢を取ったオリヴィエール・フォッシュが続いた。その手には血がこびりついた銃。けれど、本来のそれと比べてまるで玩具のような外装が弱々しい印象を与える。見たことのない型だから断言は出来ないけれど、どうもプラスティック製らしい。この会場の危険物取り締まりではプラスティックまできちんと確認していなかったのね、とぼんやりと考えた。


 そうしている内に、どこに通じるかも分からない扉へ辿り着いていた。近場のテーブルを押し倒して気休め程度の盾にし、ルーデルは扉に手を当てて、舌打ち。


「フリーデ、手を」


  そう言われるがまま、私もその物言わぬ無機物に彼がしたように手形でも取るように押し当てた。反応はない。彼の舌打ちをした理由が分かった。ルーデルの与えられている施設へのアクセス権限の範疇は知らないが、私は余程の危険区域へでも無い限りは自由に施設内を出入りできるようなアクセス権限を事前に用意していた。ゴット・ヘイグに資源惑星ラインの調査について要求された際に公あるいは秘密裏に施設内を探索できるように、だ。それが現在無効化されていた。オリヴィエール・フォッシュも同様の結果に終わり、


「この施設に俺が所属する艦隊が駐留したときだな。施設のデータベースの解析に人類統一連合製のプログラムを用いているし、撤収時に仮にこの資源惑星が人類統一連合諸国の手に再び渡ったときのために細工も仕掛けてあった」

「そのときに施設のシステムが浸食されていた、と。私を撃とうとした――フレンチ・アップルガース准将でしたか。彼が主犯格ということでしょうか。貴方の、その、同僚ですか。彼ならその現場に居合わせていたでしょうし……」


 私がそう口にすると意外にもルーデルが否定する。


「首謀者は別だろう。そいつは死ぬ間際、啓示がどうこう――と言っていた。宗教上のそれではないような口ぶりであったが。おい、あんたも知っていることがあれば話せ。あらいざらい、どんな些細なことでも全部」


 彼に促されたフォッシュが重々しく口を開き、


「あいつは、フレンチは俺が知る限り、何かしらの信仰を抱くような習慣は持ち合わせていなかった。第一、国家を転覆させるような大それた勢力を持った宗教団体なんぞを俺は知らない。せいぜい、街中で小火騒ぎでも起こせれば上出来だと見なされるような、そういう監視社会だからな。秘密警察めいた街中に張り巡らされた監視の糸を掻い潜って派手な祭りを拵えるのは不可能とまでは言わないがやはり難しい」

「そうかい。結果論だが、あの男を可能なら生け捕りにするべきだったか」


 傷を負っては居ないようなのにその黒の軍服に赤いシミを作ったルーデル。先ほどまではそんな模様なんてなかった。だから、フレンチ・アップルガースという人物を射殺したのは彼だと、私は何となく推測できた。それを裏付けるように、どこかフォッシュが彼に注ぐ視線が幾分か険しい色を増している。ルーデルはテーブル越しに状況を伺いながら、フォッシュに視線も寄越さずに言う。


「仕掛けてきたのはあちらだ、とは言わんが。ぼくにはあの見ず知らずの男をリスクを犯してでも捕縛するより、確実に息の根を止めて守るべき人間を優先した。そうするべき理由の方が遙かに大きいからだ」

「あんたの立場は、分かっている」と苦々しい顔つきになるフォッシュ。

「なら、せいぜいあんたにはこの状況の尻拭いをしてもらうぞ、オリヴィエール・フォッシュ少将。見た限り、人類統一連合諸国の人間全てが敵というわけでもないらしい。兵士が一斉に蜂起でもしたのかと思ったが、あんたを始めとしてこの状況に翻弄されている奴も随分といる」


 そう言われるとそうかもしれない。しっかりと観察したわけではないけれど、プラスティック銃を持った群青色の制服姿に、同じ格好の人間が撃たれる場面が幾つかあったような気がした。その光景を盾代わりのテーブルから垣間見ているらしいフォッシュは言う。


