1-9

 私とフランチェスカは、その日も同じ様な道程を無言で歩いていた。肝心の惑星に至るまで半月ほど掛かるために、いよいよ気分転換のネタに艦内の誰もが行き詰まり始めていた頃。私は侍女の言いつけを守って、大通りから外れた小道を選ぶようになっていた。

結果、同じような道順を選ぶ人種と鉢合わせた。


 おや、と先に声を上げたのはフランチェスカだったと思う。目前に現れた高身長の二人組の、黒を基調とした軍服を着こなした男性が、私の姿を認めた瞬間たじろいだ。向こうにすればやや薄暗い道から輝かしい身分の人間が飛び出してくるとは思わなかっただろうから。彼らはわかりやすく身体を緊張させ、帝国式の敬礼と共に謝罪する。


「失礼しました、皇女殿下」

「何か無礼を被った覚えはありませんが」


 私は続けて彼らに楽をするように言ったけれど、敬礼はやめただけで男性二人は直立不動を保った。自分が軍隊の訓練教官になったような心持ちになって何となく楽しい気分になった。年下の少女に真面目な顔で傅くその男性らの顔に覚えがあったから、余計に。


「ビショップ・フォン・ルーデル少佐、昇進おめでとうございます」

「はい、恐縮です」


 まさか自分の出世を労われるとも思っていなかった英雄は半ば素を覗かせかけた。同じく昇進を果たしたばかりのガーデルマン少佐は、心なしか同僚の慌てふためく様を楽しんでいるようだった。だから他人事のような彼にも、とびっきりの営業スマイル。ガーデルマン少佐、貴女もおめでとうございます、と言う具合に。


「どうも光栄です。しかし意外な出会いですな。皇女殿下のようなご身分でも出歩くものなのですか」


 予想に反して、もう一人の受賞者は物怖じというものを殆ど知らないらしい。隣のルーデル少佐が「おい、止せよ」と目配せする。それを見なかったことにして、私は人の良さそうな大柄の男性の質問に答えた。


「えぇ。机に向かいきり、というのも日々に華がないでしょうから」

「ごもっとも。ウチの女房は比較的外出しない達でしてね。長期の休暇がとれたとして、禄に出歩かないのは、中々どうして自分のような人間には耐えがたい」

私に対する彼はひどくフランクに応じてくれた。視界の端で、相棒の不始末に英雄ルーデル殿がしっちゃかめっちゃかな表情を見せて余計に愉快だった。フランチェスカから注がれる、「その辺が潮時ではないでしょうか。もう勘弁してあげて下さい」という訴えを無視して私は続ける。

「しかし、噂の只中のお二人がどうしてこのような場所に。私のように人目をはばかる必要は無いでしょうに」

「それはまぁ、様な事情が複雑怪奇に絡まりましてねぇ」

「あまり長々と立ち話をするな。皇女殿下に失礼だろう」という相方の意見を無視し、

「となりのこいつが、ルーデル少佐殿が真っ先に豪遊の類でもすべきでしょうよ。それくらいの茶目っ気がなければ可愛げがない。ところが、なかなかにクールな男でしてね。全くそういうことを好まんのですよ」


 そんなビショップ・フォン・ルーデルの、英雄と呼ばれる男性の一面をカミングアウトされた私はどこか驚いたような声音を装ってみせた。


「へえ。私がお二人のような立場にあるのなら、繁華街に繰り出して自身の英雄譚を誇ったりしそうなものですが。お二人は謙虚なのですね」

「自分はそうでもありませんが。私一人が威張り散らして、酒の席で口やかましく喧伝するわけにもいかんのですよ。何でしたら、ここでこいつに一言お言葉を添えて頂きたい。少しくらい羽目を外すことを命じる、と」

「おい、皇女殿下の前だぞ。あまり俗な、というより品がない話をするな。それにぼくは謙虚ぶってなんていない。お前の酒乱に巻き込まれたくないだけだ」


 観念したのか、彼、ルーデルもまた多少開き直って口調を砕いた。それを合図に私はターゲットをルーデル少佐に静かに移した。その気配を認めたのか、ルーデル少佐は嫌々ながら私と対面することになって、


「貴女も貴女だ。全く、想像よりも幾分も話しやすい御方だ。少なくとも貴女のことを殿上人だと認識していたのですがね。誰かさんと違って」と一瞬隣の相方を睨み、「こうして自分達のような、貴女から見れば下々達と親しく話す一面があったとは夢にも思わなかった。ただ、あまり軽々しい会話は自重なされた方が良いかも知れません。この男のような粗末さがうつってしまっては一大事です」

「そう、でしょうか。忌憚のない意見、恐れ入ります」


 私が彼の忠告に素直に頭をと下げようとすると、


「いえ、そういう意図の発言ではありません。それに先ほどの発言と矛盾するようではありますが、今のように振る舞っている方が、何というのかな……、人々により好ましいと思われる、とは思います」


  よくよくかみ砕いてみるとどこか説教染みた英雄さんの提案だった。それから、二三のとりとめも無い会話の応酬が続いた。プライベートはどうとか。近頃の帝国の雰囲気はどうだとか。今夜は珍しく人と会話したな、という程に彼らと会話を楽しんだ。肝心のルーデル少佐にはどこかいちいちはぐらかされるような印象が拭えなかったけれど。


