第244話 ラモ VS 人魚の姫
レイシーヴァ王国とイザヴェル連合王国の観客席から、大歓声が上がっている。
「はじめまして」
「はじめまして」
先程の一戦目とは異なり、互いが互いを敬った深い礼をする。
第二試合、レイシーヴァ王国・ラモと相対するのは、水色のたっぷりとした髪を背に流した、色白の女であった。
歳は18歳。
瞳は深緑色で、同じ亜人のエルフとは正反対に、非常に肉づきの良い身体をしている。
亜人であることを外見から見て取ることはできないが、もし彼女が海に飛び込む姿を目にすることがあれば、誰もがその変化に驚き、正体を知ることになろう。
イザヴェル連合王国代表、ローレライ・リズ・エレンルシア。
同国近海に生息しているマーメイドの
首元には美しい紋様の貝を削った数珠状のネックレスがかかっている。
人間たちには、どの貝をどのように研磨すればこうなるのかすら、わからぬ代物であった。
「よろしく。前情報と違って、随分とお若い人が来たのね」
洗練された、そしてあまたの人間の男を魅了してきた笑みを浮かべ、ローレライはラモを見る。
たいていこれだけで、普通の男は顔を真っ赤にし、自分に惚れ込んでしまうのである。
「あ、はい。交代しました」
しかしラモの反応は、そういう意味では薄っぺらかった。
「………」
ローレライが怪訝そうにする。
あまりに無感情で、女としてのプライドが傷つくほどだった。
とくに
これにより
「ふぅん……」
ローレライは豊満な胸の下で腕組みをする。
魅了を発揮しているのにもかかわらず、乗ってこない男は初めてである。
ちょっと笑い方が、女としてぎこちなかったかしら。
この場に立って、気づかず緊張しているのかも。
私らしくないわね。
ローレライは水色の髪に指を通し、色っぽくアピールしながらもう一度ラモに艶のある視線を向ける。
「もしかして前の代表の人って、臆病風に吹かれて逃げ出したの? ほら、レイピアを使う人のことだけど」
「いえ、僕が出たくて代わってもらいました」
相変わらずラモは、淡々と即答してくる。
「へぇぇ。……じゃあ、あなたって強いんだ?」
「はい」
「………」
うわ、自分で強いって言った。
「そ、そう……素敵ね」
ローレライはとっさに微笑を浮かべた。
「自信のある人は好きよ」
ウィンクをして取り繕い、ラモに情熱的な視線を向けた。
一度でもこの視線を向けられたら、ほとんどの男がそそられて、息も絶え絶えになるのである。
しかしラモは極めて正常な呼吸をしている。
ローレライは眉をひそめた。
なに、こいつ……。
幼いからか【魅了】が届いていない? いや、そんなことは関係なかったはずだけど……。
「二人とも、話はそれくらいにしてそろそろ開始の準備を」
審判の男が近づき、告げる。
コホン、とローレライは咳払いをする。
「自分で強いと言うくらいだから、優勝する気ね?」
「はい」
「本当にそうなったら、かつてないわ。加えてあなたはレイシーヴァ王国の救世主になるわね」
「はい」
「うん。かっこいいわね。惚れちゃいそう」
ローレライはもう一度魅惑的なウィンクをし、チュッ、と唇まで鳴らしてみせた。
今度はぬかりないはずだった。
「あ、はい」
「………」
再三の空振りに、ローレライは下唇を軽く突き出した。
なんでなの?
全く乗ってこないんですけど。
「試合開始!」
そこで近くに居た審判が、開始を宣言する。
しかしローレライは身構えもしない。
「名乗ってなかったわね。ローレライよ」
ローレライは笑みを絶やさずにラモに一歩近づくと、先程の話の続きのままに右手を差し出した。
「僕はラモです」
ラモが何も疑わず、その女性らしい右手を握った。
(バカね)
ローレライは、つい笑みを浮かべてしまう。
すでに戦いが始まっているというのに。
なにをのんきに手なんて握ってるのかしら。
ローレライはその手を掴み、体術で一気に関節を極めてやろうと考えていた。
だがその手を握った瞬間、やられたのはローレライの方だった。
「………え?」
身体を冷たいものが駆け抜けた。
ローレライの顔から、さっと微笑が消え去る。
同時に首元にかかるネックレスを繋ぐ貝の一つが、バリン、と音を立てて割れた。
ローレライは握っていた手を離し、一歩、二歩と離れた。
「……あ、あなた、何?」
「えぇと……?」
女性にあからさまに嫌がられた格好になったラモは、困ったように頭を掻いていた。
その姿は滑稽ですらあったが、ローレライは笑うことができない。
ネックレスを繋いでいた貝の一つ、【天華貝】がバラバラに砕け散っている。
「二人とも早く戦いなさい」
審判の男が急かす言葉は、しかしローレライの耳には届かなかった。
「……ちょっと待ってよ、話が違いすぎる」
言っている最中にも、ローレライの全身に、ざわざわと鳥肌が立つ。
【天華貝】は強力な【
かつて様々な精神攻撃からローレライを守ってくれた代物である。
【風水の耐久Lv3】の加護がかけられており、割れるにはまだ1年以上早いはずだった。
それが一瞬でバラバラにされるほどの、