「この施設のコントロール権を連中が握っていたとしたら、長期戦は勿論だが下手な追い詰め方をするのも不味い。自滅覚悟の戦法だが、空調システムでもいじってこの部屋を真空にすれば、この場の全員を手軽に殺害できる」

「そういった手段を切り札とする可能性は高いだろうな」とルーデルは同意を示して、「相手の勢力やトップが不明だから何とも言えないが、味方の犠牲を積極的に切り捨てることが出来る相手なら、それが一番手っ取り早くて確実だ。ま、そういう役割は機械に任せていた国の人間が好む手段では無いとは思うが。土壇場になって死にたくないという意思が良くも悪くも人間の判断を曇らせる」

「連中は、そこまで機械的な手段にはそう簡単には出られないと読むのか」とフォッシュが聞き、ルーデルは幾分か意外だな、と言った表情で、

「あんたはそう思わないのか。人類統一連合諸国の人間についてはそちらの方が詳しい。君の直感なら、判断材料に加えてやっても吝かではない」 


 そこまで言い放った後、ルーデルが身を乗り出して数発発砲した。その弾丸の行く末を私は確かめることは出来ない。しゃがみ込むような姿勢を保ったまま、くれぐれも顔を出すな、と男性二人に言い聞かせられているから身動きが取れなかった。相手の規模や仕掛けを把握しきってはいないけれど、私達の退路は断たれているらしい。耳元の小型インターカムが何故か通じなかった。


 しかし、そういった外部との連絡が通じないこと自体が異常でもあるから、外部からの救援は過信出来ないものの、可能性はあるものと私達は判断した。最悪、現在資源惑星にいる人類統一連合諸国の人間全てと帝国人全てが争ったとしても、数の利に限れば後者に軍配が上がる。ルーデルが携帯していた拳銃のマガジンを交換するのと並行して、フレンチという男性の骸から奪ったらしいプラスティック銃を点検しながらフォッシュが、


「集団のために個人が犠牲になるという思想を、俺は正しいとは思っていない。さっきのあんたの、土壇場になって云々の話の俺なりの考えだ。国家という集団を運営するに当たっては、例え直接的な物言いでなくても、個人に多数のために犠牲になるような精神を持てはやす風潮がある。治める側にとっては人民が協力的であった方が楽だからな。しかし、それは教育やマスメディアなどを用いて当人達に気付かれないように張り巡らすからこそ効果がある方法だ。深層心理に植え込むようにな、そういう犠牲的精神を。ただ、それでも自分が死んでまでも世のため人のため、というのは難しい。その点では、あんたが連中は捨て身になって俺達を皆殺しにするのは躊躇う、という考えと一致はする」

「畢竟、長々と言葉を尽くして、ぼくと同意見という解釈で良いのか、それは」


 ルーデルが二三発発砲した。すぐ様テーブルに身を隠す。続いて、耐久性から見てこの銃はあと数発が限度だ、と前置きした上でフォッシュが一度発砲し、身を隠す。互いの拳銃及び残弾数の確認。流れ作業のようにそれらをこなしつつ、二人の会話は途切れない。


「だが、同時に思う。それは嫌だ、とかそれは出来ないし許せない。そういった拒絶反応は我が身に降りかかるかどうか以前に、それについて意識し、思考した過程があって初めて成り立つことだ。帝国と俺が所属する国が、いやコミュニティが戦争を実際におっぱじめようとしたときの話だが、最初、自分に命令を下したり、その命令を採決したお偉いさんどもは何を考えてこんなことをしでかしてくれたのかと、不思議で仕様がなかった」