 特筆する事も無い話の内に、何時ぞやの疑問が熱を帯びる。それは子供が目の前の奇妙な昆虫に恐怖に勝る好奇心に駆られるような。禁断の果実に、手を伸ばせば届くような甘美さを伴った熱だった。先ほどから会話をいい加減打ち切るよう、私の裾を引くフランチェスカが私の裾に暗がりから手を伸ばす。私の中に普段顔を出さない愚かなまでの好奇心がその手を躱させた。本題に入る。高鳴る胸は、恋する乙女のそれにだって負けない。


「そう言えば、授賞式の時にさしてお喜びではありませんでしたね。何故ですか」


 無言の時間があった。私に絡まれてから何らかの予感はあったのか、無表情の彼は一瞬思考して、用意できたらしい答えを言った。

「自分は職務を全うしただけ、と言うとニヒルに思われるな。単純に実感がないんですよ。手柄をあげて名誉が欲しかったわけでもなし」


 それは私が求めているものではなかった。そして嘘だな、と思った。外面を偽る匂いに私の感性は敏感に反応した。この男の在り方は自分に似ている、と。本人は自分でも気づいていないのか、意図的に無視しているのかは分からないが、空虚な感じが、特に。だから、私は最後に不意打ちを食らわせることにした。本音を引きずり出す、鋭い一撃。気づいたら手遅れの毒針かのようにさりげなく。


「そうですか。では、参考までにお聞かせください」

「何かな。ぼくに答えられる内容ならいいけど」

「自分の人生や日々がまるで透明になったみたいに。そう、ひどく薄っぺらなものに思えること、ない」

「それは……」


 男は答えあぐねた。沈黙は、しかし十の言葉よりも雄弁だから、それ自体が十分な回答に思えた。常日頃、立場相応につきまとう息苦しさ。即死には至らない毒が自分を侵し続ける感覚。英雄というペルソナを他者に無理矢理にでも付けられた彼なら、きっと自分と同じような価値観を共有しているに相違ない。以前から私は糧にそう考えていた。


 今度こそ潮時かな。そう思った私はフランチェスカに振り向いて言った。


「貴女の望み通りいい加減帰るわよ」


 またいつもの慢性的な頭痛の気配を感じたから、その前に切り上げて帰ってしまおう。多少気分が洋物だから、ごきげんよう、と生まれて初めて別れ際に口にした。自分が思っていたとおりの反応をビショップ・フォン・ルーデルから得られて満足した。あの英雄の不意をつけたのだ。そんな悪戯に成功したような、子供じみた気持ちに浸っていられたのは束の間だった。


 反撃が、来た。


「そうかもしれないな。だから自分は騎士なのでしょう」

「どういう意味ですか」


 気がつけば、私は立ち止まって振り返っていた。そんな私に彼は言う。

「そのままの意味ですよ。シンプルすぎてぼくにはひとに説明するのが難しい。下手に言語化するプロセスを経過してしまうと、余分な脚色が溜まりきってしまう」


 会話の続行を悟ったフランチェスカが、近くにベンチを見いだして座った。一種の諦め。飾られたお人形さんみたいに固まった。さり気なくその隣にガーデルマン上級大尉も腰掛け、何やらあちらはあちらでまた話し始めた。


 私は彼女に甘えてその場に踏みとどまることにした。予想とは違う回答を見せられたのだから、黙って帰るわけにはいかない。ルーデルは小手先の話術で小娘を追い払うのをやめた。確固たる持論を展開すると決断した様子だった。彼は、饒舌に語る。


「貴女のような輝かしい人間とは対面の、こちら側の住民にはいるのですよ。自分みたいな、生死の境でしか生の実感を得られない手合いが。年頃の男子はフィクションなりなんなりでそういうのに憧憬を抱くのだろうけど、実際はそんないいものでもない。そういう取り柄しかない人間は、ただただ薄い。貴女の言うようにフラットにも感じるだろう。特段、日常のそれに」

「そういう、特異な生き方しか自分には出来ない、と。そう、仰りたいのですか?」

「えぇ。そういう自分を疎ましくは思っている。だけど、ぼくは中毒者よろしくリッターからは降りられそうにない。確か皇女殿下は、武道か兵役の一環だかで乗ったことあっ筈ずだから、分かるだろう。あれに身を包んだとき。ニューロンの奥にまでインターフェイスが侵入してくる感覚。向こうから自分を迎えにやって来るような、最高の一体感。それがぼくは忘れられない。だから戦っている。人を殺すこととかイデオロギーだとかは、そもそも意識外なんだ。我ながら破綻しているけれど、自由意志の元で自分の命を粗末に出来る場所が、あまりにも魅力的に感じる」


 それは、かつて戦時の英雄と呼ばれた者達の大半が平和な時代に適応できなかったような者達が抱く、平時の社会においては破綻した思想や感覚だった。数々の式典では見せないような、きっとほとんどの女性が射落とされるような笑顔を彼は私に向けた。


「参考になると良いが」

「な、何がです」と思わず、声が震えた私に、たたみかけてきた。

「貴女はずいぶんとお疲れの様だ。式典の時だって何時だって、そうだ。君は、生きることに対して疲弊しているようにぼくには見える」


 自分の深部を見透かされていた、と気づいたとき、その衝撃は一気に私に殺到した。羞恥心よりも、一種の恐怖が。鍵を幾十にも掛けた自分の部屋に、他車の侵入を許してしまうような、恐ろしさが溢れた。そこから、どう彼をあしらって逃げるようにその場を後にしたのか思い出せない。


 短い会話を通じて相手の深淵を洞察しきったのは、果たしてどちらの方だったのか。明らかすぎて言葉にする必要性を感じない。

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