「どうして……レイシーヴァ王国にこんな人がいるの……」
ローレライの口は、カラカラに乾いてしまっていた。
砕け散った貝が引き換えに無効化してみせたのは【蟲王の睨み】。
彼女がそこまで知ることはなかったが、噂とはまるで違う強敵が目の前に居ることくらいはさすがに理解できた。
「……すいません、そんなに嫌でした?」
ラモが心配そうな顔をして、ローレライに一歩近づく。
「ちょっ!?」
ローレライは慌てて飛び退った。
彼女にまとわりついた、怖気の余韻のようなものは、まだ消えていない。
(この感じ……あの時と)
ローレライは、このレベルの相手に一度だけ関わってしまったことがある。
いや、相手というのは正確ではない。
それは人ではなく、魔物であったから。
関わったのは、人魚たちの間で『スヴェード海溝』と呼ばれる、イザヴェル連合王国近海、海底の深淵。
8年前のある日、ローレライはその海溝をひたすら潜っていったことがあった。
決して望んでのことではなかった。
気ままに泳いでいた際に、曾祖母の代から受け継がれている大切なイヤリングの片方を、その海溝に落としてしまったのだ。
その深淵に眠る『おぞましき魔物』の噂話を知らなかったわけではなかったが、当時の彼女はイヤリングを気に入っていたこともあり、迷わずに潜っていった。
現存する人魚たちが、その魔物を誰ひとりとして目にしたことがなかったせいもあったであろう。
いや、別にいたらいたでいい。
自分の魔法でやっつけて、みんなに自慢してやろう、くらいにしか当時のローレライは思っていなかった。
そして、深く深く潜っていったその先に、本当にそれは居た。
謎の言語が刻まれた鎖でがんじがらめに捕縛された、漆黒の巨体。
それは鋭く、歪んだ二本の角を持つ禍々しい姿をしており、その体躯に触れる水は蒸散し、常に大量の泡を放っていた。
あまりに禍々しすぎて、初めて目にするローレライですら、その存在の正体を理解できたほどである。
そう、悪魔であった。
なぜこんな存在がここに居るのか。
それはかつて、人間や人魚たちでは感知できぬ次元で行われた戦いが原因であった。
永劫と思われるほどに続いた、神々と悪魔との大戦争。
地上ではできぬレベルまで強化された武器。
超上位言語による魔法。
それらがぶつかり合うこの戦争は、人間たちが及びもつかぬものであった。
戦争は数で圧倒的に勝っていた『神々の軍団』が終始優勢で、終盤には悪魔側の指揮官が次々と討たれた。
その最後の指揮官が、この『ソロモン七十二柱』の一角たるベリアルであった。
配下の軍団も全滅し、孤立無援となるも、ベリアルは孤高にその両腕を振るい続けた。
しかしやがて神々側の仕掛けた罠によって捕らえられ、最終的にこのイザヴェル連合王国沖の海底に封じられることになる。
ベリアルを封じた『聖神の鎖』は極めて強固であった。
魔王は現在に至るまで、このベリアルをいっさい使役することができずにいるくらいなのである。
海溝の深淵でローレライが遭遇したのは、それであった。
それと目が合った瞬間、ローレライは死んだ、と思ったのを覚えている。
ベリアルは拘束されていながらも、はっきりとローレライを見ていたからである。
ローレライはイヤリングのことも忘れ、這々の体で逃げ出した。
幸いにもベリアルは、そんなローレライを背後から襲うことはなかった。
だから彼女は今、命がある。
「……こいつ、当て馬なんかじゃない……」
声が震える。
ローレライは今、あの時と全く同じ感覚にとらわれていた。
「僕、馬じゃないですよ」
ラモは真顔で言い返していた。
ローレライはラモを睨んだ。
(違う、誤解に決まってる)
ローレライは悪夢を払うかのように頭を横に振った。
きっと先程手を握った時に、迂闊にもなにかの魔法をかけられたのだ。
それを【天華貝】が防ぎきれずに……。
割れたのはきっと、思った以上に消耗していたからだわ。
(やってくれるじゃないの)
ローレライはきっ、とラモを睨む。
もう油断はしない。
「悪いけど勝利は譲らない。私、どうしても負けられないの」
「負けられない?」
ラモが訊き返す。
だがローレライはそれには答えなかった。
「
「話すのも戦うのも、ローレライさんが初めてです」
「じゃあ私が教えてあげる。怖いのよ」
笑って見せるだけの余裕を取り戻した自分自身に勇気づけられ、ローレライがさっと飛び退く。
「……来て。フーア、エアリエル」
着地したローレライの身体が淡い蒼色に包まれる。
さらに足元の砂が小さく渦巻いて、彼女のミニスカートの裾がひらひらと舞い上がった。
水妖フーアによる強化バフ【露膜防御】、そして風の中位精霊エアリエルによる強化バフ【
これによりローレライは【物理魔法防御】と【行動速度上昇】の支援を得ることができるのだ。
「いくわ」
身軽になったローレライが懐から弓を取り出し、鋭く矢を放った。
おおぉ、と観客たちが反応する。
ラモはまだ、剣すらも抜いていなかった。
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