「その答えは出たのか」と尋ねたルーデルに曖昧に頷くフォッシュは、

「優等生的な回答は、いくらでも。過去の歴史における大戦だって、調べれば当の本人たちだってどうしてこうなったと頭を抱えていたようだから。だが、自分で自分自身を納得させられる答案は未だ作成途中だ。それでもこの非常時にこんな血迷ったことを考えて言い出したのは、啓示、という言葉が与えられたからだと思う。生憎それが、あのフレンチ・アップルガースが何を指して言った言葉かはまだ分からん。しかし、人間が思い至るべきことを自分以外のほかの何かに丸投げすると、碌なことにはならない。それは確からしい。噂話程度の話だが、賭け事の判断を機械の計算に任せるように、帝国との戦争を支持した連中は、自分の意思とよりはそういう機械のデータやら計算結果に従ってあんな馬鹿をやらかした、と言う話を上司から聞いたことがある。もしも、だ。誰かの、時にそれが自分の生存を脅かすとしても、何か自分が思考を丸投げした相手がそうしろ、と命じたとき。その何かに頼り切った人間はその啓示と生物的な生存欲求の、どちらのバイアスに屈するんだろうか。俺には、その自信が欠けているんだ。どちらに従うにしても、人間の自由意思なんてものは脆くて弱いものなんじゃないか」


 そう語ってフォッシュが二三発発砲し、異音を立て始めたそれから弾丸だけを抜き取り捨て去った。いよいよか、と感じた私は自分のガータベルトを探った。私が血まみれになって以来、護身用に持つようになった銃を取り出した。自分にひとを殺せるか、正直分からないけれど。それを見たルーデルは諭すように言った。


「撃つな、とは言わないが最後の手段くらいに思っていてくれ。一度、人を殺すと殺す前の自分には二度とは戻れなくなる。糧だが、君には、そうなって欲しくはない」

「分かっています。それに、人に向けたことなんてありませんから引き金を引けるかどうか、自信は無い」


 フォッシュが、なら自分が受け持とう、と提案したけれど、私の生体認証がなければ引き金を引くことが出来ない銃だったから拒否するしかなかった。銃を失い、手持ち無沙汰のオリヴィエール・フォッシュが現状況を確認するように口にした。


「不意を突かれたとは言え、帝国側の兵士が押されている用に見える。最初の発砲の時点で誰を撃つのか示し合わしていたようだが、それにしても、なんだ。銃撃戦なんぞ経験したことのある人間はうちの軍隊にもそうそう居ない。にも関わらず、どうしてあれだけ効率的な行動が出来る?」

「そちらの兵士達の練度なんぞ知らんが、啓示とやらに従っているんじゃないか」とルーデルが口を開く。フォッシュはある単語を咀嚼するように呟き、そして、言う。


「仮想デバイス、か?」

「何だ」と眉をひそめるルーデルにフォッシュは、

「いや、確かめる術はないから仮説に過ぎない。体内に取り入れたナノマシンを介して、生身の人間が端末無しにネットワークと接続できる技術とでも思ってくれればそれでいい。だが、それを用いれば特殊な訓練も無しに、一定の統率の取れた兵士の運用が可能だ、とは思うが」

「つまり、連中はそれを利用したネットワークを頭の中にでも構築して戦闘していると言いたいのか」

「可能性の話だ。普及率と照らし合わせてみても、人類統一連合諸国の人間の内で啓示とやらを受け取ったらしい人間と、俺のように何の心当たりがない人間との割合が一致している……ように見える」


 歯切れの悪い物言いだった。要するに根拠はないわけだ。けれど、ルーデルは相手の出方を伺いつつ、


「直感か」


 対して、フォッシュは僅かな躊躇いの時を費やし、答える。


「そうだ。もしそうなら、連中は必要とあらばすぐにでも自分達の命を差し出してまで道連れにしてくるかも知れない。仮想デバイスに限った話ではないが、仮想現実に長い時間触れた人間は、程度の差こそあれ現実感が欠如する。ゲーム感覚で他人や自分の命を勝つための道具と割り切ってもおかしくない」


 その発言を論理的に批判しようと思えばいくらでもケチを付けることは出来た。本人もそう思っているところはあるようで、他人を説得するには根拠が皆無な空想だが、と自嘲気味に補足する。しかし、ルーデルはフォッシュの思考の末の発言に満足したようだった。


「結構だ。その仮説を前提にすると、短時間で連中を無力化してこの場を離れた方が良い。外がどうなっているかは分からんが、最悪、要人だけでも本国に帰ってもらわないといけない。そこで、だ。こちらの通信機器そうされているように、その仮想デバイス間の通信は妨害することは可能か?」


 ルーデルの質問に少し考えるそぶりを見せ、フォッシュは答えた。


「おそらくは、な。しかし、詳細な周波数までは知らない。生憎、俺はそれを体内に取り入れていないから、専門的な知識は無いんだ。だが、強引な言い方をすれば雑多なデバイスを人体の内部に植え込んだようなものだ。それは既存の技術の延長線上にしか過ぎない。魔法なんかではないからな」

「なら、どうせこちらの通信機器が封じられているのだから、強力な電圧でも掛けて全ての周波数帯を押さえつけてしまう、というのも手だな」

「そんな手段があるの」と思わず口を挟んだ私に、ある、とルーデルは即答した。


 彼は胸元のデバイスに左手で触れ、


「リッターのキーだ。細かい動作は出来ないが、こちらに寄越させて対電子装備を作動させて周囲に見境無しにジャミングを掛けるくらいは出来る。無論、外の様子が分からん以上、ぼくの機体がちゃんと迎えに来てくれるか賭けにはなるが。こいつの周波数は特殊かつマイナーだ。フォッシュ少将殿の仮説によれば、自分達の周波数帯を潰すような手を連中が使えない以上、現在この部屋に掛けられるジャミングの影響を受けにくい筈だ」


 それが、リッターの搭乗者が生身で行動する際に遠隔操作に用いるリモートコントローラーであることと私にも理解できたのは、私にもリッターの搭乗経験があったから。あまりにも高価な割には使用頻度の低いそれは、数えきれるほどの騎士しか携帯する許可が下りない物珍しい専用デバイス。それと繋がれた機体をその個人の専用機と扱うのと同意だからだ。だからこそ、その独自の電波が妨害される可能性は低く、帝国内の内紛等で僅かではあるが使用された記録があった。それを聞いたフォッシュが顔をしかめた。


「そんな便利なもの、何故さっさと使わなかった」

「言っただろう。外部の様子が、リッターを治めている母艦と機体本体が無事かははっきりしていない。外でもここと似たようなことが起こっているかも知れないからな。それに」


  そこでルーデルは私を、正確には、私の胸部付近を見つめた。フォッシュと共に、私もはじめはその意図を推し量ることは出来なかったけれど、自分で彼の視線に吊られる様に触れてみて、気付く。


「私の人工臓器の心配をしているの」


 ルーデルは苦々しい顔つきで首肯し、


「そうだ。この場一体の電波妨害を行うと君の身体もその影響を受ける可能性がある。他にも、君みたいに人工臓器で生きている人間が居る可能性もなきにしもあらず、だ」


 私は、自分の胸元に触れながら考えた。レイヤード商会が用意した機械仕掛けの臓器。それらの内の幾つかは、帝国に帰還してから複数回に分けて、私の遺伝子を注射されて培養された細胞らによって作られた生きた人工臓器に、私の体力が許す範囲で少しずつ交換されていった。まるで、壊れてしまった古時計の見た目を保持したまま中身を別物に作り替えるようなやり方で。


 その結果、今の身体に残るのは機械仕掛けの心臓を残すのみとなっていた。それは動物の身体を生かす中心。けれど、その重要度に対して、その構造自体は他の臓器と比較すれば決して複雑ではない。血液を全身に送り出すためのポンプを筋肉によって構成した簡易的な作りに過ぎないのだ。だからこそ、拒絶反応でも起こさない限り生物的なパーツにすぐにでも置き換える必要性は薄いと見積もられて、手術は後回しにされていたし、実生活に何の不自由もなかった。私はかつてメルクーア・レイヤードに説明されていた事柄と資源惑星への道中で注意されたことを思い出して、


「何らかの不具合が生じたとき。具体的に言うと外的な要因で停止した場合は自動的に再起動をしてくれるそうでは、ある。高度な電子機器が全滅するだろうから、最低限の機能しか生き残らないだろうけれど。それでも、血液を全身に送り出すくらいのことは出来た、筈。それに、今回も同行してくれたメルクーアが、以前に用意していた私の心臓のクローンを用意してくれている。最悪、私が心肺停止の状況に陥っても打つ手はある、と思う」


 以前の私なら、自分が死に瀕したところで恐怖の類いを覚えることはなかったと思う。でも、ルーデルにそう説明しながらも自分の心音が停止した後、再び瞼を開けることが出来るかどうか。それをイメージして、正直怖じ気づいてしまった。そんな私の心の動きを察したのか、ルーデルは怯えるさまを隠そうとしている私の瞳をのぞき込んで、怖いか、と聞いた。それに、私は素直に答える。


「怖い。けれど」


 私は機械的な攻撃と、どこか精細さを欠いた反撃とで奏でられた、銃声や人々の身体から漏れる音に耳を澄ませた。結論は、簡単ではないの。そう思った。


「貴方にはこの場を治める何か策があるのよね」と彼の瞳を覗き込むようにして見つめた。「なら、実行して。死にたくないのは、死んでいけないのは、別に私だけじゃないものね。この場には名前を知らないひとが大勢いる。でも、彼らにも救われるだけの命の重みがある。そうは、思わない。ビショップ・フォン・ルーデル大佐。結局、立場なんてものはまやかしで、人間皆、同じ生き物なのよ。命の価値が同一なら、せめて大勢を生かすべき」


 自分が犠牲になったとしても、巻き込まれた被害者皆を救おう。そんな聖人君子のような発想ではない。ただ、私の人生が変わった日。それから何時だって、私はただ助けられるだけの傍観者、あるいは部外者だった。もし、自分の言葉が。そう、例えば前皇女なんて言う肩書きを有効活用した命令の一つで、生存できる人間の数が変わるとするなら。人間としてどういう選択が好ましいか、そんな道徳的なことは分かる。だから、私は言った。


「相手を撹乱する手立てを、実行して下さい」

「いいんだな」

「はい」

「了解した」


 そう言って彼は胸元の補助記憶装置大のデバイスを引き抜き、その先端。僅かに窪んで液晶のようにぬるぬるてかてかとした場所を左手の親指でなぞるように触れる。何らかの認証を済ませたらしい。


「どれくらい時間が掛かるのかまでは判断できない。仮に母艦の位置が変わっていないとしたら、そうだな。それでもスムーズにことが進んでも数分くらいか。どの道、ここで天に祈ることに変わりは無い」


 ルーデルはそう言うと、再び警戒態勢を取った。しかし、そんな緊張状態は意外にも長くは掛からなかった。時間にして、それでも数分くらいか。何の前触れすらなく室内の銃声、そして私の心音に異常が発する。


「……あっ」


 数分間同じ場所にしゃがみ込んだまま、それでも運良く生きながらえてきた私は、自分の意思とは無関係に短い息を漏らした。


 胸に痛みなんてものはなかった。心筋梗塞にでも犯されれば、ひとは心臓自体は痛まなくても、それを取り囲む血管の異常でその予兆から知覚することは出来る。けれど、生憎と私の胸に宿った人工物は、痛みをフィードバックするなんていう機能までは備え付けては居なかった。だから、多少の覚悟はしていたけれど、それでもこんなに突然にやってくるものなのね。気のせいなのか物理的なものなのか判断の付かない身体の芯から冷えるような感覚に耐えながらそう思う。


 前のめりに倒れそうになった私を、オリヴィエール・フォッシュが支えた。彼は、手が届く範囲に無造作に広がっていた、比較的汚れが見当たらないテーブルクロスを床に引いて、私をそこに横たえてくれた。不快な汗を拭うことも忘れて、不規則な呼吸を必死にしながら、私は自分の胸元に手を当てる。


 皮膚や脂肪の下で、異物が精彩を欠いたリズムで踊っているようだった。私と、それに付き添いながらも何も出来ずに歯噛みするフォッシュを見たまま、右手には銃を、左手には件のデバイスを握ったルーデルは、テーブルの隙間から相手を睨み、


「僅かだが、動きに乱れが生じている。一定の効果はあるな。さて、事前に設定したルート通りに奴が来てくれたとしたら、だ」


 そう言って、彼は何処かを見つめる。身体の内部を誰かにかき回されるような不快感に襲われている私にはその視線の先を見つめることは出来ない。けれど、それは閉鎖された無数の出入り口の一つで、その周囲に生存者がいないらしいことが彼の口から語られた。ルーデルはリッターのキーデバイスの認証部を軽く指で拭うように触れようとして、停止。思い出したかのように、私に一言。


「あまり真っ当な感性の人間が見るべきではない光景を作るから、目を閉じていてくれ」


 どちらにせよ、焦点が定まらない天井くらいしか視認する余裕がない私には、その忠告はあまり必要だとは思えなかった。


 直後、そう遠くはない場所から、鉄球で強固な城壁を砕いたとでも言うような破砕音が空間そのものを振動させた。その音に付随して、耳をつんざくような悲鳴がひとびとの口から漏れるのも一瞬だった。その残響をかき消さんばかりに、辺り一面の人間を含めたオブジェクト全てを消し去るかのような勢いの、連続した破壊の音色と物理的な熱量とが、半ば寝たきりの状態の私にも届いた。私をそれらから庇うように跪いて傅くオリヴィエール・フォッシュには、その演劇の主役を認めたようで、どこか圧倒されるオーディエンスの一人かのような口調で漏らした。


「あの忌々しい人型兵器か」


 口に出さずとも、味方なら頼もしい、という定型句が続くのが予想できた。部屋を満たしていた筈の照明器具も破壊されてしまったのか、厚い壁を隔てた先へ投げ出されたかのような暗闇が生者達の周囲を一瞬で充満させた。リッターが何かを発射する度に、人間には大きすぎるマズルフラッシュは、連続的に部屋の内部で繰り広げられるおぞましい光景をひとびとの目に焼き付けているようだった。


 無機質特有の駆動音と、それが発する熱が空間から失われていくさまと比例するかのように、やがて私の体内の鼓動も落ち着きを見せ始めた。室内にも、やがて忘れられていた静寂が遅れてきたように来訪した。場を満たしていた暴力はそれを上回る暴力の前にひれ伏したらしい。失われつつあった身体の末端の感覚が私の中に蘇ってくる。安全には、なったよう。


 起き上がれるかしら。そう思って、失われる以前ともはや見分けが付かなくなった移植済みの左腕を起点に、まずは上体を引き起こした。続けて、下半身も動かそうとしたところで、それまで周囲の数少ない生存者らと共に唖然としていたらしいフォッシュが、ようやく動き出した私に気付いたらしい。彼は私の手を取って立ち上がらせてくれた。そして、もはや手遅れだったけれど、忘れていたことを思い出して付け加えるように、


「いや、あの待ってくれ。あの男の言った通りだ。あまり見ない方が、良い」


 何が、と尋ねる暇も無く、私はその見ない方が良いらしいものを、先ほどまで生きていた人間を含めて滅茶苦茶になった室内の全貌を見てしまった。


 同じだ、と思った。


 記憶の中にあるいくつかの光景とそれは随分と似ていた。けれど、嗅覚がもたらす刺激だけは違う。鉄臭い人血の匂いじゃなくて、何かが焦げ付いたような香り。原型を失った無機物達と、先ほどまで襲い襲われていた人型の有機物の部品とでも言うべきものが混ざり合っている。そんな悪趣味な美術館の一室めいた空間を構成する人体の破片。それらの持ち主を特定するのは技術的には難しくはないかもしないけれど、その作業を担当するひとは気を病むのだろうな。そんな場違いなことを、私は考えてしまう。


 その光景を直視して、少しは驚きはしたけれど、取り乱したりしなかった。そんな血の通わないような私に対して、オリヴィエール・フォッシュは生理的にこみ上げてきた嘔吐感に屈服したらしい。最低限のエチケットでも脳裏をよぎったのか、部屋の片隅の、照明が当たらないが故に見えない闇を集めたような角に、彼は小走りで向かっていった。


 辿り着くやいなや、彼は頭を垂れてしまった。酸性特有の匂いを感じて、もう少し離れたところでして欲しかった、と思いながら、私は肩を上下させる彼の背中へ歩み寄った。


「大丈夫、ですか?」

「はぁ。俺の方が、心配されるとは。全く、自分が、情けなくなる……」


 自尊心を傷つけたのか、心底自分が嫌いになった、という風に彼は吐き捨てた。


「それが真っ当な反応だろう。気に病むことは無い。見慣れてしまうような境遇のぼくらのような人間の方が希少だ」


 宥めるかのように、薄暗く足下が覚束ない床を踏みしめてこちらに歩いてきたルーデルがそう口にした。その背後。このスクラップの寄せ集めのような舞台を作り上げたリッターが、しゃがむような姿勢で沈黙していた。その胸部から僅かな光が漏れ、室内を照らす数少ない光源となっている。何時でも搭乗できるようにコクピットに繋がる胸部の装甲を解放しているらしい。


「母艦と連絡が取れた。外からも内部の状況が届かないものだから、何らかの異変を察知していたらしい。すぐにでも外部で待機している予備の人員が駆けつけるだろう。最も、ぼくがこいつを呼び寄せたために、格納されていたリッターが緊急稼働した挙句飛び出したことが決め手だったようだが。被害規模は判然とはしていないが、どうもこの部屋に限ったことではないらしい。隔離されていたおかげでぼく達も気付かなかったが、この施設内の別室でも似たような密室が作り上げられては、似たような状況が現在進行形で展開中のようだ。君らの安全を確保した後、ぼくのような手合いは、あちらこちらで事態の収集に当たらないといけないだろうな」


 悪い報告の割には、愛機を乗り回す口実が得られた、とどこか不謹慎にも嬉しそうなルーデル大佐。近づいてきた彼は私の顔をじっくりと見つめた。何、とどこか上ずった声で尋ねる私に、安心したかのように彼は、


「大事ない、な。例え数分でも脳への酸素供給が絶たれれば生存率は極端に下がる。辛うじて君に埋められた機械は最低限の仕事はしてくれたようで安心だ。あの少女面した商人の女に会ったら、あんたらの取り扱う製品だけは信用できるようだ、とぼくが高評価のレビューをしていたと伝言しておいてくれ」

「そういうのは、直接ご自分でお伝えになって」


 私とルーデルが普段の様子と変わらないように会話を交わす様は、周囲の生者にとっては一種異様に映ったらしい。けれど、混乱した内面の清涼剤にもなったようで、各々が手持ちの端末等をライト代わりにし始め、その光源が照らすものに顔を歪ませた。幾人かは外部との通信を試み、この場にいるのだけは避けたい者は、当てもなくリッターがこじ開けた穴から通路へ足を運び始めた。


 少しは身体と精神の両方が落ち着いたらしく、どこかと手早く連絡を済ませたオリヴィエール・フォッシュもこちらへ歩み寄ってきた。


「人類統一連合所属の軍艦内部でも暴動めいたことが起こったらしい。幸い、というべきかコントロール権を奪われて帝国艦に喧嘩をふっかけるような艦は現在出ていないらしいが」

「そうかい」とルーデルが事務的に返答する。「ぼくは一先ず、彼女と帝国の要人を護衛艦までエスコートするつもりだ。あんた、いや、人類統一連合軍の兵士はどうする」

「お偉い方が混乱していることを、現場の判断に任せてくれたとでも解釈するさ。仮想デバイスを使用しているらしい連中を押さえ、これ以上帝国との外交上の火種を増産しないよう火消しをしたい。だが、訓練を受けていると言っても、こちらの兵隊は碌な交戦経験が無い。いや、ここまで来たら俺達にはいっそ恥も外聞も無いな。帝国軍、特にあんたの率いるリッター部隊の手を貸して欲しい。多少施設に傷を付けたとしても、この騒動の実行者共をさっさと鎮圧しなければ、また両国が戦争状態に逆戻りする可能性もある。だから、頼む」


 もはや取り繕うことすらせずに頭を下げるオリヴィエール・フォッシュ。ルーデル大佐は何か返答しようとして、自分の権限でどこまで判断を下すべきか倦ねたらしい。言葉を発することを直前で中止し、視線を私に移した。現在の私にそのような権限なんてないと思いますが、と前置きして、私はフォッシュに提案することにした。


「貴方にも、私達と共に艦に足を運んでもらえますか。帝国の護衛部隊に対して、これから先のことを要求するのは勿論ですが、人類統一連合諸国の内情を知る人物として、そして人質としての役割も担って頂きます。人類統一連合諸国の人間全てが敵対しているわけではないとわかってはいますが、事態は不明確に過ぎる。もはや帝国の対人類統一連合感情は存分に損なわれているのだから、これ以上不明瞭な事件を我々は抱えるわけにも行きません」


 私の要求にオリヴィエール・フォッシュは了承した。


 それから数分も経過しないうちに、突入部隊と見間違えんばかりに武装した帝国軍兵士が現れ、私やフォッシュ少将含めたひとびとを護送艦へ誘導し始めた。味方だと分かりつつも、無骨な装備に囲まれてどこか落ち着かない中で私は考えた。以前の、私が心肺機能と左腕を失った事件もそうだったけれど、その犯人とも言うべき責任の所在が明確にされることも無いままに二つの国家は自然と争う道へと歩んでいった。これらの国家間が矛を交わすことが利益となる者が居るとしたら、それはどういった者達か。そう思考することは、不明確な真相をさぐる逆説的なアプローチの一つではある。しかし、そんなものは物の見方一つでどうとでもなる、と同時に思うのだ。


 本来なら、一方的に被害を被っている帝国。私が皇女に即位した後、つまり内部の不安要因が取り除かれた後、帝国は手持ち無沙汰に増えすぎた軍事力をどう扱うべきかを思い煩っていた。そんな所に、新たな敵が出現した。そのおかげで、私達は平時における軍隊をどう扱うべきか、という厄介事に頭を悩ませる必要が結果的とは言え無くなったわけだ。 


 もし、また帝国と人類統一連合諸国が本格的に事を構えたらとしたら。そのとき、解決する努力に疲れた人々は、いっそのこと、その状況下でどうすれば自分は得を出来るか。あるいは、被害を最小限に抑えることが出来るのか。そういうことだけを、考えるようになってしまうのだろうか。もしそうなってしまうというのなら、私は、妹に、フリーデには、そんな寂れたことを考えて欲しくない。


 私は何時の間にか、そんなことを考えるようになっていたのだった。

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